「すべては聖なるもの」: P.P. パソリーニ生誕100年、ローマで開かれた3つの展覧会 Part1.

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今年2022年で生誕100年となるピエール・パオロ・パソリーニのメモリアルとして、「Tutto è Santo(すべては聖なるもの)」をタイトルに、ローマの3つの美術館で展覧会が開かれています。今年に入って、パソリーニのゆかりの地であるオースティアをはじめ、ローマの各地で展覧会やイベントが開かれていましたが、ひとりの詩人、ひとつのタイトルで、ローマ市立美術館(Palzzo delle Esposizioni)、Maxxi(国立現代美術館)、バルベリーニ宮(Barberini Gallerie corsini Nazionale)という、ローマの重要な美術館において、これほど大がかりな展覧会が開かれるのは異例です。さらに、Macro(ローマ市立現代美術館)では、パソリーニとエズラ・パウンドをテーマに、ローマ市立近代美術館(Galleria dell’Arte Moderna)では、パソリーニ自身が描いた絵画の展覧会が開かれ、ローマ市が全面的にバックアップした映画の上映会、イベントが、毎日のようにどこかで開催されています。

Tutto è Santo「すべては聖なるもの」

ローマでは、今までも何度かパソリーニを巡る大きな展覧会やイベントが開催されましたが、今回の「Pasolini100」ほど大規模な、もはやキャンペーンと呼んでも差し支えがないような1年はありませんでした。特に「すべては聖なるもの」をタイトルに開かれた3つの美術館での展覧会は、パソリーニが最も重要視した「身体」をコンセプトに、ヴィジョナリーでもある、この類まれな詩人の普遍性を表現すると同時に、イタリアの60年代、70年代という、最も暗い『鉛の時代』のカオスをも体感できる、濃厚な空間となっています。

「詩的身体(il corpo poetico)」(ローマ市立美術館)、「予言的身体(il corpo veggente )」(バルベリーニ宮)、「政治的身体(il corpo politico)」(Maxxi)と、それぞれの「身体性」がテーマとなった3つの展覧会では、言葉、写真、映像、音、絵画が展示され、パソリーニの、いわば「人間離れ」した感性生命力が、時間を超えて静かに押し寄せてくるようでもあり、何より、20代から30代の若い世代の人々が多く訪れ、展示されたひとつひとつの原稿や記事、写真を、時間をかけて読んだり、観たりしていたのが印象的でした。

なお、3つの展覧会の全体を一括するタイトル「すべては聖なるもの」は、1969年に撮影された映画、「王女メディア」の冒頭にあるケイローンの語りから選ばれたものです。

すべては聖なるもの、すべては聖なるもの、すべては聖なるもの。自然の中には、自然なものは何ひとつ存在しないのだ。わたしの少年よ

半身半獣のケンタウルスであるケイローンの、この詩的な語りは、やがて「目に映るものすべてに神が宿っている」「聖なるものはまた、呪いとともにある」「神々は愛するが、同時に憎むのだ」と、幼いイアソーンにこれから待ち受ける、愛憎という激情がもたらす、救いのない悲劇の暗示となります。そしてパソリーニを思うとき、3つの展覧会が選んだ、この「すべては聖なるもの」という一節が、最もしっくり合うように思うのです。

「王女メディア」、マリア・カラス。famelici.itより。

さて、はじめから横道に逸れて恐縮するのですが、ローマ市立美術館で「詩的身体」の展示を観た帰りのことです。

その日は夕方から雨が降りはじめ、街に散りばめられたクリスマスのイルミネーションが雨に濡れた道路に反射して、まるで道路そのものが光り輝いているように見える夜でした。わたしはといえば、強い雨が降っていくつもの傘が重なる舗道を足速に歩きながら、その日観た展覧会の全体像というか、決め手となる感覚がどうにも掴めず、霧がかかったような心持ちのまま、地下鉄の駅にたどりつくことになります。

薄暗く、湿った空気が澱む地下鉄のホーム。他の待人たちと同じように携帯をスクロールしながら、なかなか来ない電車を待っていると、目の前に、ふいに華奢な掌が差し出されたのです。顔を上げると、端正な顔立ちにシャープな化粧をして、ツルツルと光る合成皮革の黒いタイトなジャンパーに、くるぶしが見える、破れた黒いスリムのパンツ、素足にスニーカーといういでたちの痩せた青年が、ひょろっと立っていました。ボルドーのアイシャドウで彩られた、その目には生気がないというか、空っぽというか、まったく表情がありません。「いらないお金があったら頂戴よ。1ユーロでもいいからさ

ローマの地下鉄では、このような青年が、大人たちに小銭をせびるのは珍しいことではなく、ドラッグを買うために大人にお金をせびっているのかもしれず、普段のわたしならお金を差し出すことは賢明ではない、と判断して無視することにしています。しかしその青年があまりに痩せていて、何日も何も食べていないのではないか、と思えるほど弱々しく、声も枯れていたので、思わずバッグの中から財布を探し、一枚あった2ユーロのコインを掌に載せました。

すると青年は、空っぽの目のままかすかに微笑んだかと思うと、急に鼻に皺を寄せ、憎々しげな顔つきで「みんなが笑うんだ。僕が化粧して、変な格好をしてると言ってみんなが笑うんだ。特にムスリムの男たちは、僕の顔を見て、指差して笑うんだ」と、やはり弱々しい、かすれた声で言うのです。その様子がかわいそうに思えて「いいんじゃない。好きな格好すれば。人に笑われたって構わないよ。みんな自由なんだから」と声をかけると、その青年の目に少しだけ生気が走ったような気がします。

と、突然青年は「僕はサタニストなんだ」と言い放ち、それが予期せぬ、突拍子もない言葉だったので、思わず「ええ!」と驚いて、その後なんだか可笑しくなって笑うと、その子も一緒に笑います。

「サタニストなんてはじめて会ったけど、あんまりいい信仰じゃないんじゃない? なんでまた、サタニストなんかになったの?」と尋ねると、青年は弱々しい声をさらに顰めて、「ロックダウンの間に、僕のところに悪魔が来たんだ。本当に来たんだよ。デーモンが来たんだ」と真面目な顔で言うのです。その時、話を聞いていたであろう、わたしたちの隣で地下鉄を待っていた女性は、その場から5メートルほど向こうへ、するすると静かに移動しました。

青年の、あまりに現実離れしたその告白に、ちょっと困ったわたしが、「でも、デーモンとサタンは違うんじゃないの? サタンは堕天使だけど、デーモンはそもそもの悪魔なんじゃない?」と、適当なことを言うと、その子は「どっちでもいいんだよ。サタンでも、デーモンでも。大切なのは、悪魔すごくいい奴だってことなんだ」と納得したようにうなづきます。「悪魔がいい奴だなんて、はじめて聞いたし、何より深入りは危険だと思うよ」そう言うわたしに、青年はなぜだか楽しそうに、「本当なんだ。僕には分かるんだ。悪魔はいい奴で、付き合い方によっては危険ではないんだ」と断言するのです。

そのとき、ちょうどホームに電車が到着し、内心ホッともして、わたしは青年に向かって軽く手を振ると「幸運を祈るよ」と告げ、電車の扉へと向かいます。電車に乗る気配がない青年は、ひょろっと立ち止まったまま「まったく分かってないんだな。悪魔は神なんだよ。悪魔と神は、本当は同じものなんだ」と、わたしに聞こえるぐらいの小声で呟いていました。

わりと混雑した電車に乗り込んで、電車の窓から、少し小首を傾げてホームにじっと立っている痩せた青年が遠くなるのを、不思議な気持ちで見つめていた時のことです。ふいに「そうか」、とハッとすることになりました。そのときのわたしには、これが「すべては聖なるもの」の意味なのだと思えたのです。「聖性」があらゆるすべてに宿っているのなら、痩せた青年が言うとおり、悪魔的だと思えるすべてのものにも宿っているはずです。それがパソリーニの「テオレマ」であり、「サローソドムの120日間」が表現するものでもある。

あの青年が本当にサタニストで、悪魔を崇拝しているのか、それともドラッグで、ただトリップしていただけなのか、わたしにはまったく判断がつきません。しかしパソリーニの展覧会を観た帰りに、そのような出来事に出会ったことは、もちろん、ただの偶然には違いなくとも、詩人の宇宙に迷い込んで、混乱する外国人を哀れに思ったローマに漲る「聖性」がヒントを与えてくれた、と考えたほうが人生は楽しいかもしれません。

いずれにしても、パソリーニは、その「聖性」を作品のみならず、「絶望した生命力ーDisperata Vitalità」をもって、人生体現した、稀有な詩人です。オースティアの水上機停泊地で惨殺されたパソリーニの葬儀の日、「われわれは詩人を亡くした。世界に詩人はほとんど存在しない。1世紀に3、4人しか生まれないんだ。詩人は聖なるもの(Sacro)なのだ!」と、衝撃と怒りと悲しみに声を荒げたアルベルト・モラヴィアの言葉は有名ですが、まさに「聖なるもの」であるからこそ、現代まで生き続けるどころか、時間が経てば経つほどに、いよいよポピュラーになる現実は神秘的ですらあります。

1975年11月5日、ローマで開かれたパソリーニの葬儀には、これほどたくさんの人々が集まったそうです。この写真はバルベリーニ宮の展覧会の入り口にも展示されていました。Biblioteca Universitaria di Bolognaのサイトより。こちらでは、アルベルト・モラヴィアの弔辞全文を聴くことができます。また、展覧会で写真撮影が出来る場所では、何枚か写真を撮ったのですが、著作権で問題が起こる可能性があるため、既存の写真を加工して、引用させていただこうと思います。

今回、「詩的身体」「予言的身体」「政治的身体」と3つの世界観で構成された展覧会に赴いて、イタリアの戦中戦後から、最も暗い時代である『鉛の時代』を、悪魔的とも言える極端な純粋さ、優美さ、繊細さ、隠されることがなかった自らの野生で生きた詩人が遺した、タイプ打ちの原稿や、記事、ヴィンテージ写真の数々を読んだり、見たりしたあと、パソリーニという人物の、気高くもあり、しかし同時に卑猥でもある、リアルな美意識が押し寄せて、消化できない状態が続いています。また3つの美術館における展示の数があまりに膨大で、包括的に言葉にすることは、きわめて困難です。

そこで、この項では、その展覧会から特に印象に残ったもの、新たに知ったことなどを、いくつか選んで紹介していければ、と思います。なおこのサイトにも、パソリーニについて、混乱したままに書いた拙い記事がいくつかあり、一応参考として、ここにリンクを載せておきたいと思います(永遠のP.P.パソリーニ『鉛の時代』パソリーニ殺人事件の真相と闇:「唯一」の犯人の死『鉛の時代』:「蛍が消えた」イタリアを駆け抜けたアルド・モーロとは誰だったのか)。

また、日本語ではピエール・パオロ・パゾリーニ、とソが濁る発音で統一されていますが、わたしの周辺のローマの人々に、何度も「パソリーニ? それともパゾリーニ?」と尋ねたところ、全員が「パソリーニ」と答え、途方に暮れています。これはローマ特有の発音かもしれないのですが、1950年からローマに住み、75年に亡くなるまで、この街を愛した詩人は、おそらく当時のローマの人々からも「パソリーニ」と呼ばれていただろう、と推測するため、今後も「パソリーニ」と表記していこうと思う次第です。

▶︎Il Colpo poetico「詩的身体」

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