イタリアの『緊急事態宣言』延長と、945人から600人への議員削減にYESと答えた国民投票

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あまりにも優遇されてきたイタリアの上院・下院議員

イタリア共和国は、戦後1946年、ファシズムの圧政から解き放たれた市民みずからが、共和制か君主制かを選ぶ『国民投票』で、国体を決定し、成立した国です。したがって『国民投票』を一種の聖域とみなす市民も存在します。

わたしがローマに暮らすようになってからも、すでに7、8回、数十項目の『国民投票』に遭遇し、その度、ちょっとした憧れのような気持ちを抱き、市民が直接、国政に関わる『国民投票』というシステムは、イタリアの人々が政治に深い関心を持つ一因ともなっているのではないか、と感じもしました。

もちろんこの『国民投票』は、イタリア共和国憲法第1条に明言される『国民主権』を背景に、憲法に明示された直接民主主義システムです。年に4回も『国民投票』が実施される、歴史も長く、経験豊富なスイスほど盛んではなくとも、戦後から2020年の現在に至るまで、イタリアでは73項目の『国民投票』が実施されています。

ところで、この欧州における『国民投票』のそもそもの起源はといえば、紀元前5世紀あたりの古代ギリシャのポリスにおける『民主主義』に発し、市民の最低サラリーを決定するために行われたのが最初だったのだそうです(ルチアーノ・カンフォラ)。余談ではありますが、はるか古代とは言え、母系制から父権制へと転換したギリシャのその時代、女性と奴隷には投票の権利が与えられなかった事実を知った際には、かなりの不満を感じた次第です。

さて、イタリアの『国民投票』には、大きく分けてふたつの種類、●法律廃止の国民投票(referendum abrogativi)、●憲法改正国民投票(referendum costituzionali)があります。他にも州が実施する『住民投票』、国体を決定する政治体制選択の『国民投票』があり、もちろん後者の投票は、1946年1回のみとなっています。

なお、今回実施された、36.5%の上院・下院議員の削減の賛否を募る『国民投票』は、すでに上院、下院議会を4回通して賛意を得たのちに行われる憲法改正国民投票なので、前者の法律廃止の『国民投票』のように、有権者の50%が投票(quorum)しなければ、投票結果が無効になるという条件はありませんでした。

 

1974年の『離婚法』に関する国民投票に向け、「離婚、賛成」「イタリア人にも離婚の権利がある」と書かれたプラカードを掲げて歩くエレガントな女性たち。le voce delle Lotteより。

 

ちなみに法律廃止の『国民投票』は、選挙権を持つ市民500000人の署名、あるいは5名の州相談役の合意があれば、議会に提案することができる仕組みになっています。たとえば2011年、原子力発電所の建設案廃止に関する国民投票は、中道左派の政党(Italia dei Valori)により推進、提案されたもので、54.78%の有権者が投票し、94.05%が賛意を示して廃止が決定したという経緯がありました。

今回、戦後イタリアで実施された73項目の『国民投票』の一覧を、ざっと眺めてみたのですが、なにより印象深く思ったのは、国体を決定する1946年の国民投票の投票率89.01%(女性のみでは89.02%)を頂点に、1974年、離婚の合法化では87.7%1981年、中絶の合法化が79.4%1987年、1回目の原子力発電所建設案廃止が65.1%、1993年にはいったん77%に戻しますが、その後は投票率が50%に満たず無効化された国民投票が、俄然多くなることでしょうか。

また、有効化された『国民投票』に関しても、かろうじて50%台の投票率が続き、イタリアの有権者たちの政治参加への意欲が、時間とともに薄らぐのが、数字となって垣間見えます。

その背景を推察するならば、1994年に首相に就任したベルルスコーニをシンボルとするネオリベラルな政策が中心となり、社会の価値観そのものが、政治という集合的な利害の追求から、個人的な利害の追求へと次第に変化していった時期と重なるかもしれません。グローバリズムこそが常識となり、大量の人とお金がやすやすと国境を越え、イタリアの街角の風景が変化しはじめたのもこの頃からです。

いずれにしても 、今回実施された議員削減の『国民投票』は、『5つ星運動』のアイデンティティの核である、オンラインプラットフォーム『ルッソー』を基盤としたダイレクトデモクラシーと一体をなしたかたちで、当初から提案されていた『5つ星』のの政策でした。

『ルッソー』で署名を募り、「憲法改正に関わる事項も含め、より簡単に『国民投票』が実施できるよう、イタリアの政治システムを変える」というのが『5つ星運動』のそもそもの改憲スピリットであり、この議員削減の提案の根本には、景気が日毎に悪化して、若年層の失業率は40%を超える(2015年)というのに、汚職と不正ばかりが蔓延る政界を弱体化させ、市民の手に主権を取り戻そうという意図があったのです。

しかし『5つ星運動』が第1党として議席を占めることになった2018年(『5つ星』+『同盟』)、2019年(『5つ星』+『PD-民主党』)とふたつの政府を経て、上院、下院の議論を通過するうちに、最も重要な核となるダイレクトデモクラシーコンセプトがいつしか抜け落ち単純な議員削減の提案へと、変容してしまった。

議員削減を提案する『国民投票』は、実はベルルスコーニ政権時代の2006年、そして『民主党』マテオ・レンツィ時代の2016年に、違うスタイルで提案された、という経緯があります。そしていずれの提案も、時の政府による支配権の独占と市民にみなされ、「議員の数を削減することで、経済ロビーとも強く繋がる権力の中枢が、上院、下院議会をコントロールしやすくするためではないのか」、とNOが多数を占め、否決されています。

ところが今回は、議会にかかる予算の節約、合理化、という別方向からのアプローチで、議員削減の提案に賛意を得ることに、いとも簡単に成功したわけです。

では、先のふたつの『国民投票』と本質的何が違うのか、と問われると、「ムードが違った」という以外に具体的な答えは見つかりません。

 

今回の投票で削減される議員数は具体的にこのようになります。左上が現在の上院議員数、右上が削減後の上院議員数、左下が現在の下院議員数、右下が削減後の議員数。

 

そもそもイタリアの上院、下院議会の何が問題なのかというと、他の欧州の国々の議員数(英国:1441人、ドイツ:778人、フランス:925人、スペイン:616人ーコリエレ・デッラ・セーラ紙)と比べ、イタリアの945人は、人口に対して、議員の数がいくぶん多いことは確かでも、数というよりはむしろ、サラリーを含めるイタリアの議員特権ーPrevilegiが、ずば抜けていることのように思います。

そして、この『カースト(La Casta)』(コリエレ・デッラ・セーラ紙のジャーナリストにより2007年に出版された『政治階級』の特権、お金の流れを糾弾した『カースト』の名を冠した書籍は、ベストセラーになりました)の頂点に君臨しながら、市民社会とは大きく乖離。芝居がかった自己顕示と政争、さらに私腹を肥やすことに夢中の、プロフェッショナルな政治家たちへの市民の逆襲として急激に支持を拡大したのが、『5つ星運動』でした。

実際、イタリアの上院、下院議員たちが、市民の税金を湯水のように浪費する、非常識な恩恵を享受している事実は否めません。その『議員特権』がいったいどのようなものなのか、ジャーナリストのミレーナ・ガバネッリがシンプルに説明していましたが、正直、呆気に取られる内容です。

たとえば下院議員のサラリーは、1ヶ月10435ユーロ(税込)、家賃など諸経費が3503ユーロ、タクシー代1100ユーロ、スタッフ人件費3600ユーロ、電話代100ユーロが支給され、いつ、どこに、どのような理由で旅行しようと、報告の義務なく(!)、自由に旅行できるという夢の待遇です。

他にも下院の議長を経験すれば、退任後5年間は下院の建物内に事務所を構え、秘書を雇うことができたり、高額な議員年金が支給されるなど、さまざまな特権が存在。この高額年金に関しては、『5つ星運動』が強行に削減を要求し、下院を通過したにも関わらず、『緊急事態宣言』下の今年の6月に上院で阻止され、結局現行通りとなっています。

もちろん国の重要な政策を担う議員たちですから、ある程度の高給は支払われるべきですが(汚職しようという誘惑から遠ざけるためにも)、ほとんど議会に出席しない、あるいは出席しても議題とは別の話に夢中になっている議員が多くいることも事実です。

一方フランスは、1ヶ月のサラリーが5600ユーロ、スタッフ人件費が1400ユーロ、諸経費5300ユーロ、タクシー代168ユーロ、ドイツはサラリー10083ユーロ、家賃4300ユーロ(報告の必要あり)、英国はサラリー6950ユーロ、ロンドン内交通費として375ユーロ、ロンドンに居住していない議員にのみ滞在費として2200ユーロが支払われるということですから、イタリアの議員の待遇とは大きな差があります。

結果、イタリアの下院議員ひとりに対する年間の支出は160万ユーロ、フランスが100万ユーロ、ドイツが120万ユーロ、英国が75万ユーロで、確かに、議員数を削減することで予算を節約することはできても、個々の『議員特権』そのものは変わらず、議員は高給のまま、予算を気にせず旅行のし放題というわけです。

こんなことなら、議員数より『特権』を減らす議論に時間をかけたほうが得策なのではないか、とも思いますし、NOと答えた多くの人々が同じ意見を述べていました。

もちろん節約には大賛成ですが、国家予算から見れば、高額年金などの『特権』を少しも剥奪されることなく議員が削減されたとしても、その経費の節約は、とるに足らない「焼け石に水」かもしれず、それと引き換えに失うものも多いのではないか、と考える次第です。

個人的には、イタリアがこのまま代議制民主主義を継続させるのであれば、議員数を36.5%減らすよりも、サラリーを含める『議員特権』を大きく削減しながら、議員の数をむしろ大幅に増やす方が、多様な意見が活発に交わされ、意義のある議論が繰り広げられるのではないかと考えます。

今回のウイルス対策に関しては、医療科学に基づいた迅速で思い切った決断が必要ではありましたが(そのための、政府首脳が即刻決断できる『緊急事態宣言』ですし)、通常の市民生活の詳細を含め、政策や外交、法案を決定する際には合理性スピードこそが重要とする考え方は、一見ポジティブに思えても、実は「まやかし」かもしれません。

民主主義という政体は、そもそも非合理で、時間を要するものです。合理化はむしろ、権力側に都合がいいだけではないでしょうか。

▶︎YESの言い分、NOの言い分と『5つ星運動』の行方

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