4世紀の忘却から甦り、瞬く間に称賛の的となった、女流画家アルテミジア・ジェンティレスキ

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アルテミジアの人生を変えた、屈辱的な事件

早くからアルテミジアの才能を見抜いていたオラツィオは、自らが指導するとともに、出来る限りの絵画テクニックを娘に学ばせようと、腐心しています。

そんな教育熱心な親心から、娘の『遠近法』テクニックの家庭教師として信頼したのが、オラツィオと仕事をしたこともある、トスカーナから訪れたマニエリスム後期の風景画家、アゴスティーノ・タッシだった。

ところがタッシという画家は、『遠近法』を教えるどころか、17歳のアルテミジアにすっかり熱を上げ、手を変え、品を変えしつこく言い寄り、挙げ句の果てには、アルテミジアの同居人である女性と共謀し、力づくのレイプに及んだのです。

それを知って激怒したオラツィオはタッシに詰め寄り、「ジェンティレスキの名誉のため」アルテミジアと「結婚する」ことを約束させましたが、結局タッシはその約束をうやむやに、ジェンティレスキ家から、のらりくらりと遠ざかろうとします。それもそのはずで、このマニエリスム後期の風景画家は、すでに妻帯していたうえ、妻の妹にまで暴行に及ぶというエピソードを持つ、札付きの輩でした。

タッシという人物は画家としては力量があり、重要な建造物の装飾に携わるなど、時の権力者たちに重用されています。しかしとんでもなく身持ちが悪いうえ、豪勢な生活を好み、金鎖をジャラジャラ首に巻いて、召使いを従えて街中を馬で練り歩くような男だったそうです。そのくせ自分がお金を出すときは、仕事を手伝ってくれた仲間たちにも出し惜しみする吝嗇ぶりを発揮し、「神をも畏れぬ悪党」との評判もありました。

そして結局、いつまでも責任をとらず、逃げまわるタッシに、業を煮やしたオラツィオは、司法に訴え、裁判で闘うことを決断することになったのです(その時代のローマの司法権はカトリック教会と貴族階級が担っていました)。

その裁判は1611年から12年にかけ、なんと7ヶ月という長期に渡って繰り広げられ、オラツィオの弟子たちやジェンティレスキ家に寄宿していた女性など、大勢の証人が尋問されました。

「アルテミジアが処女であったかどうか」「どのような状況でレイプされたのか」、微に入り細に入り徹底的に調べ挙げられ、好奇の目が降り注ぐ聴衆の前での証言をアルテミジアは求められた。しかしどんなに屈辱的な状況で証言を求められようと、彼女はひるむことなくまっすぐに答え、拷問にも揺らぐことはありませんでした。

証人となった近しい人物の裏切りに遭いながらも、こうしてアルテミジアは自身の潔白を証明することに成功し、「処女性」の陵辱及び父、オラツィオジェンティレスキ名誉毀損を勝ち取り、タッシを有罪に追い込むことに成功したのです。

 

『スザンナと長老たち』(1960) 170×119 ©︎Collezione Graf von Schönborn, Pommersfelden 聖書のダニエル書からのテーマで、沐浴の最中、ふたりの長老に言い寄られ、言うことを聞かないと夫に告げ口をする、とスザンナが脅されるシーン。この長老たちの顔をタッシ、そしてオラツィオをモデルにしたという説がありますが、定かではありません、この頃のアルテミジアは、ボローニャ派であるアンニバル・カラッチの影響を受けた可能性があり(イタリア語版ウィキペディア)、この頃すでに父親オラツィオの作風からは大きく離れ、独自の世界を構築しています。拒絶の感情が凝縮したスザンナには、10代の娘が描いたとは思えない表現の成熟が見られます。

 

しかし改めてこの判決を鑑みるなら、父親の名誉毀損と「処女性」の陵辱という罪状は、まさしく娘は父親の「所有物」であるため、その娘へのレイプ父親の名誉を汚すのだ、というロジックであり、現代から思うなら、暗澹たる価値観ではあります。だいたい「処女性」などというものは、「所有」シグナルに他なりません。

しかも、アルテミジアが羞恥と闘いながら全力で挑んだ7ヶ月であるにも関わらず、タッシが受けた罰は意外と軽く、「6年間の強制労働、あるいはローマからの追放」というもので、結局タッシは何ヶ月か牢獄に入れられただけで、ローマから追放されることを選択しています。また追放されていた間、ローマのすぐ近くで教皇シスト5世の孫にあたる枢機卿に厄介になって、作品を仕上げており、3年も経つと何食わぬ顔でローマに戻ってきたようです。

ところで感嘆するのは、1611年から1612年にかけて行われた、この時の膨大な裁判記録が、すべてヴァチカンに残されていることでしょうか。後述しますが、この公文書が残っていなかったなら、いったん時代に埋もれた画家の生涯を、現代の美術評論家が再構成することはできなかったかもしれません。

いずれにしても、イタリアにいて驚くのは、芸術家にしても、科学者にしても、文学者にしても、政治家にしても、あらゆる個人的な手紙や書類や裁判記録が失われることなく残されていることです。掘り起こせば掘り起こすほど、さまざまな史実が浮き上がり、そのつど過去に紡がれた物語の信憑性が増していくのは、ある意味スペクタクルでもあります。

さて、この屈辱的な裁判に、勇敢に、毅然として立ち向かったアルテミジアの、画家としての人生ここからはじまります

父親に無理やり好きでもない人と結婚させられ、人々の好奇の目に晒されるローマを離れフィレンツェへ向かったその後の彼女は、堂々たる活躍の場を見つけ、激しい怒りや女性の残酷性、深い悲しみを包み隠すことなく、強靭な自らの魂を写す女性たちを描き(もちろん男性も描いていますが)、誰の所有物でもない、自立した一流の画家へと成長していく。

 

アルテミジアのフィレンツェ時代に描かれた『ユーディットと女召使い』。この戦闘的なかっこいい眼差しが、画家の覚悟をシンボライズしているかのようです。Artemisia Gentileschi, Giuditta e la sua ancella, 1618-1619 circa, olio su tela, 114×93,5 cm, Galleria Palatina, Palazzo Pitti, Firenze

 

その経緯は、11月25日から配信される『アルテミジア・ジェンティレスキー戦士の画家』をぜひご覧になってください。

なおこの時代、女性の画家は、実はアルテミジアがはじめてではなく、たとえばソフォニスバ・アングィッソーララヴィニア・フォンターナ、フェーデ・ガリツィアなどが存在しますし、いずれも素晴らしい作品を残しています。

そのなかでもアルテミジアが突出して現代の女性たちの共感を集めるのは、屈辱を乗り越え、ガリレオ・ガリレイをはじめとする当時の重要な人物と対等に交流し、画家としての野心に忠実でありながら誰にも頼らず、自らの力で生き抜いた人生にあります。恋をして、父親の名が明かされない出産をも経験した、時代の常識をやすやすと覆した強烈な生命力が、その絵に凝縮されているからなのです。

 

DELTA STAR PICTURESのプロデュースで制作されたドキュメンタリーは、Amazonプライム で11月25日から配信です。監督のジョルダン・リヴァー氏は、撮影を進めれば進めるほどに、彼女の偉大に触れ、驚愕の連続だったと語っています。日本語版を担当されたイタリアの俳優、演出家であるハル・ヤマノウチ氏のナレーションが秀逸です。

▶︎カラヴァッジョ、カラヴァッジョ派を生んだ、ローマのバロック初期

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