国の財政を健全化する経済政策で大きく躍進した「オリーブの木」
その「オリーブの木」政党連合ーL ‘Ulivoは、ロマーノ・プローディ、左翼民主党のマッシモ・ダレーマを中心に、急進派である社会民主主義、キリスト教民主主義、リベラル民主主義に加え、ポストコミュニズム、環境保護主義、欧州主義と、大きくそのイデオロギーの間口を広げ、1996年から2001年(プローディ内閣、ダレーマ内閣、アマート内閣)、2006年から2008年(プローディ内閣)と、ベルルスコーニから政権を奪取しています。そしてまず、何より特筆すべきは、この政党連合がイデオロギーを前面に打ち出したのではなく、ロマーノ・プロディという敏腕経済学者が指揮をとる「経済政策」で支持を集めたことでしょう。
ロマーノ・プローディは、若くしてボローニャ大学、ハーバード大学で教鞭をとり、著書を出版すれば瞬く間にベストセラーになる人気経済学者として、あっという間に国政に踊りでた人物です。党内左派であったとはいえ『鉛の時代』の主役政党となったキリスト教民主党の出身者で、アンドレオッティ内閣(1978ー1979)では、商工大臣を務めた経験もあります。また、長期にわたって、IRI(Istituto per la Ricostruzione Industrialeー産業再建機構)のトップを務め、当時国有銀行であった商業銀行、クレジットイタリアの民営化に携わっており、政治家として、また、経済学者として確かな手腕を発揮してきた過去を持っています。人柄も温和で、国際的に人望も厚い人物です。
そのプローディにはしかし『鉛の時代』、こんなエピソードも残っています。
プローディがアンドレオッティ内閣で、商工大臣を務めていたちょうどその時期に起こったのが、イタリアの歴史を大きく変えた『赤い旅団』による『元首相アルド・モーロ誘拐事件』でした。あまりに衝撃的な事件に国中が震撼する中、まったく足取りが掴めない元首相の行方を追うため、プローディ商工相は同僚とともに唐突に『降霊術』を開き、その捜査のヒントを模索する、という実務に長けた経済学者プローディらしからぬ行動をとっている。そのあまりに突飛な神秘主義的側面が(降霊術などはじめての経験だったと本人が主張しても)、いまだに「彼は心霊主義者だから」と揶揄されることもあります。
ちなみにその降霊術で示唆されたViterbo(ヴィテルボ)、 Bolsena(ボルセーナ)、 Gradoli(グラードリ)というキーワードから、ヴォテルボのグラードリ地区、ボルセーナ湖とあたりがつけられ、実際に警察隊により隈なく捜索されましたが、当時は何ひとつ、モーロ元首相の痕跡を見つけ出すことはできず、空振りに終わったかのようでした。その捜査の最中、藁をも掴む思いで、首相の行方を探し続けていたモーロ夫人が、電話帳で『グラードリ通り』という通りを見つけ、「ローマにも『グラードリ通り』という名の通りがある。その通りを捜索してほしい」と主張し続けても、その訴えは、少なくとも表向きの捜査に活かされることはなく、立ち消えとなっています。
しかしながら、非常に奇妙な、まさに神秘とも言えることが起こります。のちの捜査で、ローマのその『グラードリ通り』には、アルド・モーロ元首相の誘拐を起こした、当時の『赤い旅団』メンバー幹部、マリオ・モレッティのアジトがあり、そのアジトから誘拐事件の全てがオペレーションされていたことが明らかになったのです。したがって、プローディが開いた降霊術から示唆されたキーワードは、あながち完全に間違っていたわけではなかったのです。それが本当に霊力で導き出されたのか、それともどこかから情報が漏れ、意図されて、その地名が明かされたのかは、未だに定かではありません。
そのような経緯で、アルド・モーロ元首相誘拐殺害事件をめぐる降霊術の謎において、プローディはソ連KGBとの関わりも囁かれ、イタリア版ウィキペディアでも言及されています。確かにプローディのように冷戦時代を生きたイタリアの大物政治家たちには、嘘か真実か、何かと国際諜報との深い関わり説が付きまとい、複雑なこと極まりありません。しかし「ええ!まさかプローディまで?」と、さすがに食傷して、それ以上深入りしなかった次第です。いずれにしてもプローディは、イタリア共産党との連帯を模索し続けた米国の敵、アルド・モーロ元首相の派閥に属していた人物ではあります。
閑話休題。
そういうわけで「オリーブの木」政党連合は、ロマーノ・プローディ主導で、イタリア共産党生え抜きの左翼民主党党首であったマッシモ・ダレーマらとともに、ベルルスコーニの中道右派連合とのBipolarismo (対極主義、二大政治勢力主義)を掲げ、中道左派政党大連合として一世を風靡。政権在任中に官僚主義システムの簡略化、あらゆる権利の保護と拡張、一般経済の健全化、経済の自由化を柱に政策を実行に移していきました。
前述したように、政策において特に重要視されたのは、イタリア経済の健全化であり、従来の左派とは異なるアプローチで、当時のイタリアを「経済の自由化」へと導いています。まず、イタリアは経営の危機に陥っていた国営企業の多くを、完全民営化へと変革したのです(日本では、これを与党の保守リベラルが行いましたが)。
この政策については、確かに現在でも賛否両論があります。しかし当時のイタリアは、公共事業に気前よく国家予算をばらまいてきた過去のどんぶり勘定で、赤字国債は危険水域、欧州連合からも再三勧告を受け続けていましたから、その状況下では最善の健全化への道程だったのかもしれません。実際、「オリーブの木」による経済の健全化政策で、その進行を食い止めることに、当時は成功しています(しかしながらユーロ危機を経た現在のイタリア赤字国債は、再び悪化の一途を辿っていますが)。また、雇用も安定させ、移民、外国人にも緩やかな政策がとられました。「オリーブの木」が政権を握っている間は、多くの問題はあっても、まだまだ緩やかな空気がイタリアを覆っていたことは確かです。
さらに、イタリアの発展のためには、欧州連合の一翼を担う国であることが最重要と考える「欧州主義」を謳う「オリーブの木」連合の政権下で、欧州単一通貨「ユーロ」導入が準備されたことは、シンボリックな出来事だったと言えるでしょう。しかし残念ながら、イタリアリラからユーロ変換が実施された際は、政権を奪い返した中道右派、ネオリベラリストのベルルスコーニ内閣が居座り、大企業、資産家優遇、縁故優遇、アグレッシブな投機誘導で、イタリアの物価、不動産価格はあっという間に2倍以上に跳ね上がることになります。プローディはのちに、イタリアにユーロが導入された際、ドイツマルク1マルクに対してイタリアリラ990リラ(1968年ごろには1マルク156リラ)と、リラが過小評価されすぎたことも、イタリア経済危機の原因だと述べています。
「わたしは『オリーブの木』を創立して20年、欧州連合におけるミッションで(プロディは2001年から、欧州委員会の委員長を5年間歴任)、他の10カ国を欧州に統合し、ユーロを欧州内に導入したが、その後、ユーロは深刻な危機に陥ってしまった。ユーロは、政治的、あるいは金融的なイノヴェーションに支えられ、保護されるべきだったのに、それが実行されなかったため、わたしの『ユーロ』のミッションは不完全に終わったと思っている」
「ドイツは欧州のリーダーであるべきなのに、その責任を追うことに大きなためらいを抱いている。ドイツには欧州における集合的な相互扶助の精神が欠けている。過去の経験のせいで、ドイツがひどいインフレに陥ることへの恐れを常に抱いているようだ。そのために、過剰に厳格に、収支を合わせることだけに取り憑かれているのだ」(ロマーノ・プローディ、インタビューより)
このように、イタリアの「オリーブの木」は、そもそもイタリアに伝統的に根づいていた社会民主主義、共産主義を基盤にしながらも、イデオロギーで訴えるのではなく、「リベラル」な経済政策を通して、イタリアにおける新しい中道左派のスタイルを形成、現在のPDー『民主党』へと発展していったというわけです。現在の『民主党』は伝統的な左派とはもはや言えず ( それが現在の党内分裂の理由のひとつでもあります)、イデオロギー的には、むしろ米国的なリベラル勢力に近い政党ですが、それでもやはり頑なに、「中道左派」とイタリアでは表現されます。
そもそも歴史的に見ても、『イタリア共産党』も『イタリア社会党』も、時代とともに穏健な中道左派へと変化を遂げ、もはやソ連や中国のそれとは、全く異質な独自の政党を構築していったわけですから、冷戦の崩壊後、他の社会民主主義的な中道左派とも連携して、「オリーブの木」のような政党連合へと発展するのは、自然な流れだったのかもしれない。
わたしはもちろん、前時代的な「革命」による「プロレタリアートによる専制」などは真っ平御免ですし、いまどき本気でそんなことを考えているコミュニストも、ソシャリストもいないに違いない、と思います。日本でも政党の昔ながらの名前に惑わされたり、根拠のない反感を抱かれることなく、ある時代のイタリアの経済を健全化に向けて動いた「オリーブの木」のように、現在の日本の状況にマッチする経済政策で、力強く、多様な理念を抱合する中道左派の政党連合が生まれると、生きた議論と実りの多い政治になるのではないか、と、なんとなく思うのです。
多少のイデオロギーの葛藤をもものともせず、まずは何と言っても近隣諸国と自国の平和へのたゆみない努力、市民の暮らしに根ざした経済政策を掲げ、健全で豊かな議論を発展させる、真の意味での二大政治勢力(必ずしも二大政党である必要はないわけですから)の構図が、ある時点でドカーンと生まれれば、と願っているところです。
「税金は社会主義国家並みだというのに、法人のみ優遇し、みるみる格差が広がってるにも関わらず、福祉が行き届かず、防衛費が急上昇。外国人には極めて排他的」というような方向性の政治には、『リベラル』でも『左翼』でも、名称なんてあまり重要ではなく、寛容で許容力があり、市民の味方となってくれる政党はもちろん、無所属の人々も分裂なんかしないで、全てが一丸となった強い対抗勢力が必要なのではないか」、とえっと驚く大番狂わせを、期待しています。
※なお、「」内はわたしの評価ではなく、知り合いの日本通イタリア人が何気なく日本を評するのを拾った言葉です。といっても、イタリアの経済も政治も「人のことはとやかく言えない」ひどい状況には違いありません。