シンドーナの失墜と『P2』スキャンダル
こうして金融界の錬金術師として、この世の春を謳歌していたシンドーナですが、その魔法は、意外と早く効力を失うことになります。きっかけは1974年の4月の株式市場の大暴落でした。
その衝撃に耐えかねたシンドーナ所有のBanca Privata Italianaが一気に倒産したことで「クラック・シンドーナ」が巻き起こり、同年10月には、前年比98%の利益減収となった米国のフランクリン・ナショナル銀行も、外貨投資と不良融資政策による詐欺行為の不始末のため、破産宣告を受けることになりました。
なお、この大暴落が起こる以前の1971年から、イタリア中央銀行はシンドーナが運営する銀行の、巨額の当座貸越を調査しており、政府にその危険性を忠告し続けていましたが、当時の政府は、イタリア銀行の忠告をまったく無視しています。1972~73年といえば、ジュリオ・アンドレオッティが首相を務めていた時期です。
そうこうするうちに、シンドーナが経営する銀行に、イタリアの大企業(フィンメカニカなど)、あるいは公的機能を持つ団体(INPS=全国社会保障保険公社など)が、行政法に違反する多額の預金を隠す「闇」口座を待っていたことが暴かれはじめます。
さらにシンドーナの銀行の破綻と同時に、税金から逃れるため、ジュネーブのフィナバンクの受託預金を利用して、資本を海外に違法に移転させていた500人リストの存在が発覚。この「500人リスト」の存在については、シンドーナの経営協力者であるカルロ・ボルドーニが明らかにしたとされますが、その捜査中、残念ながら結局そのリストが見つかることはありませんでした。しかしその代わり、と言ってはなんですが、さらに重要なリストが発見され、イタリア中を驚愕させる、前代未聞の大スキャンダルへと発展したのです。
それが1981年、リーチォ・ジェッリの自宅で検察官たちが偶然に見つけた秘密結社『ロッジャP2』メンバーのリストでした。
会員番号とともに記された962人(完全なリストでは2400人)のリストには、当時の内閣から3人の大臣、軍部、カラビニエリ、警察の首脳陣、軍、内務省のシークレット・サービス(SID、SISMI )の幹部、208人の高級官僚、18人のハイキャリアの司法関係者、49人の銀行家(ミケーレ・シンドーナ、後述するアンブロジアーノ銀行頭取、ロベルト・カルヴィもメンバーに含まれています)、120人の企業家(当時コリエレ・デッラ・セーラ紙を買収したアンジェロ・リッツォーリ、当時企業家であったシルヴィオ・ベルルスコーニ元首相など)、44人の国会議員、影響力のある27人のジャーナリストなどが名を連ねていました。
つまり「コーザ・ノストラ」とこれらの人物たちは、直接的であれ、間接的であれ、巨万の富を核につながっていたというわけです。
ところで、突如として国際金融界に衝撃を与えることになった、この「クラック・シンドーナ」を受け、「このような勢力が資本主義のサロンを引き継ごうとしている事実自体が、イタリアの歴史における重大な異常を示している。この異常に遅ればせながら誰かが気づき、反抗することに成功した」と語ったイタリア中央銀行総裁グイド・カルリ(イタリアの戦後経済立て直しの立役者)が、シンドーナの銀行の精算委員として任命したのが、ミラノの弁護士ジョルジョ・アンブロゾーリです。
グイド・カルリに信頼され、シンドーナの不正取引の調査を開始したアンブロゾーリは、あらゆる政治圧力に耐えながら(アンドレオッティ、及び『P2』が背後に存在するわけですから)調査を遂行しましたが、その間、たびたびマフィアからの脅迫と思われる電話を受けています。その電話の主は「われわれはシンドーナのためでなく、偉大なアンドレオッティのために動いている。アンドレオッティはすべての銀行再生をオーガナイズした、と言っていた。なぜならこれは彼の案件だからだ」とはっきりと言い、その盗聴された電話の声は、今でもYoutubeで聴くことができます。そして1979年、アンブロゾーリは電話の予告通り、米国「コーザ・ノストラ」のソルジャーに銃殺されてしまうことになります。
「シンドーナは政治家、特に彼の管財人である弁護士が密に連絡を取り合っていたアンドレオッティの助けを借りて、自分の帝国を救おうとした。アンドレオッティ自身、そして側近たちは、シンドーナがイタリアの司法制度によって起訴された後も、アンブロゾーリが殺害された後も、シンドーナと『謀略』を継続していたのだ」(サルヴァトーレ・ルーポ)
ところで、「クラック・シンドーナ」で巨額の損害を負ったのは、大企業や公的機関だけでなく、もちろん米国、シチリア両「コーザ・ノストラ」も同様の大損害を受けています。そこでシンドーナは、「預金の損害を必ず取り戻す」と説得したマフィアたちの助けを借りながら、米国に逃げたあと、狂言誘拐を試みましたが失敗に終わります。結局自首したのち、刑務所で毒入りのコーヒーを飲んで、自殺か他殺か判然とはしない状況で、あっけなくこの世を去ることになりました。
シンドーナはその事実を最後まで否定しましたが、具体的には米国のジョン・ガンビーノ、シチリアのステファノ・ボンターテ、サルヴァトーレ・インゼリーリョ、ロザリオ・スパートラ、トト・リイナなどのボスたちがヘロイン密売で得た収益を預かり、その洗浄のためにリスク投資を繰り返していました。
またシンドーナと協力し、IORの資金の運用を行っていた、『P2』メンバーのアンブロシアーノ銀行頭取、ロベルト・カルヴィは、IOR総裁であるマルチンクスに擁護されたマフィアの資金洗浄と思われる10億~15億ドルの使途不明金の発覚により、アンブロシアーノ銀行を破綻させています。カルヴィはその後海外へ逃亡しましたが、1982年にロンドンのブラックフライアーズ橋の下で首吊りの状態で亡くなっているのが確認されました。当局の発表では「自殺」とされても、現場の状況から、資金を大きく失ったマフィアの復讐による他殺の可能性が濃厚とみられています。
*ジュゼッペ・フェッラーラ監督による「I Banchieri di Dio 神の銀行家たちーロベルト・カルヴィ」(2002年)トレイラー。フェッラーラ監督は『P2』をテーマにした長編ドキュメンタリー「P2ストーリー」をも手がけた社会派映画監督で、『鉛の時代』を鋭く記録する作品を多く残しています。映画に登場するカルヴィは本人に酷似していると評判でした。イタリア語ですが、フルムービーはこちらから。
「1970年代前半から、カルヴィは銀行をイタリア国内、とりわけ海外での無謀で不正な金融事業に関与させ、銀行が明らかに破綻に向かっていた時でさえ、政党やさまざまな団体、とりわけ『P2』のメンバーに巨額の資金を惜しみなく提供した。シンドーナとカルヴィは『P2』のメンバーであり、両者にリーチォ・ジェッリが深く関与している。金と不正取引の渦は『キリスト教民主党』の指導者たちにも及び、ヴァチカンまで巻き込まれる。ヴァチカンは、アメリカ人司教で教会の財政担当者であったマルチンクス司教が、このふたりと密接な関係を保っていたためである」(サルヴァトーレ・ルーポ)
「クラック・シンドーナ」を巡るアンブロゾーリ殺害事件、アンブロジアーノ銀行の破綻、そしてその後のカルヴィ逃亡劇は、いくつかの映画、書籍、ドキュメンタリーになるほど、イタリアの70年代を別の角度から証言する大事件となりましたが、この項はマフィアに焦点を当てるため、さらっと事実関係を述べるに留めることにしました。
なお、シンドーナと密接な関係を築き、マフィアの巨額の投資をオーガナイズしたのは、1984年に告発者となったボス、トンマーゾ・ブシェッタの盟友でありながら、コルレオーネ派に寝返ったうえに、ブシェッタの親族を次々に殺害した、「コーザ・ノストラ」の金庫番、ピッポ・カロです。
▶︎マフィアの近代化とコルレオーネ・ファミリーの台頭