スパドリーニ広場の難民の人々と支援団体Baobab

Cultura Deep Roma Occupazione Società

急がれるローマ市の対応

こんな出来事にも遭遇しました。その日、スパドリーニ広場に行くと、リビアからの船に乗ってシチリアへたどり着き、南イタリアの都市を経由してローマへ来た、ふたりのエリトリア人法律的な滞在手続きのためのインタビューがちょうど行われているところでした。ひとりはまだ18歳のあどけなさの残る青年、もうひとりは40歳ほどの男性で、ボランティアの女性と通訳の女性ふたりが、名前や年齢、出身地、ローマへ来た経緯など、手際よくインタビューしたのち、方々へ手短かに確認の電話するうち、40歳ほどの男性の頬一筋の涙が突然こぼれ落ちたのです。「わたしには妻と4人の子供がいるのに、電話をかけて無事を伝えることもできないなんて」と掌で顔を覆います。その涙に、周囲の誰もがやりきれない思いを抱きました。

ボランティアの人々は、ほぼ毎日、この場所に来る全ての人々の、それぞれの重い現実に対峙しなければなりません。それはかなりの精神力を要する上に、大きな責任を問われる仕事でもあります。男性の涙にもらい泣きをしながらも通訳の女性とボランティアの女性は、やさしく彼の肩を抱いて、何時間もふたりの男性と話し合い、彼らが取るべき最も有効な方法を慎重に探っていきます。ボランティアたちのこのような丁寧なサポートは、難民の人々の間でも口コミで伝わり、バオバブを頼ってスパドリーニ広場へやってくる人々が多くいるそうです。また、以前バオバブにしばらく滞在したのち、無事、住居や仕事を見つけ、今度は自分が難民の人々の通訳やボランティアとして手伝いにやってくる青年にも何人か出会いました。

「現在バオバブ・エクスペリエンスは、このスパドリーニ広場で、彼らに法的な滞在許可のドキュメントをリクエストするための法律的なプロセスをはじめ、さまざまなサポートをしているけれど、もちろんバオバブだけではなく、他の多くの市民アソシエーションと協力しながら進めているんだ。例えばCIR(イタリア亡命センター)Action diritti in Movimento(権利のためのアクショングループ)Medu(人権のための医療団)A buon diritto(人権侵害の報告を、市民の意見として政府議会に反映させるアソシエーション)Radicali(70年代、『鉛の時代』から、多くの人権問題を提起、法律化した実績を持つ急進党)など。Meduは火曜日と木曜日にこの広場で、人々の健康状態を診て、必要な薬を供給している」

MEDUの医師は、大きなトランクに薬を積んでスパドリーニ広場で、難民の人々の健康状態の相談にのります。

ボランティアのひとり、ヴァレリオ・ベブアクア氏に現在のバオバブ・エクスペリエンスの活動の概要を説明していただきました。Meduの医師たちは、難民の人々が欧州に辿りつくために、どれほど困難な状況に遭ったのか、それぞれの告白を記録アーカイブにしているそうです。特にリビアの刑務所では、酷い拷問に遭った人も数多くいる。わずかなガソリンを積んだ航海が危うい粗末なゴムボートへの斡旋ビジネスとする(犯罪組織とも言われています)の仲介で無理やり乗せられ、イタリアに辿り着いた人々です。子供達も含め、最後の難関である地中海で生命を落とした人々が多く存在する。Meduの医師たちは、身体的な暴力緊張は、同時に心理的にも大きな暴力となる、と訴えています。

また、吹きざらしのスパドリーニ広場の状況、特に気温が大きく下がる冬の夜のテント過酷です。毎日ボランティアの人々が温かい食事を用意して持ってきてはくれても、トイレもなく、シャワーもなく、プライベートな空間もなく、特に数少ない女性にとっては耐え難い状況だと思います。それでも若いボランティアの人々と冗談を言ったり、サッカーをする時の彼らは、若く、力強く、溌剌とし、美しくもある。それぞれに性格もありますが、 2度、3度訪ねて顔なじみになると、「なんで昨日、来なかったの?」と気軽に声をかけてくる青年もいます。

「今ここにいる人々は、他の国へ行くためにローマを通過地点として、1週間ぐらいで国境のある北イタリアへ出発する人々もいれば、Asilo Politico Protezione Internazionale (国際協定に基づく亡命ビザ)をリクエストし、住む場所を模索している人々もいる。今日は、今いる彼らに加えて、新たな人々が到着することになっているが、これから本格的に春が訪れ、温かくなると、もっともっと増えてくると思うよ。シチリアに上陸する船が多くなれば、ここに来る人も自動的に増えるはずだ」

「僕らはこの2年間で60,000人以上の難民の人々を受け入れたんだ。春や夏になると、700人、800人の人々がここを訪れることが予想されてもいる。この状況下で僕らが望んでいるのは、まず第一に、彼らを尊厳を持って受け入れる、という姿勢。本来は国の機構が考えなければならないことだけれど、今、イタリアではその機構が機能していない。今ここにいる彼らをサポートする機関がまったくないのなら、僕ら市民がやらなければならないじゃないか」

「僕らもローマ市に、今のこの状況を一刻も早く解決できるようにリクエストしているし、話し合いの場を何度も持っているんだよ。例えば、僕らはまず最初の受け入れをする『ハブ』をローマに作ることを提案している。これからの季節、どんどん彼らの人数は増えるわけだし、テントを張る許可も必要だ。しかしローマ市は、それは不可能だ、というんだ。彼らが僕らに提案しているのは、この地域にある建物を6月までに修復して60人の人々を受け入れる施設を作る、ということだが、たったの60人では、ほとんど意味をなさない。6月には一体何人の人々がここに来るか、今の時点ではまったく予想がつかないのだからね」

クーパ通りに場所を構えていたセンターが強制退去されたのち、行き場なく公共の広場で難民の人々を受け入れざるを得なくなったバオバブ・エクスペリエンスに、住人や通行人からは当然のように抗議が起こり、当局の圧力も強くなってきたのだそうです。冬期の最も寒い時期には、「赤十字」がテントを張って92人の難民の人々を受け入れる、という動きもありましたが、増え続ける難民の人々の受け入れのための根本的な解決策は未だ見つかっていない。「難民の人、ひとりひとりに尊厳ある受け入れを」とバオバブ、その他のアソシエーションのボランティア、また多くのアクティビストたちがローマ市と議論を繰り返している最中、市は現在の状況をシステム化することには前向きでも、実現の動きは今のところ具体的には見られません。

ローマは他の欧州の大都市の中でも、特に難民の人々への対応が遅れていると言われています。一日に300人から500人の人々がローマを通過するにも関わらず、ハブとなる公共の施設がなく、リビアから到着する船は年々多くなり、北ヨーロッパの国々が国境を閉じはじめたことで、事態はいよいよ急を要する事態となっているのです。

話を聞かせてくれた22歳のサンバ。

さて、スパドリーニ広場でサッカーに興じる青年たちの写真を撮っていると、ひとりの青年が話しかけてきました。ガンビアから来たという英語が堪能なサンバという青年でした。しばらく立ち話をしたのち、話を聞かせてほしいとお願いすると快諾してくれました。

「多分人類は、歴史上今までに体験しなかったような酷い状況を体験している、と僕は思うんだ。自然環境壊滅的状態は目も当てられないし、世界の政治もめちゃくちゃ。そう思わないかい? 僕はガンビアから来たんだけれどね。ガンビアだよ。知らない? セネガルの内側にある国。専制政治がどうしても嫌で、未来を信じて飛び出して来たんだ。他の皆と同じく、リビアを通って、船に乗ってシチリアに来たんだけれどね」

「しばらくあちこちを動いたのち、このスパドリーニ広場には、僕の法律的な手続きをしてくれている弁護士に教えてもらって来た。今のところ、しばらくの間、ここに滞在することになりそうだね。リビア?リビアは言語を絶する酷い状況だよ。暴力に満ち溢れている13、4歳のちいさい子供まで装してるんだよ。その子たちがこっちにおいで、と手招きしても近づいちゃいけないんだ。不用意に近づいていって、銃で撃たれた者を、僕はこの目で見たんだから。本当だよ。簡単に人が殺される日常だなんて。まったく酷い状況だ」

イタリアに来て、屋根もないところで過ごさなければいけないことにはすっかり落胆しているよ。今のこの状況では何ひとつ未来が見えず、自分でプロジェクトすることもできないからね。一切の停止状態。どうしていいのか今のところさっぱりわからない。しかしね、僕はイスラム教の『神』の存在を信じているからね。神は僕を超え、僕の人生を超えた存在だから。だからこれからのことをあまり考えすぎないようにしているんだ。過去のことも、未来のこともあまり考えてばかりいると、悪い方向へと導かれていくから。神が導く方へと行くしかないじゃないか」

自国語以外に4カ国語が操れるという彼、サンバの望みはサッカー関係の仕事に就く、ということでした。ガンビアでは、チームに属して、実際に選手として活躍していたのだそうです。落ち着いた、腹の据わった口調で、自らの意見を明確に主張する青年でした。

スパドリーニ広場で未来がはじまることを待っている彼らは、それぞれがそれぞれの意見を持った、前途ある青年たちです。同時代に生きる人間として、多難を超えて欧州にたどり着いたこの青年たちの運命が、彼らの味方となってくれることを、心から願う。

いずれにしても、何度かバオバブを訪ねて目の当たりにした、若いボランティアの人々の真っ直ぐで誠実、そして共感に溢れるサポートには、毎回胸が熱くなりました。こんな人々、若者たちがいる世界の未来は捨てたもんじゃない、と強い希望を持つ、わたしにとっては大変重要な出会いとなった次第です。

スパドリーニ広場でサッカーに興じる青年たち。

RSSの登録はこちらから