イタリア中道左派政党連合、「オリーブの木」L’Ulivoとは

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『毎日カオスな政治祭り』にすっかり慣れ親しんだイタリアから見ても、「ええっ」と驚く、ここしばらくの日本の政治混乱に、遠くにいながら気が気でない、なんだか落ち着かない毎日が続いていることを白状せねばなりますまい。そんななか、かつて大きな勢いを持ったイタリアの中道左派政党連合L’Ulivo「オリーブの木」の名がネットに時々現れ、もちろん提案している特定の政治家を支持しているわけではなくとも、「そうそう、そういえばあった、あった」と記憶を新たにしました。そういうわけで、いまさらではありますが、元祖「オリーブの木」、イタリアの「オリーブの木」- L’Ulivo(ルリーボ)とはどんな政党連合だったのか、その概略を軽く追ってみようと思います。

現在の日本で、社会民主主義、共産主義、立憲主義、自由主義の政治潮流にある政党、個人を大きなくくりで表現する「リベラル」という呼称は、イタリアではほとんど使われることはありません。たとえその政党が、米国や日本で言うところの「リベラル」思想に近い基本理念をもち、その理念に沿った政策、経済政策を推進しようとしていたとしても、Sinistra「左派」、Centro Sinistra「中道左派」と、伝統的に「左」勢力、と表現されます。またDestra「右派」、Centro Destra「中道右派」も、伝統的に「右」勢力と表現されます。

というのも、戦後のイタリアにはPartito Liberale Italiano (パルティート・リベラーレ・イタリアーノ/イタリア自由党)という極右から右翼へ変遷した政党が存在し、その印象が極めて強いため、リベラル(リベラーレ)=中道左派という図式が、人々にはどうもピンとこない(しかし考えてみれば、日本の自民党も、Liberal Democratic Partyではありますけど・・・)らしいのです。さらにはイタリアの政治をアングロ・アメリカンな外来語で表現することを潔しとしない、という頑固な思い込みもあるようです。

事実、わたしのような日本人にとっては、いまさら「右」だ「左」だ、という表現は、確かに少し古臭く感じることもあります。ただ、イタリアの政治は、「右派」「左派」の二大勢力に大きく分類されるため、それぞれの思想、政策が、時代とともに発展、変化を遂げながらも、常に対極をなして攻防する有り様は、分かりやすいといえば分かりやすい構図ではあります。各党の詳細は複雑怪奇でも、その政党がどんな基本理念で動いているのか、とりあえず概要は掴めます。

しかしながらここ数年で、そんなイタリアの政治地図も大きく変わり、次の選挙で政権を握りかねない大勢力となった『5つ星運動』は、「右」、「左」いずれの要素をも兼ね備えながら、イタリアの既存の政治勢力には属さない政党で、この『5つ星』を『政党』と呼ぶことには多くの異論が有りますが、デジタルアンチグローバル・ポピュリズムで突き進んだ初期はともかく、みるみる頭角を現した議員たちはマスメディアにも連日露出して、他の政党とあまり違わない活動をしています。

したがって『5つ星運動』もイタリアの政党システムに、いつのまにか組み込まれたと言っていいかもしれません。また、このイタリア政治の第三の極は、「ユーロ離脱推進(初期は特に)」、「排外的な移民政策」、デジタル民主主義投票による専制的なシステムが基盤にあるため、隠れ「極右」、デジタル・ファッショと見なす人々がいないこともありません。しかし(今のところ)財源が明確には提示されないベーシック・インカムを謳うなど、リベラルな政策の公約をも打ち出しているのです。

ところで日本では、「左翼」というと、目くじらを立てられ、もはや朽ち果てんとする、時代がかった暴力的な思想犯(って犯人ではないんですが)というイメージで捉えられることが多くあるのは不思議です。ネット上ではいつの頃からか「左傾化」することは罪深い背信とでもいうレトリック、あるいは蔑称で呼ばれるコメントも散見されますが、イタリアで、Sinistra(左翼、左派)、Riformista (革新、急進主義)といっても、特別なネガティブイメージは伴いません。

むしろ、若い人々も含め「わたしはシニストラ(左翼)である」と断言することは、自らの背後に存在する、自慢すべき、ある種の文化感を醸す自己主張かもしれません。最近驚いたことは、もっと時間をかけて、深く議論したアナログな情報が僕たちには必要!と高校生の有志と大学生たちが創刊した「SCOMODO」という雑誌をめぐるムーブメントがローマじゅうに広がり、「すっごくクール」と15、6歳の少年少女が、SCOMODOメンバーが主催する「占拠」だの「デモ」だのに大挙して集まる、というブームが起こっていることです。プロフェッショナルで充実した記事を掲載するアナログ雑誌SCOMODOをめぐる、音楽とダンスとInstagramで政治主張、新しい形の左翼運動が大人の知らないところで、みるみるうちに広がっているようです。

このように15、6歳の少年少女までが政治主張に関わる、という動きの背景には冷戦後、解党、分裂したとはいえ、戦後、与党、『キリスト教民主党』を脅かすほどまで躍進した『イタリア共産党』の寛容な仕事ぶり、大衆文化の貢献への好感、さらには今でも影響力のあるチェントロ・ソチャーレ(非議会主義占拠文化スペース)の存在が、多くの人々に根づいているためと考えられます。ローマにおいては、共産党が輩出した市長の時代が、最も文化的に豊かであった時期であるとの定説があります。

戦後早々に『革命』を退け、「国民の政党」「民衆への政党」へと舵を切り人々の生活に寄り添う政策を打ち出したのが『イタリア共産党』なのですが、当時、ベルリンゲル書記長が提唱した「ユーロ・コミュニズム」という理念は、現代でも大きく評価されるコンセプトです。余談ですが、ダライ・ラマ法王がイタリア訪問の際、ベルリンゲル時代のイタリア共産党には多く賛同する部分がある、とも発言したことがありました。共産主義の思想理念はキリスト教と相性がいいからこそイタリアで大きな支持を受けたわけですが、仏教ともリンクする部分が多くあるように思います。

そういえば『共産主義』についてイタリア人と話していた時のことです。「コミュニズムは、日本語でもやはり、中国と同じように『共産主義』と書くのか」と聞かれたので、「そうです。共に産む、という意味の漢字を当てます」と答えると、「やっぱりそうか」とその人は、ううむと考え込んでいました。「それでは、僕らが普段使っている『コミュニズム』と、漢字で書く『共産主義』とは、その言葉を聞いた瞬間からニュアンスが大きく変わると思うんだ」

「もちろんコミュニズムは、共に労働、生産に従事することが基本ではあるが、我々が慣れ親しんだコミュニズムという言葉には、社会の負債を皆で抱える。共に負債を分け合う、つまり社会福祉、という意味合いが強く反映されている。集団を構成する人々がそれぞれにそれぞれを助け合うからこそ、キリスト教とも相性がいいのだからね。コミュニズムと聞いて、まず思い浮かぶのは、『社会』における相互扶助だよ」と、その話を聞きながら、今まで出会った、無宗教の立場から市民福祉活動をしている「左派」を支持する人々のことを思い出し、なるほど、と強く納得した次第です。

同様に、Destra (デストラ)、「右翼」、という言葉に対しても、即『ファシスト』というような、際だってネガティブなイメージは生まれません。当然のことですが、人それぞれに思想の違いがあって、「右」「左」の間に激しい意見の対立、感情の葛藤は常に存在しますが、互いの政策への反論でぶつかるならともかく、互いが互いを蔑称で罵り合うというレベルの対立はあまり見たことがありません。ただし「極右」、「極左」となると、戦中戦後や70年代の『鉛の時代』の思い出と重なり、暴力的なイメージ、ちょっとした恐怖感が伴うかもしれません。イタリアではいまだに、というか近年になって殊更に、極右、極左グループのデモと当局が衝突することが多くなったようにも思います。

ちょうどオリーブの実がなる季節、公園のオリーブの巨木の陰でのんびりくつろぐ恋人たち。

何はさておきL’Ulivo「オリーブの木」

「オリーブの木」は、もはや20年以上前の政党連合です。イタリアにおける中道左派の、いまや「神話」となったこの「オリーブの木」は、1995年経済学者である政治家のロマーノ・プロディのもと、基本理念は共通していても、それぞれに多様な思想を持つ急進的な左派、中道左派、さらには中道の政党、マイクロ政党を、ひとつの流れに収斂した政党連合です。現在は政治の世界から退いたロマーノ・プロディですが、中道左派のご意見番としてメディアに多く露出、いまでも影響力を持つ人物でもあります。やがて時を経て2006年、その、「オリーブの木」が分裂、統一を繰り返し、L’Unione「ルニオーネ」政党連合へと発展、2008年に結党されたPartito Democratico 、現在のイタリアの連立政権を担う『民主党』の基盤ともなっています。

1994~1995年頃のイタリアはといえば、戦後の政治に、「混乱」を含めて大きな足跡を残した主要政党の『キリスト教民主党(DC)』、『イタリア共産党(PCI)』、『イタリア社会党(PSI)』が解体、分裂し、いくつもの政党が乱立した時期でもあります。そのうちの極右、右派、中道右派の政党はいちはやくベルルスコーニにより「フォルツァ・イタリア」として統合され、左派、中道左派による急進派連合を総選挙で破り、1994年、ベルルスコーニ初の内閣を発足させています。しかしながらその内閣は、連帯していた『北部同盟』と分裂、さらにはベルルスコーニ側近のマフィアとの関係が糾弾され、短命に終わりました。

その間、急進派連合は、他の中道、中道左派とともに、ロマーノ・プロディが率いる「オリーブの木」運動と急速に連合を形成、ベルルスコーニ政権陥落ののち、ランベルト・ディーニ暫定政府を経た直後の総選挙で、プローディを首相に政権の奪還に成功。そもそも「オリーブの木」は、猛威を奮うベルルスコーニの対抗勢力として形成された中道左派政党連合であり、「打倒、ベルルスコーニ」を第一の目標に連帯を強めた、という経緯があります。

ところで「オリーブの木」連合の創立政党は、というと、左翼民主党(イタリア共産党のボローニャ支部が分裂)、「オリーブの木」運動(ロマーノ・プローディ委員会)、イタリア人民党(キリスト教民主党から分裂)、イタリア社会主義党(イタリア社会党から派生)、ヴェルディ(欧州の環境保護主義政党)と、13の党が並びます。さらにのちに連合に加わったのが、ベルルスコーニ政権の後任をになった暫定政権ランベルト・ディーニが起こした政治運動リスタ・ディーニ、民主主義党など5つの党、さらに途中で「社会民主党」が、「社会民主主義」へ党名、構成を変更、「社会主義党」が「イタリア社会主義」へ、「イタリア人民党」は、「民主と自由、ラ・マルゲリータ」へと変遷する。そのほか、地方の政治運動も加わり、この中道右派政党連合の動きは、まるで生きた「オリーブの木」のように、目まぐるしく枝分かれしながら成長していきます。

また、『イタリア共産党』から分裂した、最もイタリア共産主義色の濃い共産主義再建党は、当初は付かず離れず、「オリーブの木」には加わりませんでしたが、政府内で連帯(プローディ内閣でいったん連帯は破綻します)。2006年には、オリーブの木から発展したL’Unione(ルニオーネ)に連合し、党首ファウスト・ベルティノッティは第2次プローディ内閣で下院議長を勤めています。

このように、「オリーブの木」という政党連合がなければ、イタリアの左派、中道左派は、何が何だかさっぱり分からない党の乱立でもありましたから、「オリーブの木」、さらに「ルニオーネ」の政治状況も含め、実際にテレビや他のメディアなどで身近に見た経験では、毎日喧々諤々、激論、喧嘩、仲間割れ、仲直り、と力関係が全く読めませんでした。イタリアの左派は今も昔も多様な意見と終わらない議論で、蜂の巣を突いたような騒ぎへとたびたび発展し、選挙のたびにハラハラさせられます。

もはやショー・アップされなければ政治ではない、と言われる時代ですが、プロタゴニズム「わたしが主人公主義」という特質が主流を占めるイタリアの政治家の場合は、「右」「左」に関わらず、演じることなくナチュラルに振舞っても、自ずとショー・アップされる、というのが伝統なのかもしれません。

ところで、この「オリーブの木」政党連合のアイデアは、現在のイタリアでもたびたび復活が取りざたされ、つい最近もミラノ前市長が言及し、旧勢力とともに党から分裂、ラ・レプッブリカ紙がプロモーションを始めるという出来事もありました。しかしながらプローディは「オリーブの木はすでに過去のもの。現在の政治システムは変わってしまった。わたしはツイッターもできないんだ」と発言し、いまのところプローディ指揮下の新しい「オリーブの木」の復活の兆しは見られません。実際、このところ、かつてはいったんまとまっていた、民主党内での分裂が著しく、中道左派の次の選挙は、かなり複雑な立ち位置になりそうです。

わたし個人は、時と場合によっては「オリーブの木」のような、政治理念が同じ方向性でありながら (ここが重要)、多様な意見を許容するおおらかな間口の広い政党連合は、投票者もアイデアを膨らませやすく、好ましいと思います。「わたしは国家に命令者が存在し、それがソロ(単独)のコマンドであるというのは嫌なんだ。他者と連帯することは、非常に有効で大切なことだ」というのがプローディの今も変わらない持論です。

ところで「日本でも『オリーブの木』構想について語られる機会がある」、とイタリア人に言うと「へえ。日本にもオリーブの木が育つのかい?」と純粋に不思議がられたという、ちょっと話のピントがずれた経緯がありました。「いや、名称ではなく、そのコンセプトを踏襲するということです。いくつかの政党で連合をつくることで、現権力勢力の対極勢力を作るという意味で」と答えると、「うーん。実践するなら、日本特有の植物の名前にした方がいいんじゃないのかな」という返事でしたが、「オリーブの木」という日本語が持つ、新鮮で爽やかな音感は耳触りが良く、豊かさをも想像させ、わたしはとても好きです。

そしてイタリアでは、この地中海のみずみずしい恵みをイメージさせる、直球の命名が大成功したのです。今までは理念、思想を表現する、堅苦しい名称が並ぶ左派の政党の連合にL’Ulivo(ルリーボ)、「オリーブの木」と、命名するセンスは、人々の日々の生活をぐっと政治に近づけて、画期的でもありました。乾燥した山間や海辺の大地に群生し力強く根を張り、たわわな実を結ぶ、地中海沿岸の豊穣を象徴するオリーブは、太古の昔から人々の日常生活に欠かせない、ある意味、聖なる植物。揺るぎない「安定」をもイメージさせ、インパクトも大きい。「オリーブの木」の連帯から、イタリアの中道左派政党をめぐる空気は、軽く、柔軟に変わったようにも思います。


▶︎国の財政を健全化する経済政策で大きく躍進した「オリーブの木」

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