ロムの人々を追い出そうと郊外で騒いだ極右グループに、一矢を放ったシモーネ
トッレ・マウラに住む15歳のシモーネは、いまやイタリア全国に知れ渡る『人間性のシンボル』です。と同時に、トッレ・マウラというローマ・エスト(東)の郊外地区の名も、たちまちのうちに全国区となりました。
トッレ・マウラは、他のローマ・エストの郊外地区と同様に、欧州経済危機に襲われて以来、財政不足のローマ市の公共整備が行き届かず街の景色が荒廃。みるみるうちに失業者や貧困が増加して、ドラッグの密売や強盗をはじめとする犯罪が蔓延る、問題の多い地区と語られることが多くなっていました。
とはいっても、10年ほど前にたまたまわたしがその近辺を訪れた時は、それほど荒廃している、という雰囲気でもなく、いかにもローマの郊外、という古風なスタイルのバールの庭に老人たちが集まって、カードに興じていたり、移民してきたと思われる東欧系と思われる女性が道路を掃除していたり、子供たちが狭い広場に走り回っていたり、のんびりとした街角だったように思います。移民の人々も街の人々と同じローマの方言を喋るような、平和で呑気な空気が流れていました。中心街の華やかさはなくとも、人々のささやかだけれど緩やかな日常があり、昔の映画を観るような、人々が寄り添い生活する、古き良きローマがありました。
ところが近年になって、ローマの郊外に関するニュースは、犯罪や諍い、貧困といった殺伐とした情報ばかりが先行し、「見捨てられた危険な地区」というイメージが強調されるようになりました。そしてローマ郊外の荒廃に拍車をかけるのは、その場所に住み、普通に生活している人々を顧みることなく、たとえばドラッグ犯罪や強盗、失業問題だけを繰り返し強調しながら、解決の糸口を模索することなくただ決めつけるだけ、というメディアの無神経な報道のあり方にもあるように思います。
さて、にわかには信じがたい、その騒動が起こったのは4月2日のことでした。ロム(ジプシー)の人々の、違法キャンプの強制退去を方針としている現政府の政策のもと、住居を追われたロムの人々77人(そのうち子供が33人)が、ローマ市が提供したトッレ・マウラの移民・難民一時滞在センターへと移動した日の夜、突如として地区の住人の一部がセンター前に押し寄せた。「ロムはこの街には来させない!」「この地区ばかりが酷い目に遭うなんて、もう我慢できない」と口々に叫びながら、口汚くロムの人々を罵る抗議がはじまったのです。
その抗議デモの中核には、案の定というか、耳ざとくというか、極右グループである『カーサ・パウンド』と『フォルツァ・ヌオヴァ』が陣取り、暴言を吐くだけではなく、センターのロムの人々に届けられたパンを地面に投げ捨てると踏みつけにし「ロムに与える食べ物なんかない。ロムは餓死すべき」と叫ぶ蛮行にまで及んでいます。
「ロムが来れば盗まれる。強盗に入られるかもしれない、と思うと安心して暮らせない。ロムが街に来るのは絶対に嫌だ。カーサ・パウンドはわたしたちを助けにきてくれたんだ」とロムの人々の受け入れに反対する一部の住人たちのなかには、怒りと憎悪にまかせ、怯えるロムの人々に向かって投石する人まで現れました。
その後2日間に渡って、『カーサ・パウンド』が扇動する暴力的な抗議デモに囲まれたロムの人々は、食料もないままセンターから一歩も出られず、閉じ込められた状態だったそうで、「この地区で、こんな乱暴なデモが起こる日がくるとは」とトッレ・マウラの住民の間にも驚きの声が広がりました。極右グループが関わる、このような『ロム排斥デモ』は、トッレ・マウラだけではなく、カーサ・ブルッチャータなど、ローマの他の郊外地区でも起こっています。
この、降って湧いたように起こった郊外の騒乱を、テレビや各紙メディアは「貧困者同士の闘い」であるとか、「レイシスト集会」とタグをつけて盛んに報じ ー もちろん中には現場を冷静に見つめ、ドキュメントする番組もありましたが ー 多くのメディアが事態から距離を置く、どこか「上から目線」で興奮を煽る報道がなされたことは否めません。むしろこのような報道のあり方は、極右グループの思うツボ、狙い通りなのではないか、とも考えます。
そんなとき、するり、と抗議集会の真ん中に自然体で現れたのが15歳の少年、シモーネでした。少年はトッレ・マウラの『ロムの排斥集会』を仕切る、極右グループのリーダー格である52歳のおじさんに躊躇なく近づくと、物怖じすることなく、きっぱりと話しはじめた。
「僕はトッレ・マウラの住人だけど、あなたたちのやっていることに、まったく賛成できないんだ」「あなたたちのやっていることは、人々の怒りに『てこ』を入れているだけじゃないのか。僕が思うのは、あなたたちは人々の怒りを票に結びつけたいだけじゃないのか、ということなんだ」「昨日の夜、起こったこと(住人たちの抗議デモ)は、トッレ・マウラという地区が荒廃している、ということを(住民たちが)ローマ中に見せたかっただけだよ。あなたたちがそれを利用しようとしているようにしか思えない」
「たった70人ほどのロムの人々のために、トッレ・マウラの住民が抗議に集まるわけないんだ。単にロムの人々が(地区にやってきたことが)引き金になっただけだと思う」「僕は70人のロムの人々がトッレ・マウラに来たって、なんとも思わないし、それで僕の生活が変わるとも思わない」「マイノリティへの攻撃は、とても嫌な気持ちになる。(攻撃に)反対というより、居心地が悪いんだ」「誰ひとり、置き去りにしたらいけないと思う。イタリア人も、ロムも、アフリカ人も、あらゆる人々を置き去りにしちゃいけないんだ。僕はそう確信を持っている」「僕は何ひとつ政治的なグループには関わってないよ。思うことを言っているだけ。ただ、トッレ・マウラの住人ということだけだよ」
リーダー格のおじさんが、シモーネの肩を揺すりながら説得しようと顔を近づけても、強面の青年たちに囲まれても、少年は頑として、恐れることなく最後まで意見を貫いています。
その様子をスマートフォンで撮影していた何人かの人々の、いくつかの動画がYoutubeにアップロードされた途端に、あっという間にイタリア中でヴァイラルになったのです。ローマの中心街ではほとんど聞かれなくなった、彼の喋るラップな感じのローマの方言もまた、人々の共感を呼びました。「荒廃している」と言われて久しく、常にマージナルに扱われる郊外に、古き良きローマの魂が少年の姿をして、まだこうして生きている、と感じさせる出来事でした。
この、どこにでもいる、まだあどけなさが残った少年が、作為なく真摯に主張する、人間として当たり前の感性に感動したのはもちろんわたしだけではなく、ローマ市長であるヴィルジニア・ラッジもすぐに短い動画(未成年である彼を守るために顔をクリプト化して)をTwitterでシェア。著名ジャーナリスト、各種メディアも彼の勇気ある行動に感銘を受け、続々と全国レベルで報道したため、シモーネは一夜にしてトッレ・マウラのヒーローから、イタリアのヒーローとなった。
Ecco i veri cittadini di #TorreMaura. Grazie #Simone.
I giovani sono il nostro futuro.A @Roma non c’è spazio per gli estremismi di Casapound e Forza Nuova.
ps Abbiamo oscurato il volto del minore per tutelarlo: https://t.co/UeCG7qPnCk pic.twitter.com/RSv402P2e7
— Virginia Raggi (@virginiaraggi) 2019年4月4日
※ほら、ここにトッレ・マウラの真の市民。ありがとう、シモーネ。子供たちこそわたしたちの未来です。ローマには、極右勢力であるカーサ・パウンド、フォルツァ・ヌオヴァが立ち入る場所はないのよ。P.S.未成年の彼を保護するために、彼の顔をクリプト化しました。
また、トッレ・マウラで繰り広げられた極右集会に抗議する集会を開いたA.N.P.I.のパルチザンたちは、シモーネが言った『反対、というより居心地が悪いんだ』という言葉をスローガンに、その後のデモを繰り広げています。
しかしその後、このシモーネという少年がいったい誰なのかは一向にわからないまま、彼は2度とメディアに姿を現さすことはありませんでした。シモーネとその家族にインタビューを申し込み、断り続けられた各種メディア宛には、その答えとして数日後、シモーネのお父さんから手紙が届いたそうです。それがとても素敵な手紙だったので、以下、表現が特殊な箇所以外、ほぼ全文、意訳して引用します。
「そうです。わたしの息子です。トッレ・マウラのあの子供はいったい誰なんだ、と言う人々に、わたしはそう答えたいと思います。なぜならわたしは彼をまだ子供だと呼びたいし、多分無意識に、すべての両親が自分の子供が大人になる過程でそうするように、彼を守ろうとしているのだと思います。シモーネはまだ成長している最中で、何の責任を負う必要もなく、のんびりと成長する権利を持っているのです」
「彼の顔を隠すことなく、両親の許可も得ないまま、彼の動画が多くのサイトやテレビで流れました。これは沸き立つメディアがたびたび犯す過ちであり、ブレーキをかけなければならないことだと思っています」
「たくさんのジャーナリストたちが、わたしが大切に思っているトッレ・マウラについて話して欲しいとやってもきました」
「トッレ・マウラはわたしがちいさい時から、Via delle Rondini(つばめ通り)の古い、しかしとても美しい建物に住んでいた祖父に会いに来るために、たびたび訪れた地区でもあります。100メートルほど離れた線路にトラムが通るたびに、祖父の家のカーテンが揺れていたのを覚えている。このトッレ・マウラには、貧しくはあったけれど、愛に満ちたわたしの家族とともに過ごした、ちいさい頃からのさまざまな想い出、たくさんのクリスマスの想い出があり、その想い出にわたしは見えない絆を感じ、物静かで、独立した何かの一部であるようにも感じています」
「中心街から遠く離れた郊外の問題は、もちろん遠いからこそ、医療や福祉が行き届かず、狭い公団住宅に大家族で暮らす人々の行き違いによる叫び声、喧嘩の声が公共の管理機構にまでは届かない、ということです。また、車を持てない人々は、整備されていない公共の交通網を使って、仕事場まで長時間をかけて通わなければなりません」
「郊外には失業者が溢れ、あるいは時々仕事はあっても定職がない人々も多くいるため、あきらかに貧困が存在し、見捨てられてもいます。ゴミ箱の周りにゴミがうず高く積み上がっているという問題もある。抗議するのであれば、郊外のこの状況に対してであり、そしてもし、そんな抗議であれば、わたしも参加するでしょう」
「この酷い状況は、市民の良い暮らしのためではなく、何らかの見返りを求めるためだけに政治に携わってきた人々のせいなのです。長年の建造物への投機や収賄のシステムが、わたしたちの背中に消えない傷を残した。わたしは『左翼』と決めつけられていますが、レッテルを貼ることは、多分もうやめた方がいい。そして中庸な考えを持つべきじゃないかと思います」
「海の船の上、あるいは難民・移民一時滞在センターの窓の向こうで怯える子供たちに、わたしたちがしてあげられる唯一のことは、社会が彼らを受け入れることだと確信しています」
「移民という現象に、義務感で対応し、必要なことだけを助けようとするのではなく、すべての人々が現実的に取り組まなければならないのは明らかです。エマージェンシーの人々と貧しい人々の闘いは間違っていると思います。そうではなくわれわれは、住宅、仕事、尊厳ある生活の権利のために闘うべきなのです」
「シモーネはわれわれに炎を灯すトーチのような子供です。その炎は何をも破壊せず、道を照らす炎です。われわれの闘いは、シモーネが言った『てこ』という言葉を使って団結しなければならないと思います」
「そうです。シモーネはわたしの息子です」
この騒動には直接関係ありませんが、その後『カーサ・パウンド』の主要幹部たちのFacebookアカウントが、差別的で暴力的な「ヘイトスピーチ」と捉えられる不適切な投稿が続いたとして閉鎖されました。閉鎖されたアカウントには、5月の欧州議会選挙に立候補した人物も含まれており、選挙活動にも支障が出ているようです。この一件に関しては今のところ、同情する動きはまったく見受けられません。
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