Il Colpo poetico「詩的身体」
ナツィオナーレ通りにある、ローマ市立美術館(Palazzo delle Esposizioni)の展覧会は、3つの展覧会の中でも最も規模が大きく、パソリーニのオリジナル原稿、インタビューを掲載した当時の雑誌、有名な評論が掲載された輪転機で刷られた新聞、初版本、チラシ、パーソナルなヴィンテージ写真、未公開の撮影風景写真、さらにはパソリーニが読んだ本、ゆかりの人々が書いた記事、映画で使われた衣装、パソリーニ由来の音楽のLPやCDなど、700点以上のオリジナルが展示された、過剰なほどに充実した展覧会です。その中には、今回はじめて公開されたプライベート写真や、映像もあり、それらをひとつひとつ観るうちに、あっという間に半日が過ぎ去りました。
その、7つのセクションに分けられた展示場の、まず最初のブースには、3つの展覧会のコンセプトである「身体」の基本概念となった、1971年、1974年にパソリーニが語った「身体」、そして「消費」を巡る言葉が展示されています。
当時のローマにおける第三世界とも言える、郊外のバラックに住む、盗みやゆすりたかりで生活をしながらたむろする、青年たちの野生の官能(barbarie)を描いた小説、『生命ある少年たち』(Ragazzi di vita/1955年)『ひとつの暴力的な人生』(Una Vita Violenta/1959年)から、実際にその青年たちを配役した映画、『アッカトーネ』(1961年)、『マンマ・ローマ』(1962年)『リコッタ(Ro .Go .Pa.G)』(1963年)を撮影し、貧しき者たちの顔、肉体に漲る生命力をリアルに表現したパソリーニは、かつてわれわれ人間が持っていた初源的な野生を、その「身体」に見出しました。
「身体」は常に革命的だ。なぜならコード化できないからだ。たとえその身体(たとえば黒人、サルデーニャ人、ジプシー、ユダヤ人、ホモセクシャル、貧者たち)が、生きるに値しない人生を送ったとしても、同様に、明らかに革命的だ(一方、聖職者、閣僚の身体には、そのような革命的な明確さはない。貧しい者、不幸な者はーあきらめようが、反乱を起こそうが、犯罪を犯そうが、二律背反のない唯一のリアリティでありーそれだけで英雄的なのだ。(略)
中流階級(彼らは昔の農民であるが)の明日への不安、惨めな生活や成功しないことへの恐怖症は、ある種の隠された、そして見過ごされた、小さいが激しい精神疾患だ。しかし、それが「よりよい明日」のイメージを提供しているのであれば、非常に深刻なことであるには違いない。それは消費できる財産、それを買うだけの十分な金を獲得して、誰もが確実な家を持つことができ、学校に行って必要な教養を独占することができる「よりよい明日」だ。(略)
しかし、僕は人生が、それでも美しく、幸せだと思える地点に到達した。(略)街や田舎を埋め尽くす何百万人もの名もなき人間たちが、僕には聖なるもののように思えるのだ。(略)人生を真に愛する人は、決して未来を考えない。(La Nuova Italia 1971)
権力は、われわれをすべて同質である、と決定した。消費しなければならないという不安は、発せられてもいない命令に服従しなければならないという不安でもある。イタリアの誰もが、幸せになるため、自由になるために、消費において他人と平等であることを求め、不安、惨めさを感じている。なぜなら、他人と自分は違うと感じる限り、それが無意識に受け取った、服従しなければならない命令だからだ。今のような忍耐の時代、他人と違うことが、これほど恐ろしい罪であることはなかった。(われわれは)平等を獲得したのではなく、贈り物として受け取った「間違った」平等に欺かれているのだ。(il Mondo/1974)
前者は、社会から顧みられることなく、あるいは差別されることで窮地に立たされながら、「絶望した生命力」を持って生きるマイノリティの人々の肉体を「英雄」と讃えた、パソリーニの「貧しき者は幸いである」という、まさに福音的発言です。時代に蔓延する、誤った「よりよい明日」を求める不安を憂いつつ、生命を賛美するこの文章は、現代においても警句となりえます。
ホモセクシャルであることが、(カトリック教会においても、一般市民においても)倫理的に重大な罪であった時代、その事実を隠すことがなかったパソリーニが、50年代に上梓した2冊の小説が発表された当時、その内容から賛否両論が巻き起こりながらも、爆発的な人気となりました。しかしイタリアで最も権威ある文学賞であるプレミオ・ストレーガは、パソリーニが青少年への淫行で告訴された経緯から、ノミネートすらしていません。「barbarieー野蛮、未開、非文明」という言葉が、最も好きだとも発言していたパソリーニはおそらく、自らの経験から、自身がマイノリティがあることを常に強く意識し、社会から差別、排斥される人々に強い共感を抱いていたのだと思います。
後者は、ネオキャピタリズムがイタリアを凌駕し、産業の発展とともに、いよいよ顕著になった消費文化こそ、「ムッソリーニすら成し遂げることができなかったイタリアの景色そのもの、そして人間の顔を変えてしまった真のファシズムだ」と、至るところで糾弾しているパソリーニが、消費に服従することで、人間は他人との物質的、消費的差異を病的に不安に思い、命令されてもいないのに、自ら均一化しようとしている、と集団的な神経症に陥った時代を喝破した一文です。
これは、記号化された消費の時代を生きた経緯のある日本人であるわたしには、あまりにも納得できる分析であり、事実、その時代からわれわれは、身体的野生、あるいは本能的な直感を失いつつある、とも感じています。
また、のちにあれこれ本を読んでいるうちに遭遇した、「市民は消費によって平等を獲得した」という意の吉本隆明の言葉を思い出し、複雑な思いをも抱きました。日本の70年代には、パソリーニのような、時代に警鐘を鳴らす詩人は存在しませんでしたが、思想、テーマ、表現、方向性を無視して、あえて対比することが許されるのであれば、三島由紀夫が抱いた危機感と共通性があるのかもしれません。
ともあれ、パソリーニが亡くなって、あと3年で50年の時が経とうとしている現在、ウェブ上の仮想コミュニケーションが身体的コミュニケーションに置き換わり、アルゴリズムがわれわれの消費生活を創出し、生活空間がメタバースにまで発展した現代、その「人間としての野生の身体性の喪失」を、具体的な展望ではなくとも、この時すでに、詩人は感じ取っていたのだと思います。
また、市場に渦巻く欲望に裏付けられた産業の拡大による、使い捨ての消費文化がもたらした自然破壊、現在繰り広げられている戦争、紛争、気候変動による度重なる大災害は、歪みながら発展した「消費文化」の皺寄せと言えるのではないか、とも展覧会を巡りながら考えました。
時間を経て、セピア色に変わった印刷物の、詩人に関するあれこれは、確かに時代を反映した、今では古めかしく感じる価値観(たとえば若者たちの長髪を憂うなど)も、もちろんありますが、まったく古びることのない、本質的な問いがいくつも存在します。この「詩的身体」のコンセプトは「秩序と無秩序、拡散、汚染、漂流、挫折を、自由に動きながら表現するパソリーニの身体的、感覚的存在の由来を具現化する」というもので、世間の風潮にまったく動じず、まさに革命的なテーマで世界に挑んだ詩人の「聖性」に、総合的に触れることができる展覧会と言えるかもしれません。
何より、今までに観た映画作品の撮影現場、モノクロの未公開写真の数々に映る、若きパソリーニの生き生きとした表情、エレガントな振る舞い、また『生命ある少年たち』とのサッカーの試合の写真や動画など、暗い悲劇ばかりが強調される詩人の、生命への愛情溢れる、溌剌とした姿に、それまで詩人に持っていたイメージを多少変えることにもなりました。
▶︎68年の学生運動「僕は君たちを憎む」