イタリアで本当にレイシズムは拡がっているのか
そういうわけで、わたし自身も日常的に差別的な発言や出来事にちょくちょく遭遇するようになったため、イタリアの空気がみるみるうちに変化した、とことさらに感じていますが、ひょっとすると、それはわたしにだけ偶発的に起こったのかもしれない、あるいはメディアの報道に無意識にコントロールされているのかもしれない、と、ネットをうろうろするうちに、インターナショナル誌の「レイシズムの攻撃は、イタリアで本当に増えているのか」という記事を見つけました。この記事に明確な答えがあるわけではないのですが、イタリアの傾向がざっくりとは理解できます。以下、意訳、要約してみます。
この数年の間に、差別主義的エピソード、外国人に対する憎悪による犯罪、敵意を露わにした行動、乱暴、クセノフォビア現象が、心配なほど増えているように思える。2018年の夏から、メディアは「差別主義の危機」を声高に報道しはじめ、一方マテオ・サルヴィーニ内務大臣と彼の政府は、「そんなことはない」とその緊急アラームを認めようとはしないが、いったいどちらの言い分が正しいのだろうか。
なぜそんなことが起こるのか、その原因を特定することは難しいのだが、近年イタリアでも他の多くの西洋諸国と同様に、人種、宗教、民族の相違による憎悪を動機とした犯罪が増えている。しかしイタリアにおける問題は、他の欧州諸国が持つような、その種の犯罪の統計を取ったオフィシャルなデータが存在しないことなのだ。警察に届けられた差別的行為を監視するために、2010年に内務省がOscadというエージェンシーを創設しているが、この統計は最新とはなっておらず、いまだ2018年のデータが公開されていない。しかし2016年、2017年の統計から見るならば、2016年が736件に対し、2017年は1048件と確実に増えている。
その他国家機関としては、司法省がこの種の犯罪で行われた裁判から得たデータを持っており、一方、首相府は、イタリア全国の差別案件を監視するUnarを創設、統計を取っている。そのUnarのデータによれば、人種、民族を動機とした差別案件が、全体の報告の82%を占めるまでになり、それに続くのが障害者差別、性差別となっている。
このようにオフィシャルな機関による統計が明確ではなく、統一されていない現在、ジャーナリストたちやエキスパートたちの重要な情報ソースとなっているのは、アソシエーション『ルナリア』が2007年から集めているアーカイブである。『ルナリア』はしかし、彼らが持つ差別案件のアーカイブは、日々のニュースをモニタリングしたものであり、統計学的にはあまり意味がなく、オフィシャルな研究としては引用できないことを強調している。
「われわれのアーカイブ作業は、2007年、ロベルト・マローニの時代(『同盟』が『北部同盟』であった時代、ベルルスコーニ政権における『北部同盟』内務大臣で、やはりイタリア国内の外国人に厳しい法律を課した)に、イタリアもまた差別主義に無縁な存在ではなく、むしろその傾向は拡大していることの証明を目標にしたものです。われわれから見れば、現状は緊急ではないにしても、長い間、公で議論されることがなかったために起こった構造的問題だと思っています。現在、『差別』はメディアの分野から大きな注目を浴びているテーマですが、今のようなスキゾフレニア調の報道の仕方では、誇張されることになって真逆の方向へと向かい、起こっている出来事を理解する以前に、いたずらに分断を深めてしまうことになります」
さらにルナリアのメンバーは、イタリアにオフィシャルなデータがないことに加え、透明性が欠けていることを指摘。系統だてたオフィシャルなデータを公表することに国はあまり積極的ではなく、差別に基づく憎悪による犯罪の定義にも問題があると言う。また、「言葉による暴力」と「肉体的暴力」をルナリアは区別しており、その分析によると近年、特に異常なデータとして、「肉体的暴力犯罪」(死に至るまでの暴力、所有物の破損など)が、著しく増加しているようであり、この傾向はOsce( 欧州安全保障協力機構)のデータとも合致している。
「移民・難民に関する、非常に攻撃的な政府の議論が影響しているかもしれませんが、だからと言って、緊急事態だと決めつける発言を鵜呑みにしてはなりません。この10年間、難民の人々に関して、一般の人々の意見が真っ二つに分断する傾向を観察してきましたが、2017年の時点で、すでに人種差別的な行動を正当化するような動きが起こりはじめています。そしてこれが近年の新しい動きです(後略)」
このところ、メディアが人種差別犯罪や出来事を、イタリアの緊急事態として次から次に流すので、逆にその報道が逆作用して人種差別を増長させるケースもあるのではないのだろうか、あるいは状況の衝撃が薄れ常態化する、と同時に人々の注意を惹かなくなるのでは?とも考えていたので、この記事を読みながら、わたし自身も、もう少し冷静に事態を注視すべきだと考えました。仮説にしか過ぎず、レイシズムの心理構造を分析する事も出来ませんが、ある種の「犯罪」の過剰報道により、その真似をする者たちが現れ、次々に同じような「犯罪」が起こる傾向があることに似ているのではないか、と思います。
また、わたしの日常のあちらこちらで、差別的な出来事の話を多く聞くのみならず、議論がないままに、右・左、ファシスト・アンチファシスト、敵・味方、という単純な社会の分断が日に日に増していることをも実感しています。たとえば見慣れた街角の建物の壁に、いつのまにかいびつなハーケンクロイツが踊り、「VIVAファシスト!」と殴り書きしてあるかと思えば、次の日には、その横に「ファシストはいますぐ消え失せろ」と上書きされていたりする。わたしはといえば、その争いがエスカレートしなければいいが、と思いながら、その横を静かに通り過ぎるほかありません。
現段階の結論としては、イタリアは緊急事態とは言えないが、人種差別に関する犯罪、特に肉体的にダメージを与える犯罪が増える傾向にあり、しかしオフィシャルな統計がないため、明確な数字としてそれを把握することはできない、ということでしょうか。しかしこれほど世間が騒いでいるのに、なぜイタリアの国家機関は、統計を取らず、向き合う事もなく、事態を曖昧にしたままなのか。
いずれにしても『同盟』の支持率は、相変わらず上昇したまま、いまや『5つ星運動』に12ポイントも差をつけ、約33.7%を誇るほどになりました。なお、『民主党』と『5つ星運動』の支持率は、前者20.3%、後者21.8%で2ポイントを切る僅差となっています(3月11日、La7による調査)。
そういうわけで、なぜグリッロが「レイシズムは存在しない」と発言したのか、その本意はいまだ不明ですが、人種、民族に対する差別意識もまた、エゴイズムの表れであり、他の問題も含め、イタリアの人々はもっと大きな視野を持ち、あらゆる問題に取り組むべき、という意味であったかもしれない、と考える次第です。さらに好意的に深読みするなら、『同盟』の思惑通りにこれ以上レイシズムを強調して膨張させるべきではない、という意図もあったのかもしれません。
ところで最近、不安定な状況に陥っている『5つ星運動』は3月11日、ルイジ・ディ・マイオ副首相、ダヴィデ・カサレッジョ (創立者のひとりであり、早逝したジャンロベルト・カサレッジョの息子で、オンライン投票のプラットフォーム『ルッソー』の責任者)が創立者となり、前述したように ベッペ・グリッロは保証人に退いています。
▶︎ローマのエスニック・ゾーンのカーニヴァル