ミラノの大規模アンチレイシズムデモと、ローマのエスニック地区カーニヴァル

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25万人もの市民を集めたアンチレイシズムデモが、3月2日、ミラノで大々的に開催されました。Peopleprima le persone (ピープル・ファースト)をスローガンに、カーニヴァルの華やかな季節に開催されたこのデモは、音楽やダンス、かなり凝ったコスプレのグループなど、先頭の一団が目的地のドゥオモ広場に到達した時に、まだ出発地点で動きがとれない人々がいたほど、街中が人、人、人で埋まったそうです。市民たちの賑やかで陽気なこの反乱は、もちろん難民の人々に対する残酷な政策や暴言、女性差別的な法案を無理やり押しつけようとする現政府に翻した、市民のパワフルな反旗に他ならず、ミラノだけでなくイタリア全国でアンチレイシズムの機運がますます高まっている。ミラノまでは残念ながら行けませんでしたが、ローマのエスニックエリアで開催された、あらゆる民族の子供や大人たちが、思い思いのコスプレで仲良く参加した、ローカルで温かい『すべての色のカーニヴァル』マーチに参加しました(タイトルの写真は、ローマのカーニヴァルのワンシーン)。

ミラノのアンチレイシズム大規模デモ People – prima le persone

 

 

マテオ・サルヴィーニ副首相兼内務大臣がイタリアのすべての港を閉じるのみならず、国内に滞在しながら正式なヴィザを心待ちにする難民の人々が暮らしていた、ささやかなキャンプを次々に破壊、彼らの生きる権利まで剥奪しようとする国家安全保障、『サルヴィーニ法』が可決されてからというもの、今までのイタリアでは考えられなかったような、差別的な出来事や犯罪が次々に報道されるようになりました。

たとえば地方都市の小学校教師が、アフリカ人の両親を持つ小学生を教室に立たせて、「ほら、見てごらん、この子はこんなに醜いよ」と他の生徒たちの前で侮辱した、というにわかには信じがたい、とんでもない報告がなされるや否や大きな非難が巻き起こり、地方自治体や国家を巻き込んで、大きな議論に発展。当事者である教師が「社会問題の実験をしただけ」と、説得力のない弁解をしても、教育省の大臣は「学校はすべての市民に開かれ、それぞれがリスペクトされなければならない場所だ」とただちに教師の労働契約を保留、アッシジの修道院の神父も「時代錯誤で非現代的、非人間的な行動」と強く批判しています。確かにこのような、非常識甚だしい、『グリーンブック』時代をも彷彿とさせる出来事は、わたしが知るイタリアでは聞いたことがありません。

サルヴィーニが表舞台に立ってからというもの、このような人種差別に基づいた非人間的な出来事、さらには「女性は家庭に入り、家族を支えるべき」などという、まるで中世にタイムワープしそうな性差別甚だしい『同盟』諸氏の発言が、次から次にマスメディアを通じて批判的に報道され、そしてもちろんSNSでも膨張しながら拡散されるため(と同時にSNSでは難民の人々を侮辱するフェイクニュースも拡散されますが)、それに呼応するように市民の反発も一段と大きくなってきました。

日に日に存在感を増す、このアンチレイシズム運動の背景を冷静に考えるなら、連帯契約現政府『同盟』『5つ星運動』の対抗勢力である、たとえば先ごろ総裁を巡ってイタリア全国選挙が開かれ、新しい書記長が決まったばかりの民主党ーPD、そしてその他左派勢力の、多少の政治プロパガンダもありましょうが、わたしの周囲でアンチレイシズムのデモに出かける、あるいは何らかの意思表示をする人々は、あくまでも難民、移民の人々や、女性たち、LGBTの人々の自由、平等、権利、尊厳を死守する決意を表明するためであり、政党の旗を掲げて参加する人々は皆無です。すべての人間それぞれのあらゆる差異、個性を保証することは、すなわち自らの自由と尊厳、差異、個性を保証することと同義だと考えるからです

他方、サルヴィーニ内務大臣はといえば、イタリア国内に正式なドキュメントを持たないまま滞在していた難民の人々を祖国に送り返すことで、国内に滞在する難民の人々の数が、ごくわずかだけ減少し、「ほら、イタリアはこれで安全になった」と強調、自画自賛しています。サルヴィーニ内務大臣は、2019年の2ヶ月の間に、イタリア国内に到着した262人の難民の人々に対して、1099人の人々を祖国に送り返すことに成功、結果、イタリア国内に滞在する難民の人々が837人減少したとして #dalle parole ai fatti (言葉から実行へ)キャンペーンで自らの勝利をSNSで拡散しました。

しかしながらFanpage.itのファクトチェックによると、この数を基準に計算すると、50万とも60万とも言われる正式なドキュメントを持っていない難民の人々を、すべて祖国に送り返すには、少なくとも1194ヶ月かかることになるそうです(それも、今後、イタリアに上陸する難民の人々がゼロだと仮定して)。つまり99年6ヶ月かかるという計算になる。

さらに人気ジャーナリスト、ミレーナ・ガバネッリによると、2018年の6月から現在までサルヴィーニ大臣が祖国へ送り返した難民の人々の数を1日に換算すると18人となりますが、この数字は民主党政権時代の1日17人、とほとんど何の変化もありません。というのも、イタリアとの間に、いったん出国した難民の人々を、金銭を含め、なんらかの交換条件に基づいて再び受け入れてもいい、という合意があるのは、チュニジア、エジプト、さらなる条件付きでモロッコ、ナイジェリアなど、少数の国々にとどまるからです。

しかも、『人道的滞在許可』を一切認めない『サルヴィーニ法』により、いったんはヴィザを取得したにも関わらず、それを剥奪される多数の人々がいるわけですから、イタリア国内に「不法」に滞在しなければならない難民の人々の数はさらに増えるということになる。したがって、マテオ・サルヴィーニ内務大臣が「難民たちの極楽生活はもう終わり」などと暴力的に叫んで難民の人々の排斥を推進、勇敢に実行しているかのように見えても、それはまやかしに過ぎず、欧州議会選挙に向けた、口先だけプロパガンダ以外のなにものでもないことは、数字が物語っています。

 

 

このような現状を憂う大勢の市民たちが集結し、ミラノで大規模なアンチレイシズムデモが繰り広げられたわけですが、このデモにはイタリア全国の1200のアソシエーション、Facebook上の4万のグループが参加、またリアーチェ市を含む700の地方自治体が賛意を表明し、さらには多くの左派政党の政治家たち、労働組合、エマージェンシー(長年に渡り、紛争地での難民支援を行うNGOで、『5つ星運動』がいまだ野党であった時代、創立者であるジーノ・ストラーダを大統領候補に推薦したこともあります)、アムネスティ・インターナショナル、国境なき医師団などのNGOも参加。ラ・レプッブリカ紙によると、参加グループの数はイタリアにおける全国記録となったそうです。

もちろんどのアソシエーションにも籍をおかず、自らの意志で参加を決めた市民たちも全国各地から続々と集まり、移民、難民の人々だけでなく、LGBT、障害を持つ人々などマイノリティの人々との連帯、そして『同盟』がプロモートする『中絶廃止法』『ピロン法案(今後、審議が予定されている、離婚にまつわる女性の権利を侵害する法案)』を巡る女性たちの権利の死守も含め、複合的なテーマに共感する人々のネットワークを形成しての抗議デモとなりました。そして、イタリア各地で最近繰り広げられている抗議活動はこのように、『差別主義』として複合的に括られるさまざまなテーマを、一気に集約しての抗議活動が主流となっています。ちなみに国際婦人デーの3月8日にローマで開かれた、フェミニストたちのストライキ及びデモも、平日だというのに5万人を集めて、ミラノのデモ同様、性差別だけではなく、さまざまなテーマの差別反対が主張されました。

ところで、政治家が多く参加していたとしても特定の政党が主催する集会ではなかったにも関わらず、デモを牽引した民主党主要メンバーのミラノ市長が、「ミラノがイタリアのガイドになりうるはずだ。このドゥオモ広場から、イタリアの左派を再構築する」と発言したため、多少民主党カラーが強くなり、これはどうなのかな? とも思った。すると案の定、『五つ星運動』の創立者のひとり(3月11日に創立者から保証人に退いています)、ベッペ・グリッロが沈黙を破って、ブログで次のような異議を表明しています。

「25万人の人々は、そもそも存在していない、メディアが作り上げた『レイシズム』のデモ集会に参加したんだ。われわれは分断した状態にいる、とサーラ(ミラノ市長)は定義している。そしてそれには理由がある。良識ある人はみな、レイシズムが存在しているとは見ていない。社会的なエゴイズムが膨らんでいるだけなのだと理解している。一体何が起こっているんだ。イタリアは真の幽霊に向き合おうとはしていない。もしアンチエゴイズムや Il mors tua vita mea (おまえの死がわたしの生)に反対するデモであれば、僕は幸福だろう。アンチマフィア、アンチカーストであれば、さらにその幸福は増す。・・(後略)・・」(意訳)

その発言に対してミラノ市長は「親愛なるグリッロ、(政治に)参加することがどういうことなのかを多くの人々に理解させた君こそ、多くの人々が広場に繰り出し、声を上げることはリスペクトされなければならない、と知るべきだと思うよ。政府を担う勢力の創立者である君が、現実を軽視しようとするのは残念だ。多分、ミラノの人々がVaffa( くそくらえ!5つ星運動の初期のスローガン)と叫ばなかったのが嫌だったのかい?」と挑発的に答えました。

さて、明らかに政治信条の対立による、この両者の応酬から少し考えたのは、メディアの報道のあり方として、差別的な事件がひとつ起こると、「パブリックに訴えたい」「現状を伝えたい」と迸る熱意で執拗に語られ、議論が繰り返され、内容が強調され、増幅される。したがって世の中にレイシズムが満ち溢れているような空気を形成することは確かです。

時系列で考えるなら、『同盟』が推進する「Prima gli Italianiーイタリア・ファースト」に伴う、難民やロムの人々に対して繰り返される暴言、フェイクニュースと『サルヴィーニ法』、さらに女性の権利を失効させようとする態度(たとえば 女性たちの間に大きな反発が生まれている『ピロン法案』は、女性の権利を限定するための序章にしか過ぎない、などという挑発)や衝撃的にショー・アップされた難民キャンプの強制退去メディアが政府のあり方を問題視し、集中的に反応 → 現実的に次々に起こる差別的な犯罪や出来事の増加 → メディアのさらなる反応と、情報の増幅と拡散 → 市民たちのレイシズムへの反発、あるいは同調という形で、社会が大きく分断、という感じでしょうか。

いずれにしてもことのはじまりは、『同盟』、及び『プロライフ』や『世界家族会議』のカトリック原理主義者、彼らと緊密に繋がる極右グループが、何年か前から打ち出した、移民、難民、ロムの人々の排斥キャンペーン、そして女性の権利を奪う、あるいはLGBTの人々の権利を認めない、という姿勢にあるには違いありません。

日常のレベルでは、イタリアで育ち、市民権を持っているにも関わらず、アフリカ、アラブ諸国をオリジナルに持つ若者たちが、警察から呼び止められ、犯罪者でもないのにしつこい尋問を受けた、という話をよく聞くようになりました。わたし自身、市役所に用事があって長蛇の列に並んでいたときに、外国人は言葉がわからないと踏んで、中国人の悪口を大声で言ったり(わたしを中国人だと思ったらしく)、アフリカの人々に対して差別用語を連発しているおじさんがいて、心底うんざりした。そのおじさんが横入りしそうになったので「先に並んだのはわたしです」と言うと、バツの悪そうな顔をして、途端に静かになりました。このように公衆の面前で露骨に外国人の悪口を言う人に出会ったのは、ほぼはじめてだったので、帰る道々、あれこれと思いを巡らさざるをえませんでした。

つまり面と向かって悪態はつけないけれど、心の中では外国人を軽蔑し、憎悪する人は日常にやはり存在し、そしてその人々は意外と普段は「善良」な、気のいい人々なのかもしれない、と考えます。そしておそらく、日々の生活がそれほど危機的ではなかった何年か前までは、外国人の存在など気にもかけてはいなかったのではないか、とも思う。そういえば、「サルヴィーニが政権を握る以上、もうイタリアには戻らない」とローマから飛び出した、イタリア人の母親とアルジェリア人の父親を持つ知り合いの女の子もいました。イタリア国籍を持ち、イタリア文化に育ち、難民支援活動を行なっていた彼女に、「父親が暮らすアルジェリアに逃げ出したい」と思わせる空気がローマには流れている、ということです。『同盟』とその周辺のプロパガンダは、じわじわと功を奏しはじめています。

もちろん、外国人であろうがなかろうが、まったく分け隔てなく、むしろ好奇心いっぱいに話しかけてくる、いかにもローマの温かい下町っ子と言う人々も多く存在しますが、サルヴィーニが政治の核に躍り出てからというもの、外国人であるわれわれは、自分たちが『エトランゼ』であることを、今まで以上に意識せざるを得なくなった。とはいうものの、『エトランゼ』にしか見えない、理解できない諸々の事情もあり、いろんな意味で人間のさまざまな側面、そして心理の動きを学ぶよい機会となっています。

また、個人的にはまったく興味がないサンレモ音楽祭で、今年優勝したミュージシャンはエジプト人の父親とイタリア人の母親を持つ青年でした。この結果を一部の右派論客たちが、最も重要なはずの彼の音楽性をまったく議論することなく「左派のジャーナリストが多い審査員の陰謀」「国民的音楽祭を政治に利用している」と決めつけ、優勝者にとっても、最後まで闘ったイタリア人のミュージシャンにとっても、後味の悪いお祭りになったのは残念です。

では、イタリアで本当にレイシズムは拡がっているのか

そういうわけで、わたし自身も日常的に差別的な発言や出来事にちょくちょく遭遇するようになったため、イタリアの空気がみるみるうちに変化した、とことさらに感じていますが、ひょっとすると、それはわたしにだけ偶発的に起こったのかもしれない、あるいはメディアの報道に無意識にコントロールされているのかもしれない、と、ネットをうろうろするうちに、インターナショナル誌の「レイシズムの攻撃は、イタリアで本当に増えているのか」という記事を見つけた。この記事に明確な答えがあるわけではないのですが、イタリアの傾向がざっくりとは理解できます。以下、意訳、要約してみます。

この数年の間に、差別主義的エピソード、外国人に対する憎悪による犯罪、敵意を露わにした行動、乱暴、クセノフォビア現象が、心配なほど増えているように思える。2018年の夏から、メディアは「差別主義の危機」を声高に報道しはじめ、一方マテオ・サルヴィーニ内務大臣と彼の政府は、「そんなことはない」とその緊急アラームを認めようとはしないが、いったいどちらの言い分が正しいのだろうか。

なぜそんなことが起こるのか、その原因を特定することは難しいのだが、近年イタリアでも他の多くの西洋諸国と同様に、人種、宗教、民族の相違による憎悪を動機とした犯罪が増えている。しかしイタリアにおける問題は、他の欧州諸国が持つような、その種の犯罪の統計を取ったオフィシャルなデータが存在しないことなのだ。警察に届けられた差別的行為を監視するために、2010年に内務省Oscadというエージェンシーを創設しているが、この統計は最新とはなっておらず、いまだ2018年のデータが公開されていない。しかし2016年、2017年の統計から見るならば、2016年が736件に対し、2017年は1048件と確実に増えている。

その他国家機関としては、司法省がこの種の犯罪で行われた裁判から得たデータを持っており、一方、首相府は、イタリア全国の差別案件を監視するUnarを創設、統計を取っている。そのUnarのデータによれば、人種、民族を動機とした差別案件が、全体の報告の82%を占めるまでになり、それに続くのが障害者差別性差別となっている。

このようにオフィシャルな機関による統計が明確ではなく、統一されていない現在、ジャーナリストたちやエキスパートたちの重要な情報ソースとなっているのは、アソシエーション『ルナリア』が2007年から集めているアーカイブである。『ルナリア』はしかし、彼らが持つ差別案件のアーカイブは、日々のニュースをモニタリングしたものであり、統計学的にはあまり意味がなく、オフィシャルな研究としては引用できないことを強調している。

「われわれのアーカイブ作業は、2007年、ロベルト・マローニの時代(『同盟』が『北部同盟』であった時代、ベルルスコーニ政権における『北部同盟』内務大臣で、やはりイタリア国内の外国人に厳しい法律を課した)に、イタリアもまた差別主義に無縁な存在ではなく、むしろその傾向は拡大している、ということを証明することを目標にしたものです。われわれから見れば、現状は緊急ではないにしても、長い間、公で議論されることがなかったために起こった構造的問題だと思っています。現在、『差別』はメディアの分野から大きな注目を浴びているテーマですが、今のようなスキゾフレニア調の報道の仕方では、誇張されることになって真逆の方向へと向かい、起こっている出来事を理解する以前に、いたずらに分断を深めてしまうことになります」

さらにルナリアのメンバーは、イタリアにオフィシャルなデータがないことに加え、透明性が欠けていることを指摘。系統だてたオフィシャルなデータを公表することに国はあまり積極的ではなく差別に基づく憎悪による犯罪の定義にも問題があると言う。また、「言葉による暴力」と「肉体的暴力」をルナリアは区別しており、その分析によると近年、特に異常なデータとして、「肉体的暴力犯罪」(死に至るまでの暴力、所有物の破損など)が、著しく増加しているようであり、この傾向はOsce( 欧州安全保障協力機構)のデータとも合致している。

「移民・難民に関する、非常に攻撃的な政府の議論が影響しているかもしれませんが、だからと言って、緊急事態だと決めつける発言を鵜呑みにしてはなりません。この10年間、難民の人々に関して、一般の人々の意見が真っ二つに分断する傾向を観察してきましたが、2017年の時点で、すでに人種差別的な行動を正当化するような動きが起こりはじめています。そしてこれが近年の新しい動きです(後略)」

このところ、メディアが人種差別犯罪や出来事を、イタリアの緊急事態として次から次に流すので、逆にその報道が逆作用して人種差別を増長させるケースもあるのではないのだろうか、あるいは状況の衝撃が薄れ常態化する、と同時に人々の注意を惹かなくなるのでは?とも考えていたので、この記事を読みながら、わたし自身も、もう少し冷静に事態を注視すべきだと考えました。仮説にしか過ぎず、その心理構造を分析する事も出来ませんが、ある種の「犯罪」の過剰報道により、その真似をする者たちが現れ、次々に同じような「犯罪」が起こる傾向があるように思います。

また、わたしの日常のあちらこちらで、差別的な出来事の話を多く聞くのみならず、議論がないままに、右・左、ファシスト・アンチファシスト、敵・味方、という単純な社会の分断が日に日に増していることをも実感しています。たとえば見慣れた街角の建物の壁に、いつのまにかいびつなハーケンクロイツが踊り、「VIVAファシスト!」と殴り書きしてあるかと思えば、次の日には、その横に「ファシストはいますぐ消え失せろ」と上書きされていたりする。わたしはといえば、その争いがエスカレートしなければいいが、と思いながら、その横を静かに通り過ぎるほかありません。

現段階の結論としては、イタリアは緊急事態とは言えないが、人種差別に関する犯罪、特に肉体的にダメージを与える犯罪が増える傾向にあり、しかしオフィシャルな統計がないため、明確な数字としてそれを把握することはできない、ということでしょうか。しかしこれほど世間が騒いでいるのに、なぜイタリアの国家機関は、統計を取らず、向き合う事もなく、事態を曖昧にしたままなのか。

いずれにしても『同盟』の支持率は、相変わらず上昇したまま、いまや『5つ星運動』に12ポイントも差をつけ、約33.7%を誇るほどになりました。なお、『民主党』と『5つ星運動』の支持率は、前者20.3%、後者21.8%で2ポイントを切る僅差となっています(3月11日、La7による調査)。

そういうわけで、なぜグリッロが「レイシズムは存在しない」と発言したのか、その本意はいまだ不明ですが、人種、民族に対する差別意識もまた、エゴイズムの表れであり、他の問題も含め、イタリアの人々はもっと大きな視野を持ち、あらゆる問題に取り組むべき、という意味であったかもしれない、と考える次第です。さらに好意的に深読みするなら、『同盟』の思惑通りにこれ以上レイシズムを強調して膨張させるべきではない、という意図もあったのかもしれません。

ところで最近、不安定な状況に陥っている『5つ星運動』は3月11日、ルイジ・ディ・マイオ副首相ダヴィデ・カサレッジョ (創立者のひとりであり、早逝したジャンロベルト・カサレッジョの息子で、オンライン投票のプラットフォーム『ルッソー』の責任者)が創立者となり、前述したように ベッペ・グリッロは保証人に退いています。

ローマのエスニック・ゾーンのカーニヴァル

 

 

「イタリアは欧州の中でも、そもそもレイシズムが強い国なのだ。2017年の統計では63%の人が外国人流入に反対していた。英国や他の欧州各国のなかでも飛び抜けた数字だった」「いや、イタリアがレイシズムの国だったことなんて、今まで一度もない」「サルヴィーニの一党が現れてキャンペーンをはじめてから、突然強調された現象だ」、「いずれにしても難民の人々のために、いますぐ港を開くべき」「そもそも人身密輸ビジネスに関与する、マフィアが大問題であることを認識しているのなら、欧州が協力して全力で検挙すればいいだけで、難民の人々にはなんの罪もないんだ」「リビアの収容所に連行された人々が、どれほど過酷な拷問に遭っているか、現代のアウシュビッツはリビアだ」「アウシュビッツは秘密にされていた。われわれはリビアの状況を垣間見ることができるのに、何故、それをやめさせることができないのか」「なぜ世界は沈黙しているんだ」

ともあれ、政治家やジャーナリスト、識者がゲストのテレビ討論番組で、このように果てしなく議論を続けるイタリアでは、途中、声を荒げた激論、喧嘩になることも少なくない。しかし残念ながら、どんなに激論となっても、放送が終われば、誰もが「そろそろ寝ようか。明日早いから」と日常のサイクルに埋没してしまいます。

しかしその議論を、市民の強い意思として表現、実行するのが、前述したミラノの大規模デモであり、決して難民支援を諦めないバオバブ・エクスペリエンスのようなNGOです。そしてこのところのローマでは、難民や移民の人々の実際の支援に取り組む市民たちが、かなりの勢いで増加しているように思います。特に、中国人、バングラデッシュ人、パキスタン人、モロッコ人、エジプト人、セネガル人、コンゴ人、ペルー人、ボリビア人など、多くの国々から移民してきた外国人が多く集まるエスニックエリアであるエスクリーノ地区を含むローマ1区の区役所は、難民支援に大きな実績を持つカトリック系のコミュニティ、Sant’egirio サンテジリオと協力し、ヴィザがなく、住む家もなく、窮地に陥っている難民の人々のための滞在スペースを提供できる市民を募集。数日間で60以上の家族が、自宅の空いている部屋を彼らの滞在のために利用してほしい、と申し出たことが、ローカルニュースで報道されました。

さらに、エスクイリーノ地区では、さまざまな国をオリジナルとする子供たちが学ぶ小学校に通う子供を持つ両親たちが団結して、断固「レイシズムと闘う!」と立ち上げたアソシエーション「ドナート小学校の両親たち」をはじめ、チェントロ・ソチャーレ(文化的占拠スペース)の重鎮、Spin Time Labsや地区の労働組合で構成したRES(エスクイリーノ・ソーシャル・ネットワーク)が主体となって、今月に入ってさまざまなイベントを開催しています。それも音楽やダンスでいっぱいの、騒がしくて陽気、子供たちが走り回り、人々が歓声をあげる、温度に満ちた楽しいムーブメントです。

そもそもエスクイリーノ地区内では、他のあらゆる都会と同じように誰もがバラバラに個人主義で生活し、今まではなかなか住民同士のコミュケーションが取れませんでしたが、こうして、いくつかのアソシエーションが立ち上がったせいで、「アンチレイシズム」「サルヴィーニ法反対!」を核に地元意識が芽生えたように思います。地区をテーマにした映画を上映したり、ミーティングが行われたり、と毎週何らかのパブリック・イベントで人々が集まる機会が増え、ローカルな絆でグローバリゼーションが生んだ状況に対応していく、という姿勢です。

Roma Capitale Umana (ローマは人間の首都)」をスローガンに据えた、このローカル・ムーブメントの決起集会(と言っても、風船が舞い、演説の合間に人々が歌い踊り、子供たちが遊ぶフェスタ)のポスターは、いまや超絶人気を誇るコミック作家ゼロカルカーレが提供、土曜の朝だというのに、広々とした公園に入りきれないほど、イタリア人やあらゆる国々から移民してきた人々、その子供たちが集まりました。集会では、ローマはバリアのない、排斥のない街であり、すべての外国人コミュニティの権利を守るために、皆でしっかり闘う(といっても、明るく、楽しく、助け合う)ことを確認。『サルヴィーニ法』が施行されて以来、バングラデッシュ人や中国人の店が並び、アフリカからの難民の青年たちも多く集まるこの地区に、いつも大勢のポリスがパトロールし、歩く外国人を掴まえては職務質問、という殺伐とした空気が流れていましたが、ちいさい子供たちもたくさん集まった『ローマは人間の首都』の賑やかな集会以来、ずいぶん明るい雰囲気になったように思います。

 

ローマは人間の首都 アンチレイシズムと助け合う街のために。ゼロカルカーレが提供した、集会ポスター。

 

そうこうするうちに開催されたのが、Spin Time Labsが中心となった毎年恒例の多国籍カーニヴァルのマーチ。今年のカーニヴァルには、『Scomodo(スコモド)』のメンバーも参加して、騒がしく、賑やかに開催されました。この『スコモド』の若者たちは、紙媒体季刊誌「Legge Scomodo(レッジェ・スコモド:面倒だけど読んでみて)」を核に、ローマの街中で、ナイトパーティやカンファレンスを開く高校生と大学生のグループで、子供たちが群れ遊ぶ中庭にサウンド・システムを設置して、なかなかかっこいい選曲とセンスで、揺るぎない存在感を見せていました。

余談ですが、この「スコモド」を形成する若者たちは、見た感じは普通のいまどきの若者たちなのに、彼らが編集した雑誌を読むと、そのあまりにプロフェッショナルな視点と分析に驚愕します。自分たちと同年代の若者たちの間をあたりまえに席巻するWebカルチャーから一歩引き、彼らが取り組んでいるのは、取材、執筆から編集、印刷まで雑誌づくりの全行程。ローマの社会問題、そして文化に、じっくり鋭く切り込む『スローインフォメーション』を旨とし、毎号アーティスト、コミック作家が表紙を手がけるその雑誌は、今年の3月で19号を迎え、7500部、ローマの街のいくつかのスポットで無料で配布され、急がないとなかなか手に入らない人気です。さらに今回の号は、2月号なのに3月に配布される、というちょっと遅れ気味の対応にも、まさに「スロー・インフォメーション」、と好感を持ちました。

見た目もなかなか豪華でシャープなデザインのその雑誌「Legge Scomodo」には広告は一切見当たらず、資金は、普段街にひっそり佇む廃墟を一晩じゅう占拠してのパーティ、Notte Scomodo(スコモド・ナイト)のカンパですべて賄っています。0号を読んだ時にも、「恐るべき子供たちの出現」と、その綿密な取材と分析に面食らいましたが、率直にいうなら、これほど濃密な仕事を勉学の片手間に続けていくのはおそらく無理だろう、高校生たちのちょっとしたクラブで、そのうちうやむやに消失するに違いない、とタカをくくってもいた。しかし、彼らはその予想を見事に裏切って順調に活動を広げ、いまやANSA(イタリアの最大通信社)のディレクターや、70年代の『鉛の時代』の主人公たちを招いてのカンファレンスを開くのみならず、アートシーンや音楽シーンを含め、ローマのカウンターカルチャーに精通。機会があれば、彼らとじっくり話してみたいと思っているところです。

さて、カーニヴァルのマーチは、エスニックエリアのローカルな絆が強くなりつつある今年、例年よりも多くの大人や子供が集まって、魔女だの、王女さまだの、スパイダーマンだの思い思いに仮装して、地区を練り歩いたあと、Spin Time Labsに集結。たっぷり用意されたカーニヴァルのお菓子やリゾットやサンドイッチを頬張りながら、ダンスをしたり、歌ったり、おしゃべりをしたり、と誰もが仲良く、夜遅くまで楽しみました。バリアなく、排斥のない世界は、緊張なく自由で、こんなに安心できる。

外国人としてイタリアに暮らし、いまだ文化や習慣の違いから、途方に暮れることもあるわたしとしては、馴染みのあるエスニックゾーンに住む人々が、アンチレイシズムを断固アピールしはじめたことは力強い限りです。

 

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