マルコ・ベロッキオ監督映画、共有された悲劇としての『Esterno Notte(夜の外側 イタリアを震撼させた55日間)』

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旅団に感謝する:インキピット(incipit)としてのモーロの言葉

さて、6つのエピソードからなるオムニバス『夜の外側』は、1章アルド・モーロ、2章フランチェスコ・コッシーガ内相、3章教皇パオロ6世、4章『赤い旅団』コマンド、ヴァレリオ・モルッチ、アドリアーナ・ファランダ、5章エレオノーラ・モーロ(キャヴァレッリ)夫人、6章悲劇の終焉からなっています。したがって時系列で事件を追うのではなく、最終章以外は、それぞれのエピソードの主人公の55日間を多元的に捉えることで、事件の全体像を浮揚させます。

以前の項にも書いたように、「モーロ事件」が起こった3月18日からの55日間、イタリアはいまだかつてない衝撃に打ちのめされ、長く、重たい恐怖に包まれました。その間、モーロ解放へ向けた秘密裡の交渉の動きがいくつもありましたが、それらの交渉はことごとく踏みにじられ、絶望的な結末を迎えます。イタリアにとっては、その後何年間かは、誰もが話題にすることを避けるほど、強烈なトラウマとなる事件でした。この事件を機に、冷戦期NATO加盟国でありながら、共産主義を懐に抱こうとしたイタリアの未来は大きく変わり、やがて経緯が不明瞭なまま司法の裁きが下されることになります。

ベロッキオ監督は、もはや45年が経過しているというのに、いまだにこの事件が人々の感情を昂らせることに驚きを感じた、と語っていましたが、イタリアの近代史において、55日間の空白を生んだ「モーロ事件」は、時間を超越する重大な意味を持っているのだと思います。実際、事件当時の雰囲気をまったく知らない外国人であるわたしでさえ、「モーロ事件」を知った際は、「こんなことが現実に起こりうるのか」という衝撃とともに、イタリアのみならず、世界のアンダーグラウンドという未知の次元、及び国家権力の残酷さを垣間見るような思いを抱きました。

なおミゲール・ゴトールは、「モーロ事件」の核は「その殺害ではなく、誘拐されていた55日間という長い期間に悲劇はある」と語っています。冒頭に触れたように、ゴトールはモーロの獄中からの「キリスト教民主党」の同僚たち、教皇パオロ6世、家族への97通(そのうち投函されたのは22通)の手紙を分析した『Le lettere dalla prigioneー獄中からの手紙』、モーロが『旅団』の尋問に答える形で書かれた「メモリアル・モーロ」と呼ばれる421ページにわたる膨大な書類(1990年に『旅団』のミラノの隠れ家から発見された)を網羅した大著『Il memoriale della Repubblicaー共和国の記録』、その他イタリアの70年代の分析で、高い評価を受ける歴史家です。

確かにケネディ大統領銃撃殺害事件、あるいは安倍晋三元首相銃撃殺害事件のような、瞬間的な要人殺害における社会的な衝撃は、他の国でも起こった歴史があります。しかし、NATO加盟国では初となる、『イタリア共産党』の外部政府参画(Appoggio Esternoー政府の一員になることなく、外部から政府を支援するイタリア独特のスタイル)という大イベントを控えた日の、その「歴史的妥協」をデザインした重要人物が誘拐され、55日という長期に渡って監禁されたのちに殺害されるような特殊な事件はイタリアでしか起こっていません。類似の事件としては1977年、西ドイツにおいて『ドイツ赤軍』によるハンス・マルティン・シュライアー誘拐事件が起こっていますが、「モーロ事件」とは大きく政治的性格が異なります。

さらにゴトールは、「モーロ事件」を巡る過剰な証言の数々、消えるどころかさらに深まる記憶、司法機関によって繰り返される再捜査、上院下院議会による3回に渡る「政府議会モーロ事件捜査委員会」など、イタリアの社会は、いまだにそのトラウマから脱することができず、モーロの亡骸を埋葬することができないのだ、と主張するのです。

そして、イタリアに大きな傷を残したこの「権力の悲劇」「社会のトラウマ」を癒すのは、歴史芸術の課題であり、ベロッキオというイタリア映画の巨匠により、事件をクリエイティブに再構築された『夜の外側』は、45年前の喪失と哀惜を消化しながら、そのトラウマを超越する、つまり悲劇を再共有することで人々にカタルシスを促す作品だ、とゴトールは言います。

※『夜の外側』の挿入歌、スペインの歌手ジャネットが歌った、1974年に発表され大ヒットとなったPor què te vas(あなたが去っていくから)。スペイン語が理解できないので、翻訳サイトで歌詞を読んでみると意味深にも感じられ、この映画にぴったりでもありました。

さて、ここでほんの少しだけ、「夜の外側」で印象に残った箇所を抜粋しておきたいと思います。

まず何と言っても1章の、謎深い矛盾を語る冒頭の由来を知っておくと、複雑なこの事件を物語る映画全体を覆う心理に感情移入しやすくなるのではないか、と思います。

2003年に公開された『夜よ、こんにちわ』は、自由の身となったモーロが、早朝のローマを歩く姿、そして教皇パオロ6世が強く希望したモーロの国葬(亡骸のない空の棺で)という虚構と現実のコントラストの後、再びモーロが街を歩く姿で終わります。

一方『夜の外側』は、前作のコンセプトを引き継ぐように、『旅団』から解放されたモーロが入院する病院に、『キリスト教民主党』幹部である、ジュリオ・アンドレオッティ首相、ベニーニョ・ザッカニーニ党代表、フランチェスコ・コッシーガ内相が3人揃って訪問するシーンからはじまります。そのときベッドに横たわるモーロの脳裏に浮かぶ言葉は次のようなものです。

私は『赤い旅団』の寛大さによって、生命が救済され、自由を取り戻したという事実を公表したい。このことに私は深く感謝している。このような事態が起こった以上、わたしは『キリスト教民主党』とは何ひとつ共有することはなく、すべての役職を放棄するとともに将来のあらゆる立候補を拒絶し、『キリスト教民主党』から離党する

劇場でこの映画をはじめて観た時も、TVシリーズを観た時も、このモノローグは『夜よ、こんにちわ』のコンセプトがそのまま生かされ、創作されたものだ、と思い込んでいましたが、実はこの一節は、モーロが実際に「メモリアル・モーロ」に書いた、今でも謎に包まれたままの現実の言葉なのだそうです。つまり、モーロと『赤い旅団』の間には解放の約束があった(かもしれない)、あるいはモーロは自分の解放を信じていた、と解釈できる一節です。ゴトールによると、解放を暗示するような文章は、獄中から、たとえばザッカニーニに宛てた手紙など、数箇所にわたって見られると言います。

そしてこの謎深い「メモリアル・モーロ」の一節を、ベロッキオ監督は6つの章を総括するインキピット(incipit:ラテン語)ー映画の全体像を示唆する言葉、とみなしているのです。ということはつまり、いまだ明かされることがない謎に包まれた事件を描くこの映画は、「史実(モーロが書いたメモリアル)と虚構(映像)が同時に存在する、という告知であるとともに、モーロ解放という非現実としての結末で幕を開けることによる歴史への挑発、と解釈します。

また、「なぜ、20年を隔てたふたつの映画で、モーロの解放を描いたのか」と問われたベロッキオ監督は、自身の願望というよりも、多くの市民が熱望したモーロの解放は、当時のイタリア政府にとって、非常にリスクの高い、勇気ある決断であっただろう(が、結局そうはならなかった)、と語っていました。

この病室のシーンは、そのまま6章で繰り返され、その後は雪崩るように、悲劇的な史実の描写で物語は終焉します。

このように、すべてのエピソードの詳細にも、史実と虚構が混在し、たとえば『旅団』リーダー、マリオ・モレッティがモーロ夫人にかけた電話や、ヴァレリオ・モルッチがかけたローマ大学でモーロの助手を務めたフランチェスコ・トリット教授への電話は、一字一句、盗聴されたままの会話が再現される一方、5章、モーロ夫人の人物像をはじめ、ひとりの修道女がもたらした情報による誤解、6章の冒頭、獄中のモーロに会った唯一の人物(とされる)アントネッロ・ミンニーニ神父とモーロの会話などは史実を基に創作、再構築されたそうです。

また55日の間、事件の周辺で重要な役割を負いながら、今までモーロを扱った映画やドキュメンタリーにはほとんど登場しなかった人物、たとえば2章のDigos(警察総合捜査・特殊作戦課)局長ドメニコ・スピネッラ、あるいは米国から派遣された国際テロリズムエキスパートのスティーブ・ピチェーニック、3章のヴァチカンと『旅団』の交渉を進めたチェーザレ・クリオーリ神父、4章の『旅団』のメンバー、ファランダとモルッチにモーロの解放を説得した極左グループ『ポテーレ・オペライオ』のランフランコ・パーチェ(『イタリア社会党』党首ベッティーノ・クラクシーの要請で)など、事件を巡る実在の人物が随所に配されています。

ちなみにジュリオ・アンドレオッティは2019年のベロッキオ作品『Traditoreーシチリア、裏切りの美学』同様、卑小で無情で多少幼稚な人物に描かれており、アンドレオッティのご子息からは「絶対に映画を観ない」とかなり痛烈な拒絶があったようです。

なお、6つのエピソードのどのシーンも一瞬も見逃せない凝縮された演出のうえ、俳優陣の巧みさが常軌を逸していますが、個人的に最も興味深かったのは、当時の内務大臣フランチェスコ・コッシーガを描いた2章でした。というのもわたし自身、フランチェスコ・コッシーガという人物を、権力に魂を売った「裏切り者」、とかなり単純に考えていたからでもあり、しかし『夜の外側』では、そもそも精神的に脆弱であったコッシーガが、モーロの誘拐という重大事件に直面し、少しづつ精神を病む過程が描かれ、その変容は静かでありながらも、リアルな恐ろしさと哀しさに満ちています。

このコッシーガの鬱的性格は史実に基づいているそうで、何度も自分の手に広がる白斑を気にする様子は、「洗っても洗っても、この手から血が消えない」と嘆くマクベス夫人にも重なりました。また、急にふっといなくなり、ひとりで部屋に閉じこもる、というエピソードも史実であり、モーロが誘拐されていた55日の間にコッシーガの髪が真っ白に変わり、白斑が広がるとともに、いよいよ鬱に沈んでいったというのは、有名な逸話です。

ファウスト・ルッソ・アレージもまた、当時のコッシーガの表情、話し方がそっくりだ、との評価でした。各シーンの演技には鬼気迫るものを感じます。telenauta.itより引用。

モーロに息子のように可愛がられ、モーロのおかげで内相にまで登り詰めたと言っても過言ではないコッシーガの、国家、『秘密結社ロッジャP2』メンバーで形成されたタスクフォース、政府、米国と、モーロへの思慕、罪悪感の間で苦悩する、きわめて複雑な心理、哀しい裏切りは、まさにシェークスピア的であり、ベロッキオ映画の常連でもあるファウスト・ルッソ・アレージが、その難解な役を見事に演じています。

こうしてこの項を書くうちに、あれもこれも、と色々なエピソードが思い浮かびますが、わたしがくどくどと述べるより、45年を経てもなお、イタリアの市民の深層心理に影を落とす事件を、壮大なフレスコ画として再構築した、この超大作映画を、ぜひ実際に観ていただきたいと思います。『夜の外側』は、イタリアという国の感性、芸術性、そして一筋縄ではいかない複雑な心理に触れるためにも、とても重要な映画だと考えます。

ちなみにこちらトレイラー動画のコメントには、「今年最高の映画!」「ベロッキオのような偉大な監督は、もはや歴史的な出来事には興味を示さない。ここには哀れみ、死を前にした人間の熱望、限られた生命を知る者とその処刑人の孤独、権力の渇ききった感情がある。そしてそれは大傑作である」「トニ・セルヴィッロ(教皇パオロ6世)は巨人!」「ファブリツィオ・ジフーニ(モーロ)、は演技の記念碑だ。拍手と驚嘆しかない。名演技という以外、他に言葉が見つからない」など、絶賛の嵐が吹き荒れています。

参考)『鉛の時代』:その後のイタリアを変えた55日間、時代の深層に刻み込まれたアルド・モーロとその理想 Part1の4ページ目からPart2に渡って、不完全ではありますが、近年公表された捜査内容を含め、ざっくりまとめています。

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