Leaと行くヴェネチア・ビエンナーレ

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今はどんな作品に取り組んでいる? 作曲 (Link : Voice (6) Lea Tania Lo Cicero)を主にしていると言っていたけれど?

わたしのそもそものテーマは「見えない、触れられない」次元を表現すること。今までも『Immaterialità(非物質)』、『Invisibilità(不可視)』と非常に密接に関係した、自分のなかに初源的に存在する音楽を声によって表現する、という作品を創ってきたし、それを継続していくつもりよ。そうね、今は作曲がとても面白くて、ヴィジュアルな作品をあまり作らなくなってきたかもしれない。近い予定としては、11月にジュネーブで展覧会をするのだけれど、今回の作品はもう何年もの間、温めてきたものなの。

いままでわたしが実際に使ってきたAgenda(スケジュールノート)6年分、書き込んだ予定をすべて黒いペンで消して並べると、一種の楽譜ができあがった。そのひとつひとつの黒い塊は、わたしが確かに過ごした時間で、何かをした、あるいは誰かに会った「証拠」なんだけれど、故意に塗りつぶしたことで、わたしにも誰にも分からない秘密のnote(音符)になってしまったわけ。

展覧会では、その、かつて確かに存在したのに今は隠されてしまった時間が形成する楽譜から音符を読んで作曲し、声で表現するのよ。6年分のアジェンダから生まれたメロディをコラージュすると、そこにはリズムが生まれ、時間が生まれ、音楽になる。また、隠された時間が並ぶアジェンダもヴィジュアルにコラージュして表現する。わたしはそのアブストラクトな音楽を「サイレント・ソング」と名付けて、ライフワークにしようとも思っているの。時が経てば経つほど隠された証拠、音が増えてゆくわけだから、最終的にはどういうものになるのか、まったく先が見えないのも面白い。先が見えないというのは、不安でもあるし冒険でもあるけれど、人生って本当はそんなものだからね。

今回のビエンナーレの印象は? 

Giardini(ジャルディーニ)に関して言えば、多くの作家が音を大きく意識して作品に表現していたのに驚いた。これほど音が印象に残るビエンナーレはいままでに体験しなかったような気もする。どのパビリオンにも音が満ち溢れていたでしょう? それに多くの作品に動きがあったし、今回のビエンナーレのテーマでもある強い「生命力」を感じさせるものが多かったと思うわ。

以前からフランスパビリオンを担当した作家、Céleste Boursier Mougenotに注目していたんだけれど、彼はそもそも作曲家、音楽の世界で仕事をしてきた人で、やっぱり彼の作品はダイナミックでいい、と思ったし、素晴らしいと思った。ノルウェーパビリオンCamille Normentも、そもそもミュージシャン。わたし自身のテーマも「音楽」だから、彼らの作品はとても気になる。確かに60年代、70年代には、アート作品ダンス音楽同じスペースに混在していたことはあったけれど、純粋に音楽から派生した作品が美術館に展示されるようになったのは、ごく最近のことよ。だいたい音楽を展示する、ということはかなり複雑なことだし、音をひとつのスペースに閉じ込めることは物理的に難しいから。でも最近は、多くのアートセンターやギャラリーが、音楽の世界のヴィジュアライズを試みようとしていて、それはとても興味深いことだわ。

そうそう、知っている? イタリアという国は「現代音楽」、意外なことにエレクトロニックな音楽の誕生大きな役割を担っているのよ。ルイジ・ルッソロという人物が『L’arte dei rumori(騒音芸術)』という短い本を残していて、それが非常に重要な考察でね。彼は騒音もまた、音符にひろえるということを書いている。

産業革命以来、生活の周囲が産業化された時代、工場や機械、車の騒音が現れたとき、それらは人々にとっては、まったく新しく、いままで聞いたこともない音だった。ルッソロが「騒音」こそが音楽における、新しい道だと捉え、その時代のFuturismo未来派)の詩人たちの多くも、インダストリー・ワールドの影響を受けた詩を書いている。つまり言葉解体して、音に重点を置いた詩。それらFuturismo の言葉よりも音を大切にしたムーブメントが現代音楽に巨大な影響を与えているのよ。ジョン・ケイジずっと以前にね。もちろん、フランス国籍も持っているわたしとしては、ピエール・シェフェールも偉大だったと思っているわ。

Leaが特に気になったと言っていた作品について、少し話してくれる? やっぱりフランスとノルウェー?

そうね、フランスパビリオンのCéleste Boursier Mougenotの作品、RÊVOLUTIONS が最も印象的だったわね。彼は「スコッチパイン」という雄大な自然の松を使って、ひとつの繊細な宇宙を再現したけれど、大きな木の根が土を抱えながらスペースを浮くように静かに動くのは、魔術的というか、奇跡というか、ミスティック。土から掘り返され、ビエンナーレの会期中、数ヶ月もの間、脈々と生命を保ちながら、パビリオンのなかを動き回る木、というのは、まったくの謎じゃない? 「イタリアマニエリズム庭園にインスピレーションを受け、政治的な意味合いをも垣間見せる」という作品紹介を読んだけれど、一度パブリックに展示された作品は、人の数だけ感じ方があるから、それぞれに好きなように解釈すればいい

わたしは彼は「人間」を「」にメタフォライズしたのだと感じたわ。スペースを動き回っている生命、「木」は、土から掘り返されても生きていて、成長し続けている。しとしとと降りそそぐ水滴を浴びながら、地面に縛り付けられることなく自由にーここに政治的な主張があるわねー、孤独に、まるで星のようにパビリオンのなかを巡りながら成長し続けている。そこには静止が見られず、常に動きがある。彼の作品の好きなところは絶え間ない動きと音。スペースに流れていた何ともいえない音は、木が水を吸い上げる音であるとか、木の内部に満ちる音をひろって、それを何らかの方法で増幅したもののようだけれど、その方法もミスティックで興味をそそる。その場にいると、まったく違うディメンションを生きているような錯覚を覚えるマジカルなスペースだったわよね。それになんだかすっかりリラックスできるエネルギーに満ちた空間だった。

 

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Cèleste Boursier-Mougenot ” revolutions” 木はスペースを常にゆっくりと動き回る。

 

※Cèleste Boursier-Mougenot の過去の作品から、レアおすすめの作品)

それにノルウェーパビリオンのカミーユ・ノーマンの作品「Rapture」(タイトル写真)が良かったわ。入った瞬間に、えもいえない音のなか、ある種スピリチュアルともいえる空気が、フィジカルな感覚として押し寄せてきた。また、彼女が音そのもので作品を作っていることは、画期的なことだとも思った。彼女はガラスで出来た楽器を弾いて、その音を拾って巨大なマイク型のスピーカーをスペースにいくつも設置、音同士がぶつかり、増幅しあって虚空を満たしているじゃない?

「人間の肉体と音の関係を実験する」と意図された作品の、音ひとつひとつそのものはとても繊細だけど、重なりあうことによって、パワフルな響き、大きな波になる。彼女の言うconsonanceとdissonance『調和と不調和』が同時に存在して、そのなかにため息のような、喘ぎのような人の声が混じる。その人間の声の効果も見事だとも思った。スペースに散らばるカタストロフィックな割れた巨大なガラスのインスタレーションも、まるでシアターのようでスペクタクルだったし。

そもそも音、声というのは『神』、あるいは『神々』に繋がるためのツールである、という古代的なコンセプトもあるわけで、ほら、キリスト教で言うなら賛美歌であるとか、オルガンであるとかね。声をどんどん高く上げていって、天に昇るほどの高さにまで上げて、神に届ける、というコンセプト。長い間、人間は『神』は天にいて、上から人間を見下ろす、と考えていたわけでしょう? もちろん現代人は、そんなことをもう考えていないけれど、真に人間の内側から発せられた声は、外側にも反映する。ノルウェーパビリオンに満ちる音に、まるでカテドラルのなかにいるような錯覚を覚えたわ。誰もいないスペースでミサが行われているような、そんな雰囲気もあった。

※Camille Normentの過去の演奏から

作品のなかに生きる、つまりフィジカルに聴いて、触れて、体験できる作品が多かった今回のビエンナーレは、わたしにとってはとても興味深く、有意義だったわ。ヴァイブレーションフィジカルなものだから、音の世界を生きることは、違うディメンションを体験する、ということだと思っているから。

アルセナーレ会場で特に面白い、と思ったのは、生と死を裏表に表現した、オスカーを獲った映画監督でもあるスティーブ・マックイーンのビデオ『Ashes(アッシューズ)』かな。海で撮影されたAshesという名の青年の、「サティロス」を想起させる半神的な危うい美しさ、その「」を儀式的に、しかし日常的に淡々と葬送、神格化していく行程をビデオ両面に見せるという方法が、ある種の深い感情を呼び起こした。

また、Philippe Parreno(フィリップ・パレーノ)はそもそも好きな作家だし、蛍光灯を使ったインスタレーションも好きだった。でもアルセナーレは作品が多すぎて、落ち着いてひとつひとつ見る時間がなかったのが残念。次回はビエンナーレだけで5日ぐらいは欲しいところだし、雨も一日で止んでほしかったね。ヴェネチアはビエンナーレだけではなく、Palazzo Grassi(パラッツォ・グラッシ)、Punta della dogana(プンタ・デッラ・ドガーナ)と観たい現代美術館がたくさんあるから、毎回時間がまったく足りない。ビエンナーレの会場があるあたりは、昔ながらのヴェネチアの庶民の街角がすぐそばで、朝には市がたつ、人々が普通に生活する場所隣り合わせにあるから、次に来たときは、このあたりの街角も、もっと散歩してみたいわ。

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