イタリア音楽シーンに革命を起こすピニェートのオーソリティ:Luca Collepiccolo

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ようやく組閣が決定したところで、政治の話からはぐんと遠ざかります。イタリアの音楽シーンに影響を与え続けるローマのアンダーグラウンド・ミュージックのメッカピニェートのオーソリティ、ルカ・コッレピッコロCantautore (カンタウトーレ=シンガーソング・ライター)について、あれこれ話を聞きました。イタリアにおける伝統的なカンタウトーレというジャンルは、音楽シーンだけではなく、その時代を生きる若者たちの感性、生き方そのものに影響を与える『オピニオン・リーダー』的な存在でもあります。ピニェート、伝説のクラブFanfullaから現れ、いまやイタリア全国で大ブレイク中の現代のカンタウトーレのひとり、Calcutta(カルクッタ)についても語っていただきました。

最初から少し寄り道になってしまうのですが、映画と演劇の話からはじめたいと思います。『万引き家族』でエントリーした是枝裕和監督が、最高賞のパルムドールを受賞したカンヌ映画祭で、マテオ・ガローネ監督による『Dogman』の主人公を演じた、マルチェッロ・フォンテが主演男優賞を受賞して、イタリア中が湧きました。この映画は1988年、ローマの郊外マリアーナで起こった実際の事件にインスパイアされた作品で、かなり暴力的なシーンがありながらも繊細な優しさに溢れ、全体に詩的な甘美さが流れている。そしてその空気は、おそらくフォンテの好演から醸されているのだと思います。

ところで、その受賞ニュースを観た時、瞬間的に「マルチェッロ・フォンテ? どこかで見かけたことのある人だな」と思っていたところ、SNSに流れてきたFanpage.itのネットニュースで、彼がテアトロ・ヴァッレ・オキュパートのメンバーだったことが判明した。テアトロ・ヴァッレ・オキュパートは、ローマの中心街にある経営不能に陥った、伝統ある市営ヴァッレ劇場を、演劇界の有志たちが2011年に占拠。市民のカンパと演劇人の支援で運営され、国際レベルで活躍する豪華キャストも参戦。質の高い演目を連日上映して、イタリアのみならず、欧州各地の高名な演劇人たちからエールが送られたシアターグループです。テアトロ・ヴァッレ・オキュパートという現象は、いまやローマのアンダーグラウンド・カルチャーの『神話』ともなっています。

こうしてテアトロ・ヴァッレは、ひとつの劇場のあり方の実験として、多くの市民の賛同と熱狂的な人気で3年近く続いたにも関わらず、『民主党ーPD』、時のレンツィ元首相が就任早々「多くの人が、テアトロ・ヴァッレはひとつのカルチャー・モデルだと僕にアドバイスするけれど、僕はそうは思わない」とテアトロ・ヴァッレに言及。違法『占拠』であると同時に、商業施設として機能していない、また当局に管理されない文化活動が政治力を持つことの恐れから(表向きは劇場が老朽化していて危険だという理由でしたが)、2014年、時のローマ市政(PD)から強制退去に追い込まれました。

その乱暴な強制退去の有り様に「文化を殺す」と、主要メディアをはじめ、市民からの大きな抗議と批判が巻き起こったことは記憶に新しいニュースです。しかもテアトロ・ヴァッレは現在も空っぽのまま、市政からは全く利用されずに放置され、硬く扉が閉ざされている。

イタリア音楽シーンと冒頭で書きながら、こんな話からはじめたのは、世界を当たり前に覆う経済システムからは距離を置くローマのアンダーグラウンド・カルチャーシーンには、たとえばマルチェッロ・フォンテを代表するような、個性的な逸材がかなりの数で存在しているように思うからです。ローマにも、それだけで食べていくのはかなり難しいと分かっていながらも、詩や演劇、音楽など、『芸術』と呼ばれるものに魅入られて、ストラッグルな人生を送りながら創作に対峙するアーティストたちが数多く存在する。

フォンテもカンヌを受賞するまではそんなアーティストのひとりで、今もサンロレンツォのチェントロ・ソチャーレNuovo Cinema Palazzo (ヌオヴォ・チネマ・パラッツァ:アーティスト、学生、市民に占拠された文化センター及び住居)を拠点にする、ピニェートあたりのストリートでも、なんとなく見かけられる人物でした。

もちろん、現代社会においては、経済性、生産性を二の次に考える文化活動は、ひとりよがりな理想主義でしかない、という考え方が主流であることをも認識してはいますが、社会の豊かさというものはそれほど生産性はないながらも、ストラッグルな芸術生活 (もちろん芸術だけじゃなく、市民運動でも、宗教活動でも)を送る、いわば自らの現実に忠実に生きる多様な個性を受け入れる許容力ではないのか、とも思います。そんなアーティストたちから人の心を掴む表現が、ある日突如として、しかし生まれるべくして生まれ、広がり、それが社会、つまりわれわれへ「なんて素晴らしい作品(活動)なんだ」、と感動として還元される。

本来文化の流れというものは、誰かが計画的に採算を考えて人工的に作るものではなく、自然発生的にドドドッと満を待して湧き出るのが理想です。そしてローマには、政治や社会の変化による多少の危機感はあっても、まだまだそんな非近代的な、いわば古めかしい(非常に良い意味で)、わたしにとっては好ましいヒューマンでオルタナティブな緩みがあちこちに残っている、と言ってもいいでしょう。

 

ピニェート

さて、そういうわけでピニェートという、ローマ・エスト(東)の入り口にあたるゾーンもまた、音楽を愛するアーティストたちに、自然発生的に時間をかけて形成されたカルチャー・スポットです。いまやローマだけでなく、海外にも名を馳せるアンダーグラウンド・ミュージックシーンとなったこのゾーンに、ミュージシャンだけでなくインディペンデントの映画監督、ビデオメーカー、ジャーナリスト、作家、ファインアートやストリートアートのアーティストたちが自然に集まって、十数年の間に街の空気が徐々に変化していきました。

いかにもローマの庶民が住む街、というネオリアリズムな街角を背景に、ローカルマフィアが跋扈することでも有名だった物騒な地区から、今では流行に敏感なラディカルシックな若者たちが集まる街並みになり、その動きはさらに東へ、東へと郊外へ向かって広がりを見せています。

ところでイタリアの音楽界では、今がまさにインディ・ポップの黄金期とされ、新しい音楽の動きはすべてインディから生まれる、と言われている。名前をあげればキリがないのですが、その代表的なポップ・ミュージシャンは、Cosmo(コスモ)、EX-Otago(エックスーオターゴ)、I cani(イ・カーニ)、Thegiornalist(ザジャーナリスト)というところでしょうか。そして、そのインディ・ポップ爆発のきっかけを作り、イタリア中でブレイクしているのが、かつてピニェートにふわっと集まってきたアーティストのひとりであるCalcutta(カルクッタでした。「彼、このあたりでよく見かけたよ」と、数年前まで街角の風景だった彼が、いまや正統派のカンタウトーレとしてイタリア版ローリング・ストーンの表紙を飾るという具合です。

しかしながら、イタリアでは重要視され、事あるごとに語られるこのカンタウトーレ=シンガーソング・ライターの存在感が、異文化を持つ外国人のわたしには、いまひとつピンとこず、どうやらわたしが考えるシンガーソング・ライターとはニュアンスが違うようにも感じる。そこで、イタリアのカンタウトーレをもっと知るために、かねてからお話を聞きたかった、ジャズ、サイケデリックを中心に、音楽のことなら何でも知り尽くしているピニェート音楽シーンのオーソリティ、ルーカ・コッレピッコロに、「カンタウトーレとは、いったいどのような存在なのか、そしてその変遷は?」というテーマで話を聞くことにしました。

 

ルーカ・コッレピッコロとお嬢さま

 

コッレピッコロは音楽家族に育った影響で、子供の頃から、ザ・クラッシュ、デビッド・ボウイ、トーキング・ヘッズ、イギー・ポップ、フランク・ザッパなどを聴いて成長、10代の半ばから音楽ジャーナリストとして、月刊音楽誌に音楽批評を書くほど成熟した感性を持つ人物です。その後、主要紙の音楽批評、国営放送Rai3のラジオ番組を担当するなど、イタリアの音楽シーンでキャリアを積み、現在はピニェートをベースに、インディのレーベルとディスクのディストリビュート(Good Fellas)に関わっています。

また特筆すべきは、かつてヨーロッパで絶大な人気を誇った、日本の伝説のインディ・ポップグループ『ピチカート・ファイブ』のディスクを、イタリアでディストリビュートした人物でもある。なにより、とめどなく溢れる音楽への愛情を語る言葉そのものが、もはや『音楽的』とも言えるものでもありました。また、超レアなディスクが並ぶ彼のコレクションには、コレクターでなくても「ええ!」と目を見張るはずです。

「子供の頃から音楽に囲まれて、その中で育った影響が、時間とともに熟成され、20代になってその影響の凄みを感じることになったんだ。その頃からあらゆる音楽のディスクを集めるようになったんだけどね。今でも一番好きなのは、やっぱりジャズとサイケデリックに集約されている。マインドを開く実験となるような音楽が僕にとっての理想だし、それを追い求めているんだ」

さて、そうおっしゃるコッレピッコロに、ここから一気に語っていただくことにします。

レジスタンス

「そもそもピニェートという場所は、ローマの典型的な庶民の街角で、またパルチザンたちのレジスタンスの地でもある。政治的な闘争が数多く繰り返されてきた街でもあるんだよ。ピエールパオロ・パソリーニの『アッカトーネ』はもちろん、ロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』が撮影された場所だということは有名だよね。サン・ロレンツォ、テスタッチョとともに、ローマでも数少ない、真正のローマの庶民のアイデンティティを持ち、その『魂』を体現する人々が今でも多く生活している。例えばバールなんかで75歳以上の人々と話すと、戦時中、米国に爆撃されたこの地区が、戦後どんな風に再建されたかを、喜んで話してくれるよ。そして、あくまでも庶民的に外から訪れた者たちを歓迎するのが、ピニェートという街のメンタリティだと思う」

「確かに80 、90年代には、ローカルマフィアの犯罪の舞台になったこともあって、僕がはじめてーまだとても若い頃の話だけれどーベースを習うためにピニェートに通っていた頃は、困窮した、暴力的で危険な場所だった。ひとりでは来れないような雰囲気だったんだ。ところが2007年、再びピニェートに戻ってきて、この街角に『革命』が起こったと感じたんだよ。僕は、イタリア各地をディスクのディストリビューションで移動したのちローマに戻ったばかりで、その頃のピニェートの街角は、まるで発酵するようにアーティストたちのグループが集まり、いまや伝説のクラブとなった『Fanfullaーファンフッラ』の胎動がはじまった頃だった。その頃からピニェートは、多分ローマで最も質の高いプログラムのライブが見られる地区に成長していったんだ」

音楽というアスペクトがピニェートの顔を変えていったとも言えるね。たくさんの若い子たちがこの地区に越してきて、外国人たちも多く住むようになった。たとえばベルリンのノイケルン、クロイツベルグが最もエネルギッシュだった15年前あたり、あるいはパリのアンダーグラウンドの雰囲気をも漂わせていたんだ。やがて物書きや画家、インディペンデントの映画監督たちが続々と集まり、地区そのものがアートへと向かっていった。バールで朝食をとっているときに偶然会った誰かと、なんとなく話すうちにプロジェクトが生まれるというナチュラルさで、何の圧力もない、自由なプロジェクトが次々と生まれるという感じかな」

「つまり、ローマの既成のアカデミズムの枠にはまらず、またチネチッタなどの映画産業からも距離を置いて、ストリートという、人々のリアリティからアートが生まれた。音楽界にも映画界にも、また作家、ジャーナリストにも、ピニェートからはじまってイタリア中でポピュラーになったアーティストたちがたくさんいるよ。正直にいうなら、最近はその、当時の迸るようなエネルギーが停滞している感じはするけれどね。ピニェートには新しい世代の新しい循環が必要だとは思う。ブームに乗って、新しいバールやカフェやクラブが続々出来て、はっきり言って、投資で新しく造られる店には『文化』はまったくないよね」

「そもそものピニェート文化の最も強いキャラクターは、すべての既成概念へのアンタゴニズムというもの。あらゆる全てに立ち向かう、という傾向が特徴かな。ここにはアヴァンギャルドなアプローチで音楽を追求するアーティストたちが大勢いる。ポップ、フォーク、実験音楽、ジャズからエレクトロニックまで、あらゆるジャンルの音楽を聴くことができるしね。この15年間、ローマではどんな音楽の波が起こったか知りたければ、ピニェートに来れば、だいたいの輪郭は捉えることができると思うよ。また、ピニェートがどれほどイタリアの音楽に影響を与えたかをも知ることができるはずだ」

「ぜひピニェートで演りたい、というアーティストたちが大勢いるんだ。最近シカゴ、ニューオリンズをツアーしたばかりのインターナショナルなグループ、僕の友人でもあるRoots Magicや、イタリアの古いエスニックなディスクから音を再録する実験音楽のHeroin in Tahitiとかね。彼らも欧州全域で認められるアーティストだ。そして近年、最もセンセーショナルなケースカルクッタだよね」

 

※カルクッタの新しいアルバムから、『Pestoーペースト』。

カルクッタ

「僕はカルクッタ(エドアルド・デルメ)の成長過程をずっと見てきているし、よく知っているんだけど、はじめの頃の彼はファンフッラで15人とか25人とか、少数の観客を前にギター1本でシンプルに演奏してたんだ。はじめはカセットテープを売ったりしていたけれど、やがて僕のとても仲のいい友人であるアントニオのミクロレーベル(geographissues.blogspot.com)から、50枚ほどのボリュームでCDをリリースするようになった」

「そうこうするうちに、ある日のこと、僕らのところに一種のマネージャーというか、タレント・スカウトみたいなことをはじめた男の子がやって来てね。それがダヴィデ・カウッチ(Bomba dischi)なんだけれど、なかなか可愛いのは、その仕事をする前の彼は、レストランでカメリエレをしていたんだよ。その彼が、今ではアンダーグラウンドだけではなく、イタリアのメジャー音楽産業界に影響を及ぼす人物のひとりになったわけだけどね」

「彼は僕らに『カルクッタを売り出そうと思っているんだ』と言うんだ。僕たちが『彼は君が考えているようなタイプのアーティストじゃないと思うよ』と答えると、『すでにアレンジャーを見つけて、バックバンドもオーガナイズした。ローマからイタリア全国に、大々的に発信する』と言うので、『じゃあ、やってみればいいよ』ということになった。そしてはじめてカルクッタがYoutubeにリリースしたビデオクリップ『Cosa mi manchi a fare(僕がやらなくちゃならないこと)』が、奇跡を起こすことになったんだ。Do it yourselfで、アンダーグラウンドなビデオクリップ、耳に心地よい音だったからラジオにも向いていた。これが少しづつ成長して、最終的に大爆発したというわけさ」

「そのアルバム『mainstream』を僕らのレーベル、ディストリビュートで、2ヶ月で3000枚余りを売ったところで、ソニーがやって来て、CDの版権を売って欲しいということになった。そしてソニーがそのアルバムを二枚組のCDとして再リリース、その年のヒットチャート上位5位内にカルクッタは食い込むことになる。それがアンダーグランド音楽界のひとつの『現象』として注目を浴びることになったんだよ。彼は、他のポップアーティストのために作曲もするようになって、著作者、カンタウトーレとして、ソニーとは、ふたつの契約を結ぶことになった」

「彼は一瞬のうちに爆発したけれど、現在のカルクッタは、そういうわけで僕にとってはインディとは言えず、完全にメジャーでポップなアーティストになってしまった、と言わざるをえないかな。正直なところ、デヴュー当時の面白さはなくなったように思うよ。ピニェートで歌っていた頃は実験的に粗いつくりの歌も歌っていたし、テキストもよく練られて面白かったけれど、メジャーになることでオリジナリティ、彼自身の個性が薄まったかもしれない。いまや7000人、8000人の観衆の前で歌う彼の音楽はマスが対象だから、表現がシンプルで直接的になってきたのかもしれないね。彼のこの変革は、僕はあまり好ましく思っていないな。もちろん、彼はアンダーグラウンド・ミュージックとは絆の深いカンタウトーレだから、彼のこれからの幸運を心から祈っているけど」

 

※Youtubeで爆発したCosa mi manchi a fare

 

インディとメジャー、つまりメインストリームとの間に、かなりの距離があった過去とは大きく変わり、最近はYoutubeやSpotifyなどのネット上のストリーミングで、インディがたちまちのうちにメジャーを追い越してしまう。その『カルクッタ現象』の出現で、インディとメジャーの間に差がなくなりました。インディもメジャーももはや関係なく、すべてが『ポップ』と括られ、イタリアではその中でもインディ・ポップと呼ばれるジャンルが大勝利した、と言われています。かつてはインディのアーティストがヒットチャートに上ると、エポックメーキングなことだと捉えられましたが、現在イタリアで人気のある新しいアーティストは、ほとんどインディからネットでブレイクしたアーティストたちです。

統計によると、音楽を聴くのが日常、と答えた人はイタリアの56%に当たる。15歳から24歳に絞ると、75%から80%と途端に数値が跳ね上がります。また人口の60%が日常的にSNSを使い、13歳から17歳に絞ると、これも86%という数値に跳ね上がる。若い世代の子たちは、普段はSportifyやYoutube、SNSを通じて音楽を聴き、以前のようにディスクが何枚売れたか、という表現は使われなくなり、デジタルでどれだけ消費されたか、何回再生されたかが、消費の指標となって久しい時代となりました。

また、かつては音楽そのものがリアルな『仲間』を構成していましたが、現在では音楽そのものが、ネット上で共有、共感するネットユーザーたちのヴァーチャル『コミュニティ』となり、音楽のあり方、消費形態そのものが完全に変わってしまった。しかしながらイタリアでは、その反動のようにVinile(LPレコード)の消費が、若い世代においても年々伸びているそうです。そういえば、最近うちの近くにも中古のターンテーブル専門店が新しく開きました。

いずれにしてもピニェートという地区は、2018年の現在でも音楽がリアルに『仲間』を形成し、フィジカルに五感を通して互いが互いを刺激し合うカルチャー・スポットでもあります。かつてピニェートに通いつめたカルクッタのライブは、観客がカルクッタと一緒に大声で歌い、その一体感が凄まじいという評論も読みました。残念ながら、わたしはカルクッタのライブを聴いたことがないのですが、彼の楽曲やビデオクリップにはイタリアの若い世代の感情生活や美意識、ソーシャルなセンスが反映されているようで、興味深いと思っています。

カンタウトーレ

「いわゆるカンタウトーレという存在は、70年代に強く出現してくるんだけれどね。イタリアの70年代といえば『鉛の時代』。ストリートや大学、そして高校に政治的抗議や衝突が溢れていて、カンタウトーレのテキストも社会に向けられたものがほとんどだった。そしてそのテキストが、当時の若者たちのガイドとも言えるものだったんだ。もちろん、そもそもはフォークのアイデアから生まれた音楽ジャンルで、ルーツは遠い過去にあるんだけれど、その頃はどんなカンタウトーレを聴いているかで政治的なポジションがはっきりと示された」

「たとえば、『アモーレ』にまつわる、ありふれた物語を歌ったクラウディオ・バリオーニを、当時の左翼の若者たちは、「qualunquista(なんでも主義/社会・政治に興味を持たない無関心主義)」と見なして聴かない、という具合だったし、一方、レジスタンスの流れを受け継ぐフォブリツィオ・デ・アンドレは、重たい歴史を歌に託し、左翼の若者たちの人気をさらったという感じだよね」

「ローマにも伝統的に重要なフォーク・スタジオがあって、それはアントネッロ・ヴェンディッティフランチェスコ・デ・グレゴーリが作ったスタジオなんだけど、彼らがローマの70年代を表現する重要なカンタウトーレの例となったんだ。ヴェンディッティの初期のテキストは、社会を意識した政治的なものだったにも関わらず、急進的な左翼からは「軟弱」だとかなり非難されたという経緯もある。一方、デ・グレゴーリは、ボブ・ディラン、ジャクソン・ブラウンなどと方向性が同じで、米国モデルのカンタウトーレとも言っていいと思うんだが、素晴らしい詩人だったよ。こんな風にイタリア中がカンタウトーレに溢れていた。特にイタリア共産党が生まれた土地であるレッジョ・エミリアからトスカーナあたりのカンタウトーレは、きわめて政治色の強い楽曲で、多くの人々に強い影響を与えていた」

「言ってみればこの時代から、カンタウトーレには、非常に政治社会的なものと、ポップなものとふたつの方向性に分かれていたんだけれど、その枠を超えたところに、世界的にも有名なLucio Batistiールーチォ・バッティスティがいるわけだよね。そもそも僕は若い頃から英米のロックやヘビーメタルとか、かなり極端な音楽を聴いていたから、彼の曲を、当時はほとんど聴いていないんだ。それに友達と海へ行くと、焚き火を囲んでアコースティック・ギターを奏でながら、皆がバッティスティを歌いはじめる、というようなシーンが繰り広げられて、大嫌いだった。本当に嫌だった」

ルーチォ・バッティスティ

「ところがのち、外国人のアーティストたちに『バッティスティはとにかく重要なアーティストだよ。聴いてごらんよ』と逆に勧められたんだ。そこで改めてレコードを聴いてみたんだけれど、本当に彼らの言う通りだった。もちろん、彼が活躍した時代にとっても重要な音楽性だが、彼の音は時代を超えているよ。イタリアだけでなく、インターナショナルに重要なレベル。カエターノ・ベローゾ、ジルベルト・ジル、ボブ・ディランを含める実験的なアーティストたちに匹敵すると思う。実際、アメリカのDJたちがバッティスティのディスクからサンプリングしていたりするんだから」

「そういうわけでバッティスティというミュージシャンを、僕は政治性とは全く違うアプローチから知ることになったんだが、彼の楽曲は、その時代に起こっていた現実とは距離をおいて、『自由な感性』から生まれているのだと思う。アレンジも細部に渡ってマニアックに構成されていて、彼のディスクの濃密さはなかなか超えられるものじゃない。しかもまったく音が古びない。だから他のどんなカンタウトーレより、バッティスティの作品が愛されるんだと思うよ。彼の作品は普遍だからね」

 

 

「細部に渡って気が配られているバッティスティのディスクに比べると、最近のイタリアのカンタウトーレたちは、音もテキストも、アレンジをあまり重視せず、細部が荒い作りになりすぎている。イタリアには『サンレモ派 (サンレモ音楽祭を由来とする)』というか、声、テキスト、楽曲が人々に強い印象を与えて、記憶に残さなければならない、という傾向があって、アレンジをその背景、ぐらいにしか考えていないんだ。作品に色彩を添える、ぐらいの考え方なんだと思うよ。しかしアレンジは、声、テキストと同じぐらい重要なもので、決して軽んじてはならないものだと僕は思っている。アレンジを軽んじる、という傾向は、ここ20年~25年の間のイタリアの音楽産業によって生まれたんだけれど、過去のアーティストたちが創造してきた音楽の濃密さを、音楽産業が破壊しているように見えるね」

70年代のおすすめカンタウトーレ

「70年代に重要なミュージシャンといえば、まずアレッサンドロ・アレッサンドローニだね。彼は、エニオ・モリコーネが作曲したウエスタンの口笛で有名だけど、そもそもはギタリストで作曲家だ。そして生涯のキャリアで全ての音楽に関わるという偉業を成し遂げてもいる。ジャズ、ビート、グルーブもフォークも、さらにはポップのディスクまで作成する幸運にも恵まれたんだ。特に『Alessandro Alessandroni e il suo complessoはその時代の一線のミュージシャンとアレンジャーたちがコラボレーションした豪華なディスクで、今でも大変な人気だよ」

「それからこの『The feed back』というディスクのオリジナルは、コレクター垂涎のレコードでもある。エニオ・モリコーネも参加したインプロヴィゼーションのグループで、70年代、ドイツと英国の実験的なプログレッシブ・ロックシーンとサイケデリックの周辺で生まれたコラボレーションなんだけど、当時の第一線のミュージシャンたちが加わっている。つまり、1970年代のイタリアの音楽産業には、これほど優れたミュージシャンたちが関わっていた、ということだよ。とても1970年代に録音されたとは思えない音。すごく新しい音だ」

 

 

「イタリアの音楽やカンタウトーレを語るときは、誰がアレンジに関わっているか、誰が演奏しているか、必ずジャケットを見るのがちょっとした『秘密』なんだ。ジャズプレイヤーがいたり、作曲家がいたり、オーケストラの指揮者が加わっていたりするからね。だからこそ質の高いプロダクションが生まれた。非常に丁寧に構成され、楽曲の魅力を倍増させ、あるいは楽曲そのものを超えるような作品を生み出している」

「個人的に一番好きな70年代のカンタウトーレは、クラウディオ・ロッキというミラノのアーティストかな。彼は英国のフォーク・サイケデリックに影響され、とても豊かな表現で曲を作っている。ひとつのモデルとなるカンタウトーレだと思うよ。さらに、『Living music to Allen Ginsberg」という、アレン・ギンズバーグに捧げたディスク一枚しかリリースしてないローマのグループ。これも時を超えたディスクだと思う。彼らは一種のコミューンというか、街から離れて農業をしながら集合的でアウトノミーな生活を送っていたんだ。もちろん政府的選択でね。反議会主義のほぼアナーキーな思想。農園を作りながら、こんなすごいディスクをリリースするなんて、信じられないよね」

 

 

70年代以降

70年代は、イタリア音楽にとっての『革命』が起こった、と言ってもいいと思うが、80年代、90年代、2000年代も時代とともに、音楽が大きく変わって行くことになった。新しいテクノロジーの登場で、エレクトロニックがアレンジの分野でも重要な位置を占めるようになり、オーケストラやセッションマンによるアレンジは省かれるようになる。また、ニューウェーブの影響もあって、イタリアン・ポップのアレンジの世界にもエレクトロニックが入ってきて、80年代からそのメタモルフォーゼがはっきりと見えてくる。それぞれの楽曲がさらにポップに、ナンセンスに、甘ったるくなって、洗練されたアレンジを求めるわれわれにしてみれば、聞き苦しいと言わざるをえないような音に変わったかもしれないね」

「80年代にはダンスミュージックも耳に入ってくるようになるんだけど、英国、ドイツのポップヒットチャートがイタリアの音楽にも影響して、その中には、とてもよくできた音楽もけっこうあるよ。例えば、フランコ・バッティアートはイタリア音楽界の巨匠だけど、70年代にアバンギャルド、ミニマリズムを追求し、80年代にはポップも手がけている。しかも彼はテクノロジーのことも、アレンジのことも知り尽くしていたから、素晴らしいポップを作っているんだ。そしてイタリアの80年代の音楽というのは、プログレッシブ・ロックの流れからきたアーティストたちが、生き延びるためにポップを手がけるようになった例が多いかもしれない。いずれにしても、その頃から音楽そのものは忘れられて、誰か有名な人物にプログラムされたようなテキストだけが強調された楽曲ばかりになったように思うよ」

 

 

「イタリアのポップと外国のポップの違いというのは、現代も含めて言えることなんだけれど、例えばビヨンセにしても、ディスティニー・チャイルドにしても、つまり商業的な音楽であってもアメリカのポップはアレンジの細部を丁寧に追求し、音作りはマニアックだ。バックミュージシャンたちも優れている。一方、イタリアのポップは起伏がないというか、平坦な作りなんだよね。なぜなんだろう、と考えた結果、TVショーのせいだと思うんだ。この15年間、イタリアのTVはタレントショーばかりで、その番組では音楽そのものより、アーティストの容姿やファッション性、話題性を重視するようになったから。写真やビデオで、タレントを売って行くためにね。音楽そのものは忘れ去られ、隅っこに押しやられてしまった。僕にしてみれば、イタリアのポップは完全に衰退した、と思うよ」

「で、ピニェートに戻ってくるわけだけれど、ここにはまだまだ音楽の可能性があると思う。この地区は、ある意味音楽的に保護された数少ない地区のひとつだよ。多様なタイプのバンドがいるし、アーティストがいるし、ファンフッラや他のクラブで演奏しながら、面白い音楽が生まれる可能性がかなりあるよね。音楽が好きな人にとっては一息つくことができる場所。マーケティングのない、人工的でもない、商業的でない、実験的で自然に生まれた音楽を聴くことができるからね」

現代のポップ・ミュージック

「カルクッタも含む、最近のカンタウトーレの傾向を一言でいうなら、彼らは社会的無関心を代表しているように思えるかな。最近の若い世代の子たちというのは、確固とした政治的な考えというものを持っていないし、投票にも行かない傾向にある。僕らが育った70年代後半は、普通に道を歩くのも危険という時代だった。あちらこちらでデモ隊が衝突し、それも互いが銃で撃ち合うような激しいものだったからね。幼い頃、母と一緒にいるときに、目の前で爆弾が激しく爆発したこともあるんだ。僕はまだ6、7歳だったけれど、時代の空気はよく覚えているよ。僕が育った地域にはMSi (イタリア社会運動ー極右グループ)のオフィスがあったんだが、そのオフィスにも爆弾が仕掛けられたしね。自ずと政治を考えざるをえなくなった」

「現代の音楽というのは政治的なことだけじゃなく、あらゆる社会的な要素というものを反映していない。現代の若い人々は、ひたすら個人的なーIndividualeな音楽を求めているんじゃないかな。もちろん彼らもコンサートに行くわけだが、音楽から何らかの動きがはじまることもないし、刺激もないんだ。それぞれのアーティストの内面の告白を共有するというか、他人の日記を読んでいるのと同じような音楽だと思うよ」

「僕の聴く音楽というのは、70%がインストゥルメンタルで、実験的なエレクトロニックやサイケデリックだけれど、そこにテキストがなくとも、その音楽から素晴らしいテキストを読むことができると思っている。だから、メガコンサートなんかで、トラップで忘我に踊る若い子たちの姿をみると、から騒ぎのようで空虚に思う。僕が心配するのは、彼らには参考にできるような、強い考えに出会えないように思えることなんだ」

「確かにインターネットが民主的だということは認めるよ。しかしそれはかなり表層的なものではないかとも思っている。現代ではみな携帯で、YoutubeやSpotifyアプリから音楽を聞いているから、あるタイプのディスクは売れなくなるわけだけどね。しかし過剰な情報は、まったく情報がないことと同じだよ。僕らは昔、かなり勉強していたじゃないか。僕は音楽の勉強をしていたわけだけれど、たとえばザ・クラッシュのおかげで、米国がニカラグアに侵攻したことを知り、『なんてことが起こっているんだ』と国際政治にも興味を持ちはじめたんだから」

「さらに英国のパンクは『反サッチャー』や、レーガノミクスを歌ったり、もちろんかなり強調されて、エッセンスだけだったけれど、トピックを深めるための大きなきっかけとなった。音楽を聴きながら、ウイリアム・バロウズなどのビート・ジェネレーションとも出会った。これらすべては音楽のおかげだったよ」

「僕には、現代の若者たちが、音楽からいったい何を学ぶのか、それがわからないんだ。もちろん、日常というか、ライフスタイルかもしれないが、それは他人の日常で人工的なライフスタイルだよね。僕はそれを心配する。音楽というのは、ある種、社会の鏡だと思うから。批判がないところには分析は生まれない。そこにあるのは産業化されたエンターテインメントだけだよ」

いつの間にかシックな店が並び、ファッショナブルな若い子たちが行き交う街角になったピニェートですが、ミュージック・パルチザンたちが砦を守るレジスタンスの地ピニェートの魂は、まったく失われていない。ルカ・コッレピッコロの話を聞きながら、そんなことを考えました。

ローマにいらっしゃる機会があるならば、ピニェートをぜひ訪ねていただきたいと思います。アヴァンギャルドなアートに満ちた、多様な個性がせめぎ合う、なかなか刺激的な街角です。

 

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