音楽シーンを劇的に変えた、ローマ、ピニェートの音楽革命: ファンフッラ

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パリの古書マーケットからローマへ

パリの大学で『哲学』を勉強したあと、はじめ、僕は本屋だったんだ(笑)。15区Georges Brassens(ジョルジョ・ブラッサンス)という、今でも有名な古書マーケットがあってね。そもそも馬の屠殺場だった場所の構造を生かして作られた、毎週80店舗もの本屋が出る大きなマーケットなんだけど、500年代や600年代の貴重な古書から、気軽な文庫本まで何でも揃うんだ。ジョルジョ・ブラッサンスに店を出すと同時にパリの東の地区に倉庫の一角を借りていてね。そこに人々がもう必要ない、捨てようとしていたLPレコードをすべて引き取って(当時はCDが主流になりはじめた時代だったから)、整理しないままに積み重ね、1ユーロとか2ユーロで売ってもいた。その倉庫の一角にLPレコードマニアたちが、毎週レコードを探しに集まってきていたんだ。彼らは何時間もかかって、欲しいレコードをLPの山から探して探して・・・夕方まで帰らずに、僕と一緒に夕食まで食べて話し込んでいく人もいたぐらい(笑)。台所もあって、僕はそこに寝起きもしていたんだけど、楽しかったよ」

「ところがその倉庫のある地区が、都市開発されることになってね。結局出ていかなくてはならなくなった。その倉庫を出て行ったあと、パリじゅうで違う場所を探そうとしたんだけれど、気に入ったところが見つからなくて。そうこうするうちに、本屋友達から、『ローマで900年代フランス語の本を売ろうと思っているんだけれど、一緒に来て助けてくれないかい』と誘われて、『じゃあ、付き合うよ』と軽い気持ちで引き受けたのが、ローマに来ることになった発端。もちろんパリではイタリア人の友達もいたし、イタリアも好きだった。で、その友達とふたりでローマでちいさい本屋をはじめたのが、ローマで暮らしはじめた理由なんだ」

フランス語の現代文学、詩集、哲学書、漫画、推理小説の本を売る、という野心を持ってローマに来たマヌーと本屋友達は、しかし永遠の都市の非常に複雑な状況に、立ち向かわなければなりませんでした。当時50歳代だった友達の思惑通りには行かず、かなり失望した様子だった、とマヌーはそのころを振り返ります。時はベルルスコーニ首相が隆盛を誇った時期、60年代、70年代にはフランス語を普通に話していたイタリアの若いインテリたちは、もはやローマにはほとんどいなくなっていた。商業的なエンターテインメントばかりが街にあふれ、消費主義が巷を席巻、マスメディアが喧伝する、ベルルスコーニ風原始的快楽文化が街を飲み込みそうでもあった。『フランスの5月』(五月革命)を体験した68年世代のインテリだったマヌーの本屋友達は、ローマに70年代の知的な熱気を夢見ていましたが、当時のローマの文化の有り様の酷さに、2年間すっかりやる気をなくして、持ってきた本をまとめてパリに帰ってしまいます。

フランスとイタリアには思想的にも、政治的にも伝統的な交流があるだろう?  70年代にはイタリアから逃走してきた『赤い旅団』のメンバーをパリが匿ったぐらいだから(笑)。でももはやフランス語の原書で本を読もうとする人が、ローマにはとても少なくなっていたんだ。それでも本屋をしていた2年間はポジティブだったよ。僕らはエキジビションをしたり、フランス文化会館とコラボレーションをしたりと、いろいろ面白いことも企画したしね。それに僕には彼ほどパリに戻りたいという気持ちがなかったんだ。そのときにはすでにローマでコンサートをオーガナイズしはじめていて、LPレコードを売ったりもしていたから。昼間本屋で働いて、夜はヴェスパに乗ってあちこちのスペースにコンサートを聴きにいく毎日、すでにローマとの絆はできていたんだ」

「だからローマに来ることになったのは、そもそもいた古い工場の一角を追い出され、友達に誘われるままに流れてきたという経緯、まあ、偶然が生んだ運命なんだけど、僕は自分が今やっていることを、とても気に入っているよ。まず、パリでこんなスペースを見つけることは難しいからね。パリはローマよりも法律の管理も厳しいし、スペースを持つためにはかなりの資本が必要だ。気軽にガレージを借りたあと、オーソライズされるということも、まずないことなんだ。パリは土地がすごく高いからね。『チェントロ・ソチャーレ(反議会主義の文化的占拠スペース)』もあることにはあるが、いまはひとつかふたつしか残っていないんじゃないかな」

*Gun Kawamuraも曲を提供したWOW は最近人気急上昇のバンド。

「それにローマはパリに比べると断然のんびりしているし、空気が違うよね。それに距離がとても長い。そう、『距離』、これは僕にとって、非常に大切なことなんだ。パリ時代からずっとヴェスパに乗っているんだけれど、パリでギアをトップに入れることは皆無、ありえなかった。だって、ちょっと走ると信号があって、ギアをトップにまで入れる暇なんてないんだから。ローマに来て何よりしあわせだったのは、2kmも信号がないからブレーキを踏むこともなく、トップギアのままヴェスパで走れること。こんなに広々としていて、なんて素敵だ! と思ったよ」

マヌーにその話を聞くまで、わたしはパリのほうがローマよりも断然大きいだと思っていました。「そう、なぜかみんなそう思っているんだよ。ローマはパリの、なんと9倍も大きいというのにね」と、その大きさを比べるのにマヌーが使ったのが環状線。約100kmの距離がある『ローマ環状線』に対して、パリの環状線は30kmしかないのだそうです。確かにローマの中心街はかなりの人口密度で住宅の価格もきわめて高額ですが、少しセンターを離れ郊外へ行くと、道の両脇に空き地が広がる場所が多くあります。

「だからローマで暮らすことは、僕にとってはまったく苦痛じゃないし、喜んでここにいるつもりだよ。とにかくいまの仕事が続く限りはね。失業者への保障が行き届いたパリやベルリンと違って、仕事がないとローマは生き抜くのが難しい場所だから。パリの場合、学生にもアーティストにも国が生活を保障するけれど、ローマはその社会保障が整備されていない。フランスという国が学生の生活を助けることを、僕は好ましく思っているんだ。勉強をすることは大切だよ。学ぶことから、人生の可能性、選択が広がるんだからね」

マヌーのバンド、Holiday Innとローマの音楽

このような経緯を経て、ファンフッラ101をオープンし、多くの仲間たちに出会ったことから、マヌー自身もしばらくやめていた音楽を再開します。初期のファンフッラ時代に、家をシェアしていたアントニオ、ラニエロと組んだバンドがThe Last Wank、その後もBobsleigh BabyTrans Upper EgyptHissといくつかのバンドで演奏し、ファンフッラだけでなく、イタリア国内外でミュージシャンとしてツアーもしている。最近はHoliday Innというバンドでツアーすることが多いそうです。

「最近はじめたHoliday Innというバンドでは、Sofferente(悩み苦しむ)というのを追求しているんだけどね。Trans Upper Egyptというバンドで、ずっとサイケデリックをやっていて、ちょっと方向変換。最近の傾向として、みながサイケデリックに戻っている感じがするよね。声にエフェクトをかけるのが、一種の流行のようになっているしね。もちろん、僕はロックンロール・ガレージも、サイケデリックも好きなんだけれど、しばらくやってきて、雲のなかにいるような気分になって、明瞭に見えなくなってきたんだ。そこで、もっと衝突する、アシッドな音をやりたい、と思ってはじめたのがHoliday Inn。エフェクトをかけるのをやめて、苦悩に満ちた、コンパクトで、歪んだ音をつくりたかった。ボーカルのガブリエーレの悩み苦しむような歌声がアンプからダイレクトに迫って、インパクトあるだろう? ガブリエーレの動きとか、歌い方とか、声には、聴いている者を夢見心地にさせるような、ロマンチックな要素がまったくないし」

*これがかなりのSofferente。マヌーの最近のバンドHoliday Inn。

「このバンドのプロジェクトは、未来をまったく語らないんだ。いうならば、ローマのこのあたりのゾーンの『隠された違法、乱用、犯罪』の空気から生まれてきたのかもしれない。突然生まれたプロジェクトで、こういう音を作ってみたいと思ったところからはじまった音楽なんだけどね。このバンドで、ライブをしょっちゅうするんだけれど、ツアーをして、レコードを作るということは、ちいさい経済循環でも、まず、とても面白いこと。レコードのジャケット作りも楽しいしね。それにHoliday Innというバンドにとって、ライブというディメンションはとても大切で、CDよりもずっと伝わる。いずれにしても次に作ろうとしているCDは、あまり騒々しくなく、ゆっくりしたテンポだし、きっと受け入れやすい曲になると思うよ。5月にリリースを予定しているんだ」

「僕らの周囲には、ポップを好きな人が大勢いるんだけれど、本当のことをいうと、僕にはポップというジャンルがあんまり理解できないんだ。ファンフッラに集まる子たちがみんなポップを好きだということは、Grip Casino(グリップ・カジーノ)のアントニオから学んだんだけど、彼は騒々しくてアシッド、暴力的な音楽を作ることもあるけど、すごくよくポップを聴いていて、そのメロディが確実に頭に残るということを知っている。もちろん、ポップは軽い音楽じゃないし、人の記憶に残ることは確実で、しかしじゃあ、ポップがどんな音楽なのか、と言われても、定義することが、僕にはできないけどね」

パリとローマの音楽性の違いについて尋ねると、マヌーのフランス人の友達は、ヘビーメタルやハード・コアを聴いて成長した人がほとんど存在せず、ハード・コアというジャンルの音楽をほとんど知らないという答えが返ってきた。一方ローマには、メタルやハード・コアを聴いて育った友達が多くいて、たとえばポップやパンクをやっている子たちでも、ほぼ、みんなが知っているそうです。したがってローマのインディ音楽シーンの要素には、メタルやハード・コアの影響がかなり紛れている。ノイズをやっているミュージシャンたちには、特にメタルの影響が強く、それがローマの音楽シーンの特徴だと感じるそうです。

「フランスのなかでも、パリとストラスブルグの音楽は完全に違うんだ。もちろん、それは互いの都市の歴史がまったく違うからだけれどね。ストラスブルグはドイツとの国境から5kmしか離れていないから、いまだに第二次世界大戦のドイツの影が垣間見えることがある。パリはその時代、しっかりと保護されていたから、明るくて、開放的。しかし、あまり思慮深くない音楽表現が多い、といえるかもしれないね。ストラスブルグはどこか暗くて、はっきりしないエレクトロニックが多くて苦悩に満ちている。こんな風に都市によって音楽性が違うのは面白いことだよ」

*マヌーおすすめのMaria Violenza。ぐいぐいたたみかけてくる熱い痛みがわたしも好きです。

「ファンフッラに来る日本人ミュージシャンも素敵だよね。Gun Kawamuraはいまだにみんなのミステリーで、彼がいつやってきたのか、誰も覚えていないのに、誰もが彼のことを知っているんだ。僕のフランス人の友達も含め、誰もがGunのことを覚えていることはとてもファンタスティックだよ! 彼はいつも協力的だし、音楽に対する批判も鋭くて、その批判精神がとても大切だと僕は思っている。いろんなバンドをよく聴いて、よく観ているし、好き嫌いもはっきり言ってくれるしね。最近のアーティストは家で自分の作品だけを作って、他のコンサートへ言ったり、展覧会に行ったりと他のアーティストの作品を見ることが少なすぎるよ。みんな自分のプロジェクトのことしか考えていない。しかしGunも、そして、まだイタリアに来て2年ぐらいのYogo trenoも、常に敏感に他のアーティストを観て、聴いて、感じて、それを自分の栄養にしていくところがあって、そのスピリットを、僕はとても素晴らしいと感じているんだ。彼らはファンフッラにとって、とても大切な存在だよ」

フォルテ・ファンフッラが、5/aのスペースを残して閉じたあとは、運営と資金繰りでかなり困難な時期が続いたそうです。フォルテ・ファンフッラを一緒に運営していた仲間たちが立ち去って、5/aをはじめたとき、マヌーがひとりですべての運営を一手に行うことにもなりました。しかも、フォルテ・ファンフッラの閉鎖のニュースが瞬く間に街に広まり、5/aの存在を知らないまま、人々の足が遠のく日が続いたそうです。しかしやがて新しい運営のパートナーたちが加わり、1年も経たないうちに昔の常連、それも10年前にオープンした当時に来ていた人々が続々と戻りはじめ、新しい顔も増えてきた。

「去年1年は、毎日仕事をしても、正直、運営はなかなか難しかった。自分のバンドでツアーに行く以外は、1日も休まずに働いているから、ツアーに出かけるのが、僕にとっての唯一のヴァカンスかもしれないね。もちろん、ツアー中に完全な休日なんて取れないけれど、イタリア国内でも、フランスでも、久しぶりに友達に会って、一緒に過ごして、家に1泊泊めてもらうことはとても楽しいことなんだ。ローマからちょっと離れることで、リフレッシュすることもできるから。今年に入って、やっといろんなことがうまく運ぶようになったところだよ。この場所はオープンした101番地に似た構造で、あのころの雰囲気が好きな人がたくさん集まるようになったんだ。プログラムも順調に組むことができるようになって、スペースがいよいよ面白くなったところだと思うよ。いろんな人とのコラボレーションも昔と同じようにやっているしね」

「フォルテ・ファンフッラの厳しい状況に直面した時期から考えると、いまの状況を『奇跡』、とまでは言わないけれど、僕らはいまだに成長し続けていると感じているよ。だからファンフッラ5/aの目標は、この場所で、さらになにか特異で、実験的なプロジェクトを、多くのヴァラエティで提案し続けること。ちいさいスペースだから、あまりたくさんの人は入れないけれど、その少人数こそ、とても大切だと僕は思っている。そのちいさいグループから、新しい流れ、面白いカルチャーが自然に生まれてくるんだ」

*ファンフッラ、ピニェートからイタリア全国で、大ブレークしたCalcutta。

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