テアトロ・ヴァッレ 役者Mario Migliucci

Cultura Deep Roma Occupazione Teatro

このサイトの初頭あたりで「占拠」の一例として紹介した、イタリアだけでなく海外においても、新しい文化モデルのひとつとして大きな評価を受けたテアトロ・ヴァッレ・オクパート。2014年8月に「占拠」が終わったのち、現在に至るまで、メンバーたちは次なるアクションを模索している最中です。

ローマ市財政危機の煽りによる大幅な文化予算削減で閉鎖された、ローマで最も伝統のある Teatro Valle(テアトロ・ヴァッレ)を、演劇関係者たちが自分たちの手で生き返らせようと、2011年、「占拠」というスタイルで、文化における政治主張を敢行、そのプログラムの質の高さ集客力で、演劇界だけでなく、各界の著名人たちの絶大な支持を集めたという現象は、いまだ記憶に新くもあります。しかし2014年 8月、多くの市民、数々のメディアの応援にも関わらず、その「占拠」にローマ市から突然の退去命令が下され、メンバーたちは劇場をあとにせざるをえなくなりました。あれから約1年、ではなお、その復活を願う声を多く耳にします。

劇場を退去したのちも「占拠」メンバーたちは活発に議論を続けていますが、彼らの「情熱のゆくえ」を追うために、公開ミーティングにはたびたび参加、その場に満ちる、緊迫しながらも、常にポジティブで躍動感満ちる空気に、演劇、パフォーマンスの世界にはまるで関係のないわたしまでが、「占拠」メンバーの一人のような気持ちにもなりました。また、議論を傍聴することは、彼らが考える「公共財産」のコンセプト、また、ローマのアンダーグラウンド文化の現状を理解するために、有益な時間でもありました。

「ローマ市のテリトリーに存在する、遺跡、廃屋、広場、噴水を含める公共の建造物やスペースは、そもそも市民のものであり、行政は市民がそれらの公共財産から恩恵を受けることができるよう配慮管理すべきである」ローマの市民は当然そう考えていますが、実際のところは、『ローマ・カピターレ』をはじめとする、ローマ市所有不動産にまつわるスキャンダルも明るみに出て、「公共財産」とは名ばかりじゃないか、と「占拠者」たちは憤りを隠しません。

結局は「収賄」と言う犯罪をも含め、今までの行政の公共予算のずさんな管理のもと、民間を含む限られた機関のみが、本来は市民すべてのものであるはず「公共財産」から、好き勝手に利益を得ていたというのが実情です。「ならば自分たちの手で、『公共財産』を取り戻し、市民に開放すべきだ。しかし劇場というスペースを失った今、財団の運営はどのようにすべきか、また次のアクション、そしてそのアピールはどうするか」それが、テアトロ・ヴァッレ・オクパートの毎回の議論の核でもありました。

彼らのミーティングに通ううち、やがて「占拠」メンバーと顔見知りともなります。夏が始まる直前に彼らが電撃的に行った、 Palazzo delle Esposizioni(ローマ市営美術館)における抗議パフォーマンスにいたっては「参加しないか?」と誘われもして、実を言うと少し心が動きましたが、わたしは支持者ではあっても、演劇関係者でもパフォーマーでもないので、やはり静かに首を振って、応援のみに徹した次第です。

いずれにしても、「占拠」メンバーたちは今のところ、自分たちの理想の文化モデルの実現を諦める気配はありません。テアトロ・ヴァッレ以外の、公共スペースを文化的占拠する、ほかのチェントロ・ソチャーレのメンバーも多く参加する彼らのミーティングには、今後もできるだけ参加して、彼らの次なるアクションの方向性、そして彼らの理想とする公共財産のCollettivo (集団的)な共有ー市民が平等の立場で参加しながら、経済的にも維持が可能な文化スペースの実現ーを探る議論に同席したいと思っています。

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Palazzo delle esposizioni、テアトロ・ヴァッレ『占拠』メンバーによる抗議アピール(Teatro Valle Occupato Facebook より)

さて、そういうわけで今回は、2012年のテアトロ・ヴァッレ劇場の占拠当時から、運営メンバーとして加わった役者であり、脚本家でもあるマリオ・ミリウッチに、インタビューをさせてもらうことにしました。普段はいたって寡黙、物腰も柔らかく、思慮深い青年ですが、いったん舞台に上がると、人が変わったようにリズミカル、早いテンポのモノローグで観客を引き込む個性的な俳優です。高校時代に演劇に出会って魅了され、演劇という分野において「表現」を追求してきた彼に、「演劇に対する飽くなき情熱があるからこそ、さまざまな障害があっても継続できるんですよね」と共に舗道を歩きながら気軽に言ったところ、意外なことに「僕は情熱という言葉があまり好きじゃないんだ」と少し顔を曇らせますした。

「自分がやりたい、と思うことに情熱をひたすら傾けることは何より素晴らしい、贅沢なことだと思うけれど」と呟くように言葉を返すと、「イタリアでは情熱ーPassioneという言葉には、『好きなことをしているのだから、報酬にもこだわらない』というニュアンスがある。情熱があるだけで充分しあわせじゃないか、とね。でも年月をかけて構築してきた表現に、それに見合う報酬がなければ、僕たちはどうやって生きていけばいいんだい? 報酬なしでは、プロフェッショナルな役者としては生きていけない。だから僕は『情熱』という言葉があまり好きではないんだ。演劇、役者も脚本家も、いや、その他すべての表現者たちは、仕事に見合う報酬が保証されなければならないと僕は思う。僕らのやっていることは、『仕事』として認められなければならないんだ。そしておそらく『表現』で生きていこうとする人間の、それが一番の課題だと思うよ。イタリアだけではなく、世界じゅうの表現者たちみんなが、そう考えていると思う。ヴァッレのメンバーたちの『占拠』も、われわれ演劇人の、その状況改善のためのひとつのモデルの提案でもあったわけだし」静かな口調ではあっても、マリオはきっぱりとそう言いました。

ちなみにこのサイトのタイトルともなったPassioneという言葉の意味は、「情熱」という意味ではなく、「受難」という意味を込めていることを、ついでながら、ここに記しておきたいと思います。

演劇と出会った経緯を教えていただけますか?

高校時代に演劇のコースを取ったことがきっかけかな。プロの役者が指導するコースだった。もちろん完全にプロフェッショナルなレベルとは言えないが、今思い返せば高校生に演劇を教えるにしては、かなりシリアスで本格的なコースだったと思うよ。ほぼ、プロ養成コースとしても通用するんじゃないのかな。たとえば照明、衣装、シノグラフィー、音響など、演劇を形成する要素の重要性もそのコースで学んだし、それがあまりに面白くて、すっかりテアトロというものに魅了された。そのときに、これこそ僕のパーソナリティに、ぴったりと合う「表現」だと直感したんだ。

大学では文学を専攻、「アントン・チェーホフのチネマ」をテーマに卒論を書いた。その後いくつかのシアター・カンパニーに所属したんだけれど、そこで仲間と出会って、いくつものコースやワークショップに積極的に参加するようになったんだ。そのときにイタリアだけではなく、海外でも著名な演劇界のマエストロからも演技の指導を受けたよ。例えば、Stefano Viali(ステファノ・ヴィアリ)、Mamadou Dioume(ママドゥ・ディューメ、Anton Milenin (アントン・ミレニン)に師事、Elvira Romanckzuk、Claudio De Maglio(クラウディオ・デ・メリオ)、Ferruccio Di Cori(フェルッツィオ・ディ・コーリ)、Jean Paul Denizen(ジャン・ポール・デンゼン)などのセミナーにも参加した。

僕はイタリア以外で活動をしたことはないけれど、コースに訪れた海外の役者、演劇のマエストロたちからも多くを学んだと思う。その間、演技だけではなく、脚本を書く技術というものをも同時に学んだんだ。1998年、ステファノ・ヴィアリが監督した、デイヴィッド・グロスマンの作品、「Il Giardino d’infanzia di Riki(リキの子供の頃の庭園)」が役者としてのデビュー。そのあと、スワヴォーミル・ムロージェクの「夏の日」や、シェークスピアの「ハムレット」など、いくつもの舞台に立つようになった。

現在ではモノローグの一人舞台がほとんどですが、そのスタイルが生まれたきっかけは?

まあ、偶然の成り行きといえるかな。2007年に所属していたカンパニー解散することになってね。でも僕は自分の表現を、その解散で停止したくなかったから、自分で脚本を書いて、それを演じるというスタイルをとることにした。カンパニーの演出家を含めて、イタリアの他の都市に転居したり、他の仕事についたりとバラバラになってしまったからね。当初は大変だったけれど、今思えば、いいきっかけだったのかもしれない。今でもそのときに書いた芝居をあちらこちらで演じる機会があるけれど、自分の作品を表現できる機会を得ることは、とても嬉しいことで、毎回、大きな満足感があるよ。

作品のテーマを教えてください。

まずはじめに書いたのは、エスペラントの父ルドビコ・ザメンホフの生涯を、多少想像も交えた一人芝居。2007年に、Teatro dell’orologio(テアトロ・デル・オロロッジォ)で初演したんだけれどね。以前は僕もザメンホフの生涯をよく知らなかったんだが、調べているうちに、とても興味深いと思ってね。

現代でも多くの人々が、ザメンホフをオリジナルとするエスペラント語、そして彼の理想に感銘を受けて研究しているじゃないか。世界中で絶えず研究会も開かれているし、いまだに、思想、言語のちがう諸民族間相互理解目的とする「エスペラント運動」というものが、多くの共感を呼んでいる。ザメンホフという人物の生涯もまた、非常に面白いんだ。僕もいくつかの研究会で、自分の作品「Doktoro. Esperanto (ドクトール・エスペラント)」を演じたよ。歴史的な人物像ということでいえば、映画の発明者である「ルミエール兄弟」をテーマにした作品も書いて、いろいろな場所で上演した。いわゆるベルエポックの重要な文化の転換地点で、欧州じゅうに「映画」を紹介したルミエール兄弟を、フィクションを含めて描いた物語をモノローグで演じるんだけれど、それは2011年が初演だったかな。

※Mario Migliucci演じる、「ドクトール・エスペラント」

ということは歴史上、重要な人物が創作のテーマなのですか?

いや、そういうわけでもなくて、現代劇も書いているよ。「Primo Sguardo(最初のまなざし)」という題をつけた芝居は、イタリアのここ20年間の政治と主人公とある女性との関係とその別れをテーマにした、いわば自伝的ともいえる劇。他のテキストをまったく参照せず、完全に僕のオリジナルとして2011年に仕上げたんだ。そうそう、2011年にはジェームス・ジョイスにインスパイアされて書かれた『ダブリンズ・バー』という作品の演出もしたっけ。

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