市民が撮るソーシャル・ムービー :リアクション・ローマ

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MACRO Factory(マクロ・ファクトリー)に入った途端、見慣れているはずのローマストリート風景が広がり、スペースに充ちる不穏を孕む強烈な音響に、街の深層に迷い込んだような気分になりました。そう、そこにインスタレーションされているのは、ローマの住民たちの視線が捉えたリアルなローマの風景、そして今現在、街にじわりと漂う空気感と言えるでしょう。人々が自らの周囲の風景をモバイルやカメラを使って撮影したムービーを再編集、5つのカテゴライズでインスタレーションされた、ローマではじめての実験的「ソーシャル・ムービーReaction Roma。その指揮を執った映画監督であり映像作家の Pietro Jona(ピエトロ・ジョナ)に話を聞きました(写真はビデオインスタのひとコマ。 Misunderstories から引用)。

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設置された5つの大型プロジェクターのビデオ・インスタレーションをひとつひとつ観るうち、街の通常の車の流れ、人々の動きに紛れて、暴力的とも言える理不尽な現実がフラッシュして、思わず目を凝らしました。有形無形のものたちが蠢く都市、『ローマ』の今を生きる人々が撮った日常のムービーの数々に、ある種の感情が強く喚起されます。無神経で騒々しく、しかも退廃的でもある永遠の都市の時間に飲み込まれそうになりながらも、時として個々の人間の視線が、切なく、やるせなく、哀しく、人のハートを貫く鋭い感受性を瞬かせるのです。

MACRO Factoryスペースに出現したReaction Roma(リアクション・ローマ)ーローマで暮らす人々の視線が捉えた、いわばソーシャル・ムービーとも呼べる景色を漂流しながら、まず感じたのは、この都市に溢れる情感、すなわち歓びも、哀しみも、切なさも葛藤も何もかもが、『生命』の発露だ、ということでした。「確かに僕らは、非常に難しい時代に生きている。歴史的に重要な時代だと思うよ。そして実際、集められたビデオを見ながら感じたんだが、そこに漂うのは『絶望と詩』だったんだ」

今回の Reaction Romaをプロジェクトしたピエトロ・ジョナが言うのを聞きながら、わたしが思い浮かべたのは、ピエール・パオロ・パソリーニが詩、小説、あるいは映画に込めた、ローマに充ちるVitalita Disperata ー絶望した生命力、という空気感でした。世界中を覆う何かが、大きく動きつつある気配が、街角にひたひたと充満するなか、ローマの住民たちの視線には、繰り返されるかもしれない過酷な過去の時代の予兆(いや、すでに突入しているのかもしれません)が反映されたのかもしれない。あるいはローマという街自身のメンタリティ、あるいはアイデンティティそのものが、パソリーニが生きた時代から、そう大きく変化していないのかもしれない、とも考えました。そしてそれが多分、現在のローマという街に隠された、あらゆる表現の可能性を秘めるエネルギーです。

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Misunderstoriesより引用。 Reaction Roma、ビデオインスタレーションのひとコマ。

われわれは実際のところ、すでに刷り込まれたイメージに囚われながら生きています。たとえばわたしが長くローマに住むことなく、1週間ほど旅しただけで去る運命にあったなら、廃墟として佇むコロッセオやフォロ・ロマーノの壮大な哀愁を醸す時間に圧倒され、あらゆる場所に存在する巨匠の手により永遠の生命が吹き込まれた彫刻群、絵画、装飾に我を忘れ、伸びやかなルネッサンス建築の豪邸、あるいは流麗なバロック建築の教会に目眩を覚えるだけに終わっていたでしょう。

地中海の太陽の、眩しい光に満ちた街角のバール、少し時代がかった立ち居振る舞いのカメリエレ、気さくな人々、時間が重なる街並み、賑やかで陽気で明るい永遠の都。そもそも抱いていた、そんなロマンティックイメージ通りローマを歩いて、満足していたに違いない。確かに人を幻惑するに値するほどローマは美しく、人間というものは短期間であればあるほど、そもそも自分が抱いていた、見たいイメージだけを風景に投影するものです。

しかし、1年が経ち、2年が経ち、あっという間に過ぎ去った長い時間をローマで生きるうちに、いわゆるステレオ・タイプである古代ローマ帝国の荘厳な遺跡、古代の英雄たちのレジェンダ、そしてローマカトリックの豪勢、置き去りにされたあらゆる時代デカダンな美に彩られたイメージの数々は、幻想とは言わないまでも、街の風景のひとつの要素でしかないということに気づくことになりました。

その、かつてのわたしが抱いていた、一般的に共通認識されているローマという街のイメージは、たいていの場合、国家ぐるみの旅行産業のプロモーションとしてメディアで増幅されたコマーシャル・イメージでしかなく、その場所に根ざして住む人々が自らの生活テリトリーに持つイメージとは、大きくかけ離れています。確かに映画や文学作品などでは、住人たちのメンタリティ、現実に近いイメージを、多少は垣間見ることもできますが、それらもやはり断片にしか過ぎません。ローマにおいて、旅人たちはもはやどこにも存在しない「過去」を生き、住民たちだけが「現在」とせめぎあっているのです。

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いわゆるステレオ・タイプのローマの街並みと、「犯罪」の温床になってしまったという、そのデカダンな末路で、常に人々の議論の俎上に乗る、70年代に建造された巨大集合住宅コルヴィアーレが並べられたムービー、「コントラスト」とタイトルがつけられた作品は、 Reaction Romaのスペースの中央あたりに、シンボリックに設置されている。

とはいうものの、気晴らしに行くというものは「非日常空間を生きる」ということですから、ネガティブな現実ばかり見ても、あまり楽しくないには違いありません。学生時代、教科書に載っていたモノクロの3×4cmほどの小さい写真で(現在は載っているかどうかは知りませんが)、なんとなくイメージを抱いていたコロッセオが、眼前に、巨大な石の廃墟となって忽然と聳えるローマですから、夢のような風景に、まず、巻き込まれるのは紛れもない事実です。

そういえば、わたしがコロッセオをはじめて観た時は「コロッセオって本当にあったんだなあ」と、幻想と現実がクロスして、地に足がつかないメタフィジックな感覚に襲われました。そして実のところ、いまや何百回も見ているはずなのに、コロッセオの脇を通るたびに、「すごいことだな、教科書に載っていたコロッセオが本当に存在するなんて」と感嘆するくらいですから、何年経っても、旅人が持つローマ・イメージからなかなか抜けきれていないのかもしれません。

そういうわけで、ローマの住人が撮影したイメージを集めて再編集、ビデオ・インスタレーションする Reaction Roma というプロジェクトが進行中である、という話を Termini TVのフランチェスコ・コンテから聞いた時は、「ひょっとしたら、さらにディープなローマに出会えるかもしれない」と非常に興味深く思いました。ローマの住民の目が捉えた、まったくコマーシャルでないローマの風景に、わたしには見えていない「何か」が浮き彫りにされるのではないかと思ったからです。

そして実際、 MACRO Factryの広々としたスペースに設置された、数々のプロジェクターに映し出されたのは、私にとっては未知の、濃縮されたローマのリアリティでした。ローマの住人が捉えた「今、この時」のストリートというミクロのパノラマからマクロ、「世界」まで見通すことができるようにも感じました。大勢の人々が集まったオープニングですれ違った初老の女性が、「こうして改めて街を見ると、胸に突き刺さる現実に、感情が昂ぶる」と呟くのを小耳に挟むほど、なんとも言えない気持ちを目覚めさせる、迫力あるインスタレーションだったのです。また、オープニングの日、何より印象的だったのは、大人たちだけではなく、たくさんの子供たちが、ビデオ・インスタレーションに見入っていたことでしょうか

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MACROがあるテスタッチョのマッタトイオの入り口は、家畜の屠殺場であった当時の門構えのまま、

さて、会場となったテスタッチョのMACRO(Museo d’Arte Contemporanea di Roma(ローマ現代美術館ー ローマ市内に2箇所存在します)は、かなり特殊なスペースです。というのも、 現在、美術館MACROテスタッチョがあるのは、そもそもテベレ川に沿って、1888年に建造された、当時のローマ市民の食肉の需要をすべて担う家畜の屠殺場であったMattatoio(マッタトイオ)と呼ばれる広大な敷地だったからですが、時代の変化に応じて1975年に閉鎖された、その、集合的な配置の建造物を抱くこの屠殺場跡は、現在ではローマ第3大学の建築学部、ローマ芸術大学など、ローマ市が運営する文化機関の拠点となり、今もなお、修復工事が行われています。

MACRO はその屠殺場跡の一角、当時の施設をほぼそのまま(例えば、屠殺に使った巨大な機械の数々など)を残して、モダンに改装され、2002年にはその前身がオープンしています。 ローマらしいといえばローマらしい廃墟のリサイクルで、美術館としては非常に個性的でダイナミックな造りになっていますが、Reaction Roma は、そのMACROの、現在は ファクトリークリエイティブセンターとなっているラ・ペランダ(かつて屠殺された家畜の皮が剥がされた場所)で開催されました。

Reaction Romaプロジェクトの指揮を執った ピエトロ・ジョナは、ローマとマドリッドを行き来する、ローマのアーティスト一家で生まれ育った映像作家です。まったく力の入らない自然体、不躾なインタビューのお願いにも、気さくに応じてくださり、おおらかな人柄とお見受けしました。お話を伺ううち、彼の温度のある、柔軟なリーダーシップと情熱が、今回のプロジェクトを実現させたのだろう、と確信したわけですが、あらゆる計画がなかなか前には進まないローマで、このようなプロジェクトを実現することは、かなりの困難が伴うことは想像に難くありません。

イタリアの通信社であるAdnkronos(アドンクロノス)は、 Reaction Romaの成功についてこう書いています。

パオロ・ソレンティーノが「ここは停止した都市だ。疲弊し、弱り切って、未来に関するあらゆるアイデアが欠けている」と言い放つローマで、ピエトロ・ジョナをリーダーとするアーティストたちのグループが、ローマに充ちる空気をエネルギッシュに表現した。ピエトロ・ジョナは「ローマが歴史的停止状況にあり、プロジェクトを実現することは非常に困難を伴うということはわかっていたが、もし、ここで実現することができるなら、他の都市ではもっとたやすく進行することができると思ったんだ」と答えた。

このプロジェクトは、もちろん、ローマ市ラツィオ州をはじめとする、多くのパートナーが協賛していますが、足りない資金はクラウドファウンディングをも駆使して、実現されています。

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Reaction Romaプロジェクトのディレクター、Pietro Jona(ピエトロ・ジョナ)氏

ローマを舞台にしたはじめてのソーシャル・ムービー、Reaction Romaの準備にはどれぐらい時間がかかったのですか?

構想から含めると2年。 Reaction Romaのサイトを作って、実際にビデオを集めはじめたのは1年ぐらいだね。そのサイトには、自分が撮ったムービーをアップロードできるようになっていて、ローマの住人たちがスマートフォーンやカメラ、ビデオカメラで撮ったムービーが、約400本ほど集まった。時間にすると、 7時間弱というところかな。そのうちのいくつかは、完全にビデオとして編集されたものもあれば、加工されたものあったし、もちろんシンプルなクリップもあったよ。それほどプロモーションもしていないというのに、かなり集まったと思う。

そもそも「ソーシャルムービー」というアイデアは何を基盤に生まれているのですか?

実は、すでに2回、僕はソーシャルムービーを手がけているんだ。ソーシャル・ムービーの定義というのは、非常にシンプルで、一般の市民が撮影した映像を、監督が編集するというもの。この基本さえ押さえておけば、あらゆる映像を作ることができる。僕はもうずいぶん長い間、ソーシャル・ムービーに関わっているからね。

まず最初に手がけたのは、ずいぶん昔のことになるが、Humans’s Y2Kというドキュメンタリーなんだ。これはリドリー・スコットの Life in a day からインスパイアされたもので、西暦2000年、新しい千年紀を迎える瞬間を、世界中の人々が捉えたムービー。インターネットを使って、オーストラリア、米国、アイスランドなど15か国とリンクして、2000年を迎える瞬間を捉えたんだが、 Humans’s Y2Kが、僕がはじめてプロジェクトしたソーシャル・ムービーだ。その後、もう少し複雑な内容で、各国のフィルムメーカーとコンタクトを取りながら、俳優を使ったムービーも作っている。それは人間の「動き」を物語の核にしたものだったけどね。

だから今回のプロジェクトが、僕にとって3回目実験的なソーシャルムービー・プロジェクトということなんだよ。僕は今回の、このビデオ・インスタレーションを、とても革新的な試みだと考えている。ドキュメンタリーとしてではなく、このようにいくつものプロジェクターをスペースに設置してイメージを絶え間なく観せる、というフォルムは、人々にスペースを動き回る自由を与えるだろう? ドキュメンタリーというのは、ある意味、観客をひとつの枠の中に閉じ込めてしまうことだからね。このようなスペースだと、多様な物語を絶え間なく語るプロジェクターの間を、人が動きながら映像を体験できる。まさに凝縮された都市ローマを歩くようにね。

 

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Reaction Romaのスペース。ローマの多様な風景、人々が映し出されたムービーを見ながら、自由に動き回ることができます。たくさんの人が詰めかけたオープニングでは、子供たちが走り回り、賑やかで、若々しい雰囲気が創出されました。5つのカテゴリーに分けられた大型プロジェクトが並ぶ広いスペースの脇に設置されたコリドイオ(廊下)と呼ばれる細長いスペースにも、5つのプロジェクターが設置され、短いドキュメンタリーを始め、学生たちが撮ったムービー(それもかなり面白い作品群)などが流されていました。

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