現代のイタリアにおいては、潜伏中の大ボスが捕まったり、いまだ真相が明らかにならない過去の重大事件の断片が、ときおり浮上する以外、ほとんど「コーザ・ノストラ」の名を聞くことがありません。しかしながら「コーザ・ノストラ」は、「近代はマフィアとともに構築された」と言われるほど、戦後から90年代初頭にかけてのイタリアの歴史に、その痕跡と深い傷を残しています。しかも「コーザ・ノストラ」が連続して起こした1992年から1993年にかけての重大事件の真実は過去に置き去りにされ、『鉛の時代』に起こったあらゆる事件と、いわば「同質」の秘密に覆われたままなのです。というか、「これが真実であろう」と推測できる数々の情報がありながら、確実な証拠が見つからず、現在も検察による事件の再捜査が繰り返されます。それらの重大事件に言及するのはもう少し先の項になりますが、まず、第2次世界大戦以降の「コーザ・ノストラ」の発展過程、政治、および公権力との関係、マフィアを巡る検察の闘いを追うことで、事件の背景が浮き彫りになるのではないか、と考えています。
Tag Archives: コーザ・ノストラ
ラッキー・ルチアーノ Part Ⅰ : 「禁酒法」を経て、暗黒街の分岐点となった「コーザ・ノストラ」の誕生
ニューヨーク、ロウアー・イースト・サイドのストリート。徒党を組んで万引きや窃盗を繰り返していた、イタリア系移民のタフな少年サルヴァトーレ・ルカーニアが、巨万の富を誇るチャールズ・ルチアーノ、「ラッキー・ルチアーノ」としてその名を轟かすには、さほど時間はかかりませんでした。このルチアーノに関しては、単なるギャングというよりも、当時の米国に跋扈する、シチリア・マフィアの旧態依然としたシステムを一気にイノベーションした、「暗黒街の実業家」と呼ぶ方が相応しいかもしれません。資本主義に基づく市場の自由が保証された1900年代の米国のカオスを背景に、まるで小説か映画のようにゴージャスでシック、そして残虐なサクセス・ストーリーを紡いだのち、1946年、ルチアーノは国外追放となってイタリアへ帰還します。なにより興味深いのは、PartⅠで追う米国におけるルチアーノのイメージと、PartⅡで追うイタリアにおけるルチアーノのイメージに、明らかな差異があることでしょうか。その理由も推論しつつ、2回にわたって、ラッキー・ルチアーノの生涯をたどります。 Continue reading