主張し、新しい文化を提案する女たちのメガデモンストレーション
さて、ここで再びローマのデモに戻ります。
NON UNA DI MENOのメガデモの、14時のレプッブリカ広場の開始から、20時近くまでかかって歩いた終点のサン・ジョバンニ広場まで、今年はデモの全行程に、わたしも実際に参加してみました。「短期間の告知で、よくこれだけの人々が集まったなあ」と思わず感慨深く思う人波のなか、15万の人々がピンクの風船を手に、ローマの中心街を練り歩くという光景は、希望に満ち、心が浮き立つような経験でした。しかも、たまたま通りかかった人々も、「女性への暴力に反対するデモなら、参加しなくちゃいけないね」と途中から加わり、時間が経つにつれ、どんどん人が増えていき、人波は膨張しました。
デモにおいても下院議会と同様に、実際にレイプ被害を受けた女性や、恋人に殺害されたお嬢さんを持つお母さまも参加されていましたが、その方々をWe Toghetherのスローガンがしっかりと守り、ひとりでは耐えることができないだろう、ぶつけどころのない激しい痛みを皆で分かち合い、共に支え合おう、という姿勢は心強いことでした。また、この団結で社会を根底から変えていこう、との強いエネルギーをも感じ、イタリアの潮目が変わりつつあるのでは、という大きな期待を抱いています。
父から守られる幸せな家族、甘く切ないドラマに満ちた、しかし必ずヘテロな恋物語、強くて頼りになる、決して負けないマッチョなヒーロー、セクシーな、あるいは可愛いアイドルガールたち、愉快で陽気、あるいはあまり難しく考える必要のない、浅い感情の次元で構成されるドラマ、社会より、世界より、個人の感情生活、幸福感を最優先、というステレオタイプのイメージがメディアを通じ、特に広告の分野から、とめどなく流れてくることには辟易します。わかりやすいステレオタイプばかりを、社会の脳裏に「あるべきイメージ」として刷り込んでいくマスメディアは、もっと注意深く、繊細であるべきではないか、とも思います。
今回のデモに、男性の参加が多かったことは前述しましたが、風船を手に走り回る子供たちをはじめ、中学生から高校生ぐらいの若い世代の参加が目立っていたことも嬉しいことでした。移民の第2世代と思われる、母国語としてイタリア語を喋る高校生ぐらいの南米系の男の子が、デモでばったりお母さんと出くわしたようで、「あら、あんたも来てたの?」と腕を掴まれ、決まり悪そうに「そう。でも僕は友達と一緒だから、チャオチャオ」と、足早に立ち去って行き、立ち去りながら、一緒に来ていたガールフレンドらしい女の子に「お母さん?」と聞かれると、頷きながら「そう、来るの知らなかったから。あんなところでいきなり腕を掴むなんて参るよ」などとぼやいている様子が微笑ましくもありました。ヒジャブを被ったイスラム圏の女の子やアフリカのかっこいい女の子たちも多く参加したデモでした。
このメガデモを企画した、イタリア全国にネットワークを持つ複数のフェミニスト・グループNON UNA DI MENOは、11月25日以前には何度もローマ大学サピエンツァの教室で会議を開き、デモの翌日、26日には7時間あまり、デモの総括と今後の活動計画を話し合う会議が開かれ、それらはFacebookで公開されています。
フェミニズム、トランスフェミニズムを謳う彼らの主張は、同時にアンチファシズム、アンチレイシズム、アンチネオリベラリズムであり、今回のデモの開催にあたり、極右グループから度々妨害を受けたことも、会議で告発されています。最近イタリアでは、他の欧州各国と同様、極右グループの台頭が際立ち、移民関係のNGOに押しかけて抗議したり、ラ・レプッブリカ紙本部の玄関先で騒がしく抗議したり、なんと、ナポリのカラビニエリ宿舎内にナチスの旗が飾ってあったことまで発覚。ただちに報道され、ゆゆしき政治問題へと発展しそうな空気が、どんより漂っています。12月10日には、北部のコモで、『民主党』の議員が多く参加して、大々的なアンチファシスト集会も開かれました。
さらに、今回のデモでは、では実際に、「どのような方法で社会を根底から変えていくか」、その大まかなプランをまとめたものが小冊子として1ユーロで配布されていましたが、彼らの活動は、今のところ、どこからも助成金が出ていないため、すべて自分たちで費用を賄っています。
そのプランの中で最も興味深く思ったのが、『教育』の分野でした。それは子供たち、学生、大学生たちに、全ての人々の権利の平等を伝えていくと同時に、教育の根幹となる教員たちのフェミニズム教育をも手がけていくというもので、たとえば大学内で教員たちが議論する機関を設ける。あるいは外部にそのような場を作っていこうという考えです。このプランのために、今後、国や地方自治体に協力を呼びかけ、助成金をリクエストする予定だそうです。
また、2018年の3月8日の『女性の日』には、今年同様、女性のための大規模ストライキを敢行する予定だそうです。確かに今回のメガデモは、新聞、TVでも大きく取りあげられ、強いインパクトとなりました。と同時に、下院議会や各地方自治体が市民と共に、『女性への肉体的、心理的暴力』と闘う姿勢を明確に見せたことで、マスメディアも、今よりいっそう、注意深くなるはずです。どこか時代がかったイメージが漂うイタリアですが、ヒューマンな分野では、意外と時代の先端を追いかけています。
そういえば、今年も11月25日には、もうひとつ気になったニュースがありました。スウェーデンの教会が、「神」を男性として、彼、あるいは男性形の「主人」と表現することを廃止した、というのです。全国規模のメンバーで長い議論を経て、「神」に性別はない、「神」は人間ではない、という結論に達したからだそうですが、『父と子と聖霊』という三位一体で西洋に父権社会を作り上げたキリスト教世界にとっては、これは大きな出来事かもしれません。もちろん、今のところこの動きは、スウェーデンのキリスト教教会 (Evangelico Luterana) だけに限りますが、このようなラディカルな動きが各地で起こると、世界は歴史が作った男性優位文化の呪縛から、少しづつ解き放たれ、進化していくように思います。