今回の「国民投票」に関して、なにより注目すべき点は、誰もがあっと驚く58.93%という投票率の高さでしょうか。この数字は、国政選挙はともかく、2日にわたる「国民投票」での投票率としては歴代1位となりました。現政府肝入りで提案された、イタリア共和国憲法の中でも、複雑で難解な司法を巡る改革案に53.74%の人々が「反対」の意志を表明したのは、もちろん現政府への不満もありましょうが、イタリアの人々のメンタリティに憲法の魂が深く根づいているからだ、と思います。ファシズムから解放された第2次世界大戦後、イタリアが2度と同じ過ちを犯さないよう、キリスト教民主党の重鎮アルチーデ・デ・ガスペリやイタリア共産党党首パルミーロ・トリアッティらで結成された制憲議会が叡智を結集し、精査に精査を重ね制定した憲法は、今回の「国民投票」でも改憲されることはありませんでした。2006年にはシルヴィオ・ベルルスコーニが、2016年にはマッテオ・レンツィが大幅改憲の「国民投票」を行なっていますが、いずれも市民から賛同を得ることなく、政権交代、首相辞任という憂き目に逢っています。今回の「国民投票」を追いながら、イタリア共和国憲法は民主主義を守る、いわば「言霊」のような機能を果たしているのかもしれない、などとも思った次第です。
予想を超えた、力強いNOという答え
現政府が司法の近代化、と謳った、イタリア共和国憲法の7つ(!)もの条文に影響を及ぼす憲法改定案を問う「国民投票」が、3月22、23日両日に行われました。そして投票がはじまった途端に、想定外の投票率の高さに各種メディアが次々と驚きの声を報道しはじめた。ここ数年、国政選挙、地方選挙の投票率は下がり続け、もはや市民は選挙に興味がなくなったのだ、魅力を感じなくなったのだ、との声が上がっていたところでした。
そういうわけで、今回の「国民投票」においては、イタリアの市民の底力を見せつけられた、と同時に、「イタリアは変わっていなかった」と安堵したところです。たとえジョルジャ・メローニ現首相が大衆迎合的に人気を集める人物であっても、憲法を好き勝手に歪曲することで、ユニークなイタリアの司法の構造そのものを変え、その自律性、独立性を奪おうとする現政府に、市民は簡単に白紙委任状を渡すことはありませんでした。
特に34歳までのZ世代の若者たちの投票率の高さと「反対」の意志には目を見張るものがありました。今まではほとんど司法システムに興味を持っていなかった(多分)彼らが、自らの国の司法システムを集中的に勉強し、現政府が提案する「司法改革」案を分析。その懸念点をつぶさに認識したうえで投票に挑んだことは、未来に対する彼らの責任の現れでもあり、頼もしくもあります。
この世代は、いわゆる右派、左派が形成するイタリアの混乱した政治に対して興味がある、というよりも、現在世界を揺るがす戦争の数々に強く反発。社会の不平等に憤る若者たちです。
「国民投票」の期日が発表された数ヶ月前は、「賛成」支持が圧倒的に多く、たった25%しか支持がなかった「反対」派の間には諦めムードすら漂っていたのです。
しかも今回の「国民投票」は、法律を破棄する場合に適用される有権者の50%以上の投票を必要(Quorum)とはしない、「確認的国民投票」のため、投票率には関係なく「賛成」「反対」いずれか投票が多い方が勝利とされました。つまり10人の市民しか投票しなかった場合でも、数が多い方の意見により憲法が改定される、あるいは改定されない、が決定する、ということです。
司法という専門的な知識を必要とする憲法改定に、多くの人々がコミットできるかどうかが「賛成」派、「反対」派いずれにおいても課題と思われました。ところが投票日が近づくにつれ、街なかでも「わたしは『反対』に投票する」「僕は『賛成』だ」との声が交わされるほど日常的な話題になったのです。ちなみに「反対」票を投じた人々を、右派の現政府を攻撃する「左翼」と断じて揶揄するような言説を、SNS上でいくつか見かけましたが、共和国憲法にはイデオロギーは反映されてないわけですから、これだけ多くの市民が「反対」票を投じた理由を、右、左という単純なカテゴライズで分析できるとは思えません。
事実、右派を自認する市民が「反対」票を投じ、左派を自認する市民が「賛成」票を投じた例も予想以上に多く、たとえば「反対に投じた理由は何ですか?」との世論調査で最も多かった答えは「憲法を護り、検察官の自律性を保証するため(68%)」であり、「イタリアの司法の問題を積極的に改革できる提案ではなかったため(65%)」と続き、最後に「メローニ政権に反意を示すため(60%)」という結果でした(DEMOPOLIS)。
われわれ日本人同様、イタリアの市民にとっても憲法は国の根幹を成す、いわば聖域であり、たとえその一部であっても、改定には慎重に慎重を重ね、議論が尽くされたのちに「国民投票」に委ねるのが順当な流れです。民主主義国家における憲法はあくまでも市民のものであり、時の政府が好き勝手に解釈を歪ませたり、その改革を権力の誇示、あるいは自らの権力を保護するために利用するものではありません。したがって憲法改定における「国民投票」であるなら、具体的に何が問われているのか、市民は自ら内容を熟知し、投票に挑む必要があります。
今回の「国民投票」は2025年10月30日に上院を通過した憲法の司法部分の改定案を問うもので、1948年に憲法が制定されて以来、立法府、行政府という他の国家権力からは完全に独立するイタリアの司法権を、根底から覆す可能性を持つ、きわめて重要なものでした。ところが改定案の上院下院議会の通過から「国民投票」まで、議論を交わし、市民が確実に理解し、方針を決定するための時間があまりにも短かすぎた、としか言いようがありません。
さらに現政府、具体的には改革案を提案した法務省からは、改定の内容についての詳細を市民に伝えられることもなく、ぼんやりと、何となく「検察官と裁判官の分離(内容は後述)」と、プロモートされただけで、だいたい7つもの憲法の条文に影響を与える改定案だというのに、そんな曖昧なスローガンで煙に巻かれたまま、市民が「Si(賛成)」か「NO(反対)」の2択から選択しなければならないとは、現政府は市民を蔑ろにしている、と判断されても仕方ありません。
そのような状況下、憲法学者たちが中心となり、驚嘆する迅速さで、「憲法改定反対委員会」が結成され、市民がその内容を十分に詮議することができるよう、「国民投票」の時期を遅らせるための署名を募ると、みるみるうちに署名数が膨れ上がり、投票時期の変更が可能になる定数にまで達した、という事実もあります。しかし現政府はあれこれと難癖をつけ、3月22日、23日の投票日を動かすことはなく、その性急さは、市民に余裕を与えれば与えるほど、改定案の綻びと真の目的が明らかになることを恐れたからだ、と認識しています。
ただ、投票日が近づくにつれ、「反対」派、「賛成」派共に熾烈な投票キャンペーンを繰り広げ、憲法改定のような、そもそも政治色、イデオロギーを持ち込むべきではない事案にも関わらず、与党、野党の対立が鮮明化し、政権への信任投票の色合いが濃くなったことを多少残念にも思っています。しかしあらゆる事案が必要以上に政治化し、メディアもそれを煽る傾向があるイタリアでは、いたしかたないことかもしれません。
いずれにしても、「賛成」陣営、「反対」陣営ともにイタリア各地で勉強会、講演会、集会を開き、著名人、知識人、俳優、アーティスト、インフルエンサーがそれぞれいずれかの支持を表明し、新聞、報道番組が特集を組み、それに伴いデマやフェイクニュース、「賛成」派、「反対」派の罵り合いがSMSを席巻。
特に「反対」派の多くのジャーナリスト、学者、政治家、著名検察官たちは、自国の司法システムについて明確な知識を持たない市民たちに、今回の「国民投票」では何が問われているのか、司法はどのように改定されようとしているのか、改定されたあとのイタリアはどう変わるのか、を懇切丁寧に説明する講演会を開き続けました。イタリアの選挙、および国民投票のたびに思うのは、市民の投票行動に影響するような人物たちが、まったく臆することなく自分の意見を明確に発信する潔さでしょうか。
なかでも、鋭い舌鋒と他の追随を許さない調査と論理性で、あらゆる「賛成」支持者を論破する、イル・ファット・クォティディアーノ紙の主幹である「反対」派のマルコ・トラヴァイオの、「なぜNOなのか」と題した著書のスピード出版をはじめ、日々戦闘的にキャンペーンを継続した超人的なエネルギーには、今回改めて感嘆したことを告白しなければなりません。投票前の1週間、ローマで連日開かれた、重要な検察官、元検察官たちを招いてトラバイオ自らインタビューするイベントは、いずれも超満員で、なんとか1日だけ空席を見つけて潜り込めるぐらいの盛会でした。
なおイル・ファット・クォティディアーノ紙は、投票日の2日前、今回の憲法改定案の発案者であるカルロ・ノルディオ法務大臣の主席書記官(「イタリアの同胞」)が、ローカルマフィアのマネーロンダリングを引き受けていた人物の18歳(!)の娘と共にローマのレストランを経営していた事実までスクープしています。残念ながら、上院下院議員による「アンチマフィア委員会」議長しかり、現政権にはマフィアや往年の極右テロリストとの関係性において、おぼろげに不透明、だと思われる人物が、点在していることも忘れてはならないでしょう。
ともあれ、投票日寸前まで、世論調査を含め、誰もが結果を読めず、「反対」「賛成」はほぼ互角、おそらく「賛成」が幾分優勢と見られていましたが、結果、「反対」派が7ポイントもリードして大勝しました。
「賛成」が上回ったのは現政権の政治基盤である北イタリアのロンバルディア州、ヴェネト州、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州のみ、中部、南部イタリアは、それぞれの地方都市で「賛成」が上回った地域があっても(たとえばローマが属すラツィオ州ではローマ市以外の地域は、すべて賛成票が優位でした)、総じて「反対」票が上回っています。アンチマフィア対策で目覚ましいキャリアを誇るニコラ・グラッテーリが検察局長官を担うナポリでは75%(!)、伝統的にベルルスコーニが創立した「フォルツァ・イタリア」が強いシチリアでも61%の「反対」票が集まっています。

イル・ファット・クォティディアーノ紙より引用。オレンジがNO、青がSiが多かった州ですが、もっと詳細を見ると、ミラノ、トリノ、フィレンツェ、ローマ、ナポリ、パレルモなどの大都市はNO、ラツィオ州のように地方都市ではSiが優勢だった州もイタリア全国に点在しました。経済格差が問題になっている南イタリアは投票率はそれほど高くはなくとも総体的にNOが優勢。なお、カセルタやレッジョ・カラブリアなどマフィア(カモッラ、ンドゥランゲタ)地盤と言われる地域には、Siが80%(!)を超えたところもありました。
なおイタリア語ですが、年齢別、職業別などに細かく分類された投票行動をまとめた統計をこの稿の末尾に載せています。ご興味のある方はご覧いただければと思います。
▶︎国政からは完全に自律、独立した政治で機能するイタリアの司法












