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24番ホーム地下 TerminiTV

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「知ってるかい? 誰もがこのイタリアの鉄道の中枢、『ローマ・テルミニ』をターミナル、『終着駅』、つまり終着地点を意味する命名だと勘違いしているけれど、それは間違いなんだ。 テルメ・ディ・ディオクレツィアーノの近くだから『テルミニ』という名がついたんだよ。ここは古代ローマ時代、テルマエ(ラテン語)、つまり温泉地域だったんだからね」 マルチメディアスタジオ、テルミニTVのFrancesco Conteは開口一番にそう念を押しました。

ローマの住民でも、トゥーリストであっても、国内、国外に関わらず、汽車で動くなら(汽車で空港に行く場合ももちろん)必ず通らなければならないローマ・テルミニ・ステーション。欧州で2番めの規模だけあって、とにかくやたらと広く、たとえばマルサラ通りにある1番ホーム後方階段から、ジョリッティ通り後方、25番ホームまで歩くには、優に15分、あまりの遠さに途中のバールなどで道草をすれば20分はかかります。さらには、行けども行けども辿りつかずまったくうんざりする、1番ホーム進行方向、はるか遠くに設置された EST(東)ホームもある。現在のテルミニ駅には後方遠くに設置されたホームも含め、33のホームが存在、ギリギリまでどのホームから列車が出発するか、電光掲示板になかなか表示されない、あるいは突発的にホームが変更されるケースもあり、出発数分前に「ええ!まさか!空港行きホームの最後、25番に変更?」と荷物を引きずりながら、ひたすら走らなければならないこともあります。

Freccia Rossa(赤い矢)、Freccia Argente(銀の矢)超特急が走るようになった最近では、出発、到着の時刻の正確さ、ホームの列車配分にかなり改善の兆しが見られるとはいえ、予断は許されない状況です。たとえば、ミラノ行きの列車のホームが突如変更になり、別のホームから慌てて駆けつけると、予定の出発時刻の数分前だというのに汽車の扉が非情にも閉ざされ、乗客の誰もが呆気にとられる間に汽車は出発、みるみるうちに遠い風景のなかに吸い込まれてしまった、という経験がわたしにはあります。ホームは汽車に乗り遅れた人々のブーイングに包まれましたが、特にこれといった解決策を示されることはなく、結局乗り遅れた他の乗客それぞれが口々に、「信じられない」「ありえない」と不平を言いながらも次の列車までおとなしく待つ以外には手立てがありませんでした。「人生において、あらゆる理不尽なことが起こりうる可能性は、常に100%である」という鉄則を思い起こさせる、完璧であるはずのないヒューマンを自認するイタリアならではの、啓示に満ちた出来事と言えるでしょう。

 

テルミニ駅から放射状に広がる線路の数に目も眩む。国境を越えるインターナショナルラインも多く出発している。

改めて近くの建物に登ってテルミニ駅から放射状に広がる線路の数に驚く。国境を越えるインターナショナルラインも多く出発。

 

さて、表面積が225,000平方メートル、1日に約850の汽車が出入りし、48万人の人が行き交うというこの巨大な駅は、ある種、空港のシステムにも似た一大ショッピングモールともなっているため、日中は常に大勢の人々が雑然と入り乱れ、大きな流れを作っている。さらに去年からテロ対策のため、すべてのホームが透明のアクリル板で囲われ、チェックなしではホーム内には立ち入ることができなくなったので、正面口スペースのラッシュの混雑が幾分ひどくなりました。走る人、叫ぶ人、笑う人、待つ人、佇む人、群れる人、ざわめきと汽車の車輪が軋む音、絶え間ない発着のアナウンス、ブティックから溢れてくる音楽、清掃車が走る音、モーターの唸り。それらが一体となり微かな轟となる。しかしテルミニのその『カオス』は、決して不快なものではありません。人と汽車が絶え間なく循環するその巨大スペースは、ローマの街の強力な磁場、あらゆる者たちを磁石のように吸い寄せ続けてもいる。

ところがそんなテルミニ正面口、表玄関の賑やかさとは裏腹に、テルミニ駅の裏口にあたるジョリッティ通りに続く地下通路あたりは意外に閑散として、人の流れも疎らです。そしてその地下通路から、ひっそり続く24番ホームのちょうど真下に当たる地下スペースに、ローマの若い世代が注目し、何かと話題にのぼる機会の多いマルチメディアスタジオ、『テルミニTV 』が存在していることは、1日にテルミニを訪れる48万人のほとんどの人は知らないはず。誰もが想像だにしない、文字通りの『テルミニ・アンダーグラウンド』にあるスタジオは、ジャームッシュの映画のシー ンにでもなりそうな、なかなか素敵なシチュエーションでもあります。

 

* TerminiTV

わたしがこの『 TerminiTV』の存在を知ったのは外国記事の翻訳、イタリア国内の厳選された記事を掲載するInternazionale(インテルナチョナーレ)ー フランスの Corrier Internazinaleからヒントを得、1993年に創刊された、質の高い記事で定評のある雑誌ーのサイトをサラッと見ていた時でした。InternazionaleのサイトにはTerminiTVのビデオを定期的に紹介するページがあり、旅人たち、あるいは外国人と駅を訪れる人々のインタビュー映像が多くアップされています。そこで Internazionaleのページから早速テルミニTVのホームへ飛んで、彼らがアップするそのほかの映像を見てみた。なるほど、駅を通り過ぎる多様な人々が語る人生の断片をテーマに、短いインタビュー映像として次々にインターネット上で流すというコンセプトは自然でありながら、新鮮なジャーナリズムのあり方です。そこでFacebookでサーチしてページをマークしたのですが、テルミニと名づけられてはいても、まさか本当に、彼らがテルミニ駅の地下にスタジオを持っているとは、まったく考えなかった。

『駅』という、われわれにとっては至って日常的でありながら、幾万の旅人が流れる『未知の空間』でもある場所で、短いインタビュー映像を撮る、というアイデアを思いついたビデオメーカーに直接会って話を聞いてみたい。そんなことを思いながら過ごすうち、ひょんなことからその機会に恵まれることになります。ジャーナリストでありビデオ・メーカー、フランチェスコ・コンテ。オープン、フレンドリーでアクティブ、さらには言葉の端々にみずみずしい野心が伝わってくる、彼が テルミニTVを発案し、中心となって運営する人物。唐突とは思いましたが、知り合った瞬間にインタビューをお願いしてみると、見ず知らずにも関わらず、おおらかに快諾してくれた。そして彼に会う待ち合わせ場所を決めた時にはじめて、スタジオが本当にテルミニ駅にある、という事実を知ったというわけです。

 

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TerminiTVの発案者であり、中心となるビデオメーカーFrancesco Conte。テルミニ・アンダーグランド内スタジオにて。

 

「そもそも旅することが大好きだったし、旅の途中、ずいぶんいろんな駅に旅をしたんだけれどね。なんというか、『駅にいる』ということだけでアドレナリンが湧いてくるような感じなんだ。『駅』は僕にとって、とても居心地のいい場所。通常、僕らは毎日通る『駅』の事なんて、まったく気にかけないけれど、実のところ、人と人、汽車が紡ぐ物語の宝庫じゃないかい? それにこの場所が古代ローマ時代にはテルメ、温泉だったという歴史も興味深い。この場所には、2000年もの昔から多様な人々が行き交っていた場所ということだからね。僕はローマ・テルミニに集まる多様な人々の人生の断片を撮っていきたいと思っているんだけれど、つまりいろいろな人のいろいろな人生を Meticcia(まぜこぜ)にモザイクとして表現すると、ひとつの世界が見えてくるんじゃないか、と考えているんだ」

コンテと話しはじめて、かなりの頻度で利用する機会があり、大変に身近な存在であるローマ・テルミニ駅について、実のところ何も知らないことに、ふと気づきました。有名なモニュメント、遺跡、コロッセオやフォロ・ロマーノの事はある程度知っていても、テルミニ駅の歴史など、正直なところ考えもしなかった。『灯台下暗し』とはまさにこのことです。しかも現在までずっと、やはりわたしも『ローマ・テルミニ』はターミナル、つまり『終着駅』を意味する命名だとばかり思っていた。知っていたことといえば、『終着駅』と誤訳されたタイトルが有名な(こちらのタイトルの方がロマンティックではありますが)、トルーマン・カポーティ、チェーザレ・ザバッティーニが脚本を書き、ヴィットリオ・デ・シーカが監督した『テルミニ・ステーション』(1953)の舞台となった駅、あるいはフェリーニの『ジンジャー&フレッド』のストーリーの冒頭と結末に使われている駅、ということぐらいでしょうか。そこでインタビューの前に少しだけ、その歴史を追ってみることにします。

テルミニ駅は、今も昔もローマの7つの丘のひとつ、エスクイリーノの丘にありますが、前述したように、古代、このあたりテルメ・ディ・ディオクレツィアーノの周辺地域にあたり、つまりコンテが言ったように、遥か彼方の昔から人の行き来が多い地域だったようです。いまだテルミニという名を持たない駅の建物が建造されたのは1856年のこと。当時、教皇国のために(当時のイタリアはまだ統一されず、ローマを統治していたのは教会ーヴァチカンーだったので)ローマーフラスカーティ間にはじめて開通した鉄道の駅として、今とは比べようもないちいさい建物が造られたのが前身です。

さらにルネサンス後期に遡って1576年頃のこの地域は、いくつもの噴水に溢れた広々とした庭園が覆う、のちの教皇シスト五世となる枢機卿フェリーチェ・ペレッティの貴族の壮大なヴィッラが存在していたことが記録に残っています。そのヴィッラの庭園の風景は格別で、現在大英博物館にあるジャン・ロレンツォ・ベルニーニの『 Nettuno e Glauco(ネプチューンと紺碧)』をはじめとする数々の彫刻、随所には広大な果樹園が広がっていた。つまりテルミニあたりは当時、果実の甘美な香りに誘われた鳥たちが群れ遊ぶゴージャスなヴィッラ、枢機卿が創造した、いわば地上のパラダイスでもあったわけです。テルメ・ディ・ディオクレツィアーノの入り口に面して玄関があったことから、その頃にローマを訪れる国外からの旅行者たちが必ず訪れる場所でもあり、誰もがその壮麗さに魅了され、呆然としたと言われています。ちなみにシスト五世は、ルネサンス後期、水道の整備をはじめ、ローマの都市計画を推進した重要な教皇で、その時代の都市計画の痕跡はいまもなお、ローマの街角の随所に見られます。

 

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今のテルミニからは考えられない当時のヴィッラの玄関。庭園には30もの噴水があった。サイトTuttolandiaより

 

その後、ヴィッラの所有者は他の貴族へと移り変わり維持され続け、時を経て1856年、ローマに鉄道が敷かれることに決まると、古代ローマ時代の重要な建造物、遺跡以外のヴィッラ、庭園、数々の噴水、果樹園は、惜しげもなく、思い切りよく取り壊されることになった。したがって現在のテルミニ周辺には、テルメ・ディ・デオクレツィアーノの遺跡以外、当時の面影はまったく残っておらず、そのあたりが壮麗な庭園であったなどとは、夢にも思い描くことのできない無機的な風景、駅前のロータリーは巨大な市内バスのターミナルともなり、タクシー乗り場には長蛇の列ができる、ただひたすら人と車が流れる広場にしか過ぎません。

さて、1856年に建設されたばかりのテルミニ駅は、汽車が到着ホームと出発ホームが2つあるだけの、まだまだ素朴な駅にすぎませんでしたが、その後路線が増えるにつれ、1867年に新たな建造物が建設された頃から、近代的な『駅』らしくなります。さらに路線が増えて現在のような大規模な駅になるのは1950年になってから。改めて1953年に制作されたデ・シーカの『テルミニ・ステーション(終着駅)』を観てみると、内装はまったく異なっても、真横から見ると波を打つように設計された『Dinosauroー恐竜』とも呼ばれる正面玄関が、映画のファーストシーンに使われ、外観の特徴はほぼ、現在のテルミニと同じです。2000年の『聖年』を機に、さらにモダンに大がかりに改装されましたが、ローマの『近代』を象徴した20世紀最高の建築、と称賛された1950年当時のテルミニ駅の特徴は残されたまま。テルミニTVのロゴにも、その建築の特徴がシンボリックにあしらわれています。

 

* TerminiTV  1周年 ビデオ

 

「この巨大な駅では、すべてのことが起こりうるんじゃないかな。この駅で偶然に出会って、愛が生まれることだってあるだろうし、辛い別れだってあるに違いない。多くの外国人ツーリストも来れば、移民もやってくるし、故郷に帰ってくる人もいる。仕事に出かける人、仕事から戻る人、学生も政治家も学者も芸術家も、生活に困窮した人も大金持ちも、希望を胸に秘めた人も絶望した人も、そして犯罪者も、すべての人々があらゆる人生のドラマを抱えてこの駅を行き過ぎるんだ。この駅にいることで、それらの人々の『旅』を共有することができる、つまりあらゆる人々の濃縮した人生を体験できるよね。だいいちお金を使わないで毎日『旅』ができるっていうことは、素晴らしいことじゃないか。僕はアンコーナの出身、ローマの人間ではないからこそ、この駅の特異さを感じることができるのかもしれないけれど、こんなに面白い場所はないよ」

「このスタジオをはじめる前、今から一年半ほど前のことだけど、テルミニをテーマにしたドキュメンタリー映画を観たんだ。フィレンツェの監督がたったひとりで4ヶ月かけて撮った作品なんだけれど、そのドキュメンタリーは非常によくできていて、素晴らしいと思った。ただ、気になったのは、作品のテーマ。テルミニを寝ぐらにしている浮浪者の人々、それもイタリア人にだけフォーカスしていたことでね。その視点にだけはまったく共感できなかった。ローマ・テルミニに存在しているのは、浮浪者だけじゃないんだよ。もちろん、知っての通り、テルミニは犯罪でも有名だし、住みついている困窮者もたくさんいて、不良がたむろするテルミニ周辺は物騒だと定評もある。確かにそういう面があることも事実だけれどね。しかしそれはテルミニの風景の、ほんの一面にしか過ぎないよ。1日に50万人近い人々がこの場所を通り過ぎるんだよ。その、目も眩むような夥しい数の人間の中には犯罪者だっているに違いないじゃないか」

 

*イタリア語ですが、テルミニを背景にアルベルト・モラヴィアの誕生日に寄せて朗読された”5つのローマを巡る短編”から「ターザンの再勝利」の一節。まさにテルミニの風景。

 

「それにテルミニの悪評はマスメディアのせいでもあるんだ。メディアはことさらに、テルミニの周辺で起こる盗みや暴力などの犯罪、売春、家のない困窮者のひどい状況、不良たちの犯す危険のみにフォーカスするけれど、犯罪が起こりうるのはテルミニだけではない。ローマの街じゅうで毎日犯罪は起こるし、バスに乗ればスリにも遭う。ちなみに僕は一年近くテルミニにスタジオを持っているけれど、一度も何かを盗まれたことはないし、スリにもあったことはないよ。テルミニは危険な場所なんかではないんだ。ありとあらゆる場所で犯罪は起こりうる。人が多ければ、その確率はなおさら多くなるものだ」

実際、多くのマスメディアが、ことあるごとにテルミニの犯罪をクローズ・アップするのは事実です。ジプシーの子供たちの盗み、不良たちの恐喝、暴行、トゥーリストを狙った詐欺、駅周辺にたむろするイタリア人、外国人の浮浪者たち、物乞い。最近でも主要誌が、ーイタリアの中枢。ローマ、テルミニは人食い鬼たちが住む冥界ーと仰々しい書き出しで、居場所なく、日々の糧もない流浪の移民の未成年者たちに、わずかな報酬で売春を強要するペドフィリアたち(ローマにヴァカンスに訪れる外国人、政治家、警官、金融関係者を含めて)の存在を報道しました。しかしテルミニ周辺の、そのような過酷な状況をメディアを通じて知るわたしも、通る時間帯にもよるのでしょうが、コンテ同様、盗み、詐欺も含め、何らかの犯罪に遭遇したことは一度もありません。

「はじめは写真を撮っていてね。カメラを手にいろんな駅で、印象的なシーンをカメラで追っていた時期があった。そのうちテルミニの、今スタジオを持っているこの場所を見つけることができたんだ。このスペースを僕らは『テルミニ・アンダーグラウンド』と呼んでいるんだけれど、そもそもはダンススクールなんだよ。僕らはその一角をマルチメディアスタジオとして使わせてもらっているというわけ。このスペースをオーガナイズしている女性が、10年近くストリートで踊っていた子たちをここに連れてきて、ダンススクールをはじめてね。彼女が友人だったことから、僕もこのスペースに関わることになったんだけど、なによりここに集まってくるストリートのダンサーたちがとても素敵で、この場所を基盤に活動をはじめるにあたって、まずは彼らの物語を撮りたいと考えたんだ。ここで踊る子達は、みな移民してきた外国人たちばかりなんだけれど、もはや外国人もイタリア人もないじゃないか。だから僕は彼らを外国人としてではなく、僕らと時代を共有する若い世代の子たち、という視点から描こうと思っている」

 

*南アフリカからテルミニ・アンダーグラウンドのダンススクールを訪れたダンサーたち。

 

「さて、そういうわけでスタジオを確保。このテルミニという濃厚な場所で、とりあえず多くの予算を必要とせず、自分が情熱を持って取り組めるプロジェクトを開始する環境が遂に整ったわけだから、この場所で誰も描かなかった物語を撮って発信する。しかしたったひとりでは充分な活動は難しいから、まずそのプロジェクトに共感してくれる仲間を探さなければならない。で、いろいろなビデオメーカーに声をかけて、集まったのが 8人のメンバー。僕にとっては彼らと開始したプロジェクトは映像による、ひとつのソーシャルアプローチの実験でもあったから、とにかく一度皆で決めたことは共に、そして平等に実行したかった。一番最初のミーティングでは、僕らが実現しなければならないのは、すべてが同じように関わる集団的な実験であるべきだ、と硬く誓い合って動きはじめたのが、2015年の4月。ところがいつの間にか、ひとり、ふたりと仲間が去って、7月には、信じられないことに僕ひとりになってしまったんだよ!(笑)」

プロジェクトを立ち上げて早々、期せずしてたったひとりになってしまったコンテですが、それでもがっかりすることなく、毎日テルミニのなかを駆け巡り撮影を続け、インターネット上に映像をアップし続けます。やがて誰もがヴァカンスに出かけ、街がひっそりと静かになるローマの夏、コンテは「このままひとりでやるしかない」と半ば諦めていた。しかし「まったく予期していなかったんだけれど、9月になって、『奇跡』が起こったんだ」そうです。ネット上にアップされた『テルミニTV』のインタビュー映像、新しい形のジャーナリズムに興味を抱いた人が続々と現れ、その後もメンバーはどんどん増えていき、現在は8人、9人のビデオメーカーが常時プロジェクトに加わるようになりました。さらにメンバーが増えると共にローマ・テルミニだけではなく、フィレンツェ、ミラノ、その他の駅で撮影されたインタビュー映像が、次々にアップされるようになった。ミーティングには、イタリアの主要紙で20年以上キャリアを積むジャーナリストも加わります。

 

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最近、コンテと共に撮影をはじめたジョルジャ(左)、翻訳を手伝うヒンド(右)

 

「今日ここにいるジョルジャが一番最近プロジェクトに加わったメンバーなんだけれど、今日まで 4回しか会ったことはなくとも、少なくともふたりで30GB分のビデオを作ったかな。僕らは会った回数じゃなくて、ギガで友情を計るんだ!(笑)どれほど一緒にギガの世界を過ごしたか、それが友情の証(笑)。さらにこのところ、僕らのプロジェクトに参加したいと言ってきてくれるビデオメーカーたちのおかげで、はじめた頃よりさらに多様な映像、多様な人々の物語がアップできるようになったのは嬉しいね。一年経って、やっとのことでスムーズに前進できるようになったというところかな」

「ただね、正直なことを言うと、今のところ、まだ『利益』は上がっていない。みなが投資しているという状況だ。だからと言って、広告的な映像を撮ろうとは思っていないよ。ほんの少しのギャランティで情熱が持てない仕事をするのは、僕にとっては少しも好ましくないことだから。それよりローマ・テルミニで繰り広げられる素敵なストーリーを提供し続けること、それを見た人が、ホッと一服ついたり、なるほど、と何かを感じたり、新しい情報に出会ったりしてくれることが大切だと思っている。ただやっぱり続けるにはサポートが必要だから、僕らを確実にサポートしてくれるスポンサーを出来るだけ早く見つけたいと思っているんだけど」

「僕らのプロジェクトに参加するということは、ビデオメーカーたちにとって作品を発表する機会でもあるし、その映像をきっかけに他の仕事が入ってくることもあるから、それぞれの仕事の幅は広がるよね。さらに、今僕らが構想しているのは、マルチメディアのための学校を作るということ。プロジェクトに加わっているのは、みなプロフェッショナルとして他の仕事をしているメンバーばかり、彼らを講師にテルミニを舞台にマルチメディアコースを開いて、適切な月謝を集めればプロジェクトのリソースともなるだろう? だからなるべく早く、その構想を実現させたいのだけれど、これはもう少し先のことになるかな。というのも、まだテルミニ駅側から撮影許可が下りないからなんだ。ずっと待っているけれど、なかなか出ない」

ここ数ヶ月の間に、多くの人々に注目されるようになったテルミニTVですが、実のところ、テルミニ駅側は、駅地下に存在するスタジオを認可せず、駅内での正式な撮影許可も下りていません。もちろん、 Treni Italia (イタリア鉄道)、駅の幹部たちもテルミニTVの活動を知ってはいても、再三のリクエストにも関わらず、責任回避なのか、撮影許可の書類には誰もサインしてくれない。許可なしの撮影は、場所も制限され、撮影の瞬間を逃す、ということも起こりうるうえ、駅から駅へと自由に駆け巡りながら撮影することもままならず、ジャーナリストたちにとっては厳しい条件です。

「そういうわけで僕らはまず、イタリア鉄道とローマ・テルミニ駅という、非常に複雑なリアリティに立ち向かわなければならない。まず彼らが盾にするのは、『プライバシーの保護』ということなんだけれど、駅というのは公共スペースなわけだから、どこの場所で誰を撮影しようと問題ないはずだ。しかも僕たちは嫌がる人々に無理やりインタビューしているわけではなく、話したい、という人にカメラを向けているんだよ。それにジャーナリスティックな観点から言えば、今までとは違う形、移民の人々やトゥーリスト、ありとあらゆる人々のインタビューを、ネガティブな意見もポジティブな意見もジャッジすることなく、リアリティを直視しながら報道することは、今後さまざまな社会問題を議論するために非常に有益だとも思う」

 

*東京からイタリアへ帰国したばかりの、インディペンデントのビデオメーカーたち

 

「もちろん、今の時代、ビデオ・ポートレートは誰もが試みているし、オリジナルな方法ではないよ。しかし『駅』という特殊な場所でのインタビューで人が何を物語るか、というのが僕にとってはなにより興味深いんだ。それに僕らは現在、プロジェクトをテルミニだけではなくイタリア各地の他の駅にも広げている。最近では、ミラノ中央駅で10時間の間に27のインタビューを撮ることに成功したんだよ。27人もの人が僕らのプロジェクトに興味を持って、自ら進んで話してくれたんだ。僕らはただ『浮浪者』や犯罪をスキャンダラスに描くのでなく、自らの物語を語りたい、と言ってくれる人の話を聞く。そうすることによってハッとするような意見に出会ったり、僕らとは全く違う人生を歩んだ人の話に感動したり、そこからどんどん世界が広がっていくんじゃないのかな」

「そうそう、ところで日本人は、というと随分簡単に、ちょっとした犯罪に巻き込まれるから、毎回驚いているよ。レストランで法外な額の請求をされたり、スリに遭ったり、荷物を盗まれたり。日本人経営のお店で働いている子と友達なんだけれど、毎日のようにお金を支払う時に『あ、財布がない』と慌てる日本人に会うらしい。日本の人々は、多分世界で一番安全な場所で暮らしているから、ちょっとした危険が普通にある、ローマのスタンダードに慣れていないんだね。もちろん、日本という国は表面的には安全でも、その奥深いレベルでマフィア的な動き、つまり巨額のお金が動く大規模な犯罪が存在しているにちがいないことは想像に難くないけれどね。みんな100ユーロレベルの、ちいさな犯罪には慣れていない」

 

*日本政府からの奨学金で京都でドクターを修了した青年のインタビュー。

 

サイトには京都や東京を旅したイタリア人のインタビューもいくつかアップされています。「今後、日本を旅する人たちの参考になるんじゃないかと思ってね。旅人から旅人への情報とでもいうのかな。駅は旅の情報を伝え合う場所でもあるから」とコンテが言ったところで頭上に、ガタンガタンと汽車が滑り込む鈍い音が響いてきた。その場にいた全員が軽く振動する天井を見上げると、「この汽車は、フィウミチーノ空港から来た汽車だよ。リュックを抱えたトゥーリストたちが沢山到着するはずさ。今やテルミニのことを、僕は何でも把握しているのさ」コンテは人差し指で天井を差しながら片目を瞑りました。

「僕はもちろんアンチレイシズムを主張しているが、それは今の時代には、全く当たり前のことだと思うよ。つまり人種とか国籍とか関係なく、個人と個人の付き合いを形成していくのが現代のスタンダードだよ。たとえば偶然、北アフリカから来た人物と知り合い、一緒にビデオを作ろうと意気投合したとするだろう? その彼が真剣に、そして的確に仕事をしてくれたならそれはそれで最高だ。しかし逆に、彼が遊び半分にいい加減な仕事をする人間なら、その時はきっぱりと関係を解消するということさ。つまり相手がイタリア人であろうが外国人であろうが、基準は一緒だということ。だって今のジャーナリズムは、偽善が多すぎるよ。たとえば移民や難民の話をする場合、ネガティブに人々の危機感を煽るか、あるいは見下して、哀れを誘う報道に仕立てるかのいずれかだろう? 僕にしてみたら、そんな報道の仕方は全くバカバカしくて、話にならないんだ。演出されたジャーナリズムには全く興味がないよ。僕は、ありのままをありのままに偽善なき物語を提供していきたいんだ」

「それに移民に関するストーリーで、何より興味があるのは、イタリアに移民してきた外国人が、葛藤に打ち勝って、自分の手で状況を切り開く姿だよ。たくさんいるからね。強く生き抜く人々が。それを多くの人々に伝えたい。移民だっていつまでも移民のままでいるわけではないんだ。その道のりは厳しくとも、やがて辿り着いた地で、自分の力で安定した生活を手に入れていかなくてはならない。まあ、言ってみれば僕だって、今まで 4大陸、世界じゅうを旅して、ここローマに辿り着いたわけで、将来を約束されたわけではないのは移民の人々と似たような境遇とも言えるかもしれないよ。もちろん、命のリスクを抱えて、命からがら逃げてくる難民の人々とは、その重さは比べものにならない、と強く自覚しているけどね」

 

*コソボから移民したベテランのストリートダンサー、アンジェロのインタビュー。

 

「クリエイティブな意味での目標は、ジャーナリズムとアートの融合ということかな。『詩的』な表現という意味でも、ありきたりなインタビューは撮りたくないね。テルミニTV と言ったって、既成のテレビのあり方を模倣することを目指しているわけではないのだから、インタビューを撮りながら、そこに何らかを表現したいと思っている。目指すのは、マルチメディアで表現する、ジャーナリストとアートの真ん中あたりというところ、つまり人物と、その物語に合わせたシチュエーションを吟味して映像にしていきたいんだ。テレビの報道のように、表面的で平坦な映像でなく、細かいパーツ、カットまで繊細に表現したいんだ。そのためには状況と撮影するその場の空気をきちんと把握しておく必要があるよ」

「そうそう、今年ReactionRomaというプロジェクトがMACRO (Museo D’Arte Contemporanea Roma) Testaccioで開催されるんだけれど、そのプロジェクトのテルミニ駅の映像の担当を主催者から要請されて、コラボレーションをしているところなんだよ。このプロジェクトには誰でも参加できる! ローマの街の断片、ポートレイトを撮った写真やビデオをプロフェッショナル、アマチュアに関わらず集めて、それを編集してひとつのビデオにする、というプロジェクトなんだけれどね。このプロジェクトを企画した人物は、テレビ、映画の世界でも働いてきた優秀なディレクターで、最近この人物のインタビューも撮影したところ」

ReactionRomaは、「そこに住む人々の目が捉えた写真、映像を通して、メトロポリスとしての都市、ローマを語るソーシャルムービー」をコンセプトにした、現代美術館 MACRO がサポートするオーディオ・ヴィジュアル・プロジェクトです。全てのローマの住人に開かれたプロジェクトで、集められたマルチメディアの断片は、 MACRO Factoryでビデオインスタレーションされたのち、2016年の秋にはビデオアートとして編集され公開される予定で、ネット上に直接アップロードできるシステムの最終締め切りは2016年 5月31日。「300万の人口のローマ市民それぞれに、ローマの街の風景は違うように見えるはずだ。その視線を一堂に集めて、改めてローマを一望しよう」という実験的なこのプロジェクトは、オーディオ・ヴィジュアル・アートをもっと身近に、開かれたものにしようと、スマートフォンからの映像も簡単にアップロードできるようになっています。

 

*世界の主要紙でレポートするカメラマンのインタビュー。 USSRのカブールでの核実験を写真で語る。

 

「そういうわけで、たくさんのコラボレーションの要請があるし、実際に動きはじめているわけだけれど、今、特に考えているのは、User Genelated Contents (ユーザーを巻き込むコンテンツ)を増やしていきたいということかな。たとえば日本の誰かが、「静岡の駅を撮影したよ」と映像を送ってくれたなら、それをアップしていく、とかね。世界に駅は数限りなくあるし、汽車を地の果てまで追いかけるマニアはたくさん存在するけれど、いまのところ、駅の映像を誰もコレクションしていないわけだし」

「日本のことは、とても興味深いと思っているんだよ。まず鉄道という意味では、世界で一番有名な汽車ー新幹線が走っている場所だしね。僕らが持っているビデオのなかに面白いインタビューがあってね。70年代、テルミニの切符売り場にひとりだけ、日本語を話せる駅員がいたんだそうだ。日本のことが大好きで日本人の女性と結婚した人物、当時、日本語を話せるイタリア人として日本人の間では有名で、テルミニ駅に来た日本人は、彼と話すために切符売り場に立ち寄ったらしいよ。40年以上前の、誰も知らないこんなエピソードは貴重だし、楽しいよね」

「そして、ローマ・テルミニは今再び、大きな変化を遂げようとしているところだよ。一般には、まだあまり知られていないけれど、今後、この駅は大きく変わるはずだ。現在の駅は、ホームから空が見渡せるオープンで、明るい構造になっているが、そのホーム全体に天井を作って閉ざし、1400台の車が駐車できる巨大な駐車場を作ろうと計画されているんだ。つまりここは、将来的にはまったく太陽光のない駅になってしまうというわけ。工事はすでに着手されているよ。だから僕はその工事が終わるまで、この場所からスタジオを移動せず、太陽が消えてしまう前の明るいローマ・テルミニの記録を残したいとも思っているところなんだ」

コンテが何気なく言った、そのテルミニ増築工事の話に、わたしはえ?と驚くことになりました。そういえばこのところ、通るたびにあちらこちらで工事のために囲われているテルミニ駅ですが、ホームが閉ざされて、駐車場になる計画が進んでいたとは・・・。私がローマに住みはじめた頃に比べると、大幅に改装され、明るくモダンになったテルミニ。それでもどこか違う場所から到着し、陽光が差し込むホームを降りた途端に、「やっぱりローマの風は温かい」と街の空気を体感することで、のびのびとした気持ちになった。永遠の都市、ローマの風景も、こうして少しづつ変わっていくのです。どの駅に到着しても、同じブランドの物を売るショッピングセンターが並び、同じ味のサンドイッチを売るモダンなカフェが並ぶのは『駅』という、その土地の玄関の個性が剥ぎ取られていくようで、少し寂しくもあります。

すでに着手されたこのテルミニ駅の大改装は、1億2千5百万ユーロを投じ、6500平方メートルのスペースを増設、そのうちの4550平方メートルはレストランやバール、さらなるショッピングセンターに当てられる予定だそうです。2016年ちゅうにはその60%がオープンし、2020年には1337台の自動車、85台の大型バイクの駐車場が完成する。しかしながら体裁がどんなにモダンに、グローバルスタンダードへと変わったところで、われわれ人間はそうは簡単に変化しないわけですから、閉ざされゆくテルミニでも、まだまだ個性的な物語が語られ続けるに違いありません。

テルメー温泉から枢機卿のヴィッラ、そしてローマ・テルミニへ。気が遠くなる時間の流れが紡ぐ幻のような記憶を持つテルミニ駅を訪れるわたしたちも、それぞれの物語を秘めながら、汽車の軋む音、発着のアナウンスに、「まさか!いまごろホームが変更になるとは」と掲示板を見て慌ててダッシュする。そしてローマ・テルミニには、その多少ハタ迷惑、しかし完璧であるはずのないヒューマンな『個性』を失って欲しくない、とひそかに願っているところです。

 

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『レイシズムを閉じてしまえば世界が開く』テルミニ・アンダーグラウンド

 

 

 


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