伝説の「ラストタンゴ・イン・パリ」、監督ベルナルド・ベルトルッチは禁忌に触れたのか

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バターの場面のその後

トラウマに苦しみながらもなんとか俳優として活動を続けるマリアは、1977年ティント・ブラスが監督を務めた大作『カリギュラ』を降板する。暴君として知られるローマ皇帝カリギュラの妹で近親相姦の関係にあったドルシラ役を打診されたマリアだったが、その役柄にヌードや過激なシーンが多いことで制作側と口論となり、降板するにいたった。このころのマリアは映画の降板やトラブルが多々あった。そして1979年に自殺未遂をする。自殺未遂で搬送された病院で初めてベルトルッチ非難をはっきりと口にしたと言われているが、正直なところ、当時の資料は残っているものが少なく、実際のところはわからない。

残っている資料を挙げると、1983年のフランスのテレビ番組『シネマ・シネマ』での短いインタビューがある。「たくさんの役を断ってきた。毅然とした女性の役はなかなかないから。女はいつも男との対比で相手役として描かれるの」。または「どの社会でもそうだけど、映画界実権を握っているのはよ」。いずれも邦訳された『あなたの名はマリア・シュナイダー』からの引用である。このときのインタビューでは、自分の置かれている状況や男性中心の映画界への不満は口にするだけにとどめているが、暗にベルトルッチを責めているともとれる。

はっきりとしたベルトルッチへの非難で現在閲覧できるのは、2007年、イギリスの日刊紙「デイリー・メール」で語られた55歳になったマリアのインタビューだ。

「バターのシーン? マーロン・ブランドアイデアだった。ベルトルッチは何をするのか、撮影直前にならないと教えてくれなかった」

「二人して私を騙したの。私は彼らに暴行されたようなもの。あのシーンは脚本にはなかった。私は拒み、怒ったけれど、最後は「イヤ」と言えなかった。脚本に書かれていないことを俳優に強要しているのだから、エージェントか弁護士を呼ぶべきだった。でも、当時の私は若すぎたし、何も知らなかった。従うという選択肢しかなかった。私はあのシーンを本当の暴行だと思っている。私が映画で流した涙は本物。屈辱の涙よ」

自殺未遂を起こした1979年以降も、マリア・シュナイダーはリハビリに励み、女性のパートナーに支えられながら俳優業を継続する。後年になってこのようなインタビューが残っているのは、時間が経過してようやくあの事件について口にできるようになったからかもしれない。このときにはっきりと「(撮影時の)ベルトルッチの私への接し方を許していない」と発言している。1990年に映画祭で東京に来たときも、そこに居合わせたベルトルッチを無視したという。そして2011年、マリア・シュナイダーは肺がんで亡くなる。享年58歳だった。

ベルトルッチの受難

マリアが亡くなった日、ベルナルド・ベルトルッチは追悼コメントを発表している。

「彼女の死はあまりにも早すぎた。そうなる前に優しく抱きしめたかったし、初めて会った日と変わらず、ずっとつながりを感じていると言いたかった。せめて一度は謝罪がしたかった。『ラストタンゴ・イン・パリ』撮影中の、荒々しく、クリエイティブな関係は、時間の経過とともに毒されていった。マリアは若さを奪われたと言って私を非難していた。今になれば、そんなことはなかったのではないかという気がしている。実際のところは、彼女が若すぎて、映画の予期せぬ成功の大きな衝撃耐えきれなかったんだ」

ここでベルトルッチはマリアに謝罪の意を表している。さらに2013年、パリシネマテークでの講演では、撮影時の詳細について語っている。

「このシーンを撮影するアイデアは、私とマーロン・ブランドが思いついた。パリのアパートでじゅうたんに座って朝食を食べていた。そこでブランドがバゲットにバターを塗りはじめて、私たちは共犯者の顔で視線を交わした。リアルな反応が欲しかったのでマリアには言わないことに決めた」

「マリアは映画に賭けていた。とても若くて、当時はまだ20歳になったばかりだった。ずっと私とこの映画のことを恨んでいた。搾取されたと思ったからだ。残念ながら、把握できないほどの騒動に巻き込まれたときに、こういったことが起こりがちだ。彼女は本能的知性を持っていたが、自分に起こったことを浄化する術は知らなった。おそらく私はマリア・シュナイダーにとって罪深い人間だが、私を有罪に処すことは誰にもできない」

この発言は2017年、#MeToo運動が世界各地で盛り上がりを見せると、SNSなどで改めて注目を集め、ベルトルッチは世間から激しく糾弾されることとなる。その後は複数のインタビューで「マリア・シュナイダーが事前に知らなかったのはバターを使うことだけ」「マリアに対して罪悪感を持っていてずっと謝りたかった」と強調する発言を繰り返している。

まとめると、マリアにはひどいことをしたし謝りたいが、彼女が若すぎたゆえにその後の環境の変化に耐えきれなかったという主張だ。#MeToo運動以前と以後で意見を変えていないという意味では正直だが、「マリアが若すぎたから」という弁明無責任にも思える。こうして、数々の国際映画賞を獲得した巨匠ベルトルッチは、『ラストタンゴ・イン・パリ』の事件という一点においてキャリアに泥を塗った形で、2018年に亡くなっている。

マリア・シュナイダーとマーロン・ブランド

ここまで資料を読んでみて、新たな疑問が湧いた。バターのアイデアはマーロン・ブランドが思いついたという事実が、マリアとベルトルッチ双方の発言からわかる。さらに2007年の「デイリー・メール」のインタビューでは、マリアは「彼らに暴行されたようなもの」と、主語を「彼ら」にしている。にもかかわらず、実際に非難されていたのはベルトルッチ一人だけだ。確かに最終的な判断を下した監督のほうが重罪かもしれないが、なぜマーロンは許されて、ベルトルッチのみが許されないのか。

理由の一つはマリア・シュナイダーとマーロン・ブランドの関係性にあると思う。『あなたの名はマリア・シュナイダー』でもマリアが「マーロンとのつながりを断ったことはなかった」として、手紙のやり取りを交わしていたことを明かしている。さらに同書で、マリアは「あの男(ベルトルッチ)は私と同じくらいマーロンを苦しめた」と打ち明けている。彼女がマーロン・ブランドのことを加害者ではなく、自分と同じ被害者として捉えていたのだ。

「ラストタンゴ・イン・パリ」マリア・シュナイダーとマーロン・ブランド。Le Mondo紙より引用。

少し時間をさかのぼるが2004年、マーロン・ブランドが亡くなったときのマリア・シュナイダーのコメントを見てみよう。

「マーロンは私の若かった頃を思い出させてくれます。気性は激しいところはなく、その真逆、親切プロフェッショナル控えめな人でした。そして自分に対しても他人に対しても誠実な人だった。それは誰かによっては欠陥だったのかもしれない。あのセットで何度も助けられた。苦しいときは、彼を見て心を落ち着かせた。ときどき連絡を取っていたけれど、4年前、驚いたことに私のもとに手紙が届いた。中身は秘密だから言えない。でも私がずっと感じていたことの答え合わせができた。それはマーロンが偉大な俳優であり、偉大な人間ということ。思ったことを素直に発言する人だから、いつも尊敬していた」

なんという心酔ぶりだろう。もう一つ重要な資料を見てみよう。2014年、マーロン・ブランド没後10年に際してレプッブリカ紙の付録雑誌ベネルディに掲載されたベルトルッチのインタビューだ。そこではマリアとマーロンの関係だけでなく、マリアとベルトルッチの関係も浮き彫りになっている。

「マリアは私たち二人から利用されたと感じていた。でも監督はいつも俳優に優しく接するわけではない。彼女はとてもフェミニストで、とても無知だった。私は彼女に怒鳴ったものだ。「きみは本屋の娘(※訳注:マリアの母はパリで書店を経営していた)なのに、どうして本を読まないんだ? バカみたいに無知なままで俳優が務まると思うなよ」。私たちの関係性はとてもダイレクトだった……

……(バターの場面の)撮影が終わると彼女は怒り狂った。マーロンが彼女を楽屋に連れて行って、30分ほど抱きしめていた。それでことは済んでいた。最初の頃はそれで納得していた。だいぶ後になって、彼女は私のことを悪く言いはじめた。私が彼女を虐待したと言うようになった」

バターの場面は事前に知らされていたのか、いなかったのか。撮影後、マリアは怒り狂ったのか、ふさぎ込んだのか、はたまた談笑したのか。インタビューの状況や年代によって、本人たちの証言にもブレがあるように思う。ただ、これらの資料を見てきたなかで浮かび上がるのは、マリアをケアするマーロン・ブランドとは違い、撮影時にパワハラまがいの雑言を浴びせていたベルトルッチは、そもそもマリアと良好な関係を築けていなかったという事実だ。そんななかでバターの場面が決定打となり、二人の関係は歳月をかけて悪化していった。

ベルトルッチの事件においては、バターの場面ばかりが語られているが、それ以前にベルトルッチがマリアにどう接していたか、また映画公開後、マリアをどうケアしたかも含めて考えられるべき問題であり、#MeToo運動で糾弾されている他の映画監督やプロデューサーの性的虐待とは異なる性質を持っている。地位が高い監督が新人俳優を陵辱したというシンプルな構図ではないのだ。ベルトルッチに謝罪したいという気持ちがあった。もし早期に、積極的に行動に移していたなら、後年、マリアとの関係を修復できたように思えてならない。

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