書籍市場とはまったく逆のトレンドを貫く書店
アルド もちろん、この書店を経営していくことに、さまざまな難題はある。特殊な本ばかりを扱い、他の書店とは方針が違うとはいえ、商いとして成立しなくてはならないわけだしね。まず仕入れる本の選択というのは、時間がかかる困難な作業、そしてそれを売る、ということはさらに大変なことなんだ。現代では、誰もが書き、誰もが出版するだろう? 毎週毎週、山のような本が出版されるが、そのなかから、書店に置きたい、と思える本を見つけることは至難の技だよ。正直に言うなら、ありふれた、研究に値しない退屈な本しか流通していないとも言える。僕らにとっては、本の正体を見極め、書店にふさわしい本をセレクトすることが、まず最初の課題だから。なかなか厳しい状況だ。
フランチェスコ 僕らの書店はご覧の通り、本に埋もれているが、ちいさい書店だからね。大型書店と競合することは、きわめて難しいことだよ。そこで僕らはセレクトにセレクトを重ね、希少な本、特殊な本、あるいは何処にも売っていない本を提供する、という姿勢を崩さないという信念を貫いている。モンダドーリやフェルトリネッリなどの大型書店では見つからない本を、僕らの書店、リブレリア・A・ロトンディでは扱っているということだ。この姿勢は、「市場」のトレンドとはまったく逆を向いているが、そのおかげで僕らは今まで生き延びているんだよ。
アルド 面白いことに、大型書店がロトンディを紹介してくれることもあるんだよ。「あの書店に行ってみるといいよ。あそこならひょっとすると見つかるかもしれない」、とね。古い本や希少な本、特殊な本を探している人々は、意外とたくさんいるものだ。
フランチェスコ この書店に置いている本には、ほとんど目を通しているけれど、いくら本狂いの僕でもすべてを読み尽くす、というのは不可能かな。それでも大部分は把握しているよ。しかし、これほど多くの本が出版される時代、新しく出た本すべてに目を通すのは難しいね。それにたくさん出版されるわりには、長く読み継がれる本が少ないじゃないか。1年経ったら、消滅。見向きもされなくなる本が多すぎるよ。つまり内容に厚みがない、ということだからね。これから10年、20年と長く読み継がれる本をセレクトしなければならない、というのが僕らにとってのいつもの課題なんだ。
アルド フランチェスコは歴史、哲学の分野のエキスパートで、わたしが東洋、西洋に関わらず宗教一般、そして精神世界の分野に情熱を傾けている。時間のあるときは、ほとんど本を読み、研究していることが多いね。これは仕事というより、わたしが唯一情熱を傾けていることだといえるよ。
フランチェスコ そういうわけで僕らふたりがそれぞれに専門としている分野の情報を統合し、ともに情報を交換しあって、本をセレクトしているんだ。互いが互いの分野に必要な情報を補完しあう、という形でね。
常連から若い学生まで、さまざまなタイプの人々
フランチェスコ ロトンディの顧客には、さまざまなタイプの人がいる。大叔父の時代から通っている人、つまり20年間以上通い続けてくれる人もいる。古書の蒐集家もいれば、ふらり、と扉を開いて偶然この書店を見つけたことから、何度も足を運んでくれる人も多いんだ。意外と若い客、たとえば学生も多いんだよ。セレクトが特殊なせいか、さまざまなタイプの人がやってくるのは嬉しいよ。最近のイタリアでは人々の本離れが叫ばれて久しいが、幸運なことに、ロトンディにはコンスタントに客がやってくる。
アルド わたしが何より嬉しいのは、たくさんの学生がこの書店に訪れてくれることだよ。卒業論文のリサーチが主な目的で本を探しにくるんだが、彼らのテーマに合わせた情報を提供できるのは、とても嬉しいこと。若い人には、どんどんこの書店に来て、知識を深めて欲しいと思っている。
フランチェスコ そう。アルド叔父の言うように、若い人が来てくれるのは嬉しいことだね。人々の本離れの原因を、僕はインターネットの間違えた使い方のせいだと思っているんだけれど。ネットを使えば、ある程度の情報をリサーチできるようになったのは確かだが、みな、その「ある程度」、つまり「うわべ」の情報だけで満足してしまい、そこでリサーチをやめてしまう。少し前までは、そう簡単に情報を得られなかったから、図書館へ行ったり、書店を巡ったり、少しづつ情報を集めていったものじゃないか。ネットでは即時に情報が得られるが、それは厚みなく、深みのない、掘り下げることを拒絶する情報だ。情報にたどり着くまでのリサーチの苦労、そしてそれを深めていく研究と作業は、何より大切なプロセスで、僕らはそのプロセスから多くのことを学んでいくんだから。もちろん、まだまだたくさんの、苦労を厭わない、情熱を持った真の研究家もいるが、一般的に、「うわべ」文化が席巻しつつあるというのが実情だと思っているよ。
アルド それに現在のイタリアでは、「文化」の分野が価値あるものだ、と高く評価されていないような気がするね。「文化」こそがイタリアの魂、文化だけで形成されたような国だというのに。今の時代の社会は、「文化」を担っている人々を支えない、というシステムになっているんだ。うわべ、みせかけを「文化」と呼んでごまかして、真摯に深め、極めていこう、という真面目な人々の姿勢を、社会は無視しようとしている。テレビやネットがいい例だけれど、日常の生活のなかに、他にもいろいろ気晴らしがあって、一時のその気晴らしで火花みたいに喜んで、人々の時間はスピーディに過ぎていくんだ
フランチェスコ そうだね。国も「文化」や「教育」に投資しないし。若い世代がイタリアの文化に興味を持つような政策がとられていない。教育レベルで、文化を深める機会がないと、成長して仕事をはじめ、家庭を持つようになれば、ますます文化と遠く離れた生活をするようになる。
Libreria A. Rotondiは、街角の『島』
アルド 書店という仕事は、とても魅力的だよ。訪れる人々といろいろな話もできるし、アイデアを交換することもできる。わたしも訪れる人も、それぞれ自分が興味のあるテーマを豊かにすることができるじゃないか。わたし自身、自分に欠けていた考察を、お客さんから指摘され、ハッとすることもあるしね。こうして少しづつ、誰もが自分のアイデアを発展させていくんだ。
フランチェスコ 書店にやってくる人々というのは、世の中の時間の巡りから、一瞬解放された人々、と考えられるだろう? 次から次にやることが山ほどあって、急かされ焦った気持ちのときは、人は書店には寄らないものだ。ふらっと、読みたい本を探しに寄ることは、人々のちょっとした休息なんだ。だから僕らも、のんびりアイデアを交換できるんだよ。
アルド そういうことだね。ここは街角のちょっとした「島」のようなものだ。日常に流れる時間とは違う流れで、自由な心でいろんな話ができる。
フランチェスコ そういうわけで、僕らは本のスーパーマーケットにはなりたくないのさ。訪れた人が探している本を、共に探し、あるいは僕の持っている情報をもとに、本を薦める。あるいはお客さんから「こういう本が出版されたよ」という情報を得ることもあって、とても勉強になるよ。しかし本来、書店というものはそういうものじゃないのかな。僕らとお客さんが一体となって構成するのが書店というものなんだ。
アルド うん、そうだ。書店というのは、知識のレベルでも、ヒューマニティのレベルでも、また、魂のレベルでも、人と人、人と本のコミュニケーションを形成する、いわば「異空間」であると、わたしも思うよ。
内面世界の成長過程としての『錬金術』
フランチェスコ イタリアには、1500年代から長い錬金術の歴史があるが、いわゆる金属と金属を融合させて、「金」を創る、というね。しかしいまや、それを真に受けて錬金術で「金」を創ろうなどという人物は皆無だ。「錬金術」というのは、シンボルだよ。「金」を作る、というのはマテリアルな意味の「金」ではなく、スピリチュアリティ、つまりわれわれ内面世界に「金」をもたらすための実践。つまり魂の成長プロセスこそが錬金術だ、と僕は思っている。マジック、いわゆる魔法と呼ばれるものも同様に、個人のスピリチュアリティの成長過程をメタフォライズすることから生まれたものだと思うよ。イタリアにおいて、伝統的なマジックは、いまやマージナルな領域に追いやられてしまっているよね。魔術による病気の治療などは、もはや遠い過去の話だ。
アルド しかし魔術の有り様というのは、文化人類学的な側面から考察すると、興味深いものだからね。あらゆる民族がそれぞれ魔術的な伝統というものを持っている事実も、人間の根源を探る鍵だ。それぞれの民族の魔術を研究するうちに、その民族の有機的で、明瞭な構造が浮かび上がってくる。したがって文化人類学の研究に「魔術」は欠かせない領域。魔術の背景を探ることは、興味深いことだよ
フランチェスコ 何れにしてもロトンディが扱う魔術に関する書籍は、文化人類学的、歴史的、文化的な側面から、魔術というものがどのように生まれ、また実践されたかを分析、理解する研究書、あるいは学術書だからね。いわば魔術の根源を探る、コンセプチュアルなものであって、子供だましの呪いだの、一瞬にして悟りを得られる、という類のものではないんだ。
アルド そうだ。今日は君に、大叔父の書いた「見えざる守護者」を推薦しよう。これはスピリチュアルな成長のプロセスを書いたものだし、読みやすいから、外国人の君でも、それほど苦労しなくても読めると思うよ。キリスト教では守護者のことをAngelo costode(守護天使)と呼ぶが、われわれの目には映らない永遠の守護者について書いたものだ。何だい? 君は守護者が本当に存在するかって聞くのかい? もちろんだよ! 存在するに決まっているじゃないか。
フランチェスコ ではどうしたら、困難な時に「見えざる守護者」から助けてもらえるか? それは君次第だね(笑)。それぞれがひたすら内面を見つめ、深めていくことで少しづつ、それが本当に存在することが理解できるようになる。そしてそれに近づいていくんだ。それが永遠にわれわれのそばにいて、われわれを守護してくれている。パーソナルにその存在を、少しづつ確かめていかなくてはならないよね
アルド この本を読んで、面白ければ、また別の本を推薦するから、いつでも来るといい。少しづつ、君も勉強するといいよ。僕らはいつでもここにいるから、いつでも寄ってくれればいいよ。今日みたいに、いろんな話をしよう。