イタリアの『鉛の時代』全体の流れを大きく俯瞰するために、欧州の共産勢力を水際で堰き止めるために構築された『グラディオ作戦』下、イタリアでプロジェクトされた謀略、『緊張作戦』に関わる主要な事件、事象を年代順に羅列してみます (Wikipedia Italiano、書籍”Gli Anni fra cane e lupo”を一部 参照しました。写真はイタリアン・ポップアートで一世を風靡したマリオ・スキファーニ、68年の作品)。
この時代には、現在(2015年当時)ローマの市政を揺るがす事件、『マフィア・カピターレ』の中心人物、元ネオファシストグループメンバー(Nucrei Armati Rivolutionari=NAR)としても名を馳せる、マッシモ・カルミナーティが主要メンバーとして核をなしたBanda della Magliana(バンダ・デッラ・マリアーナ)と呼ばれるローマ・マフィアも生まれています。このローカル・マフィアは、『鉛の時代』に起こったいくつかの事件の末端に頻繁に名前が現れ(『アルド・モーロ元首相誘拐、殺害事件』など)、国家のシークレット・サービスと連携、急速にローマの裏社会で勢力を持つに至りました。
また、当時、教会との繋がりをも噂された犯罪組織でもあり、1983年6月に起こった、深い闇に包まれたまま現在も未解決となっているヴァチカン教皇庁職員の15歳の娘、エマニュエーラ・オルランディの失踪事件に、当時のボスであったデ・ペリス(死亡)が深く関わっている、という根強い疑いをも持たれています。高校生の少女のこの失踪は、ヴァチカン、イタリア国家、アンブロゾーリ銀行、各国シークレットサービスが暗躍する、きわめて複雑な二重三重に真相が隠された事件に発展しました(2023年にヴァチカン警察による捜査が開始されることになりました)。
マッシモ・カルミナーティは、といえば1981年、『ボローニャ駅爆破事件』に使われた爆弾の原料となるT4を所持していたなどの罪状で、SISMI-Servizio Informazioni e Sicurezza Militari(SID 内務諜報局分裂後に形成された軍部諜報局)の大佐、さらに秘密結社『ロッジャP2』のリーチオ・ジェッリとともに起訴されましたが、のちの裁判で『無罪』となっています。さらにP2のメンバーでジャーナリストの『ミーノ・ピコレッリ殺害事件』の実行犯として起訴されながら、これも『無罪』。その後娑婆に舞い戻って、ローマ市政を巻き込んで、裏表の社会を取り仕切るほどの権力者にまでのし上がってもいました。ちなみにこのジャーナリスト殺人事件では元首相ジュリオ・アンドレオッティが起訴され、有罪判決を受けながらも一転、『無罪』となっています。
いずれにしても、この時代に逮捕、起訴された主犯、実行犯と目される当時のネオファシストたち、さらに『赤い旅団』の主要メンバー(創設メンバーを除いて)たちは、たとえ最高裁まで裁判が繰り返されたとしても、現在ではほとんどが出所、小説を書いたり、通常の社会生活を送っているという事実をも記しておきたいと思います。
さて、これから少しづつ『鉛の時代』に関するいくつかの事件、または現象をリサーチしていくつもりですが、まずは大きな流れを年代順に追ってみたいと思います。それぞれの事件を扱った多くの書籍、映画、報道番組が存在し、Youtubeではたいていの事件についての映像、TV報道番組、写真がアップされてもいます。
なお、以下の年表では、イタリアの当時の政府、内閣に関する詳細記述を幾分省略しました。さらにこれら以外にもローマ、ミラノ、ボローニャをはじめとするイタリア各地で大規模な政治的な武装衝突、マフィアとの連動も指摘される殺人事件、真相が明らかになっていない失踪事件などが多くあること、年表に記したのはごく一部の事件であることを付け加えておきたいと思います。
1963
11月22日 アメリカ、ケネディ大統領暗殺事件
1965
5月3日ー5日 ローマのホテルParco dei Principi(パルコ・プリンチペ)にて、「革命的戦争のための会議」。この会議はAlberto Pollioインスティチュートの軍部高官により開催された。グラディオ作戦下、イタリアにおけるla strategia della tensione(緊張作戦)の思想とその具体案が提示される。参加者にOrdine Nuovo幹部、SIDエージェントでもある軍事ジャーナリスト、右翼学生などが参加。
1966
3月10日 イタリアのいくつかの都市で、中国を模倣し、人民服でのデモが始まる。
5月3日 ローマ大学内におけるデモ衝突で、学生パオロ・ロッシが死亡。
10月30日 ローマにて、Psi『イタリア社会党』、Psdi『イタリア社会民主党』が統一、Psu『イタリア社会統一党』として発足。
1667
4月21日 クーデターにより、ギリシャ軍事政権樹立。
5月14日 レスプレッソ紙が、軍所轄のカラビニエリ大佐が1964年にクーデターを画策していたことを暴露。
6月5日 イスラエル対エジプト、シリア、ヨルダン、その他による6日間戦争。
9月25日 ミラノにて、銀行強盗グループが群衆に発砲。4人死亡。
10月9日 チェ・ゲバラ死亡。
1968
1~2月 イタリア各地で学生運動が始まる。
3月1日 Roma Valle Giulia(ヴァッレ・ジュリア)でローマ大学サピエンツァの建築家の学生と機動隊が激しく衝突。
4月4日 マーチン・ルーサー・キング暗殺。
5月2日 400人のデモ隊によりフランスの五月が始まる。
5月19日 選挙にてDC『キリスト教民主党』が最多票獲得。PCI『イタリア共産党』躍進。
8月21日 ソ連がチェコスロバキアに軍事介入。『プラハの春』の終焉。
10月3日 ピレッリ.C.s.p.aで、かつてなかったほど攻撃的で長いストライキが始まる。
12月12日 ルモール内閣発足。
12月31日 マリーナ・ア・ピエトラサンタで、学生と労働者によって構成されたデモ隊に機動隊が発砲。学生が重傷を負う。
1969
1月12日 アメリカ、リチャード・ニクソン内閣発足。
1月16日 チェコスロバキア、プラハで、ソ連の侵攻にJan Palachが焼身抗議。
2月5日―12日 CGIL、CISL、 UIL(労働組合)が最低賃金と年金保証を巡りストライキ。
2月27日 リチャード・ニクソン米大統領ローマ訪問を巡り、大規模デモ。学生死亡。
4月9日 タバコ工場閉鎖をめぐり大規模スト、警官が発砲。2人死亡、200人重軽傷。
4月25日 ミラノ車ショーでFIATのスタンドが爆発。ミラノ駅でも同時爆発。
6月11日 モスクワで開かれた世界共産党会議にて、『イタリア共産党』のエンリコ・ベルリンゲルがソ連のチェコ侵攻を批判。
8月9日 イタリア国内の汽車に8つの爆弾が仕掛けられる。12人重軽傷。ネオファシストグループ、Ordine Nuovoに属する、フランコ・フレーダ、ジョバンニ・ヴェントゥーラ(『フォンターナ広場爆破事件』の主犯としても逮捕)が、10年ののちに逮捕される
9月2日 勉学の権利を主張する学生ストライキ「熱い9月」が始まる。暴力的に発展。
10月27日 ネオファシストとギリシャ軍事政権に反対するデモで警官催涙ガス発射。
11月19日 ミラノ、共産連合と学生のデモで、警官一人死亡。
12月12日 ミラノ、フォンターナ広場、全国農業銀行で大規模な爆発。17人が死亡。90人が重軽傷。同日同時刻、ローマ、ヴェネチア広場でも爆弾が爆発。ミラノ・ローマに計5個の大規模な爆弾が仕掛けられた。
12月15日 フォンターナ広場爆発事件の重要参考人として取り調べを受けていたジョゼッペ・ピネッリがミラノ警察庁の四階取調室から転落。事件の取り調べはルイジ・カラブレージ警部により指揮がとられていた。ピネッリの死の真相はその後も明らかになることはなかった。
1970
3月20日 第三回ルモール内閣発足、『キリスト教民主党』、『イタリア社会統一党』、『イタリア社会党』による連立政府樹立。
7月14日 レッジョ・カラブリアで暴動が起こる。
7月22日 ジョイア・タウロ駅で爆発。6人が死亡、70人重軽傷。
9月26日 レッジョ・カラブリアの暴動に関する証拠書類をローマに輸送ちゅう、アナーキスト6人が原因不明の事故で謎の死。
10月5日 ジェノバ、極左グループが、有名な企業家セルジョ・ガドラを誘拐監禁。10月10日に身代金二兆リラと交換に解放。
12月7日 ボルゲーゼ家のPrincipe Nero(黒い君主)、ジュニオ・ヴァレリオ・ボルゲーゼのファシズムグループFronte Nazionaleが内務省を占拠。クーデター未遂。
12月12日 フォンターナ広場事件のメモリアルとしてオーガナイズされたミラノのデモで、学生1人が機動隊が発射した催涙ガスで死亡。
*1970年にはもうひとつ、特筆すべき事件が起こっている。1962年、戦時中パルチザンであったイタリアの主要エネルギー会社Eniの総帥、エンリコ・マッテイが巻き込まれ死亡した、飛行機事故の背景を調査していたマウロ・デ・マウロというジャーナリストが、自宅の門の前から忽然と姿を消した。当時は単純な飛行機事故として片付けられたこのエンリコ・マッテイの事件は、のちの調査で故意に仕掛けられた爆弾による殺人事件と確認された。民主主義を強く支持するマッテイが、アングロアメリカン企業が独占する原油市場に革命を起こそうと、原油市場の価格破壊に乗り出したところであった。この年のマウロ・デ・マウロの失踪に関しては、のちに逮捕されたマフィアたちの発言から、無残な方法で殺害されたことが明らかになる。この一連のストーリーはピエール・パオロ・パソリーニにより未完の小説『Petrolio -石油』に描かれるが、パソリーニ本人もまた、1975年に殺害された。『Petrolio』の小説草稿の一部が不明になっているという報告がある。
1971
1月25日 ピレッリの工場で8つの爆弾が爆発。『赤い旅団』、ダイナマイトによるはじめての犯行。
1月27日 カタンザーロのアンチファシスト集会で爆発。1人死亡、12人負傷。
3月19日 クーデター未遂、ボルゲーゼの逮捕延期。
3月26日 極左10月22日グループが強盗、一般住宅イスティチュートの現金輸送ちゅうのAlessandro Florisを殺害。
4月13日 フォンターナ広場事件主犯として、フランコ・フレーダ、ジョバンニ・ヴェントゥーラ、アルド・トリンコが逮捕される。
8月26日 ジョゼッペ・ピネッリの転落死をめぐる再調査に関し、ミラノ警察庁長アントニオ・アレグラ、ルイジ・カラブレージの身柄が保証される。
1972
3月3日 『赤い旅団』が通信会社の幹部を数時間拘束。
3月3日 1969年の汽車爆破事件、及びフォンターナ広場事件の計画に関わり、ファシスト党の再構築を試みた罪で、Ordine Nuovo のピーノ・ラウティが逮捕されたが証拠不十分で釈放。
3月14日 左翼革命グループの創立者であり、極左各グループに資金を供給していたとされるフェルトリネッリ創立者、出版責任者であるジャンジャコモ・フェルトリネッリが爆発に巻き込まれて死亡。(フェルトリネッリは、現在でもイタリア全国に書店を持つ重要な出版社及び書店)
5月7日 多くの若者たちに支持されていた極左の新聞 Lotta Continuaによってオーガナイズされた、アンチファシストデモで逮捕されたアナーキストのフランコ・サタンティーノが、獄中で拷問を受け死亡。
5月8日 選挙で『キリスト教民主党』が第一党に。イタリア社会主義運動が大躍進。
5月17日 警部ルイジ・カラブレージが自宅付近で射殺される。その犯人として、のちにLotta Continua紙の創立者であるジョルジョ・ピエトロステファノ、アドリアーノ・ソフリ、レオナルド・マリーノ、オヴィディオ・ボンプレッシが逮捕される。
7月15日 ペテアーノ(ゴリツィア)のフィアット500に仕掛けられた爆弾で3人のカラビニエリが死亡。ネオファシストグループ Ordine Nuovo のヴィンツェンツォ・ヴィンチグエッラ、カルロ・チクッティーニの2人が、逮捕される。
6月28日 ペテアーノの虐殺事件の実行犯とみなされる2人のネオファシストの公判が延期になり、ヴィンチグエッラはスペインへ高飛び。
7月7日 ネオファシストグループ幹部Calro Falvellaがアナーキストとの喧嘩で死亡。
8月26日 Lotta ContinuaのMario Lupoがパルマでネオファシストに殺害される。
8月27日 フォンターナ広場事件の首謀者としてフランコ・フレーダとジョバンニ・ヴェントゥーラの公判が始まる。
9月5日 ミュンヘンのオリンピック村でパレスティーナのテロリストにより、選手2人が殺害、9人が人質にとられる。ドイツ警察救出失敗で全員が死亡。
11月14日 イタリア政府は公判を待つ長期間、逮捕者を解放する法律を可決。ヴァルプレーダ法と呼ばれる。
12月29日 『フォンターナ広場事件』の実行犯と見られたピエトロ・ヴァルプレーダは期限付きで自由の身となる。
1973
1月 ミラノで学生たちの大規模衝突
4月7日 汽車爆発に失敗したNico Azziが、新聞Lotta Continuaを支持。
4月12日 ミラノでネオファシストの衝突。警官1人死亡。
4月16日 ローマのプリマヴァッレで、極左グループによる放火事件。
5月17日 アナーキスト、ジャンフランコ・ベルトリによるミラノ警察庁襲撃事件。1年前に殺害されたルイジ・カラブレージの追悼会の日に起こった。52人負傷、4人死亡。
*このときに使われた爆弾はMark2と呼ばれる、通常シークレットサービス、ネオファシストたちが多く使う爆弾であったことから、両者関与の可能性を裁判官アントニオ・ロンバルディが指摘したが、ベルトリはアナーキストとして無期懲役の判決を受けることになる。2002年になって開かれた裁判で、ベルトリはSIFARの諜報員であり、『フォンテ・ネグロ』というコードネームでSIDに従属して行動していたことが明らかになる。
10月6日 アラブ・イスラエル戦争勃発。
11月9日 ネオファシストの秘密組織「薔薇の風」関連者逮捕。
11月20日 法律により、ネオファシストグループOrdine Nuovo解散。
11-12月 オイル危機緊縮。イタリア軍部に警報発令。
12月10日 『赤い旅団』によるAmerio誘拐。
1974
1月13日 ボルゲーゼが企てたクーデター関与でアモス・スピアッツィ大佐逮捕。
4月18日 『赤い旅団』により、判事、政治家であるマリオ・ソッシ誘拐。5月解放。
4月18日 『フォンターナ広場爆破事件』におけるネオファシストとアナーキストの裁判を統合。
5月13日 国民投票により『離婚』法成立。
5月28日 ブレーシャ、デッラ・ロッジャの広場にてアンチネオファシストデモの途中に爆弾爆発。8人死亡。100人重軽傷。
*2008年まで続けられた裁判で、デッラ・ロッジャ広場に爆弾を仕掛けたネオファシストグループのメンバーは全て無罪となっている。そのメンバーには日本へ渡り名前を変え、企業家として成功したデルフォ・ゾルジが含まれる。
*『デッラ・ロッジャ事件』から41年が経った2015年7月22日に、主犯とされるネオファシスト。カルロ・マリア・マッジ、シークレットサービス、マウリッツィオ・トラモンテに『終身刑』がミラノの法廷にて再判決される。
6月17日 『赤い旅団』パドヴァにてMSI(イタリア社会運動ー極右グループ)の支持者であり企業家、Graziano Giralucciと年金受給者であるカラビニエリGiuseppe Mazzolaを殺害。『赤い旅団』によるはじめての殺害事件。
7月 イタリア警察におけるアンチテロリズム対策教育。
8月4日 ボローニャの地方都市 San benedetto Val di Sambroで汽車が爆発。12人死亡、48人重軽傷。『イタルクス事件』と呼ばれる。
*ローマを出発したこの汽車には、家族のバカンスに合流するためアルド・モーロが乗車する予定であった。幸運なことに、モーロは重要な書類にサインをするために呼び戻され、ティブルティーナ(ローマ・テルミニの次の停車駅)で降車している。この爆破事件は、秘密結社ロッジャP2に資金を供給された極右グループメンバーによる。
8月9日 リチャード・ニクソン米大統領辞任。 ウオーターゲイト事件
8月14日 フォンターナ広場事件関連で、ジャーナリスト、グイド・ジャンネッティーニ逮捕。
9月8日 『赤い旅団』創立メンバー、レナート・クルチオ、アルベルト・フランチェスキーニ 逮捕。
10月12日 秘密結社P2創立メンバーのひとり、企業家、銀行家、犯罪グループと深く関わるミケエレ・シンドーナを弁護士ジョルジョ・アンブロゾーリが告発。アンブロゾーリはのち1979年、アメリカ人に銃殺される。
10月15-30日 『赤い旅団』メンバーの大量逮捕。
10月31日 イタリア内務諜報局(SID)ヴィート・ミチェリ逮捕。
11月23日 アルド・モーロ内閣発足。
1975
1月24日 アンチシステムグループMario Tutiが二人のカラビニエリを射殺、逃亡。
2月18日 『赤い旅団』創立メンバー、レナート・クルチオ脱走。
2月28日 ネオファシスト、ミキス・ マンタカス射殺される。
4月16日 共産主義学生運動と、機動隊との衝突。
4月29日 ファシストグループのセルジォ・ラメッリ、極左グループに殺害される。
5月 NAP(極左)、『赤い旅団』による爆破事件が頻発。
6月16日 選挙でイタリア共産党大躍進。
11月2日 パソリーニ殺害事件
1976
1月18日 『赤い旅団』レナート・クルチオ再逮捕
2月4日 ロッキード事件の暴露
2月28日 イタリア内務諜報局(SID/エージェント)幹部、マレッティとラブルーナが『フォンターナ広場爆破事件』に関連して逮捕される。
*ジャナデリオ・マレッティは SIDのD 部門(対抗防諜活動課)の司令官で、フォンターナ広場爆発事件で容疑がかけられたジョヴァンニ・ヴェントゥーラの脱走幇助、またSIDエージェント、グイド・ジャンネッティーニ、マルコ・ポッツアに個人的に有利な配慮をしたという罪で逮捕される。のちに『無罪』となり、南アフリカに移住。
1月4日 『中絶』解禁、法律化整備。
5月5日 クーデター計画でエドガルド・ソーニョ逮捕。6月19日に釈放。
5月28日 軍部出身政治家サクッチとセッツェ、 国外逃亡。
6月8日 『赤い旅団』により、判事ココ、殺害される。
7月10日 ネオファシストにより裁判官オッコルシが殺害される。
7月29日 アンドレオッティ内閣発足。
1977
1月18日 カタンザーロにて『フォンターナ広場事件』公判が始まる。
3月 イタリア全土で学生運動が広がる。ボローニャ大学の医学生、フランチェスコ・ロルッソが射殺される。
3月31日 ヴェネト州各地で極左グループによる爆弾騒ぎが続く。
5月12日 ローマの「ファミニズム」デモで、十八歳の学生ジョルジャーナ・マーシが射殺される。この挑発的な殺害はのちにシークレットサービスによる「緊張作戦の一貫」である可能性が元首相フランチェスコ・コッシーガから暗示される。
6月2日 ミラノの企業家、シルヴィオ・ベルルスコーニがイタリア共和国大統領ジョヴァンニ・レオーネから経済に貢献したとして、Cavaliere del lavoro賞を受賞、栄誉を称えられた。その時ベルルスコーニ41歳。
6月-7月 『赤い旅団』、NAP、UCC(極左)による、爆発が頻発。
9月23日 ボローニャ大学で極左学生による大規模な反体制会議が開催される。
10月24日 秘密警察内部改革。
10月31日 カラビニエリのエンリコ・ミーノ大佐死亡。
11月6日 ウーゴ・ラ・マフィア、イタリア共産党の入閣を提案。
1978
2月21日 ヴェネチア近郊で、ネオファシストによる爆破。
3月9日 『赤い旅団』公判はじまる。
3 月16日 元首相アルド・モーロ『赤い旅団』により誘拐。警察官など5人が殺害される。
5月9日 モーロ殺害。
5月9日 ジョゼッペ・インパスタータ(映画「Cento passi」のモデルとなったペッピーノ)殺害。
5月29日 中絶合法化。
8月6日 教皇パオロ6世死去、ジョバンニ・パオロ1世教皇就任。
9月28日 教皇ジョバンニ・パオロ1世死去、ジョバンニ・パオロ2世就任。
9月30日 フォンターナ広場事件の被告フランコ・フレーダ、行方不明に。
11月ー12月 『赤い旅団』の攻撃が頻発。
1979
1月16日 『フォンターナ広場爆破事件』被告ジョバンニ・ヴェントゥーラ、行方不明に。
1月26日 パレルモにて、ジャーナリスト、マリオ・フランチェージ殺害。
1月24日 労働組合のグイド・ロッサが『赤い旅団』により殺害される。
1月29日 裁判官アレッサンドリーニが殺害される。
2月23日 『フォンターナ広場爆破事件』でフレーダ、ヴェントゥーラ、ジャネッティーニ終身刑宣告。のちの裁判で、一転『無罪』
3月20日 弁護士、ジャーナリスト、ミーノ・ピコレッリが殺害される。
4月7日 トニ・ネグリを含む極左グループ16人逮捕。
*マイケル・ハートとの共著、”Impero”ー「帝国」は世界的にベストセラーになり、東京、京都で講演もしたトニ・ネグリについては詳細を記す必要はないと思われるが、『鉛の時代』が生んだスーパーインテリ、極左思想オピニオンリーダーの一人。敬虔なキリスト教教育を受けたネグリは、その後キリスト教社会主義へ傾倒、Operaista(工員支持運動家)となる。大学時代にはウンベルト・エーコ、またフランチェスコ・コッシーガとも交流を持っている。BRー『赤い旅団』との関係を取り沙汰され、政治策略の扇動者として逮捕されるが、Partito Radicale『急進党』の議員となり、出所。その後フランスへ居を移した。ネグリの逮捕に関してフランチェスコ・コッシーガが「不当な逮捕であった。彼はジャコバン主義者たちの犠牲となった」とのちに述べている。
7月11日 アンブロゾーリ殺害。
8月15日 フォンターナ広場事件被告ヴェントゥーラ、アルゼンチンで逮捕。1980
1月 テロリズム再発。頻発する。
2月12日 法学者Bachelet 殺害。
5月26日 ジャーナリスト、トバーニ殺害。
6月23日 判事Mario Amatoがネオファシストグループにより殺害される。
7月19日 各国によりボイコットされたモスクワオリンピックに、イタリアはボイコットを表明せず。
8月2日 ネオファシストによるボローニャ駅爆破事件。85人死亡。200人負傷。
9月2日 ネオファシストグループMangiameliが殺害される。
9月-10月 FIATストライキ
1982
4月1日 右派政治家、犯罪心理学者で、数々の殺人事件の背景で暗躍したアルド・セメラーリ殺害