時代とともに変遷を続けるイタリアの「コーザ・ノストラ」は、戦後長い期間、内実を関係者以外に決して漏らさない上、警察、検察という当局者たちの一部までが「マフィアは人々が作った伝説に過ぎない」、と口を揃えるほど隠され続けたシチリアのタブーでした。その、マフィア最重要コードである「沈黙の掟(オメルタ)」と、マフィアに支配され、抑圧された人々の静寂が崩れることになったのは、パレルモ裁判所の司法教育局調査裁判官であるロッコ・キンニーチのアイデアから、気鋭の検察官、カラビニエリ、機動隊のグループ「プール・アンチマフィア(反マフィア特別捜査本部)」が結成されてからです。姿を見せないまま際限なく獰猛になり、非道な復讐に明け暮れ、片っ端から邪魔者を血祭りにあげる「コーザ・ノストラ」を追いかける「プール」の検察官たちの、文字通り命懸けの捜査は、ブラジルに逃亡していた大物ボス、トンマーゾ・ブシェッタという最強の協力者を得ることになります。その捜査の中核となった検察官ジョバンニ・ファルコーネとブシェッタの信頼関係が、史上はじめて、総勢475人の逮捕者を出した「マキシ・プロチェッソ(大裁判)」として結実するのです。
終わらないコーザ・ノストラ
「マフィアは1点の染みもない布にできた汚点ではない。無数の庇護者、犯罪者、情報提供者、さまざまなタイプの債務者、社会で怯えて暮らす下流から上流まで多様な階層の人々と緊密な共存関係にある」と、ジョヴァンニ・ファルコーネが言ったように、「コーザ・ノストラ」はテレビや映画で見るような、家族関係と個人的な繋がりで維持された、シチリアの特定の地域に根付く小規模で独立した犯罪集団ではありません。
ファルコーネはパオロ・ボルセリーノとともに、その鋭敏な推理力と実行力で、多くのアンチマフィア運動、歴史家から高い評価を得る、その後のアンチマフィア検察官たちのロールモデルとなった人物です。
マフィアの原型としては、たとえばレオナルド・シャーシャの「il giorno della civetta (真昼のふくろうー1961年)」に描かれた、公権力と共謀して強大な影響力を暗示したドン・マリアーノ・アレーナのような人物が、古典的なマフィア像と言えます。つまり戦後のマフィアは、自分の縄張りに住む地域の農民、自治体レベルの政治家、司法関係者、警察、軍部のみならず、国家レベル(あるいは国際レベル)の公権力、ヴァチカン、企業、金融界と緊密な共存関係にある犯罪組織だった、ということです。
実際、マフィアを巡る莫大な富の動きを追うだけで、国際レベルの広範な分野とのコネクション(間接的ではあっても)が、ぞろりと浮かび上がってきます。(参照→ラッキー・ルチアーノ以降、戦後イタリア「コーザ・ノストラ」の激変と巨万の富 3章、4章)。
そこで前項までの経緯を踏まえて、戦後のシチリア・マフィアの成長過程を簡単にまとめるなら、次のような流れになるでしょうか。
第2次世界大戦中のラッキー・ルチアーノら米国「コーザ・ノストラ」の米海軍「アンダーワールド作戦」への協力→戦時中に密かに結成された一部の封建領主、高級マフィア、マフィアのボスたち、極右政治家、およびフリーメイソンによる「シチリア独立運動」→シチリア「コーザ・ノストラ」のボスたちの占領軍への協力の見返りとして、当時の大ボスであったカロジェロ・ヴィッツィーニのヴィラルバ市長任命など、マフィアの重要人物たちの公権力への参入→「シチリア独立運動」傭兵隊である山賊首領およびマフィアの一員でもあるサルヴァトーレ・ジュリアーノが起こした、「グラディオ」の母と解釈される「ポルテッラ・デッラ・ジネストラの虐殺事件」→ラッキー・ルチアーノのイタリア帰還後、1957年に開かれた米国・シチリア「コーザ・ノストラ」合同会議で、シチリア・マフィアが一手に引き受けることになった麻薬密輸案件→麻薬密輸によりマフィアが得た巨万の富→
時代の寵児と賞賛された銀行家ミケーレ・シンドーナ、「アンブロジアーノ銀行」総裁ロベルト・カルヴィ、CIAのエージェントとも言われるヴァチカン銀行金融機関「IOR」総裁である米国人大司教ポール・マルチンクスが中核となったシチリア、米国両「コーザ・ノストラ」の資金洗浄、および膨大な建築分野への投機→『キリスト教民主党』欧州議員サルヴォ・リーマ、シチリア州の有力政治マフィア、ヴィート・チャンチミーノ、サルミ・ファミリーの一員であり、シチリア州の徴税を任され莫大な富を得たイニャーツィオ・サルヴォ、ニーノ・サルヴォという従兄弟たちを仲介に築かれた国家中枢の一部の権力者たちと「コーザ・ノストラ」の親密な関係
無差別爆破テロ事件、夥しい数の暗殺、虐殺、銃撃戦によるカオスで、血塗られたテロの時代となったイタリアの『鉛の時代』(1969~1980年代前半)において、「コーザ・ノストラ」は、フリーメイソンを起源とする秘密結社『ロッジャP2』、『キリスト教民主党』の主にジュリオ・アンドレオッティ派議員、国内外諜報機関と協力関係を結び、たとえば1970年、ファシズム時代の英雄で、「黒い君主」と呼ばれたユニオ・ボルゲーゼが主導した「クーデター未遂事件」に、4000人(!)ものソルジャーを送り込んでいます。冷戦下、NATO諸国に張り巡らされた極秘の準軍事作戦「グラディオ」下、イタリアに仕掛けられた「安定のための不安定化」を目的とした謀略『緊張作戦』では、シチリア・マフィアもまた重要な役割を担っていました。
しかしながら、1980年にまず非公式に創立され、1983年に正式に承認された、パレルモ裁判所の「プール・アンチマフィア(反マフィア特別捜査本部)」によるマフィア大量逮捕、1986年からはじまった「マキシ・プロチェッソ(大裁判)」(後述)を経て、「コーザ・ノストラ」が起こした1992年から1993年にかけての連続重大事件のあと、イタリアのマフィアテロの時代は終わりを告げ、その名が主要メディアで語られることは少なくなります。
「コーザ・ノストラ」のみならず、「カモッラ」「ンドゥランゲタ」などのマフィアは現在でも確かに存在し、それらの犯罪集団によるマフィア・ビジネスがたびたび暴かれ注目されますが、かつてのように、イタリア全体を揺るがす、ある種プロパガンダ的な流血事件は(少なくとも表面的には)起こらなくなったからです。

L’EUROPEO LE RADICI DI GOMORRA/Luglio 2010より一部を引用。60〜70年代、80年代初頭にかけて、血で血を洗う抗争を繰り広げたコルレオーネ・ファミリーは、いかにもシチリアらしい丘陵にある小さい村の農村マフィアでした。
そういう事情でしたから、前項にも「コーザ・ノストラ」の名をあまり聞かなくなった」と記したわけですが、記事を投稿した数日後、イタリアの主要メディアに「181人のシチリア・マフィアを大量逮捕」というニュースが駆け巡り、「コーザ・ノストラ」は、やはりいまだに健在なのだ、と認識を新たにすることになります。
なお、この181人という数字は、パレルモ裁判所の「プール・アンチマフィア(反マフィア特別捜査本部)」の1986年の実績となった、475人の「コーザ・ノストラ」大量逮捕に次ぐ、記録的な人数です。にもかかわらず、今回の大量逮捕がそれほど大きく世間を騒がせなかったのは、政治、秘密結社、国内外諜報とがっつり癒着しながら、血まみれの抗争を繰り広げた『鉛の時代』から90年代前半までのマフィアの有り様と、ITを駆使して黙々と犯罪をオーガナイズする、現代のマフィアの有り様が大きく変わったからに他なりません。
今回の大量逮捕の具体的な内容は、というと、刑務所に入っているボスと外部のボス、そしてその手下たちがクリプトフォニーニ(暗号電話)を使って、自由気ままにビデオ会議を開き、先進のテクノロジーを使いこなしながら、麻薬密輸や武器売買の流通経路を強化していた、というものです。さらには違法オンラインカジノを大々的にオーガナイズしていた事実も発覚しています。なお、今回の一連の捜査は1000人ものカラビニエリが関わって、数年かけて極秘で進められたそうです。
個人的には、多少は疑いながらも、最後の大ボスとされるマッテオ・メッシーナ・デナーロが2023年に逮捕され、同年に病死してからの「コーザ・ノストラ」は、他のマフィア組織「ンドゥランゲタ」「カモッラ」などに比べて、その影響力を次第に失っている、と考えていたため、今回の電撃大量逮捕はちょっとした驚きでもありました。
まず、「クリプトフォニーニ」という機密通信システムが存在することすら知らなかったのですが、市場に出回っている標準のハードウエアに特別なセキュリティ・システムをインストールすることで、GPS、Googleサービス、Bluetooth、カメラ、USBポート、プッシュ通知を無効化し、傍受やローカライズの危険性があるその他のサービスをすべてブロックすることができるのだそうです。さらに通話もチャットも暗号化され、同じネットワークに属するクリプトフォニーニの通話は完全に機密化されます。
今回逮捕されたマフィアたちの罪状は、「クリプトフォニーニ」によるマフィア型犯罪謀議、殺人未遂、加重恐喝、麻薬密売目的の犯罪謀議および幇助、武器犯罪、財産犯罪(横領、詐欺、窃盗)、違法賭博など多岐にわたりました。また捜査の過程で、現在の「コーザ・ノストラ」が最も利益を上げているのは、やはり麻薬の密輸、そして違法オンラインカジノであることが明らかになっています。
「捜査から浮かび上がるのは、ボスたちが捜査当局の注意を引かないよう、またここ数年の慣例通り、無駄で有害な流血を避け、平和的に紛争を解決するため、非常に控えめな態度をとり続けているということだ。何千人もの逮捕者によって弱体化したコーザ・ノストラが、古いルールを放棄することなく、何とか生き残り、自己改革を図りながら、時代に順応しようと意図していることが改めて浮き彫りになった」(Palermo Today)
上に引用したオンラインメディア「Today」のパレルモ版は、今回の「コーザ・ノストラ」電撃大量逮捕について、現代の国際マフィアの研究者として最も定評のある学者のひとりで、組織犯罪撲滅戦略の専門家であるヴィンチェンツォ・ムサッキオにインタビューしています。以下、要約します。
「新旧のボスの間で181人の逮捕者が出たことは、『コーザ・ノストラ』にとっては痛手だが、彼らにとっての敗北、というわけではないでしょう。(略)確かにシチリア・マフィアは、もはやかつてのような権勢を誇ってはいませんが、限定的な役割に縮小したとはまったく思いません。それどころか、過去『ンドランゲタ』と結んでいたすべての関係を再編成し、他のマフィア同様、北部にも浸透。国境を越えたマトリックスの一部であることを維持しています。『コーザ・ノストラ』の新しいボスは、かつてのように最大の犯罪発生源となる可能性を秘めているのです」
先進のテクノロジーを駆使するようになったマフィアは進化した、と言えるか、との問いには「イエスと言いたいと思います。(当局の)伝統的な捜査方法、人員と手段の不足によって、新しいマフィアはますます国家を凌駕するようになっているからです。ボスたちは、傍受されることがない最新世代の携帯電話で連絡を取り合い、莫大な資本をヴァーチャル・ビジネスで洗浄し、投資しています。(略)彼らは、戦争やパンデミック、大規模な公共事業など、あらゆる危機的状況から利益を得る方法を次々と編み出します。ジョヴァンニ・ファルコーネが教えてくれたように、金のあるところ、彼らがいないことはありません」
ただし、60~70年代のような暴力的な「コーザ・ノストラ」の再結成はありうるかどうかについては、「テロリスト時代の『コーザ・ノストラ』の再興はもはや不可能だと思います。(略)つまり虐殺時代は戻らないだろうが、新しい『コーザ・ノストラ』が生まれるだろう、ということです。特に国境を越えるマフィアとの闘いの分野には、まだ長い道のりが待っています。これらは、イタリアとヨーロッパが現在も苦闘している分野なのです」とムサッキオは答えました。
今回の捜査では、ボスたちが、時代とともに分裂し、消滅していたシチリア・マフィアの最高政府機関とも言える、各地区から選出されたボスたちによる「コミッション=クーポラ」を新しいスタイルで再構成し、かつてのような勢力を取り戻そうとしていたことまで明らかになっていますから、今後の動きを注視したいと思います。
2024年11月14日には、「コーザ・ノストラ」「カモッラ」に繋がる犯罪組織が、IT製品の取引で得た数億ユーロにのぼる付加価値税の脱税と、それに関連する利益の洗浄を行っていたとされる記事がIl fatto quotidiano紙、Sky newsで報道されました。欧州検察庁(イタリアではなく)の パレルモおよびミラノ支部の検察官らが、5億2,000万ユーロ相当の資産を押収。相変わらず活発なマネーロンダリングが行われていることも発覚しています。
*この項は「ファルコーネとボルセリーノの最後の言葉(Le ultime parole di Falcone e Borsellino : Chiarelettere 2012)」、L’EUROPEO( Le Radici di Gomorra : 2010)、「イタリア・マフィア(シルヴィオ・ピエルサンティ/朝田今日子訳:ちくま新書)「マフィア その神話と現実(竹山博英/講談社現代新書)、CHE COS’E`LA MAFIA (Salvatore Lupo/ Donzelli)、Il Patto Sporco/Nino di Matteo Saverio Lodato Chiarelettere 2018), L’EUROPEO LE RADICI DI GOMORRA/Luglio 2010、MAFIA fare memoria per combatterla (Antonio Balsamo/PICCOLO BIBLIOTECA PER UN PAESE NORMALE 2022)イタリア語版Wikipedia、Mafia Dossir 、Wikimafia、各種ドキュメンタリー(Raiplay)、各種新聞記事、Youtubeにアップされている関連ドキュメンタリー、映画などを参考にしています。
❷コルレオーネ:ルチアーノ・リッジョからトト・リイナへ ❸マフィアかテロリストか、それともグラディオか ❹第2次マフィア戦争 ❺プール・アンチマフィア ❻トンマーゾ・ブシェッタ ❼マキシ・プロチェッソー大裁判