マフィアの起源を探して19世紀、ガリバルディのイタリア統一前後、映画『山猫』のシチリアへ

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映画『山猫』に見る新興勢力としてのマフィア

「シチリアこそがマフィアのプロトタイプだ」、と言うレオナルド・シャーシャは、(マフィアが)「シチリアの田舎の封建制度において、(『山猫』のサリーナ公のような)領主と農民の間の問題を解決する仲介者(ガベロッティ)から誕生したことは明らかだ」と述べています。

ガベロッティとは、そもそも領主に仕えた使用人末裔で、時代の移り変わりとともに領主の代理を務め、当時、熾烈を極めた山賊、盗賊の乱暴から領地を守ると同時に、領地でなんらかの不正、あるいは反乱を起こそうとする農民たち監視、徹底的に抑圧する警察的役割を負っていました。しかし、と同時に領主の財産を管理すると称して、金銭を騙しとりながら私服肥やし、種子、家畜などを所有するのみならず、やがて仲間たちの中から、医者、司祭、弁護士など、社会的影響力のある人物たち輩出するようになります。

映画『山猫』に、サリーナ公の狩りのお供をしたドン・チッチョ・トゥメオが、タンクレディと婚約したアンジェリカの父、ドン・カロッジェロ市長を以下のように評するシーンがあります。

この会話は、ガリバルディのイタリア統一運動により、サリーナ公が所有するドンナフガータ地域が、ブルボン家からサヴォイア家の支配下になることを、満場一致市民投票で決定されたあとに交わされますが、チッチョ・トゥメオはサリーナ公に「自分は反対(NO)に投票した」ことを告白。市民投票にマフィア的不正が存在したことが、まず仄めかされます。自分たちの違法ビジネスに有利な政治家を当選させるために票を買う、など選挙の不正は、現代においても、政治を意のままに動かそうとするマフィアたちの常套手段とされています。

「閣下、ドン・カロッジェロは非常に裕福で、影響力も強いのです。吝嗇で、悪魔のように賢い。(略)彼は去年の春、馬車に乗って、ロバに乗って、歩いて、雨の日も風の日も、コウモリのようにあらゆる土地を往復しました。彼が通った道には秘密の円が形成され、これから訪れる人々のために道が準備されたのです。そしてわれわれはまだ、彼のキャリアの序章しか見ていない。彼は数ヶ月後にはトリノ政府の議員になり、数年後には教会の財産が売りに出され(るように仕向け)、マルカとフォンダチェッロの領地を、ただ同然の金額で手に入れ、この地方で最大の地主となるのです。これがドン・カロッジェロという新人の姿です。しかし、そうなるのは残念なことです」

さらにドン・チッチョ・トゥメオは、長い間、誰の目にも触れないよう隠されたドン・カロッジェロ市長の妻バスティアーナが、この世のものとは思えないほどの美女であること、さらには野蛮に振る舞うバスティアーナの父親が、道で死んでいるのが見つかったことを暗示的にサリーナ公に告げます。つまり、欲しいものは確実に手に入れるとともに、自分に都合が悪い人物を排除する力を持ったこのドン・カロッジェロこそが、やがて貴族が衰退したのちに現れる、地域の新しい支配者であり、まさにマフィアのボスの原型とも言える人物だ、ということです(マリア・セーパ/Italian News Clicks.fas.harvard.edu)。

※ドン・チッチョ・トゥメオとサリーナ公のこの会話に、シチリアにおける時代の大きな変遷が凝縮されています。「ガッドパルディズモ」という言葉を生んだ「すべてがそのままであることを望むなら、すべてが変わらなければならない」という台詞もこのシーンで語られます。

なお、イタリア南部がスペインの占領下(ブルボン家)にあった時代、北伊ロンバルディアでは社会が再構築され、経済循環が変化し、あらゆるすべてが国家により統制されたため、無頼漢は社会から排斥されましたが、シチリアにはその統制が波及することはなく、連綿と続いてきた従来通り封建制が継続されたそうです。1812年、当時イタリアを治めていたブルボン家がシチリアの封建制を廃止した際も、貴族たちの財産は、特にシチリア西部(パレルモ、トラパニ、アグリジェント、カルタニセッタ)において、90%がその手に残ることになっています。

また、スペインが引き上げたのちもシチリアの封建制は崩壊することなく、封建社会システムの負の側面である、意固地で、特権を熱望する、喧嘩好きで、アナーキーな「無法な態度」が次世代の領主たちであるドン・カロッジェロのような人物たち、つまりガベロッティへと引き継がれていった、と考えられています。ナポリには大きく影響した、1789年「フランス革命」の基盤となった啓蒙主義(illuminismoから啓蒙専制主義(assolutismo illuminato)の流れは、シチリアまで届くことはありませんでした。

さらに1860年イタリア統一以後、ガベロッティたちは「カンピエーリ」と呼ばれる、警察機能を持つ私設軍隊を創設し、封建領主が次第に衰退していく過程で、領主である貴族たちを脅迫。高利でお金を融通し、財産を騙し取りながら、うやむやのうちに、貴族の領土を手に入れることに成功します。

こうして新しい領主であるマフィアのボスの原型とされる、馬に乗り、武装したガベロッティ及びカンピエーリたちが、貴族たちの座を奪い、その土地の住人たち生死を決定する権利を得て、力づくで徴収搾取するようになったのです。そのガベロッティたちは、封建社会の文化的側面とも言える、貴族たちが累々と築いてきた美意識、知識、学問を一顧だにせず、独自の権力システムと資本、そして暴力で、シチリアの一部の地域の次の時代を担っていきます。

しかも、組織犯罪が横行していたうえ、社会的緊張から農村の暴動が頻発するなど、混乱を極めたイタリア統一前後のシチリアを、国家から送られてきた官僚たちが治めるには、地域のメカニズムを熟知しているガベロッティたちにどうしても頼らざるをえず、結果的にそのガベロッティたちがシチリア西部の政治を乗っ取っていくことになったのです。

そして、この時代に生まれたのが、現代でもマフィアを語るときに使われる「Borghesia Mafiosa(マフィア的資本家)」であり、当時、イタリアの他の地方では完全に消滅していた「lo stato nello stato(国の中の国)、「piccoli governi nel governo(政府の中に小さい政府群)」というコンセプトでした。

この「新しい支配層が次第に地域を席巻する」という現象は、特にパレルモとトラパニ周辺で顕著であり、1838年の時点で、トラパニの国王大法廷検事総長であるピエトロ・カラ・ウロアは、両シチリア王国の司法大臣に、それから十数年後にはマフィアと呼ばれることになるであろう特異な現象を報告しています。

「(パレルモ・トラパニ周辺の)多くの地域で、政治目的のない、集会も行われない政党のような、土地の領主、あるいは司祭長(のようなリーダー的存在)にのみ繋がるネットワークを持つ、兄弟団のようなカルト宗教のような現象がある。(その集団は)共通の財源を持ち、その財源は役人を解雇したり、あるいは保護したり、罪人を保護したり、無罪の者に罪を着せるためなど、必要な際に使われる。それはまるで政府の中の小さい政府のようだ。(その地域は)無法地帯となって犯罪が急増している」

パレルモ裁判所長官アントニオ・バルサモは、このカラ・ウロアの報告に、⚫︎公権力の収賄 ⚫︎産業と暴力を基本に、地域の人々を保護する(服従させる)システムの構築 ⚫︎公権力に潜入する、特定の集団の隠された権力 ⚫︎地域社会との、ある種の合意 ⚫︎ 広大な共謀ネットワークによる、犯罪の無効化(罪を逃れる)など、現代、さまざまな犯罪を構成するマフィアの本質が決定づけられていると言います。

ということは、現代のマフィア的な構造の原型は、すでにジュゼッペ・リゾット、ガスパーレ・モスカの「ヴィカリアのマフィウージ」以前に出来上がっており、芝居が各都市で上演されたことで、「マフィア」という言葉と新しい支配者層による暴力ネットワークがリンクして、急速に知れ渡ることになったということでしょう。と同時に「マフィウージ」への否定的な評判は、共感者や、加入を希望する者へと、じわじわと広がっていくことになりました。

1865年には、シチリアを調査したトスカーナ州のふたりの下院議員が、次のような報告書を提出しています。

マフィアのボスと呼ばれる人物たちは皆、中流以上裕福な暮らしをしている。パレルモとその周辺では、最下層でもない(普通の)住民の血を流すことなど容易であり、その口実のために(ボスたちは)常にいくつもの十分な方法を見つけることができる。殺人をも躊躇しないが、彼らは賢明であり、業界を熟知しているため、自分では(殺人を)行う必要がなく、単純な犯罪者たちを力で縛りつけ、彼らの従順な道具にしてしまう」

「下層階級に属する問題児たちのほとんどすべてが、程度の差こそあれ、さまざまな形でマフィアのボスに厄介になり、最終的には、常にマフィアのボスに利益をもたらす相互の奉仕関係で一体となっている。(マフィアのボスは)その界隈で資本家、企業家の役割を担っている人物で、犯罪において固く団結しているため、マフィアには逆らえない、と(誰もが)服従している。命令に従わない人間を殺した方がいいのか、醜態を晒すよう仕向けるか、家畜を殺すか、財産を破壊するか、脅しだけで従わせるか、それを見分けるのが、彼らの優れた能力だ。(略)暴力社会生活基本要素となり、利益を得るためのあらゆるすべてを正当化するための手段となっている」(アントニオ・バルサモ及びイタリア語版Wikipedia)

こうして、シチリアのイタリア統一後、マフィアという名前を持った新しい支配層とネットワークは、米国へ移民したシチリアマフィアたちとの交流を含め、急速に拡大し発展していきますが、その存在がいよいよ凶暴に、危険に成長するのは1920年以降のことです。

さて、この項の最後のページは、「コーザ・ノストラ」からは多少遠い話題になりますが、カラブリアマフィア「ンドゥランゲタ」においては、おそらく重要な要素と考えられるため、エクストラとして、マフィアにまつわるひとつの伝説を書き残しておきたいと思います。

▶︎3人のスペインの騎士の伝説「オッソ・マストロッソ・カルカニョッソ」の謎

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