コルレオーネ:ルチアーノ・リッジョからトト・リイナへ
さて、前項までの流れから、米国「コーザ・ノストラ」との密な交流と相互協力によって、国家に影響を及ぼすまでに膨れ上がったシチリア・マフィアの由来や発展過程が次第に見えてきました。
しかし、なぜこのような犯罪組織が、200年近くシチリアに存在し続け、その成長過程で多くの抗争が起こったうえに、大量逮捕でそのつど力を削がれながらも消滅することなく、いまだに絆を維持できるのかを不思議にも思います。それともかつては国家を揺るがすほどの影響力を誇った「コーザ・ノストラ」もまた、世界中に存在する麻薬・武器密売マフィア、あるいは詐欺犯罪集団に同質化することで生き残った、と考えるべきなのか。
もちろん「コーザ・ノストラ」は宗教でも民族でもなく、たとえプンチュータのような独特の儀式が存在し、擬似的な血縁関係が約束されたとしても、組織の求心力がある種の信仰、あるいはファミリーのボスへの盲目的な忠誠であるとは思えません。ただ現代においては、金銭欲、自己顕示欲、承認欲求という動機から「コーザ・ノストラ」(のみならず「ンドゥランゲタ」、「カモッラ」)に憧れを持つ若者たちが都市郊外に多く存在し、多くの学者、アンチマフィア運動主催者が、「若者をマフィアから引き離すために、社会は動かなければならない」と警鐘を鳴らしています。
2019年公開のドキュメンタリー「コルレオーネ(Colreone/Mosco Boucauti監督ーフランス・イタリア合作)」で、シチリアは紀元前はギリシャからローマ、6世紀には東ローマ帝国、9世紀にはイスラム、その後はノルマン、フランス、スペインなど、他国による支配で形成され、常に外国の植民地としてシチリア独自の国を持つことができなかったため、自らを支配するある種の自治政府が必要だった、と語る検察官がいました。
その自治政府がすなわちマフィアであり、黎明期(1800年代から1900年代初頭にかけて)においてはその土地の人々の仲裁や復讐に許可を与える、つまりローカルレベルにおける司法の役割を持ち、独自のモラルに反する案件を裁き、場合によっては処刑を執行する存在でした。その学者は、マフィアは独自の政府を持ったことがないシチリアの都市や村にとっての「必要悪」だった、と言うのです。
いや、黎明期だけではなく、マフィアがいまだにローカルレベルの「必要悪」である可能性が、節目節目で垣間見られます。というのもマフィアの歴史において、無慈悲な殺人鬼として最も悪名高いトト・リイナが2017年に獄中で亡くなった際、あるいは最後の(?)の大ボスと言われるマッテオ・メッシーナ・デナーロが逮捕された際の地元の人々への主要紙のインタビューでは、「トト・リイナは紳士だ。素晴らしい人間だった」「マフィアは悪じゃない」「メッシーナ・デナーロのおかげでわれわれは生きている」と怒りを込めて訴える人々が相当数存在したからです。
マフィア学者の第一人者、サルヴァトーレ・ルーポは、「現実には、19世紀と20世紀のマフィアは非常に慎重で、(そもそも持っていた)機能を踏み外さないように注意深く振る舞った。シチリア西部、特にパレルモ地区においては、自分たちよりも疑いなく優れていると思われる権力(政治、経済)にサービスを提供する結社(あるいは、多かれ少なかれ仲間内で調整された結社の集合体)としての機能だった。 (略)選挙における票の確保、中小の実業家、仲人(地元の人々の結婚において)、後見人、警察のスパイ、場合によっては治安維持の代理人:これらが、イタリア統一史の最初の世紀において、マフィアが州知事や県知事、大地主や大物政治家と接触し続けることを可能にした役割の一部であった」と書いています。
つまり、そもそもマフィアは土地の人々の日常の生活から、政治権力、経済界、警察まで、自らの利益になるなら、「あらゆるすべてに寄り添う」というコードを有していたということです。しかしながら、テクノロジーとシステムの変化に伴って、時代に柔軟に順応しながら、犯罪の性質を大きく変化させているマフィア組織内で、このコードが現代も継続しているか否かは、まったく不明です。
また、徹底的な守秘義務である組織の「オメルタ(沈黙の掟)」に関しては、マフィア特有の性質ではなく、シチリアという特殊な土地そのものが有する性質だ、という言説を何度か見かけました。確かに「島」における共同体が、調和を保つために共同体全体に不利益となる真実を決して語らないという傾向は、島国出身のわたしには、ある程度納得できるロジックです。とはいえ、現代の世界を見渡し、「では真実は必ず公になるのか」と問えば、必ずしもそうではなく、実際のところ、われわれは何が真実で何が真実でないか、掴みどころのない情報の海で溺れているだけ、と言わざるをえないのではないか、とも考えます。
さて、なかなか本題に行きつけませんでしたが、ここからはようやくコルレオーネの変遷と「コーザ・ノストラ」の大きな変化を追っていくことにします。
第1次マフィア戦争で中心的な役割を演じたボス、ルチアーノ・リッジョが逃亡に次ぐ逃亡を経て、1974年に投獄されたのちのコルレオーネ・ファミリーは、副ボスであるサルヴァトーレ(トト)・リイナ、そしてベルナルド・プロヴェンツァーノが、ボスの代行をしていましたが、やがて冷酷非道の誉れ高く、残忍でありながら、あらゆる悪事に関して抜け目ない理性を発揮する、「’u curtu(背の低い者、血生臭い残忍さを示す獣)」、トト・リイナがリッジョを退けファミリーを仕切るようになります。
また当時、リッジョとともに三頭政治を敷いていた、ガエターノ・パダラメンティ、ステファノ・ボンターテに決定権が委ねられたマフィアの最高政府「クーポラ」にも、リッジョの代わりにリイナが参加するようになりました。
前項に記したように、コルレオーネ・ファミリーは、そもそもパレルモという都市の伝統的なマフィアの歴史を持たない農村マフィアであり、リイナ、プロヴェンツァーノともにまったく背景のない、つまりシチリア封建制におけるガベロッティでも、カンピエーレでもない貧しい農家の出身であったため、他のマフィアからは「新興マフィア」と捉えられていました。しかし、このパレルモから40km離れた丘陵地にある質素な村のボスであるリイナが、ある意味、映画「ゴッド・ファーザー」的な独自の倫理観に立脚した「コーザ・ノストラ」の伝統を破壊して、血塗られた恐怖の犯罪集団へと変えていくことになるのです。
さらに前項で触れた、マフィアと『キリスト民主党』の一部の権力者との仲介者であり、機密準軍事作戦「グラディオ」のグラディエーター・リストにも名を連ねるヴィート・チャンチミーノ(パレルモ市長を歴任した政治マフィア)も、コルレオーネの出身でした。したがってチャンチミーノと密な繋がりを持つリイナが、シチリアのみならず、中央の政治においても、権力者たちと急速に距離を縮めていっただろうことは想像に難くありません。
たとえばトト・リイナの従順な殺し屋のひとりであり、コルレオーネが関与したあらゆる重大事件を計画実行したのち悔悛し、当局の協力者となったジョヴァンニ・ブルスカは、「リイナこそが、生まれながらの純粋な悪党だ」と断言しています。
ブルスカ本人は、生涯「150人以上を殺害した。いやはっきり人数は覚えていない。まあ、100より多く200よりは少ないだろう」(サヴェリオ・ロダータ)と豪語し、悪魔と恐れられた人物です。ブルスカは「ジョヴァンニ・ファルコーネ爆破殺害事件」の際、爆破装置のリモコンをONにした男として知られていますが、ロッコ・キンニーチ爆破殺害事件、マフィアによる犯罪で最も残酷な経緯を辿ったサンティーノ・ディ・マッテオ少年誘拐、殺害など、多くの残虐きわまる事件をも主導実行しています。
そのブルスカが、ドキュメンタリー「コルレオーネ」に出演し、ファミリーに入った経緯を話すシーンでは、「コルレオーネでの昔の自分は、誰からも重要な人間だと思われなかった。しかしファミリーに入ると誰からも一目置かれ、何処ででもリスペクトされるようになったんだ。そのとき俺は大きな人間になった、と感じた」と語っていました。興味深かったのは「と同時に、俺は社会に関心(!)を持っていて、貧しい者には金を渡し、難病の者にはいい医者を探してやったりした」と語っていたことでしょうか。このあたりの告白が、地元の人々にマフィアが必要だ、と思わせる由縁なのでしょう。
そもそも貧しい農家の6人兄弟の2番目の息子だった、トト(サルヴァトーレ)・リイナの父親は、男爵の領地で働く貧しい農民で、時間があるときには妻が父から受け継いだ土地の世話に没頭していたそうです(Wikipedia)。ところがリイナが13歳のとき、父親と7歳の弟とともに出かけたヴェネレ・デル・ポッジョ地区で、目の前で父親と幼い弟が爆死する、という大事故に遭遇することになります。
父親は、その地区で発見した、長さ40cmほどのアメリカ製の大砲の砲弾から火薬を取り出し、金属とともに再利用しようと分解していたところに砲弾が発火。それを近くで見ていた弟とともに爆死したのです。その際、リイナ本人は軽い怪我だけで済んでいますが、このときのトラウマが、その後のリイナによる多くの爆破殺人に大きな影響を及ぼしているのかもしれません。
こうして一家の働き手を亡くしたリイナ一家は、母親の収入だけでは食べて行くことはできず、幼いサルヴァトーレは、リッジョ、プロヴェンツァーノ、そして村の不良たちと徒党を組み、穀物や家畜の窃盗を繰り返すようになりました。やがてリッジョに勧められ、リイナはプロヴェンツァーノとともにコルレオーネ・ファミリー(当時のボスはミケーレ・ナヴァッラ)に、儀式(プンチュータ)を受けて正式に加入。たとえば1948年に起こったコルレオーネの「労働組合書記長プラチド・リゾットの誘拐、殺害事件」の実行犯であるリッジョとともに、リイナは事件に大きく関わっています。リイナはその頃から、物怖じしない、冷血で暴力的な少年だったそうです。
上流社会の社交サロンにも出入りするパレルモの「Uomo d’onore(誇りある男ーマフィア)」たちには鼻にもかけられない、このトト・リイナという158cmの小男は、やがてコルレオーネの支配だけでは飽き足らず、パレルモ、そしてシチリア全体の「コーザ・ノストラ」の巨額の利益と権力のすべてを掌握する、という野望を抱きます。そしてその野望の実現は「コーザ・ノストラ」のある種の秩序を約束していた「掟」を大きく逸脱する方法で進められるのです。
というのも、リッジョが投獄されたのち、リイナが率いるようになったコルレオーネを「クーポラ」から締め出し、ヘロインの収益から排斥しようとする動きが密かにはじまった、との情報がリイナに伝わったからです。サルヴァトーレ・インゼリッロ、ガエターノ・バダラメンティが、麻薬の密輸による莫大な収益を、マフィアの資金洗浄を一手に引き受けた「金融界の錬金術師」ミケーレ・シンドーナを介して市場に投資し、金融マフィアとして一大財産を築いていた頃でした。
そもそも海外に強い繋がりを持たないコルレオーネの収入源は、外国煙草の密輸と誘拐の身代金だったため、リッジョが投獄されたのちは、米国「コーザ・ノストラ」に縁戚関係を多く持つパレルモの「伝統的」マフィアたちには、ビジネス的にも格下、と見られていました。ちなみにその頃のコルレオーネは外国煙草の密輸に関して、「コーザ・ノストラ」にも属する「カモッラ」のヌヴァレット兄弟と連携し、「ンドゥランゲタ」のボスとも朋友関係を結んでいたそうです。
このように、パレルモのボスたちから蔑まれながらも、並外れた権力欲を持ち、「コーザ・ノストラ」を手中に収めるために必要な戦略構築にもきわめて高い能力を持つリイナは、周辺の動きを敏感に察知し、反撃に出ることになります。
いつのまにか敵対するようになったボスたちのうち、まずパダラメンティを、リイナはシチリアから追放し、ステファノ・ボンターテ、インゼリッロらを次々と消す(後述)と、「コーザ・ノストラ」はまっぷたつに分裂。それがきっかけとなり、1981年から1984年にかけて1000人以上(!)の死者を出した第2次マフィア戦争へと発展していくわけです。こうしてコルレオーネを核とする「コーザ・ノストラ」そのものが殺人集団と化し、仲間内で際限ない殺戮を繰り返すと同時に、公権力に携わる多くの重要人物の殺害にも加担していきます。
*1984年制作、ジュゼッペ・フェッラーラ監督の「Cento giorni di Palermo(パレルモの100日間)」は、カルロ・アルベルト・ダッラ・キエーザ大佐がパレルモの複雑な状況と対峙した100日間を描いた作品。社会派のフェッラーラ監督は、『鉛の時代』の数々の事象を鋭くえぐる作品を多く遺しています。
この時期、具体的に「コーザ・ノストラ」が関わった、とされる公権力に携わる人物たちの殺害は、次の通りです。
⚫︎1979年、『キリスト教民主党』とマフィアの仲介者であったヴィート・チャンチミーノと敵対していた『キリスト教民主党』州書記のミケーレ・レイナ殺害。⚫︎1979年、エンリコ・マッテイ飛行機爆破事件、およびボルゲーゼのクーデターへのマフィアの関与の証拠を得たと思われるジャーナリスト、マウロ・ディ・マウロの1970年の失踪事件(誘拐・殺害)を捜査していたパレルモの機動隊隊長ジュリアーノ・ボリス殺害。
⚫︎1979年、コルレオーネのメンバーを執拗に捜査し、ルチアーノ・リッジョを逮捕に導いた検察官でパレルモ市議会議員でもあったチェーザレ・テラノーヴァ殺害 ⚫︎1980年、マフィアとの共謀の廃止を訴えた、『キリスト教民主党』の副書記でアルド・モーロ派のシチリア州知事ピエールサンティ・マッタレッラ(イタリア現大統領の年長の兄弟)殺害 ⚫︎1980年、カラビニエリ隊長のエマヌエーレ・バジーレ殺害 ⚫︎検察官ガエターノ・コスタ殺害 ⚫︎1982年、マフィア予防策の法制化(ロニョーニ・ラ・トーレ法)を起草した共産党議員ピオ・ラ・トーレ殺害、⚫︎1982年パレルモ警察庁長官カルロ・アルベルト・ダッラ・キエーザ殺害、さらには何人かのジャーナリストがマフィアに殺害された、と結論づけられています。
しかしながら、これらの殺害事件がすべて、復讐や見せしめという動機で、「コーザ・ノストラ」単独でオーガナイズされた、とは明確に言い切れないのが、イタリアの『鉛の時代』の複雑な事情です。冷戦の文脈における「グラディオ」の時代、「コーザ・ノストラ」が、『キリスト教民主党』アンドレオッティ派の政治家たち、秘密結社『ロッジャP2』、極右勢力、極右テロリスト、国内外諜報機関とともに重要な役割を担っていたことは前項に記した通りです。
▶︎マフィアかテロリストか、それともグラディオか