ローマの高校生たちのチネマ・アメリカ占拠から10年、チネマ・トロイージの奇跡

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ローマはやはり映画、人々のチネマに対する愛情は計り知れないものなのだ、と改めて痛感しました。古き良きイタリア映画の黄金時代、トラステベレに暮らす庶民たちの胸を高鳴らせ、いくつもの思い出が積み重ねられた映画館、チネマ・アメリカが時代の煽りで廃館を強いられ取り壊されそうになる寸前、高校生たちが大挙して『占拠』したのは2012年のこと。その小さな『占拠』は、ベルナルド・ベルトルッチという巨匠を筆頭に、映画界から強力なサポートを受け、あっという間に街の話題をさらいます。やがてその高校生たちはラツィオ州、ローマ市から、3つの広場で開かれるオープンシネマのオーガナイズをまかされることになり、それらはいつしか夏の風物詩ともなりました。しかしその動きが、最新のテクノロジー装備のモダンアヴァンギャルド映画館チネマ・トロイージにまで発展するとは、正直、考えてもいなかった。映画館から配信プラットフォームへと映画を巡る環境が大きく変わりつつある今、いまや大人になった高校生たちの挑戦ははじまったばかりです。

365日24時間開館、すべての人々に解放された映画館

お目当ての映画の上演前、まだ観客がいないプラテア(正面席)に足を踏み込んだ途端、ローマの映画の新しいシンボルとも言える映画館を担う若者たちの、清々しい意気込みと強い想いが漂うような気がして、軽く鳥肌が立ちそうになりました。

もちろんその感覚は、この10年間の彼らのストーリーを知っているせいでもありますが、同時に、その彼らの情熱と手腕を100%信頼して投資し、完全に運営をまかせた大人たち包容力に、心を揺さぶられたからでもあります。

ローマに暮らしながら、思い通りに物事が進まず苛立つことがあっても、高校生たちの、もちろん非合法である小さな『占拠』が、実験的映画館モデルの獲得にまで発展するとともに、彼らの手腕が、舌を巻くほどプロフェッショナルに洗練されていく過程に遭遇すると、時々起こる負の出来事が、一気にリセットするような気持ちになります。高校生たちは、何事も進行が遅れるローマにおいて、ひたすら粘り強くもありました。

わたしが映画を観に出かけた日、トラステベレの心臓部、ジローラモ・インドゥーノ通りの修復を終えたばかりの巨大純白建造物の一角にあるチネマ・トロイージのエントランスは、映画を観るには時間的に少し早い、ウィークデーの昼下がりだというのに、すでに多くの人々が出たり入ったりと、賑わっていました。中に入ると、バリスタを囲むように設えられたバールのカウンターはほぼ満員で、おしゃべりをする壮年のカップルの横でデスクトップを広げて勉強する若者や、静かに本を読む女性がいて、年齢層まちまちです。

その日は、ヴェネチア国際映画祭で話題になったガブリエレ・マイネッティ監督の新作『Freaks out(フリークス・アウト)』を観るためにやって来ましたが、上演までにはずいぶん時間があったので、9月30日開館から話題になっていた、「映画を観なくとも、いつでも訪れることができるテラススタディ・ルーム」を見に行くことにしました。

ちなみにマイネッティ監督は2015年のデビュー作、『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーク』で、イタリアのアカデミー賞ともいえるダヴィッド・デ・ドナテッロの7部門を受賞。ローカルマフィアが牛耳る、荒んだローマ郊外を舞台にした、度肝を抜くスーパーヒーロー物語で一気に人気を博した監督です。封切り前から楽しみにしていたのですが、先に感想を言っておくと、荒くれパルチザンも活躍する、期待に違わぬ、少々ブラックな戦中ファンタジーで、最新のオーディオシステムを装備した劇場で観終わったあとは、息を呑みすぎたせいで酸欠となり、立ち上がるのが困難なほどでした。

さて、映画館の上階にあるスタディルームとテラスへと誘う階段には、ローマのアーティスト、ロレンツォ・テラネーラの温もりのあるイラストで、『占拠』を敢行した高校生たち「Ragazzi del Cinema Americaーチネマ・アメリカの少年たち」の、映画を巡るその後の冒険が壁全体に描かれ、微笑ましくもあります。

どこか自慢げに「CABINA PROIEZIONEー映写室」と書かれた壁の前の廊下を通って、シャープなデザインのテラスに出ると、肌寒いにも関わらず、何人かの若者たちが、屋外で静かに勉強していました。屋内のスタディ・ルームは、というとすでに満員で、なるほど、365日、映画を上演していない時間も含め、この映画館が24時間開館しているのは、居心地が良さそうなこれらのスペースを、いつでも誰でも自由に使えるように、というアイデアなのでしょう。伝え聞いたところによると、開館が、ちょうど新型コロナの規制が緩和されはじめた頃でもあり、当時から超満員だったそうです。

 

明るく広々としたテラスのテーブルもほぼ満席で、学生たちが集中して勉強していました。邪魔にならないように、そっと屋内に入った次第です。

 

なお、「アヴァンギャルドな実験的映画館モデル」、チネマ・トロイージのコンセプトは、「映画を核にしたスペースで人が出会い、意見を交換し、議論を発展させるソーシャル・コミュニケーションの場として機能」、さらには「映画はもちろん、イベントや展覧会を含め、あらゆる文化地域解放する」というものです。若者たちがホームページで高らかに宣言するように、このような映画館は、ヨーロッパでも他に類を見ません。

「最近は、映画を家で観る人(動画配信で)が多くなってきたけれど、僕らはその逆手をとって、映画館自分の家のように使ってほしいと思っているんだ」

チネマ・アメリカの『占拠』ののち、高校生たちで(すでに卒業していましたが)構成されたアソシエーション、『ピッコロ・アメリカ』のスポークスマン、ヴァレリオ・カロッチがそう話していて(コリエレ・デッラ・セーラ紙雑誌『セッテ』より)、確かにバールを含め、テラスやスタディ・ルームで本を読んだり、勉強、あるいは仕事をしている人々は、それぞれすっかりくつろいで、やるべきことに集中している様子でした。

 

スタディルームも満員。24時間開館しているので、家が近くの人々は夜中まで落ち着いて仕事ができそうです。扉が開け放たれているので換気も良さそうで、一度夜に訪れてみようと考えています。

 

もちろん建造物全体が修復されたばかりで、真新しいせいもありますが、天井から本棚のレイアウト、テラスの机の配置、色合い、インテリアの細部まで、雑な部分がどこにもなく、ひとつひとつ丁寧に、ミニマルに設計されたのであろうと思われます。しかも洗練されながら、繊細で温かく、のびのびとしている。そんなチネマ・トロイージを、ローマの美術・考古文化局管理のもと、『ピッコロ・アメリカ』と話し合いながらリフォームを進めたのは、ラッファエッラ・モスカッジューリ、クラウディア・トンビーニという新進女性建築家たちだそうです。

とはいえ、あちらこちらを歩き回っている間、通常どんなに新しくとも1週間もすれば、あっという間に荒れた風情となる、ローマのスペースにしては埃ひとつ落ちていないのが、少し不思議でもありました。そんなことを考えながら、ふと廊下に目をやると、モップを持ったスタッフの青年が丁寧に床を磨いており、ハッとするとともに、何年もかかってようやく手に入れた、自分たちの映画館への想いを垣間見るような気がした次第です。

 

映画を観る直前や、スタディルームでの仕事の息抜きに、バールでおしゃべりをする人々。本を読んだり、ラップトップを広げて勉強している人もいました。エスプレッソも結構美味しく、トラステベレに来た際、バールにだけ寄る、という選択肢もありそうです。

 

ところで、このチネマ・トロイージが一角を占める巨大な建造物 l’exGIL(La Casa della Gioventù Italiana del Littorioー事務所、スポーツジム、劇場、会議スペースなど、若者たちのために造られた多目的スペース)は、ワシントンの「ウォーターゲート・コンプレックス」を設計した、イタリアの30年代の代表的な建築家、ルイジ・モレッティによるものです。しかも当時の建築界では大きなイノベーションとして注目された重要作品で、修復の際、ローマ美術・文化局が詳細に至るまで進行を管理するのは、建物そのものが美術品でもあるからです。

現在、チネマ・トロイージがある一角は、建設当時は劇場として使用されていましたが、50年代には通りの名前を冠したチネマ・インドゥーノとして、チケットの値段を抑えた庶民の映画館に生まれ変わり、特に子供たちのための映画を上映していたそうです。そういえば、チネマ・トロイージのチケットの値段も、新作は常時7ユーロに抑えられ(通常は8~11ユーロ)、過去の映画を上映するレトロスペクティブは3ユーロ、と比較的安価なのは、このチネマ・インドゥーノの流れを受け継いでいるからかもしれません。

やがてスペースそのものが、イタリア映画黄金時代のプロデューサーとして、一世を風靡したチェッキ・ゴーリ親子(マリオ・モニチェッリ、エットレ・スコーラ、フェデリコ・フェリーニ、ロベルト・ベニーニ、ダニエーレ・ルケッティ、マッシモ・トロイージ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ヴィム・ヴェンダース監督など、多数の作品をプロデュース)の所有となり、1997年に「チネマ・トロイージ」に名前が変わることになりました。

というのも、マリオ・チェッキ・ゴーリの息子であるヴィットリオがプロデュースして、世界中で愛される映画となった1994年制作の「イル・ポスティーノ」の主役を演じ、撮影直後(というか最中)に早逝したマッシモ・トロイージに、チネマ・インドゥーノが捧げられることになったからです。

そのチネマ・トロイージは、ほどなくチェッキ・ゴーリの手を離れ、企業の傘下となって2013年まで運営されますが、結局経営が悪化して破綻。それでも運営を任されていた人物は2015年まで映画の上映を継続し、結果的にはローマ市から強制退去命令が出て、力づくで閉鎖されることになります。その際、運営を任されていた人物は「チネマ・アメリカを占拠している若者たちに譲りたい」と発言していたそうです。

そしてその閉館から数年、ローマ市が開催した「チネマ・トロイージ」プロジェクトの一般募集の熾烈なコンペティションを勝ち抜いたのが、前管理者の希望通り「チネマ・アメリカの少年たち」が構成するアソシエーション、『ピッコロ・アメリカ』でした。しかしその後も、若者たちの目前には法律的な問題や資金繰り、国や地方自治体との交渉、修復の問題など、多くの難関が待ち構えており、再出発にあまりに時間がかかっていたので、「実はいつの間にか立ち消えになったのではないか」、と考えるほどでもありました。ローマには「決定した」にも関わらず、知らないうちにうやむやになってしまう案件がいくつもあります。

ここで、少し横道に逸れますが、1994 年に亡くなったマッシモ・トロイージというナポリ出身の俳優は、われわれ日本人にとっては『イル・ポスティーノ』でしか馴染みがありませんが、イタリアには現在も熱狂的な、それも20歳代、30歳代という若い世代のファンが多く、テレビでもしょっちゅう映画が再放送されますし、シネクラブでも、かなりの頻度でレトロスペクティブが開催されます。昨日もSNSを覗いていると、偶然にトロイージの記事が流れてきて、たちまちのうちに12万以上の「いいね!」を集め、絶賛コメントが3000以上も書かれていました。

独特のアイロニーとペーソス、飄々とリアリティのある生活感でナポリの青年を演じるのみならず、監督、脚本家としても才能を発揮したトロイージは、ナポリだけではなく、イタリアの青年たちの等身大の感性を表現している、と称賛される俳優です。たとえば30〜40代の人気俳優が「影響を受けた俳優」として、名前をあげる名優のひとりでもあります。

80年代には、親友でもあったロベルト・ベニーニとTV番組にも出演していたようですが、残念ながら、わたしはその時期をまったく知りません。2009年、イタリア全国を対象にされた「イタリアで最も偉大なコメディアン」調査では、ローマのアイコンであるアルベルト・ソルディ、ナポリの伝説の喜劇俳優TOTòに次いで3番目にエントリーしています(イタリア語版ウィキペディア)。

ただ、トロイージは幼い頃から心臓に重い病気を抱えており、1994年に41歳で亡くなるまで、何度もアメリカに渡って手術を受けていたという経緯があり、遺作となった『イル・ポスティーノ』の撮影が決まる前、すでにかなり病状が悪化していたにも関わらず、「この映画をどうしても撮りたい」と熱心にマイケル・ラドフォード監督を口説き、脚本にも関わり、また名前を公表することなく、共同で監督をも務めたのだそうです。

なお、トロイージはエットレ・スコーラ監督の作品にも2本出演しています。そして、なんとこの秋、京都吉祥寺アップリンクそしてオンラインで、今の時代の映画を巡る有り様にも重なる1989年の名作、「スプレンドール」が再演されますから、かのマルチェッロ・マストロヤンニとトロイージの豪華な共演を、ぜひご覧になっていただけたら、と思います。

さらに、今回京都ドーナツクラブがセレクトした、名優列伝「ちょいワル編」は、マリオ・モニチェッリの「I soliti ignotiーいつもの見知らぬ男たち」(個人的に大好きな映画です)をはじめ、アルベルト・ソルディ、TOTò、マストロヤンニ、ガスマン、と絢爛なキャスティングの映画群に加え、玄人筋に絶大な人気があったにも関わらず、44歳の若さで2020年に亡くなった、リベロ・ディ・ロレンツォ出演の「サンタ・マラドーナ」など、それこそ『ピッコロ・アメリカ』が受け継いだイタリア映画の魂、アーキタイプとも言える傑作ばかりですから、映画好きな方々には見逃せないはずです。

そういえば、かつてディ・ロレンツォ自ら参加した『ピッコロ・アメリカ』が運営する、夏のオープンシネマでも、2020年、エリオ・ジェルマーノをはじめとする友人たちがオマージュ捧げました。

 

 

さて、チネマ・トロイージの核となる映画上演スペースには、前方に舞台のような広い空間が設けられ、13メートルのスクリーンが広がっています。きわめて座り心地のよい座席は300席、そのうち2席は障害がある方のための仕様です。サウンドシステムはといえば、映画館設計のプロ中のプロである、チネメッカニカのプロジェクトにより、ドルビーサラウンド7.1が採用されての臨場感がただごとではなく、さらに聴覚、視覚障害システムをも完備。誰でも、どの場所からでもスクリーンにアクセスできるように設計されており、スクリーン前方の広々としたスペースは、監督や俳優が映画をプレゼンテーション、あるいは演劇も上演できるようライティングも完璧です。

チネマ・トロイージは9月30日、今年カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した「チタン」のオリジナル・ヴァージョンの上演とともに開館し、その際にはジュリア・ドゥクルノー監督、主演のヴァンサン・ランドンが訪れ、自ら受賞作をプレゼンテーションしています。このときランドンは、『ピッコロ・アメリカ』がこの10年間、紡いできた歴史に感銘を受け、「新しいチネマはいつもお祭りだ。同時に、すごく勇気があると思う。映画館開館することは、政治的行動でもあるんだ」と語ったそうです(culturalmente.it )。

『ピッコロ・アメリカ』の若者たちが夏に開催する、無料で市民に提供されるローマの3つの広場におけるオープンシネマでは、亡くなる直前のベルナルド・ベルトルッチエットレ・スコーラというイタリア映画の巨匠をはじめ、今をときめくイタリアの映画監督や俳優たち、さらには国際的な外国人スターたちが続々訪れ、自らの映画を観客にプレゼンテーションする、ゴージャスな夕べが繰り広げられます。その流れを引き継いだチネマ・トロイージもまた、新作のプリモ(初演)やレトロスペクティブを、監督、俳優が自ら訪れてプレゼンテーションする、制作側と観客がダイレクトに繋がるスタイルが定着しそうです。

実際、開館から2ヶ月も経たないうちに、ダリオ・アルジェントが「ハロウィーン」を、Pif(ピエールフランチェスコ・ディリベルト)が「僕らは馬鹿みたいにただ見ているだけだ」を、ガブリエレ・マイネッティが「フリークス・アウト」を、今年のヴェネチア映画祭で銀獅子賞を受賞したパオロ・ソレンティーノが、友人のアントニオ・カプアーノの98年の作品、「Polvere di Napoliーナポリの塵」をプレゼンテーションするためにチネマトロイージを訪れています。またある日突然、ロベルト・ベニーニがふらり、と訪れたこともありました。

なお、このチネマ・トロイージの修復には150万ユーロがかかったそうですが、最も多く投資したのはイタリアの文化省、次いでラツィオ州、さらに民間からはBNL(全国労働銀行)、SIAE(イタリア著作者出版者協会)、ヴァルデーゼ教会(カトリック革新派)、Iberdrola(電力会社グリーンエネルギー部門)、TIM(主要通信会社)と続きます。所有者であるローマ市は、家賃の割引を引き受け、それでも足りない分は、『ピッコロ・アメリカ』を構成する若者たちの家族が、「」を担保(!)にBNLから資金を借り入れたそうです。

どこかボーイスカウト的にチネマ・アメリカを『占拠』していた「チネマ・アメリカの少年たち」は、こうして10年の時を経て、ローマの映画のになりそうな映画館を運営するまでに成長しました。と同時に、なかなか責任重大な局面でもあります。

 

 

▶︎チネマ・アメリカからチネマ・トロイージまでの10年と産業としての映画

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