「コーザ・ノストラ」とジョヴァンニ・ファルコーネ、史上初のマキシ・プロチェッソ(大裁判)

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プール・アンチマフィア

1979年に検察官チェーザレ・テラノーヴァ、そして1980年にカラビニエリ隊長のエマヌエレ・バジーレ、検察官ガエターノ・コスタが「コーザ・ノストラ」から殺害された事件の後、パレルモ裁判所の司法教育局で調査裁判官として従事していたロッコ・キンニーチの切迫感から、パレルモ裁判所内には「プール・アンチマフィア(反マフィア特別捜査局)」が非公式に設立されることになりました。

というのも、それまでの捜査は、司法教育局の検察官/裁判官である個人に任され、情報を他の同僚と共有することなくそれぞれが孤立していたため、総合的に分析できず、マフィアの実体がいっこうに浮かび上がらなかったからです。また、孤立しながら捜査に当たっていた検察官は、簡単にマフィアの標的ともなりました。パレルモで毎日夥しい数の人間が殺害され、街中が血に染まっているというのに、政治家、司法官、警察官に至るまで「マフィアなど存在しない」と、しれっと言い切る者たちが存在した時代です。

なお、ここで理解しておきたいのは、イタリアの司法においては、日本のように裁判官検察官の間に明確な分離がないことでしょうか。わたし自身、この司法システムを理解しているとは言えないのですが、たとえばファルコーネやキンニーチは裁判官としても、検察官としても事件に関わることができるということです。ただ、メローニ現政府では、このシステムを改訂し、裁判官と検察官を単独のキャリアとして分離させる法律の可決が進められており、司法の「独立性」を損なう、と司法側からは大きな反発が出ています。

*1993年、社会派ジュゼッペ・フェッラーラ監督による映画「ジョヴァンニ・ファルコーネ」は、裁判記録を忠実に再現した作品。「プール」の背後に見え隠れする権力の圧力が暗示的に描かれています。主演のミケーレ・プラチドの雰囲気はファルコーネにだぶります。イタリア語ですが、全編はこちらから。

当時のキンニーチは、捜査の精度を高めるため、「プール」のメンバーで情報を共有し、シチリア・マフィア現象の犯罪力学とその全体像把握し、捜査一元化をはかろうとしていました。その「プール」には、マフィア捜査において、かつてない功績となった「コーザ・ノストラ」の「誇りある男」たち475人を大量逮捕し、マキシ・プロチェッソ(大裁判)へと導いた検察官ジョヴァンニ・ファルコーネパオロ・ボルセリーノという、マフィア捜査のシンボルとなった人物たち、のちに上院議員となったジュゼッペ・ディ・レッロなどが参加しています。

「パレルモの司法教育局(プール・アンチマフィア)は反マフィア闘争の試験的中心地であり、イタリアの他の司法模範である。教育局の判事たちは、コンパクトで活動的、かつ闘争的なグループである」

キンニーチがそう定義した、「プール」設立時の最もデリケートな捜査のひとつが、マフィアの国際麻薬密輸(インゼリッロ↔︎米国ガンビーノ・ファミリー↔︎スパートラ)に関わり、10年の禁固刑となったボス、ロザリオ・スパートラに関する捜査でした。

「プール」が結成される以前から、ファルコーネとともにその捜査を担当したのがガエターノ・コスタで、ようやく裏を取り終わって調印した、スパートラとその部下57人の逮捕状引き金となり、1980年、コスタは自宅から目と鼻の先の道路で銃撃されます。その頃のスパートラ、インゼリッロ、そして米国のガンビーノ・ファミリーは麻薬の密輸で得た莫大な収益を、大がかりな建造物に投資する資金洗浄を繰り返していました。

この事件でファルコーネは、マフィア組織の捜査を成功させるためには銀行に流れる資金の経路再構築することから組織全体像俯瞰することが重要との気づきを得、綿密な金融機関捜査で麻薬を巡る巨大組織を浮かび上がらせます。まずパレルモ、および近郊の銀行に1975年以降の為替手形をすべて提出するよう要請し、その為替手形をGuardia di Finanza(財務警察)の協力を得て精査。金の流れからインゼリッロ、スパートラ、ガンビーノの繋がりを明確にしました。また、金融不正取引が暴かれ切羽詰まったミケーレ・シンドーナの狂言誘拐事件に、インゼリッロ、スパートラが関わっていたことをも同時に突き止めています。

この経験から、「プール」ではファルコーネが麻薬密売からマフィアが得た金の動きの捜査、ディ・レッロマフィア殺人ボルセリーノ政治殺人国家要人を狙った犯罪の捜査、とそれぞれが分野を分担して担当。その情報をメンバー全員で共有しながら、総合的に分析を進めることになりました。

キンニーチはまた、前述した『キリスト教民主党』シチリア州書記ミケーレ・レイナ、『イタリア共産党』シチリア州書記ピオ・ラ・トッレ、前述したシチリア州知事ピエールサンティ・マッタレッラ、シチリア警察局長カルロ・アルベルト・ダッラ・キエーザ大佐殺害事件を、マフィア以外の要因が絡む「政治殺人」と見なし、勢力的な捜査に乗り出しています。そのキンニーチの見立てが、3章に記したファルコーネの極右テロリストへの捜査へと繋がっていくわけです。

また1982年7月に、「プール」は第2次マフィア戦争に関する報告書(警察とカラビニエリが共同で作成)を得ることに成功。キンニーチはその捜査をジョヴァンニ・ファルコーネに任せ、その判断が「コーザ・ノストラ」に関する史上初の大裁判、パレルモの「マキシ・プロチェッソ」へと発展して行くことになります(イタリア語版 Wikipedia)。

こうして「プール」におけるすべてのマフィア捜査は、順調に進行していましたが、1983年7月29日、フィアット126に積まれた爆弾の大爆発で、キンニーチは護衛のふたりのカラビニエリ、さらに自宅の建物のドアマンとともに吹き飛ばされ亡くなるのです。「コーザ・ノストラ」と密に接触していた証拠が次第に明らかになった、トラーパニのイグナツィオ、アントニーノ・サルヴォ従兄弟たち逮捕状をキンニーチが調印する前日のことでした。

のちに開かれた、ジョヴァンニ・ブルスカをはじめとするキンニーチ殺害犯たちの裁判での証言によると、トト・リイナにキンニーチを殺害するよう圧力をかけたのは、やはりシチリア指折りの金満家であるイグナツィオ・サルヴォとアントニーノ・サルヴォの従兄弟たちでした。

ロッコ・キンニーチ(中央)とジョヴァンニ・ファルコーネ(左)。fondazionefalcone.orgより引用。

創設されて3年が経ち、ようやく軌道に乗りはじめた矢先に局長を失い、衝撃を受けた「プール」が、CSM(Il Consiglio Superiore della Magistraturaー司法高等評議会:イタリアの司法自治政府機関)の評決で、ほぼ満場一致で選出されたアントニーノ・カポンネット局長として迎えることになったのは、キンニーチを失って2ヶ月後のことです。

カポンネットは当時、フィレンツェの司法副長官で、そもそもはカルタニセッタで生まれていますが、その後シチリアにはほとんど縁がなく、マフィアについても本で読んだ程度の知識しかなかったと言います。マフィアを知らない局長を迎えるメンバーたちの不安をよそに、しかしカポンネットはシチリアに到着するや否や、「マフィア裁判特化した捜査検察官グループを立ち上げる」と発表。それまで非公認のチームだった「プール・アンチマフィア」を正式な機関として再創設したのです。

このカポンネットという人物は、「プール」のメンバーよりもかなり年長で、おおらかな人柄だったため、やがてメンバー全員の父親的な存在となり、精神的な礎となったようです。またカポンネットは、レオナルド・グァルノッタのようなマフィアに精通した判事たちにも協力を要請し、「プール」を強化しはじめます。

再構築されたこのプールの強みは、キンニーチが目指したように、まさに日々の情報共有にありました。やがてマフィアを巡る金の流れを追ううちに、マフィアを優遇した建築、インフラ案件の不正入札の証拠など、重要な情報を次々に掴み、メンバーだけでは捜査が追いつかなくなります。そこでジュゼッペ・アヤーラ、予備捜査を担当するジョアッキーノ・ナトーリイグナツィオ・デ・フランシッシが加わり、さらにカラビニエリのアンジェロ・ペッレグリーニ、機動隊隊長のベッペ・モンターナとその副官ニンニ・カッサーラジャンニ・デ・ジェンナーロらが協力し、次第に「プール」は拡大していきます。

なお、キンニーチの「プール」では、局長のオフィスでメンバーのミーティングを開いていましたが、カポンネット指揮下になるとセキュリティ上の理由から、テレビカメラと装甲ドアを備えた地下ミーティングルームが移され、あらゆる裁判資料はファルコーネとボルセリーノの金庫に保管されました(Wikimafia)。検察内部、あるいは上司の中には、マフィア内通している者たちが複数存在するため、プールの捜査の内容がマフィア側に漏れる可能性があり、同時にプールの周囲でスクープを狙うマスメディアの存在も邪魔でした。

人数が増え、それぞれに役割分担を確立して効率的に動くようになった「プール」では、やがてファルコーネがはじめた銀行口座動きを分析する調査方法が最重要視されるようになります。というのも口座の動きから、それまで明らかになっていなかったマフィア政治家銀行家ネットワークが浮かび上がってきたからです。

左からジョヴァンニ・ファルコーネ、パオロ・ボルセリーノ、マッシモ・カポンネット。Wikipediaより。

左からジョヴァンニ・ファルコーネ、パオロ・ボルセリーノ、アントニーノ・カポンネット。Wikipediaより。

そうこうするうちに、ファルコーネはブラジルに逃亡していた「ふたつの世界のボス」、トンマーゾ・ブシェッタ、別名ドン・マシーノの協力を得ることに成功します。シチリアとアメリカ大陸を股にかけ、麻薬、及び煙草の密輸で巨額の金を循環させる、このマフィア大物供述を得ることは、まさにマフィア捜査の「革命」と言える大転換でした。1984年、ファルコーネの捜査に協力したブシェッタの供述は、マフィアに関する一般的な知識に革命をもたらし、1986年の「マキシ・プロチェッソ(大裁判)」における闘いの基礎となる、きわめて重要な段階のはじまりとなります。

つまり、マフィアにおいては絶対の「沈黙の掟」を破り、マフィアの構造から力関係までを明らかにしたブシェッタが、「新興マフィア」コルレオーネに乗っ取られた「伝統的コーザ・ノストラ」の崩壊、そして政治とマフィアの関係を白日の下晒すことになったのです。

▶︎トンマーゾ・ブシェッタ

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