人が暮らすローマの現代美術館 : Matropoliz-MAAM それから

Cultura Deep Roma Intervista Occupazione

MAAMは、dono(贈与、贈りもの)で構成された、無宗教のカテドラル(聖堂)とおっしゃっていたが、具体的にはどういう意味なのか。

そう、MAAMは『贈与』、すべて贈りものだけで成立していて、それを人々と分かち合い、それぞれがその贈りものを寛容に受け入れあう場所でもある。しかしこの『贈与』という概念は、決して宗教的なミッションではなく、カトリックとは何ら関係がない。それでも僕はこの場所をカテドラル(聖堂)だと考えているんだが、というのも中世、建築家、アーティスト、そして職人たちがそれぞれの役割を担い、協力しあってひとつのカテドラルを建造していたわけだよね。そしてそのカテドラルは、全ての市民の家でもあった。しかし今日、教会はもはやみんなの家とは呼べない状況だからね。MAAMのような美術館こそ、われわれみんなの家、と呼べるのではないかと考えているんだ。

イタリアの法律では、市民全てに解放されるべき『公共の場』『公共財産』(広場、遺跡、道路、劇場、美術館など公共の建造物)が定められていて、最近、ローマでは『公共の場所』についての議論がよく巻き起こる。MAAMにはアーティストが次々にやってきて作品を寄贈して、その作品群が集まることで – つまり中世のカテドラルがそうして出来上がったように – ひとつの大きな作品へと変貌していき、いわば『公共の場』、市民のカテドラル、ともなったと思うんだ。

MAAMには著名なアーティストたちもたくさん訪れているが、ここでは誰ひとりスーパースターとしては振る舞わなかったんだよ。有名無名に関わらず、アーティスト同士がそれぞれリスペクトしあって、まるで中世の職人たちのように調和の中で仕事を進めたんだ。もちろん、ここから一歩外に出れば、著名アーティストたちはスーパースターとして振る舞い、アートの世界に渦巻く激しい競争の中に身を置くことになるんだけれどね。そういうわけで、アーティストたちにとっても、ここはちょっとしたラグーンでもあり、カテドラルだったというわけさ。

個人的には、僕は全く宗教を信じていないよ。つまり、『無宗教』という宗教を信仰しているというわけだけどね。無宗教というのも、一種の宗教のようなもので、神の存在を証明できないのと同様、神の非存在も証明できないわけだから。したがって僕は、神を信仰しないということを信仰している(笑)。なぜ、僕がこんなことを言うかといえば、イタリアで生活に困窮している人々をサポートするのは、多くの場合、カトリックのボランティアばかりだからなんだ。

僕がこの場所が好きなのは、「占拠」をしている人々が、自分たちの生きる上での権利をきっぱりと主張し、闘っているからだ。彼らは恵みを乞うのではなく、最低限の生活の保障のための権利の主張として「占拠」を通じて闘っている。アーティストたちがここにきて占拠する人々のために作品を贈るのは、ある意味政治的な署名運動にサインするようなものだよ。アーティストたちはここにきて、人間には全て、生きる権利があり、住居の権利があり、子供達は教育を受ける権利がある、という主張に、作品を贈ることによって賛同の意を表明しているんだ。

そういう理由で、MAAMを『政治的美術館』と定義されているのですね。

というか、僕らが現在、『美術館』と呼んでいるこの場所は、すでにそう呼んだ時点で政治的な意味合いを含んでいるとも言える、と考えているよ。僕らは、国家の制度としては、認められていない場所を選び『美術館』と呼び、僕らそのものを「制度」として、誰からの命令も受けず自己完結、つまりあらゆる制度から独立した場所としてこの美術館を構成した。まず、このスペースは、権利は全ての人に平等にある、と言うことをはっきりと語る場所。住まいを失って緊急の状態にある人々は、即刻屋根のある家を必要とするし、身分証明書も必要だ。地球上を自由に歩き回る権利は誰にでもあり、移民や難民にはそれができないなんて、おかしいじゃないか。MAAMは、決定的に、この場所に住む人々のために存在している。それが僕らが言う『政治的美術館』という定義だよね。

イタリアには、L’Articolo5という法律があって、パスポートなどの全ての身分証明書は、住所、つまりレジデンスから派生することになっているんだ。つまり役所が認める住所がなければ、子供を学校に行かせることも、医療サービスも受けることができないという社会になっているんだよ。したがって、レジデンスを持つことができない人々は社会的な存在が認められず、排斥されるという構図が生まれる。経済の悪化により困窮し、家を借りるための家賃を払うことができない住所のない人々は、イタリア人であっても市民としては認められない。だからイタリアの社会では、貧富の差を巡り、激しい闘争が繰り広げられることになるんだ。

レジデンスがないために市民として扱われず、学校にも通えず、医療サービスも受ける権利がない、などという、人間の存在そのものを否定する、倫理的に間違った法律そのものがおかしいと思うが、法律が存在する以上、僕らはその管理下に置かれざるを得ない。その法律のせいで、何万人もの人々が、いよいよ困難な状況に直面してというのに、だ。だからこそ僕らは闘っているんだ。その状況と『違法』で闘う

さらに、この闘いには、さまざまな前線があるとも思っている。最も困窮した地域に文化、アートを行き渡らせ、全ての人が住居を持つ権利を、全ての子供達が学校に通う権利を、医療サービスを受ける権利を、この闘いによって今一度確認しなくちゃいけない。貧困に喘いでいるからといって、足元を見られて契約しない仕事で搾取され続ける必要なんてないんだ。誰ひとり、今、困窮しているからといって、さらに状況が悪くなるような人生を送る必要はない。国、制度は、困難な立場に置かれている人々のことなど、気にかける様子はないが、全ての人に、自分の人生や取り巻く状況が良くなる、と希望を持てる瞬間が訪れるべきだ、と僕は思っている。だいたい『国』っていうのは権力者たちの私腹を肥やすためにしか機能していないだろう? 最も弱い人々を助けようとする政策を示さない。しかし僕らはその状況に抵抗することを試みなければならないよ。できる限りね。

ローマ市政が賛同を評したMAAMのあり方と、ローマ市営美術館MACROはどのようにクロスしていくのでしょうか。

現在もMetropoliz、つまり「占拠」をしている人々と、この工場跡の所有者との裁判は続いているし、常に強制退去の脅威もある。ただ、ローマ市がMAAMのあり方に興味をもってくれているから、多少の防衛をしてくれてはいる。しかしこの工場跡は、ローマ市が所有する公共財産ではなく民間の私有財産だから、ローマ市が裁判そのものを中止するわけにはいかないからね。だからローマ市は、ただ興味を持つだけでなく、実際に所有者と会って交渉し、たとえばこの土地を『公共財産』にするなど、さまざまな方法で、もっと積極的に働きかけてくれる必要がある。いずれにしても近い将来、このスペースがどのような形になるか、はっきりすると思うよ。

さらにローマ市は、僕らのMAAMのこの経験、キャラクターを、もちろん物理的な意味ではなく、なんらかの形で公共の美術館であるMACROに持っていきたいと考えている。そして僕らは現在、MACROに、MAAMの経験を持ち込むにはどのようにすべきか熟慮しているところなんだよ。公共の美術館に適応させるために、MAAMでの経験の内容を変化させなければならないし、もちろん最終的には違う形になるわけだが、皆がスペースを共有するというスピリットとアートを組み合わせることで、ローマという都市を成長させるための美術館になるはずだ。「市民」と「市政という制度」という関係ではなく、両者が真に出会うようなスペース。そしてそこではアートが両者を成長させるための舞台となる。そのスペースは、まずcivile(文化的)でなければならないし、そのスペースに入った人々が出てきた時には、なんらかの良い変化をもたらすような、そんなスペースを創り上げることが理想だよね。

しかし、「人々に変化をもたらす」といっても、特殊な形、たとえば人々の感情を喚起する大仰なスペース、という意味ではないんだよ。また、美術館に通う市民が少ないから、観客を増やすするために工夫する、ということでもない。まず、美術館に行く、という経験が、人々の魂の成長を促すものでなければならないし、何といっても、ローマという都市そのものを成長させるスペースでなければない。また、僕が言っている文化的な成長というのは、現代アートを知的に理解する、ということではなく、アートを通して世界を理解する、ということだ。美術館の観客を増やすのではなく、人々の文化クオリティというものを高めたいと考えている。

アーティスト、キュレーター、そして文化人類学者と、たくさんの肩書きをお持ちですが。

自分は自分が何者か、と定義されることはあまり好きじゃないんだ。職業は常に変えたい、と思っている。MAAMでは門の鍵を持つ門番(笑)以外に3つの機能に関わる仕事をしている。ひとつは自分自身がアーティストとしてMAAMという作品を実現したわけだけど、このスペースを歩くことで、僕はここで『フィオルッチ(サラミ工場)の廃墟』という作品を見る。そのとき僕はこの光景そのものを作品として見ているわけだが、その場合、僕はキュレーターではなくアーティストとして、フィオルッチの廃墟という作品の中で、他のアーティストとともに一緒に作品を作っていくことを考えるんだ。

キュレーターとしては、MAAMを機能させるために、どの場所に作品を創ればいいか、配置を考え、それにまつわる問題を解決する。また、人類文化学者としては多様な文化、多様な人々を識っている、という経験から、人々の状況を把握、数々の問題をどのように解決すればよいのか、その方法を多少簡単見つけることができると思っているよ。自分の習慣とは全く違う文化、違う言語を話す人々がどのように考えるか、ということが理解できれば、その違いのなかに自分を置くことに慣れるものだし、たとえば他のアーティストたちと良い関係を結ぶためにも、彼らが何をしたいのか、何を考えているのかを理解するようになる。プロジェクトを進行するためには、常にポジティブな要素を見つけることができなければならないからね。

わかるかな。それは他の人がよく見えるようになる特別なメガネをかける、ということなんだけれど。美醜の価値観というのは、人それぞれだから、自分が良いと思うものが、他の人も良いと思うというわけではない。それでも、自分も、また他人も、互いに互いのクオリティを認知しあわなければならないじゃないか。そしてその中で調和を探ることは、とても文化人類学的な仕事だと思うよ。皆それぞれが違う見方を持っているのが普通だし、その違いはリスペクトしあわなければならない。違いは問題ではなく、豊かさなんだから。

MAAMは続く限りやっていきたいと思っている。ここの住人たちが許す限り、アーティストが訪れる限り。そしてMAAMのプロジェクトは、まず何より、ここで暮らす住人たちに住居を保証しなければならない。現在はここに住まいがあっても、まだ強制退去の危険性もあるわけだから、確実な住居の保証が必要だ。さらに時が進むうちに、新しいアイデアが生まれ、自ずと違う方向へと動いていく可能性もあるかもしれない。

最後にデ・フィニスに「アートとは何なのか」と問うと、「アートは人間のひとつの特徴的な本質で、流動的なもの。視覚から入る、言葉を必要としない言葉、僕らの思い込みや経験から得た常識を超えたところに存在して、内面の動きを見せてくれるもの」という答えが返ってきました。

アーティストは、世界をいつも違う視点から見ていて、無限の豊かさで分断を修正し、文化を創っていく。アーティストひとりひとりが自ら流動するキャパシティを持っている。アートはいつも新しい答え、つまり未来を創る可能性を秘めていると思うよ」

アーティストたちがMAAMに贈った作品の市場価格は、賠償が怖ろしくて当局が踏み込めないほどの高額となっています。逆説的ではありますが、市場至上主義から基本的人権を奪回するための「占拠」を、マーケットがバリケードとして保護するという、まるで「ウロボロスの蛇」のようなユニークなアイデアで、MAAMを一躍「世界唯一の生きた美術館」にしたデ・フィニス。彼がディレクションするローマ市営美術館MACROが、どんな美術館になるのか、今から楽しみにしているところです。

また、MAAMはいまやトリップアドバイザーでも紹介される、ローマ通の隠れた名所となりました。ローマにいらっしゃる際は、ぜひ、プレネスティーナ通り913番地にある、毎週土曜日だけ開館するMAAMにお立ち寄りになってみてください。「廃墟ばかりのローマに、こんな面白い廃墟まであったとは!」と驚くこと間違いなしです。

 

 

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