2018 イタリアの不穏な8月:フィアット、モランディ橋の崩壊、そして難民の人々

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9月の声を聞いて、今まで夏休みで閉まっていた大通りの店もひとつ、ふたつ、と緩やかに開店しはじめました。たっぷり遊んだ夏が溜息混じりに終わる、どこか気だるい空気が流れるローマではありますが、いつもはたいした事件も起こらないイタリアのヴァカンス期、今年はジェノヴァの『モランディ橋』の崩壊、という大事故が起こったせいで、その倦怠に多少の緊張感が漂っています。さらに感じるのは、欧州極右勢力のホープと見なされる、『同盟』マテオ・サルヴィーニの派手なスタンド・プレイに、極右グループが調子づいていることでしょうか。それに伴い対抗するアンチファシストのグループも活動活発化の様相を見せている。イタリアの8月を振り返ってみました。

実は、この8月は日本に帰国していたため、ネット情報でしかイタリアの様子が伝わってこず、あれこれの事件の実感が、いまひとつ乏しかったというのが正直なところです。したがって、ローマに戻ってイタリアの人々と話したり、ニュースや雑誌を観たり読んだりするうちに、夏に起こった数々の事件、とりわけジェノヴァの『モランディ橋崩壊』の衝撃が、まだまだ人々の脳裏に暗い影を落としていることをヒシヒシと感じることになった。当然のように、今後の対応を巡って政党間、国政と地方自治体の判断に齟齬が生まれ、政治問題へと発展を見せています。

ともあれ、どんなに猛暑であっても大好きな日本で過ごす日々はやはり楽しく、人々は親切で、どこに行っても他人への気配りは尋常ではなく、ちょっとした闘いが日常でもあるローマに比べると、とりあえず魅惑的なぬるま湯でした。ああ言えば必ずこう言って、自己の存在を主張せずにはいられないイタリアの「わたしが主人公」社会と、個の概念が薄い日本における同調圧力社会を足して2で割ると、ちょうどいい具合になるのにね、などと考えながら再びローマ、及びイタリアを観察したいと思う次第です。

いずれにしても、イタリアに戻り、9月もとっくにはじまったというのに、かかりつけの歯医者さんの「9月21日まで休診します」とさらっと更新された留守番電話には少々困惑しました。子供たちが通う学校はまだ夏休みが続いているし、9月の中頃まで休みをとる店やバールやケーキ屋さんをちらほら見かけますが、今年は例年に比べて、休みが長い開業医や店が多いようにも思います。「イタリア国民の利益を第一に考える」という触れ込みの新しい政府がイタリアに樹立したことで、強気になった人々のヴァカンス感が少し変化したのかもしれない。あるいは楽しめる時に徹底的に楽しんでおくぞ!という本能の声を体現する、勇ましい刹那主義かもしれません。

なお、豪雨や猛暑、台風、そして地震で大きな被害が続く日本のことを、とても心配しています。被害に遭われた方々が、お気持ちを強く持って、1日も早く日常の生活を取り戻されることを心からお祈りしています。

 

フィアットのカリスマ、セルジォ・マルキオンネの急逝からはじまったイタリアの夏

誕生から60年を迎えたFiat 500(チンクエチェント)。La Voce (vove.com.ve)から引用。

 

今年のイタリアの夏の波乱は、この時からはじまった、と言っても過言ではないかもしれません。

FIAT(Fabbrica Italiana Automobili Torino)ーフィアット、正確に言うと現在フィアット・クライスラー(FCA )、フェラーリ社、及び多くの関連会社グループのリーダーであり、イタリアを代表するグローバル・マネージャーとして、国際社会にも名を轟かせていたセルジォマルキオンネが、66歳という若さで7月25日に急逝。闘病の経緯が明確にならないまま、まるで狐につままれたかのごとき謎めいたスピードでこの世を去ったことは、イタリア経済界にも、メディア界にも、車にはまったく興味がないわたしのような一般の市民たちにも、大きな衝撃を与えました。

フィアットといえば、チンクエチェントという大衆車で戦後の「イタリアの家族」の夢と未来を象徴した、代表的なメイド・イン・イタリア(現在は世界中で造られていますが)の自動車産業であることは周知の通りです。さらに68年からはじまった労働者、学生を中心としたムーブメントをきっかけに、69年に巻き起こった労働者たちの反乱熱い秋から続く70年代『鉛の時代には、マルクス・レーニン主義を掲げる労働者たちの激しい闘いの場ともなりました。当時『革命』を目指した左翼学生たち、労働者を中心としたプロレタリアートたちにとって、フィアットの工場は、思想の重要な核でもあった。

ある意味、イタリアの近代史の一端を形成したと言えるそのフィアットは、しかし長い時を経て、グローバリゼーションが完全にイタリアを凌駕しはじめた頃から、かつて誇った趨勢を失うことになりました。ジャンニ・アニエッリの息子、ウンベルト・アニエッリが亡くなった年の前後には株価も低迷し、2005年には史上最低価格4ユーロという底値をつけています。

余談ですが、この頃のイタリアといえば、欧州共通通貨ユーロを導入した直後。一種の投資ブームが起こった頃でもあり、銀行に行けば、必ずと言っていいほど行員たちが投資の話で盛り上がっていました。どの銘柄を買っても、あるいは投資信託を買っても、それほど大きな損はないという時代でしたが、その時代の行員たちが、危なくて顧客には「絶対薦められない」と言っていたのがフィアットの株でした。そしてその風潮に、たったひとりだけ頑なに異を唱える、シチリア出身の年配の行員がいたことを憶えています。

「いいかい。いまの相場に騙されちゃだめなんだよ。フィアットは必ず蘇って大化けする」と彼は強く主張し、他の若い行員に「レナートは勝負師だからね。話を聞かないほうがいいんだ」と笑われていた。思えば、その頃の(つまり、サブプライム以前の)ローマの銀行は、現在のように杓子定規に肩苦しくなく、まことしやかな儲け話で顧客を釣ることもなく、推奨商品を買う見込みのない、わたしのような顧客とも暇にまかせて談笑する、アットホームな雰囲気でした。

結論を言うならば、シチリア出身の、そのレナートさんの勝負師の勘は(当時、フィアットにかなり投資したと彼は言っていましたから)見事に当たることになったわけです。フィアット王国の帝王の座を継いだウンベルト・アニエッリ亡きあと彗星の如く、しかしいつも同じ丸首のセーターというカジュアルさで、新しい総帥として現れたセルジォ・マルキオンネ以後、フィアットはあれよあれよと言う間にイタリアを代表するグローバル企業として返り咲くことになりました。

 

FCA CEO セルジォ・マルキオンネ Sergio Marchionne, the CEO of Fiat Chrysler Automobiles, at the Chrysler Technical Center in the Auburn Hills suburb of Detroit, April 23, 2015. LAURA MCDERMOTT /THE NEW YORK TIMES NEWS SERVICE



イタリア人でありながら移住したカナダで教育を受け、2カ国のパスポートを持つマルキオンネは、2004年6月にアニエッリのフィアット王国を引き継いだのち、旧態依然としたフィアットの企業システムをグローバル基準に瞬く間に刷新。2005年には4ユーロだった株が2007年には23ユーロにまで膨れ上がるという快進撃、数々の新車を大ヒットさせながら、落ちぶれたフィアットのイメージをガラリと変えることに成功した。

サブプライム以降の2009年には、崩壊寸前であった米国クライスラーの20%を取得することで経営権を得、イタリア発のグローバル自動車産業となったFCA(フィアット・クライスラー)を、世界第8位(2017)の規模へと名実ともに成長させました。そのマルキオンネの活躍は、親交のあったオバマ大統領からも感謝の意を表されています。

「イタリアの問題はプロビンチャリズモ(田舎根性)なんだよ。フィアットに来た年にまず驚いたのは、8月になると本社に人っ子ひとりいなくなることなんだ。いったいなんのための休暇なんだか。8月はアメリカでもブラジルでもみんなが働いているんだよ。8月に本社の全員が夏休みだなんてあり得ないことだろう」

ミラノのボッコーニ大学でそう発言する、初期の頃のマルキオンネ講演の動画がYoutubeに上がっていますが、ここ数年の間に、イタリアにアンチグローバルな風潮が定着した現在、その動画には「働くために生きているわけじゃない」「働くだけで死んでしまったら元も子もないじゃないか」という内容のコメントが並び、さもありなんという風情を醸しています。いいことなのか、悪いことなのか、イタリアの精神性のひとつでもあるプロビンチャリズムを払拭するのは、並大抵のことではありません。

フィアットの変革に取りかかったマルキオンネは、シチリアの工場を閉鎖し、中央左派政権とも合意、時間をかけて工員の労働条件を経営に有利な方向へと変更。また、官僚主義が蔓延り、時間ばかりかかって物事がまったく前に進まないイタリアから、本社を他国へ移した方が合理的、とFCA(フィアット、アルファロメオ、マセラッティ、ランチア、ジープ、クライスラーなど)を、さっさとアムステルダムに移し、税金は英国に収めるという方法を取っています。

何と言ってもイタリアに、アメリカン・スタイルの経営を持ち込んだ人物として、強い反感、労働組合の反抗、経営を巡る議論に晒され続けても、結局、フィアットというイタリアン・ブランドを、みるみるうちにグローバルレベルに成長させた超人的な業績で、彼をカリスマとして認めざるを得ない、という空気を形成した。

そもそもマルキオンネは、アブルッツォ州のちいさな街でカラビニエリの息子に生まれ、父親の年金受給を機に、家族で果実園を営んでいる親戚を頼って14歳でカナダに移民した人物です。移民当時、英語の発音を友人たちに笑われて必死で勉強したと言い、トロント大学では哲学、ヨーク大学ロースクールで法学の学位を、さらにはウィンザー大学で経営管理のマスターを取得。若いうちから北米、欧州各国のグローバル企業で主要ポジションに抜擢されている。

生前、プライベートはほとんどヴェールに包まれていましたが、亡くなったのち、ほとんど寝ないで世界中を飛び回っていたこと、FCAのCEOだった間、休日はほとんど取っていないこと、唯一の楽しみはフェラーリのレースだったこと、驚くほどのヘビースモーカーだったこと、入院する前に「疲れた」とはじめて弱音を吐いたエピソードなどが少しづつ明かされました。そして実際、明かされるべきプライベートな時間など、ほとんどない人物でした。「2019年に引退する」と宣言していましたが、たまにテレビで見かける姿は、常に溌剌と明朗で、大病を患っているという様子はまったく見受けられなかった。

ジャンニ・アニエッリの孫で、FCAの現・総帥であるジョン・エルカンから、マルキオンネの重病が病名は伏せられたまま発表されたのは、最後に彼がパブリックな場に姿を現した6月26日から、1ヶ月も経たない7月21日のことでしたしかも、「彼はFCAには、もう戻っては来ることが不可能な状態だ」と、その日のうちにフィアット・クライスラーのCEOとして、ジープのマイケル・マンリー、フェラーリのCEOとしてルイス・キャリー・カミレーリの抜擢が決定されるという慌ただしさだった。その急展開に「まったく寝耳に水」とメディアも騒然、というより「何が起こっているのか分からない」と誰もが呆然とした、と言ったほうがいいかもしれません。

この性急な対応は、隙あらば、と投機の機会を狙っているマーケットの反応を最小限で食い止めるための、フィアット側の最善の交代劇だったには違いありませんが、次いで22日には脳死の状態と報道され、25日に急逝という、あまりにあっけなく、まったく納得のいかない最期でした。入院していたスイスの病院も、最後まで「プライバシーの保護」という理由で、一年以上闘病中であったことは明かしながらも病名を明確にしなかったせいで、「つい最近まで元気のように見えた人が、こんなに短い期間で簡単に脳死することがあるのか」「例えば肺ガンであるとか、言われているように背部の肉腫であっても、病院の施術ミス、あるいは医療機器の故障などのアクシデントではないのか」と多くの憶測を生みました。現在では非常に難しい手術中に引き起こされた塞栓による心臓発作とされています。

さらには、彼の最期を見とった、恋人であり仕事のパートナーだった女性も、また子供達も、彼の死を巡る事情については何ひとつ語らず、親戚にも内緒にされたまま、いつの間にかカナダでお葬式が行われて両親の墓の横に埋葬されたのだそうです。もちろん、その一連の事情をあれこれ詮索することは、生前プライバシーをほとんど明かさなかったマルキオンネを冒涜することかもしれませんし、存在そのものが『蘇ったフィアット』でもあった、『物語』より『実績』重視のグローバル・マネージャーの強烈なインパクトを、もはや押しも押されぬグローバル企業となったFCAは引きずりたくないのかもしれません。後に残った遺産は少なくとも70億ユーロと言われます。

マルキオンネが最後にパブリックなシーンに登場したのは、ローマのカラビニエリ本部に特製のジープを届けるというセレモニーでした。そこでマルキオンネは、一匹の警察犬に向かって「可愛い犬だね。知ってるかい? 僕の父親もカラビニエリだったんだよ」といつにない柔和な様子で語りかけている。当日、カラビニエリのセレモニーにはどうしても出席したい、と予定を変更してローマに赴いたマルキオンネの、今まで見えなかった素顔が、その会話に垣間見えたようにも思います。

そういえば、3月の選挙結果を受け、マルキオンネは「ポピュリズム、恐れずに足らず」と発言していました。9月の中旬には、オフィシャルな「お別れ会」が開かれるのだそうです。

 

ジェノヴァ、市民の日常の風景だった高架ハイウェイ、『モランディ橋』のありえなかった崩壊

崩壊したモランディ橋 cronacaeattualita.blogosfere.it より引用。

 

その高架ハイウェイを作った建築家、リカルド・モランディの名から、通称『モランディ橋』と呼ばれる、ジェノヴァ中心街の丘陵を繋ぐポルチェヴェラ陸橋の突然の崩壊は、日本を含む世界中で衝撃をもって報道されたので、事故そのものの詳細については多くを語る必要はないと思います。今回の大事故で、この陸橋が『モランディ橋』と呼ばれることを知った、とジェノヴァ市民たちが言うように、街の中枢を走るハイウェイの一部の当たり前の風景として、誰もが自然に受け入れていた日常的なインフラで起こった大惨事でした。

イタリアの戦後の経済発展期に作られ、老朽化した(しかしまだ50年そこそこの陸橋です)インフラの、考えもしなかった脆弱さと、巨大トラックが行き交う激しい交通量のアンバランスが引き起こした事故は、高架の下に、市民が普通に生活を営む数多くの高層住居があったことで、被害を拡大することになりました。

この『モランディ橋』と呼ばれる、繊細で優雅なデザインを持つ陸橋はそもそも、さらなる経済発展の願いを込めイタリア全土をひとつに結ぶために、1963年から1967年にかけて建造されたハイウェイの一端でした。当時、前出のフィアットを含む自動車産業、重油など資源産業、そして流通産業が心待ちにした「太陽へ向かう」道でもあったわけです。

ちなみにこのハイウェイのプロジェクトは、アルド・モーロ内閣下で進められています。また、世界に先駆けイタリアではじめてハイウェイの各所に作られたオートグリル(サービスエリア)は、1962年に飛行機事故と見せられて殺害されたENI(主要エネルギー会社)の総帥エンリコ・マッテイが発案したものなのだそうです。このように、各時代の幻影のように佇む数々の歴史建造物だけでなく、いまや日常の風景となったモダンな(イタリアにおいては)インフラひとつひとつにも、波乱に満ちた時代を駆け抜けた人々の思いが、沈黙しながら横たわっていることを、はじめて知ることになりました。

全長1102メートル、最も高い部分で地上45メートルの、この高架ハイウェイ「ポルチェヴェラ陸橋」のうち、今回一瞬のうちに崩れ落ちたのは、サンピエールダレーナ産業地区の頭上を走る250メートル部分。43名の犠牲者を出した陸橋落下の悲劇は、8月14日、イタリアの夏休みの頂点、フェッラゴスト(聖母被昇天の祝日)の1日前、午前11時36分に起こっています。

「モランディ橋の崩壊とともに、インフラ、すなわち国家そのものへの信頼は費えた」「エスタブリッシュと呼ばれる国家運営に関わる内閣、議会、地方自治体、警察、外交筋、保安を司る軍部の幹部、検察、さらに企業家、銀行、行政管理期間、委託会社、主要新聞の幹部たちは、巨大な利益を得る特定の家族たちのためだけに、安定し、頑丈で、持続可能な安全を保証する人々だと(市民からは)捉えられている」「実際、英語における『エスタブリッシュ』とは、安定した、長時間持続可能な確実性を意味する言葉だが、今回の事故で、エスタブリッシュ(と呼ばれる人々)は人々が安全だと信頼するインフラに、安定も、確実性をも与えないことを露呈した。むしろエスタブリッシュたちは、人々の移動の自由を許容することなく、不安定で、持続不可能な不確実性しかもたらさない、という不信を、人々に刷り込んだのだ」

これはエスプレッソ紙の主筆マルコ・ダミラーノによる巻頭記事の一部ですが、市民の気持ちを代弁し、今までエスタブリッシュと呼ばれ、国家の運営に関わってきた人々を批判しながら、政局を分析する記事でした。つまりこのような事故が起こった原因は、過去のエスタブリッシュたちのインフラ放漫管理にあり、国民はその莫大な利権を巡る不穏な動きに気づいていたからこそ、『5つ星運動』『同盟』というふたつの政党を支持した、とダミラーノは暗示したうえで、ただでさえエスタブリッシュに飽き飽きしている人々に、さらなる不信を刷り込んだ、と言っているわけです。モランディ橋の崩壊は、同時にエスタブリッシュの崩壊をも象徴しているかもしれません。

また、モランディ橋を含むイタリア全国のインフラ管理が、時代を経て自由化、民営化され、国家を代行してハイウェイを管理する民間の機関、アウトストラーダ・ペル・イタリアを独占運営するアトランティアの88%を超える株を、ベネトン・ファミリーが握っていることも、事情を複雑にしています。事実、事故が起こった翌日の8月15日には、『5つ星運動』の「インフラストラクチャー及び交通省」の大臣ダニーロ・トニネッリが、「アウトストラーダから運営権を剥奪しハイウェイを国有化する」と早々に宣言、国有化には賛成しない『同盟』、地方自治体との間に議論が持ち上がっています。ちなみにアトランティアはイタリア国内のハイウェイ、空港などの交通インフラだけでなく、海外のハイウェイの運営権をも所有するグローバル・インフラ運営会社です。

そもそも『5つ星運動』は、交通網だけでなく、民間企業の独占管理となっている『水資源』も含め、市民の公共財産であるべきインフラを国有化することを公約に挙げていますから、トニネッリ大臣の今回の事故におけるリアクションは自然でした。しかし今回の事故の原因を作ったのはアウトストラーダ側か、あるいはこれまでのインフラ省の対応にあるのか、今後の捜査で明らかになるにしたがって、責任の所在、あるいは不正の存在の有無が確定されることになるわけですから、それが明確になるまで『国有化』の議論は時期尚早ではある。また、すでに完成した民間企業によるハイウェイの運営システムがそれほど簡単に国有化できるかどうか、アウトストラーダから運営権を剥奪する過程だけでも何年もかかる長丁場の裁判になるとみられます。

犠牲になった方々の『国葬』は、セルジォ・マッタレッラ大統領、ジョゼッペ・コンテ首相、各政党の党首、幹部が参加した8月18日に催されました。その際、イタリアの新しい政府『同盟』の副首相マテオ・サルヴィーニ、『5つ星運動』副首相ルイジ・ディ・マイオには拍手が巻き起こり、新しいリーダーたちと「自撮り」をしようとする人々で列ができたのだそうです。一方、中央左派前政権のPDー民主党書記長及び幹部には非難の口笛が鳴り響き、ブーイングが巻き起こった。この状況にPD幹部たちは「我々はこの非難の口笛からはじめなければならない」、「人々はいつから僕らを敵と見なし、距離を取るようになったのだろう」と落胆しています (エスプレッソ紙、参照)。

 

「私たちの生活が保障されるまで、橋の解体はありえない。わたしたちに答えてください」州知事が30日以内に、まず橋とその下に位置する家々を壊す、という発表をしたことに対し、住民たちは大きく反発。壊す前に、まず自分たちの家へ戻り、生活に必要な物を取りに行きたい、また今後の生活を確実に保障すべき、と州議会に詰めかけた。

 

しかし、フィアットのマルキオンネの急逝といい、アウトストラーダ・ペル・イタリアの運営を巡るベネトンといい、今まで中央左派政権と強い絆を結んできたイタリアを代表する大企業が次々にその核、そして威信を失うことになった8月の出来事は、イタリアのひとつの時代の終焉を物語っているようにも思います。PD政権で内務大臣だったミンニーティが「われわれPDのメンバーには、朝、バスに乗って国会に出かけるような人物がいなかった」と反省を込めて話していますが、『5つ星運動』から下院議長に選出された朝、公共のバスに乗って国会に向かったロベルト・フィーコのように、市民と同じ立ち位置で生活する議員は、事実PDには存在せず、誰もがモダンなエスタブリッシュを演じ、大企業には寄り添っても、市民の生活からは遥か遠くで政治を行っていた、という印象が、国民に染みついてしまった。

なお、今回の事故の犠牲者43名すべての家族が、すんなりと『国葬』を受け入れたわけではなく、国に不信を募らせて出席を拒絶、内々に葬儀を済ませた家族も半数ほどいるそうです。また、高架の巨大破片が降り注いだこの事故で、家を失った人々、あるいは立ち退きを余儀なくされた人々は600人を遥かに超えている。ジェノヴァを州都とするリグリアの州知事ジョヴァンニ・トーティ(フォルツァ・イタリア)は、家を失った人々の仮設住宅をはじめ、教育費などの負担を保証するとともに、モランディ橋を急いで解体することを発表しましたが、ローンを組んで高架下の家を購入した家族や、安全上、家財道具を取りに家に入れない人々は、その州知事の発言に反発。地方自治体との間に緊張が続いている状況です。

さらにリグリア州出身の世界的な建築家、レンツォ・ピアーノが、無償で新しい『モランディ橋』を設計することを表明。9月7日には、2019年の11月までにその設計に沿って「これから1000年間使える」新しい橋を完成させる、というプランが、州知事、「責任を持って再構築に携わる」と宣言しているアウトストラーダの幹部も参加した公開会議で検討されています。

さて、ここでちょっと胡散臭い話になり恐縮ですが、ここにきて、今回の事故に疑問を呈する声が上がっていることも付け加えておきたいと思います。これはそもそも事故後ネット上で密やかに語られた、いわゆる『陰謀論』の陸橋爆破説で、ジェノバ在住の作家ロベルト・クアリアが、さまざまな証言を集めて推論した動画をYoutubeに投稿、あるいは事故を目の当たりにしたという、建築を勉強した女性の証言動画などが出回って、注目されるようになりました。

クアリアが主張するのは、1.陸橋が崩壊するとき、2、3の稲妻のような閃光がはっきりと散っており、それが何の光なのか判然としない。2. 事故の前日、その日大雨だったにも関わらず、なぜか事故が起こった場所あたりで、何を工事しているのか不明な作業員たちが目撃されている。その風景がビデオ撮りされ、Sky newsでも放映されているにも関わらず、彼らが一体誰で、何をしていたのか明らかになっていない。3. また今回の事故の分析に最重要と思われる、ハイウェイに備え付けられたビデオカメラ2つの映像が発表されていない(事故直後に、アウトストラーダのサイトを訪問し、映像を調べた多数のネットユーザーたちも「映像がその時間から切れている」と証言)ことなどが、その疑惑の理由として挙げられています。3項めのビデオカメラの映像については、最近になって当局が「馬鹿馬鹿しい憶測を払拭するために」という理由で、そのいくつかを公開しています。

さらにこの疑惑に拍車をかけたのが、高架の専門家として数々の本を書き、何百ものプロジェクトに参加、ヴェネチアの大学で教鞭を執る陸橋建築界では名高いエンジニア、エンツォ・シルヴィエロでしたあくまでもアカデミックな意見、と念を押した上で「モランディ橋のように精巧に作られた高架が一瞬のうちに崩壊した事実から、爆薬が仕掛けられたのでは?という説があるが、それはまったく否定すべきものでなく、ありうる推論である」と、自らのキャリアに臆することなく発言したことで、コリエレ・デッラ・セーラ紙、ラ・レプッブリカ紙、スタンパ紙などが「ベテランエンジニアの衝撃的な爆破説」、と一斉に報道しました。

しかしながら、当然のごとくメインストリームの捜査は『爆破説』を一笑に伏し否定。ネットで語られる以外は、現在『爆破説』がマス・メディアで語られることはなくなった。確かにクアリアの主張するように、閃光、あるいは工事作業員の存在など、いくつか公にされていない不明な事実は存在しますが、現在のように裏付ける証拠が全くない状況では、残念ながら空虚な想像にすぎない。起こるはずのなかった理不尽な衝撃に遭遇すると、人間はあらゆる可能性を考え出し、理性で納得しようとしますし、戦後のイタリアは、常に陰謀に晒された歴史があるため、人々は報道を額面通りにはなかなか受け入れない、ということも『爆破説』のひとつの理由だと考えているところです。

いずれにしても今はまず、今回の事故で犠牲になった43人の方々の家族、そして家を失った人々の救済に、国家をあげて何より第一に取り組んで欲しいと切に願います。

現在、モランディ橋が崩壊に至るまでの修復の計画の経過を含め、アウトストラーダ・ペル・イタリアの運営状況やインフラ省の管理、その他の関係機関に関して、さまざまな捜査が進んでいますが、事故の2ヶ月前にはインフラ省が、危険な状態のモランディ橋修復プロジェクトにOKを出し、夏休みが終わる9月から開始される予定だった、という書類の存在が報道されています。「陸橋の脆弱性を知っておきながら修理を後回しにし続けた」人々の名前20人が公表され、捜査が進められているところです。

 

難民の人々を救った沿岸警備隊の船、『ディチオッティ』の上陸を拒んだ内務大臣

「カターニャは開かれた街」「非合法な人間はいない」と書かれたプラカードを持って、難民の人々を乗せた沿岸警備隊『ディチオッティ』が停泊する港に抗議に集まった人々。TGCOM24-Mediasetteより引用。

 

『同盟』と『5つ星運動』による内閣が誕生した途端に、地中海の難民の人々の救援に何年間も携わってきたNGOの船全てを上陸拒否したマテオ・サルヴィーニ副首相のことは、先の項でも触れました。そのサルヴィーニがモランディ橋の大事故からそれほど時間をおかず、今度はイタリア軍部に属する『沿岸警備隊』の船『ディチオッティ』が救助した、地中海で遭難した177名の難民の人々のイタリア上陸を拒絶。カターニャに着港した沿岸警備隊の船に難民の人々を何日間も閉じ込めるという非常識な事件が起こりました。

まず、この拒絶が尋常ではない理由は、地中海の『沿岸警備隊』である『ディチオッティ』は軍部に属す、そもそもイタリア当局の船であり、彼らは海で起こった海難事故の救助をするという、自らの職務を忠実に果たしただけにも関わらず、カターニャに着港した途端に内務大臣から糾弾される、という支離滅裂な経緯があるからです。

日を追うにしたがって乗船する女性と子供たちの上陸は許可されたものの、男性は全て上陸を拒絶され続ける、という見せしめのような状況でした。これには沿岸警備隊内部からも大きな批判が巻き起こり、最終的にはアグリジェントの検察がサルヴィーニ内務大臣を『誘拐』『監禁』など4つの罪状で告訴するという事態にまで発展しています。

上陸拒否後、ただちに欧州各国、ヴァチカン、各主要メディアから、サルヴィーニに向けて大きな非難が巻き上がり、連日、カターニャの港では「難民の人々を今すぐ上陸させろ」と抗議デモが起こりました。船に閉じ込められた人々はといえば、海で溺れかけたうえに、十分な栄養を摂ることもできず、ストレスと肉体的な疲労でぐったりとした様子で「彼らをこんな目に合わせるなんて、人間じゃない。恥ずかしい」と彼らの上陸を求める人々の怒りは頂点に達した。

しかしながら検察に告訴されても、総攻撃を受けても、サルヴィーニ大臣はガンとして上陸拒否の主張を曲げず、しかもまったく不思議なことに、こんな暴挙を繰り返しているにも関わらず、Facebookのいいね!はみるみる増加、307万人を超えるという現象が起こっています。さらにSWG が主催した世論調査では、9月1日の時点で、32.2%と28.3%の『5つ星運動』を大きく引きはなす結果となり、(コリエレ・デッラ・セーラ紙)支持率はうなぎ上り。『嫌われ者』が人気をさらう昨今の世界的傾向は、ここイタリアでもトレンドになっています。

このサルヴィーニ現象を間近で見ていると、大衆心理というものがどれほど日和見でアドレナリンに引っ張られるか、という事実を目の当たりにしますが、カトリックの教えに根ざした「隣人である弱者を愛する」というイタリアの基本的なモラルは、デマゴーグを前に無力に陥ると知り愕然とする、というのが正直な気持ちでもある。個人的にはサルヴィーニのいったい何が魅力なのか理解できませんし、言っていることに、たまに納得する部分がないこともないにしても、全体を通すと論旨が食い違い、機会に乗じてEU本部やエスタブリッシュ、他政党を憎悪すべき敵として攻撃、市民の被害者意識をひたすら煽っているだけのようにも感じる。ムッソリーニの台頭は、このように進んでいったのかもしれない、とも想像します。

いずれにしても『ディチオッティ』を巡る一件で、サルヴィーニが盛んに主張したのは、オーストリアのヴィクトール・オルバン首相が提唱する『No way』(プロパガンダ映像リンク:英語版) ーどんな理由があろうとも難民はオーストリア市民になれない、という容赦のない政策をイタリアも導入する、ということでした。ご丁寧にオルバン首相をミラノに招いて、難民船拒絶姿勢を互いに確認する、というパフォーマンスまで繰り広げ、その会合には夏休み中だというのに1万人という人々が集まっての抗議デモが起こっています。ともあれ、オーストリアという国は人口9百万弱と、イタリアの人口の8分の1にすぎず、同じレベルで難民の人々の問題を共有できる次元の国ではありません。さらにサルヴィーニはあくまで内務大臣であり、外務大臣ではない。

結局、『ディチオッティ』に『監禁』されていた難民の人々は、アルバニア、アイルランドが何人かの人々を引き受け、またヴァチカンが100人余りを引き受けることを宣言し、ローマの近郊、ロッカ・ディ・パーパにある『モンド・ミリオーレ(もっとよい世界)』という名の、巡礼者や旅行者の宿泊所へと一旦の移動が許可されました。ところが下船した難民の人々の、その待ちに待ったバスによる移動の日には、極右グループ『カーサ・パウンド』と難民の人々をサポートするグループが同時にデモを開催し、いつもは静かなロッカ・ディ・パーパが怒鳴り合いで緊張する一場面もあった。ドイツ、ケムニッツの騒動はイタリアにとっても、もはや対岸の火事ではありません。

9月5日には、ロッカ・ディ・パーパに一旦移動した難民の人々の50人余りが、行方を告げずに戻ってこなくなり「脱走した」、とちょっとした騒ぎになりましたが、カリタスの責任者である神父は「彼らは刑務所に収容されていたわけではないのだから、脱走したわけではない。自由に好きなところに好きなように行けば良いのだ」と発言し、内務大臣のサルヴィーニの管理能力が問われることになりました。

また、ここにきて、サルヴィーニの母体政党『同盟』に、かつて議論された使途不明金4千9百万ユーロの支払い義務の判決が下され、政党の存続が危ぶまれる状況に陥っています。と同時にSNSでは、サルヴィーニと件のトランプ大統領当選の仕掛け人、スティーヴ・バノンの親密そうな写真が出回ったり、#complicidisalvini(われわれはサルヴィーニの共犯者)というハッシュタグで、ツイッターで長時間トレンド入りしたサルヴィーニ支援のアカウント多数が、実は米国のアカウントだった、という分析が報道された。ともあれ、かねてから噂があったように、サルヴィーニとスティーブ・バノンは緊密な関係を築いているようです。

 

 

「サルヴィーニがこんな風では、振り回される『5つ星運動』がかわいそう」という世論まで飛び出す、内務大臣の度々の暴走は、来年行われる欧州議会の選挙キャンペーンの一環というのが、大方の意見です。その、欧州議会選挙に関する世論調査においては、このまま行けば、ひょっとすると議席の大半は極右政党議員で占められるかもしれない、という暗澹たる結果も浮上しつつあり、フランスのマクロン大統領もサルヴィーニを名指しで攻撃しはじめました。

サマータイムの廃止が議論されている欧州ですが、廃止された場合は欧州各国が自由に時間を設定することができるようになる、というシステムだそうで、そうなると欧州各地で時間にバラつきが生まれ、共同体の統一感は失われるかもしれません。1時間であっても、1年に2度、時間が行きつ戻りつするシステムは、いまだになかなか慣れず、数日は軽いジェットラグに似た状態に陥ることは事実でも、欧州のサマータイム廃止は一長一短。健康上の問題は解決されても、マーケットの開閉時間に生じるズレなどで、各国間に行き違いを生む可能性もあります。

さて、9月に入って、8月の後半から夏休みをとった人々が街に戻る季節、これからのイタリアは、『5つ星運動』のベーシックインカム、『同盟』のフラットタックスを中心に、双方の気前がいい経済政策が現実に可能なのかどうか、来年の国家予算が議論される時期がはじまります。ここにきて、国債スプレッドに波が生まれ、突然300近くまで上昇する日もあり、だんだんに安定してきたギリシャ、ポルトガルを遥かに上回る経済不安を抱え、欧州の爆弾となったイタリアの、いよいよ正念場が近づいてきました。

*9月2日、8月27日からはじまったトリポリにおける内戦が激しくなり、『非常事態宣言』が発表された、というニュースが飛び込んできました。現在、国連、トルコ、カタールが認めるトリポリの政府以外に、エジプト、アラブ首長国などが支持する政府が共存するリビアは、ガダフィ大佐亡きあと、150の部族、250の武装集団が混在し、混沌を極めている。たびたびイタリアで報道されるリビア情勢における人々の日常は、監禁、拷問、強盗、殺人、強姦と無法地帯の様相です。

現在の分裂した政府は、マクロン大統領の要請により、今年の12月28日に共同で「リビア全国選挙」を行うことになっていましたが、それも危うい状況となっています。多くの大使や企業関係者、ジャーナリストに国外退避命令が下される状況となり、一報を受け、サルヴィーニは「この紛争には裏がある」と発言しました。その発言の真偽のほどは分かりませんが、サルヴィーニはパリによる画策、陰謀を暗示しています。

リビアはアフリカ大陸で最も多く原油が産出する、豊かな砂漠を抱く国です。9月4日には一時停戦が発表されても、状況はいよいよ不安定と報じられ、注視を要します。シリアも大変な状況に追い詰められているようですが、リビアの混乱も収まる様子はありません。

 

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