タブーにも果敢に挑み、暴き尽くす、イタリアのジャーナリストの『受難』

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最近になって激増しているイタリアのジャーナリスト脅迫事件は、サヴィアーノの『ゴモッラ』が出版された2006年頃から徐々に増加しはじめました。ラ・レプッブリカ紙によるとー内務省はその数を明らかにはしていなくともーLa scorta(ラ・スコルタ)、つまり厳重な警護で日常の生活を完全にブロック、監視されているジャーナリストが、イタリアの国内に現在、30人〜50人も存在するようです。また、家に放火されたり、爆発物、あるいはピストルなどが送られてきたり、夜中に絶えず電話がかかってきたり、という不穏な脅迫行為が、2006年から2015年までの間に2300件記録されています。

『鉛の時代』、70年〜80年代のイタリアの騒乱期のジャーナリストたちは、家を出るときはかなりの覚悟を要したと言われます。極右、極左テロリズムが熾烈を極めた1977年、La Stampa(ラ・スタンパ)紙の副編集長、カルロ・カッサレンニョが『赤い旅団』に射殺されるという事件も起こり、いったん外出すれば何があってもおかしくない、とピストルを持って出かけるジャーナリストもいたそうです。1988年には、当時第一線で活躍していたコリエレ・デッラ・セーラ紙のウァルター・トバジも『赤い旅団』の5人のコマンドに射殺されています。

ラ・レプッブリカ紙はしかし、現在のジャーナリスト脅迫事件の有り様を当時と同じか、ひょっとしたらもっとひどい状況だと分析しているのです。何より不気味なのは、ジャーナリストたちは自分たちを脅迫している人物がいったい何者なのかまったく相手の顔が見えない、検討がつかないことで、これではどうにも手の打ちようがない。イタリアで「マフィア」という言葉は、一定の犯罪集団のみを指し示すわけではなく、経済界、金融界、政治、官僚、(また教会を舞台に犯罪が起こった場合も)の世界にはびこる不正、収賄、横領、あるいはそれらの世界と一定の犯罪集団との関わりすべてをil sistema mafiaーマフィアシステムと捉えるので、脅迫の数々がマフィア、カモッラ、ンドゥランゲタなどの犯罪集団の犯行である、と単純には断定できない背景もあるかもしれません。

2014年12月に発覚した、ローマ市前代未聞の横領収賄事件『マフィア・キャピターレ』ー70年代、ローマに生まれた犯罪集団、Banda della magliana(バンダ・デッラ・マリアーナ)の生き残りであるネオファシスト思想を持つボスが中心となり、ローマ市の政治家、職員と徒党を組み、ゴミ処理、移民、不動産などを媒介に、マフィアビジネスで市の予算を横流していた事件ーは、数年前から独自に調査を進めていた、レスプレッソ紙のジャーナリストが繰り返し指摘、遂に検察が動いた、という経緯があります。

元市長、現市長をはじめ関係者は全員事情聴取され、驚くほど多くの逮捕者を出していますが、中心となってこの事件を取材していたレスプレッソ紙のジャーナリスト、リリオ・アッバーテは、「彼が書くと、影で何者かがうごめく」と囁かれ、日常的に脅迫されていたそうです。あるときには車を尾行され、間一髪で命を失わずにすんだ、あるいは車の底部に爆弾が仕掛けられていたことが発覚したこともありました。このリリオ・アッバーテも現在、当局の厳重な警護で日常を監視されるジャーナリストのひとりとなっています。

さて、ラ・レプッブリカ紙の記事は、脅迫されているジャーナリストの数や状況の多くを、Ossigeno Informazione(オッシージェノ・インフォルマツィオーネ)というサイトから引用しました。このサイトは、72年にマフィアに殺害されたジャーナリストの弟である、アルベルト・スパンピーノが中心となり、前述のリリオ・アッバーテも運営者に名を連ねる、Ordine Nazionale Giornalista (全国ジャーナリスト組合)によって設立されたNGOグループで、イタリアで起きたジャーナリスト脅迫事件をモニターし、アーカイブをWEB上に公開しています。もちろん自分の名前を明かす勇気のあるジャーナリストの報告のみのアーカイブとなっているため、被害の実数は、さらに大きくなると推察されます。

以下、Ossigeno Informazioneの統計を引用しました。

2006年から2015年3月まで、脅迫の数は年々増加している。

2006年から2015年3月まで、ジャーナリストへの脅迫の数は年々増加している。

地方別統計では、ローマ、ラツィオ、ついでナポリ、カンパーニャ。

地方別統計では、ラツィオ、ついでカンパーニャ、ロンバルディアに被害が集中。

また、記事の最後に、2014年から当局に身辺警護されることになった、南イタリアのジャーナリスト、ミケーレ・アルバネーゼの告白をもラ・レプッブリカ紙は紹介しています。

2014年、7月17日。Quotidiano del sud(クォティディアーノ・デル・スッドゥ)のジャーナリスト、ミケーレ・アルバネーゼの元に、カラブリア警察から連絡があった。「すぐに署まで来てくれ。重要な話がある」 その電話ののち、至急出向いたアルバネーゼは、警察署長と捜査官に迎えられるが、そこで彼らは『われわれにはあなたを護る義務がある。あなたの安全を確保するためにスクラムを組み、あなたの警護に取り組む事にした」と、告げられた。当時アルバネーゼはカラブリアマフィアの「ンドゥランゲタ」を取材中だったのだが、「あいつを車ごと爆破させよう」という会話が警察の盗聴に引っかかったというのだ。

この日から、アルバネーゼは警察による突然の完全警護という防壁に囲まれ、生活が一変することになる。外出するときは必ず彼らが車で迎えにやってきて、異常が起こらないよう、四六時中監視される。一人で出かけることは皆無となり、引っ越すこともできなくなった。スタジオに篭っての作業が多くなり、仕事の状況がラディカルに変わったため、書くための情報を得ることもままならない。

また、それまで情報源であった人物は、決して彼とは会わなくなった。それは彼を信頼しなくなったからではなく、どこにでも必ず同行する警官たちを信頼できないからだ興味深い情報というものは、たいてい匿名を希望する流れからやってくるもので、特に彼の住む地域ではそれが定説になっているが、オフィシャルな情報は入手できても、いままで自由に動き回って取材することによって得ていた、特殊な情報は少しも流れてこなくなった

そんな彼を、どこにでも警護の車に送り迎えされるアンチマフィアのヒーロー、と捉える人々がいることも事実だが、彼自身は、まったく自分をヒーローとは考えられないと言う。「僕は事実を事実として報道しただけだ。隠し事をせずに、またほのめかす、というテクニックを使うこともなく、リアリティをリアリティとして報道しただけ。脅迫されるのはまったくの筋違いだ。今、僕はまるでペスト患者のように孤立させられている。友人は以前と変わらず、また同僚も昔ながらの付き合いだが、僕には『自由』というものがまったくなくなった。そうなると考え方まで変わってしまうんだ」アルバネーゼはそう告白している。

書くことをやめさせることを狙ったのなら、それは完全に成功したと言える僕はそれでもこの美しく、と同時にまったくひどい犯罪がはびこる国を、今よりもよい国にするために働きたいんだ。何より、一刻も早く『自由』になりたい」

イタリアでは、こうして「真実」を語ったジャーナリストたちが次々に脅迫を受けています。しかし実のところ、このような不条理な状況は、決してイタリアだけの問題ではないのかもしれません。ダークサイドがない国は、おそらくどこにも存在しません。『報道の自由』世界ランキング74位とはいえ、むしろイタリアにおいては、ジャーナリストが独自の取材で得た、危険度の高い情報を報道する場を主要メディアが提供、またジャーナリストの『報道の自由』をモニターし、脅迫された、あるいは妨害された事例をアーカイブとして記録する、Ossigeno Informazioneのような機関も存在し、『報道、表現の自由』を防御しようとする、ある種のシステムが構築されているのは、興味深いことです。

この記事を読みながら、「民主主義」の国に住む、われわれにとって当然の権利であるはずの、フィルターがかかっていない「真実」を知ることが、ジャーナリストという情報発信者の身を危険に晒させる「世間」のあやうい実情を、一市民として、改めて考えてみたいと思った次第です。そして、わたしたちが住む「リアリティ」の背後にある目に見えない部分には、いまだ暴かれることのない、謎深く、エゴイスティックで残酷、狂気を孕む領域が潜在しているのだろう、そしてそれこそが、リアリティの「実権」をひそやかに握っているのかもしれない、などともふと考えたことをつけ加えておきたいと思います。

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