市民が撮るソーシャル・ムービー Reaction Roma

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MACRO Factoryに入った途端、見慣れているはずのローマのストリートの風景、スペースに充ちる不穏をも孕む強烈な音響に、街の深層に迷い込んだような気分になった。そう、そこにインスタレーションされているのは、ローマの住民たちの視線が捉えたリアルなローマの風景、そして今現在、街にじわりと漂う空気感と言えるでしょう。人々が自らの周囲の風景をモバイルやカメラを使って撮影したムービーを再編集、5つのカテゴライズでインスタレーションされた、ローマではじめての実験的『ソーシャル・ムービー』、Reaction Roma。その指揮を執った映画監督であり映像作家の Pietro Jonaに話を聞きました(写真はビデオインスタのひとコマ。 Misunderstories から引用)。

 

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設置された5つの大型プロジェクターのビデオ・インスタレーションをひとつひとつ観るうち、街の通常の車の流れ、人々の動きに紛れて、暴力的とも言える理不尽な現実がフラッシュして、思わず目を凝らす。有形無形のものたちが蠢く都市、『ローマ』の今を生きる人々が撮った日常のムービーの数々に、ある種の感情が強く喚起されました。無神経で騒々しく、しかも退廃的でもある永遠の都市の時間に飲み込まれそうになりながらも、時として個々の人間の視線が、切なく、やるせなく、哀しく、人のハートを貫く鋭い感受性を瞬かせます。

MACRO Factoryスペースに出現したReaction Romaーローマで暮らす人々の視線が捉えたソーシャル・ムービーを漂流しながら、まず感じたのは、この都市に溢れる情感、すなわち歓びも、哀しみも、切なさも葛藤も何もかもが、『生命』の発露だ、ということでした。

「確かに僕らは、非常に難しい時代に生きている。歴史的に重要な時代だと思うよ。そして実際、集められたビデオを見ながら感じたんだが、そこに漂うのは『絶望と詩』だったんだ」

今回の Reaction Romaをプロジェクトしたピエトロ・ジョナが言うのを聞きながら、わたしが思い浮かべたのは、ピエールパオロ・パソリーニが詩、小説、あるいは映画に込めた、ローマに充ちるVitalita Disperata ー絶望した生命力、という空気。世界の何かが大きく動きつつある気配が、街角にひたひたと、静かに充満するなか、ローマの住民たちの視線には、繰り返されるかもしれない過酷な過去の時代の予兆(いや、すでに突入しているのかもしれません)が反映されたのかもしれない。あるいはローマという街自身のメンタリティ、あるいはアイデンティティそのものが、パソリーニが生きた時代から、そう大きく変化していないのかもしれない、とも考えました。そしてそれが多分、現在のローマという街に隠された、あらゆる表現の可能性を秘めるカルチャー・エネルギーです。

 

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Misunderstoriesより引用。 Reaction Roma、ビデオインスタレーションのひとコマ。

 

我々は実際のところ、すでに刷り込まれたイメージに囚われながら生きています。たとえばわたしが長くローマに住むことなく、一週間ほど旅しただけで去る運命にあったなら、廃墟として佇むコロッセオやフォロ・ロマーノの壮大な哀愁を醸す時間に圧倒され、あらゆる場所に存在する巨匠の手により永遠の生命が吹き込まれた彫刻群、絵画、装飾に我を忘れ、伸びやかなルネッサンス建築の豪邸、あるいは流麗なバロック建築の教会に目眩を覚えるだけに終わっていたでしょう。

地中海の太陽の、眩しい光に満ちた街角のバール、少し時代がかった立ち居振る舞いのカメリエレ、気さくな人々、時間が重なる街並み、賑やかで陽気で明るい永遠の都。そもそも抱いていた、そんなロマンティックなイメージ通りのローマを歩いて、満足していたに違いない。確かに人を幻惑するに値するほどローマは美しく、人間というものは短期間であればあるほど、そもそも自分が抱いていた、見たいイメージだけを風景に投影するものです。

しかし、1年が経ち、2年が経ち、あっという間に過ぎ去った長い時間をローマで生きるうちに、いわゆるステレオ・タイプである古代ローマ帝国の荘厳な遺跡、古代の英雄たちのレジェンダ、そしてローマカトリックの豪勢、置き去りにされたあらゆる時代のデカダンな美に彩られたイメージの数々は、幻想とは言わないまでも、街の風景のひとつの要素でしかないということに気づくことになります。

その、かつてのわたしが抱いていた、一般的に共通認識されているローマという街のイメージは、たいていの場合、国家ぐるみの旅行産業のプロモーションとしてメディアで増幅されたコマーシャル・イメージでしかなく、その場所に根ざして住む人々が、自らの生活テリトリーに持つイメージとは、大きくかけ離れている。確かに映画や文学作品などでは、住人たちのメンタリティ、現実に近いイメージを、多少は垣間見ることもできますが、それらもやはり断片にしか過ぎません。ローマにおいて、旅人たちはもはやどこにも存在しない「過去」を生き、住民たちだけが「現在」とせめぎあっているのです。

 

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いわゆるステレオ・タイプのローマの街並みと、「犯罪」の温床になってしまったという、そのデカダンな末路で、常に人々の議論の俎上に乗る、70年代に建造された巨大集合住宅コルヴィアーレが並べられたムービー、「コントラスト」は、 Reaction Romaのスペースの中央あたりに、シンボリックに設置されている。

 

とはいうものの、気晴らしに行く旅というものは「非日常空間を生きる」ということですから、ネガティブな現実ばかり見ても、あまり楽しくないには違いない。学生時代、教科書に載っていたモノクロの3×4cmほどの小さい写真で(現在は載っているかどうかは知りませんが)、なんとなくイメージを抱いていたコロッセオが、眼前に、巨大な石の廃墟となって忽然と聳えるローマですから、夢のような風景に、まず、巻き込まれるのは紛れもない事実です。

そういえば、わたしがコロッセオをはじめて観た時は「コロッセオって本当にあったんだなあ」と、幻想と現実がクロスして、地に足がつかないメタフィジックな感覚に襲われました。そして実のところ、いまや何百回も見ているはずなのに、コロッセオの脇を通るたびに、「すごいことだな、教科書に載っていたコロッセオが本当に存在するなんて」と感嘆するくらいですから、何年経っても、旅人が持つローマ・イメージからなかなか抜けきれていないのかもしれません。

そういうわけで、ローマの住人が撮影したイメージを集めて再編集、ビデオ・インスタレーションする Reaction Roma というプロジェクトが進行中である、という話を Termini TVのフランチェスコ・コンテから聞いた時は、「ひょっとしたら、さらにディープなローマに出会えるかもしれない」と非常に興味深く思いました。ローマの住民の目が捉えた、まったくコマーシャルでないローマの風景に、わたしには見えていない『何か』が浮き彫りにされるのではないかと思ったからです。

そして実際、 MACRO Factryの広々としたスペースに設置された、数々のプロジェクターに映し出されたのは、私にとっては未知の、濃縮されたローマのリアリティだった。ローマの住人が捉えた「今、この時」のストリート、ミクロのパノラマからマクロ、「世界」まで見通すことができるようにも感じました。大勢の人々が集まったオープニングですれ違った初老の女性が、「こうして改めて街を見ると、胸に突き刺さる現実に、感情が昂ぶる」と呟くのを小耳に挟むほど、それまで眠っていた、なんとも言えない気持ちを目覚めさせる、迫力あるインスタレーションだった。また、オープニングの日、何より印象的だったのは、大人たちだけではなく、たくさんの子供たちが、ビデオ・インスタレーションに見入っていたことでした。

 

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MACROがあるテスタッチョのマッタトイオの入り口は、家畜の屠殺場であった当時の門構えのまま、

 

さて、会場となったテスタッチョのMACRO(Museo d’Arte Contemporanea di Romaーローマ現代美術館ー ローマ市内に2箇所存在)は、かなり特殊なスペースです。というのも、 MACROテスタッチョがあるのは、そもそもテベレ川に沿って、1888年に建造された、当時のローマ市民の食肉の需要をすべて担う家畜の屠殺場であったMattatoio(マッタトイオ)と呼ばれる広大な敷地。時代の変化に応じて1975年に閉鎖された、集合的な配置の建造物を抱くこの屠殺場跡は、現在ではローマ第3大学の建築学部、ローマ芸術大学など、ローマ市が運営する文化機関の拠点となり、今も工事が行われています。

MACRO はその屠殺場跡の一角、当時の施設をほぼそのまま(例えば、屠殺に使った巨大な機械の数々など)を残して、モダンに改装され、2002年にはその前身がオープンしている。 ローマらしいといえばローマらしい廃墟のリサイクルで、美術館としては非常に個性的でダイナミックな造りになっています。Reaction Roma は、そのMACROの、現在は Factoryークリエイティブセンターとなっているラ・ペランダ(かつて屠殺された家畜の皮が剥がされた場所)で開催されました。

Reaction Romaプロジェクトの指揮を執った ピエトロ・ジョナは、ローマとマドリッドを行き来する、ローマのアーティスト一家で生まれ育った映像作家。まったく力の入らない自然体、不躾なインタビューのお願いにも、気さくに応じてくださり、おおらかな人柄とお見受けしました。お話を伺ううち、彼の温度のある、柔軟なリーダーシップと情熱が、今回のプロジェクトを実現させたのだろう、と確信もした。ローマでこのようなプロジェクトを実現することは、かなりの困難が伴うことは想像に難くありません。

イタリアの通信社であるAdnkronosは、 Reaction Romaの成功についてこう書いています。

パオロ・ソレンティーノが「ここは停止した都市だ。疲弊し、弱り切って、未来に関するあらゆるアイデアが欠けている」と言い放つローマで、ピエトロ・ジョナをリーダーとするアーティストたちのグループが、ローマに充ちる空気をエネルギッシュに表現した。ピエトロ・ジョナは「ローマが歴史的な停止状況にあり、プロジェクトを実現することは非常に困難を伴うということはわかっていたが、もし、ここで実現することができるなら、他の都市ではもっとたやすく進行することができると思ったんだ」と答えた。

このプロジェクトは、もちろん、ローマ市、ラツィオ州など、多くのパートナーがバックアップしていますが、クラウドファウンディングをも駆使して、実現されています。

 

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Reaction Romaプロジェクトのディレクター、Pietro Jona氏

 

ローマを舞台にしたはじめてのソーシャル・ムービー、Reaction Romaの準備にはどれぐらい時間がかかったのですか?

構想から含めると2年。 Reaction Romaのサイトを作って、実際にビデオを集めはじめたのは1年ぐらいだね。そのサイトには、自分が撮ったムービーをアップロードできるようになっていて、ローマの住人たちがスマートフォーンやカメラ、ビデオカメラで撮ったムービーが、約400本ほど集まった。時間にすると、 7時間弱というところかな。そのうちのいくつかは、完全にビデオとして編集されたものもあれば、加工されたものあったし、もちろんシンプルなクリップもあったよ。それほどプロモーションもしていないというのに、かなり集まったと思うよ。

そもそも「ソーシャルムービー」というアイデアは何を基盤に生まれているのですか?

実は、すでに2回、僕はソーシャルムービーを手がけているんだ。ソーシャル・ムービーの定義というのは、非常にシンプルで、一般の市民が撮影した映像を、監督が編集するというもの。この基本さえ押さえておけば、あらゆる映像を作ることができる。僕はもうずいぶん長い間、ソーシャル・ムービーに関わっているからね。

まず最初に手がけたのは、ずいぶん昔のことになるが、Humans’s Y2Kというドキュメンタリーなんだ。これはリドリー・スコットの Life in a day からインスパイアされたもので、西暦2000年、新しい千年紀を迎える瞬間を、世界中の人々が捉えたムービー。インターネットを使って、オーストラリア、米国、アイスランドなど15か国とリンクして、2000年を迎える瞬間を捉えたんだが、 Humans’s Y2Kが、僕がはじめてプロジェクトしたソーシャル・ムービーだ。その後、もう少し複雑な内容で、各国のフィルムメーカーとコンタクトを取りながら、俳優を使ったムービーも作っている。それは人間の「動き」を物語の核にしたものだったけどね。

だから今回のプロジェクトが、僕にとって3回目の実験的なソーシャルムービー・プロジェクトということなんだよ。僕は今回の、このビデオ・インスタレーションを、とても革新的な試みだと考えている。ドキュメンタリーとしてではなく、このようにいくつものプロジェクターをスペースに設置してイメージを絶え間なく観せる、というフォルムは、人々にスペースを動き回る自由を与えるだろう? ドキュメンタリーというのは、ある意味、観客をひとつの枠の中に閉じ込めてしまうことだからね。このようなスペースだと、多様な物語を絶え間なく語るプロジェクターの間を、人が動きながら映像を体験できる。まさに凝縮された都市、ローマを歩くようにね。

 

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Reaction Romaのスペース。ローマの多様な風景、人々が映し出されたムービーを見ながら、自由に動き回ることができる。たくさんの人が詰めかけたオープニングでは、子供たちが走り回り、賑やかで、若々しい雰囲気が創出された。5つのカテゴリーに分けられた大型プロジェクトが並ぶ広いスペースの脇に設置されたコリドイオ(廊下)と呼ばれる細長いスペースにも、5つのプロジェクターが設置され、短いドキュメンタリーを始め、学生たちが撮ったムービー(それもかなり面白い作品群)などが流されている。

 

メインスペースの5つの大型プロジェクターは、何をテーマにカテゴライズされているのですか?

『ムーブメント』、『トッレ・ピンニャッターラ』、 『コントラスト』、『ヒューマン』、そして『マテリアル』というテーマに絞っている。僕はこの空間を海に見立てて、ビデオ・インスタレーションで島々を作ったと思っているんだ。そのスペースの中、最も奥に設置したプロジェクターに行く途中の空間には何も置かない空間を作った。いわば砂漠をイメージしたスペースなんだけれどね。その空間は、ローマが今、置かれている状況をもシンボライズしている。

例えばエントランス付近に設置した、『トッレ・ピンニャッターラ』インスタレーションは、市民で構成された委員会『I LOVE Torpigna』が撮ったムービー。建設的で創造的なシーンが多くインスタレーションされている。トッレ・ピンニャッターラは、ローマ・エスト(東)のストリート・アートでも有名な地域だが、この地域に住む市民は、地域の生活がよりよくなるようにと、皆が協力して働くための委員会を作っているんだ。そこでは年長者も若者も一緒に仕事をしていてね。また、 『ヒューマン』のカテゴリーは、Tenmini TVによるインスタレーションだ。それに Cine TV(ロベルト・ロッセリーニ映画専門学校)の学生たちも多くムービーを提出してくれている。それらを年齢、性別を問わず、たくさんの人々が送ってくれたムービーと共に再編集したんだが、いずれにしても、このプロジェクトを通じて、多くのアーティストたち、人々に会えたことは、なにより嬉しいことだったよ。

 

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TerminiTVのムービーが再編集された「ヒューマン」。等身大の人の影絵が設置され、まさにローマの中心、テルミニ駅を象徴的に表現するインスタレーションとなっている。

 

また、スペース造りに関しては、CineTVの学生たちの構想を生かしてもいるんだ。とても若い年齢の子たちが多く参加しているから、このスペースがとても活力のある、勢いのある空間になっているよね。僕は、このプロジェクトが、 MACROという現代美術のスペースで、Reaction Romaが開催されることは、とても意義あることだと思っている。ローマで生活する人々が切り取ったそれぞれのイメージに、美術館という場所は『尊厳』を与える。決まり切った映画やドキュメンタリーではない、ローマのストリートの風景、そして人々そのものがアートとして昇華されている。

 

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Cine TV ロベルト・ロッセリーニ映画専門学校の生徒たちが、スペースの一角で、訪れた人々のインタビューを撮影していた。

 

いまや万人が、スマートフォンやタブレットのテクノロジーを駆使して、『表現』することができ、それがひとつの分野として確立されはじめているよね。しかもムービーのプロではない市民たちが『リアリティ』として風景を観る視線は、時として、鋭く、そのパワフルさに驚くことがある。通常はパブリックに発表されることのない市民の言葉が、映像という手段を通して美術館で発表されることはつまり、市民が、すなわちアーティスト、主人公だということだ。オペラ(作品)を撮ったのは市民であり、また観客も市民。とてもリボルーショナルじゃないかい? 市民の存在がエンパワーメントされている。

したがって僕らプロジェクトチームは、彼らの作品を集めるための枠組みでしかなく、その編集過程では送られてきた映像に隠された、心を掴まれるセンセーショナルな瞬間を引き出していく作業をしたに過ぎない。正直なところを言えば、僕らは「セルフィー」の時代を生きているわけだし、生活まわり、つまり家のなかで、自分の毎日が撮影された映像が送られてくるのではないか、と想像していたんだ。「君たちの毎日を映像で語ってほしい。食卓の様子や、TVを見ている時間、日常の風景を送ってほしい」と呼びかけてもいたしね。ところが蓋を開けると、日常の風景を撮った映像はほとんど送られてこなかった。送られてきたのは、ローマのストリートの風景、そこに生きる人々だったんだ! そこで僕らは送られてきた映像をもとに、その映像が持つアイデンティティを探し求めるという作業からはじめなければならなかった。

Reaction Romaのそもそものアイデアは、もちろん2000年に制作したHumans’s Y2K。それが僕のソーシャル・ムービーの基本、ということには変わりないけれど、現在の僕らは巨大な情報システム、平坦で、ユニフォーム、つまり個性のないヴィジョンで構築された情報システムに覆われた世界に生きているだろう? いまやどこの国に行ってもグローバル展開のファーストフードの店ばかりで、表面的にはどこもかしこもあまり変わらないように見える。しかし実のところ、それぞれのローカルがそれぞれの個性を持ち、違う表情を持っているものだよ。もちろん、人の数だけ多様な視点があり、多彩な考えが存在しているわけだからね。

だから「では、実のところ、人々は何を観て、何を考えているのか、都市に巡らされる『ストリート』に戻ろうじゃないか」というのが今回のプロジェクトの原点だと言えるね。ローマに関して言えば、美しい風景だけで形成されているわけではなく、とは言っても、とてつもなく酷い貧困、山積みの社会問題だけで成立しているわけでもない。この街に住む人の数だけ違う状況が存在しているんだ。今回のインスタレーションで実際にそれが見えると思うよ。ローマという街で、個々の人々は難しい問題を抱えながら、それでもたくさんの人々が自ら撮影した、多様な視点を持つ映像が送られてきたんだから。彼らには、人々に伝えたい想いがあったんだ。

 

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276名が登録し、約400本のムービーがアップロードされた。参加者の平均年齢は28歳。男性65%女性35%。6時間47分34秒が集まった。スマートフォンからのアップロードは意外と少なく25%。カメラのムービー機能を使って撮影されたものが30%、ビデオカメラからのアップロードが一番多く45%。

 

なぜ、ドキュメンタリーではなく、ビデオ・インスタレーションという形にしたのですか?

とりあえず、僕自身が、ドキュメンタリーとか、映画という表現の枠から解放されたい、と思ったからなんだけれど、アート作品のために構築されたスペースに映像を持ってくることで、ローマという都市を『凝視』することができると思ったんだ。もちろん、僕らはローマの風景を毎日見ているわけだけれど、非日常であるアートスペースで改めて『凝視』することで、違うローマが見え、違うローマの時間を生きることができるんじゃないか。ゆっくり時間をかけ、濃縮されたローマを凝視することで、改めてローマを生き直す、というかね。インスタレーションという形なら、映像が持つインパクトを理解することもできる。

このプロジェクトを通して、まったくリアクションがない地域も発見したよ。そしてこの発見は重要なことだと思っている。その地域に住む人々が無気力、あるいは日常があまりにも困難で、リアクションをも起こせない状態だ、という可能性もあるわけだから。

このプロジェクトは、今後、毎年続けていく予定なんだけれど、1年という時間がローマに流れることで、きっと変化を見せる部分もあると思うんだ。市長も変わったことだしね。つまりここで毎年インスタレーションされる映像は、不動のローマではなく、変遷する、生命を持ったローマだということ。我々は、歴史的に非常に重要な時代を生きているじゃないか。つまりその時代を生きる市民の目が捉えた、ローマの貴重な記録でもある。確かに、中には非常に過酷、かなり暴力的な映像もあって、送られてきたビデオを観ながら、僕らが感じたのは、そう、『絶望と詩』というテーマだったよ。

 

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インスタレーションされたムービーの数々。

 

Reaction Romaでは、このプロジェクトに最初から関わっていたMACROのキュレーター、クランディオ・クレシェンティーニをはじめ、Messagero紙のジャーナリストも含め、外部から審査員を招いて、優秀なムービーに賞を贈った。その賞を獲ったのは18歳の青年、ダヴィデ・インファンティーノ。彼の「Silence」とタイトルがつけられたムービーは、まさに現在のローマをメタフォライズするようなビデオでね。檻に閉ざされた動物たちの動きを撮影したものなのだが、その動物たちはまるで僕ら、ローマに生きる人間たちのようだった。僕らもまた、彼が表現した動物たちのように、ローマという檻の中から出ることができないんだ。そのムービーが今年のリアクションにとって、代表的な映像だったとも言えるよ。

スペースに流れる音が、街の空気を体感するような、強烈な印象を持ちました。

人間は、常に理屈、合理性を求めようとする。アートに関しても、誰もがそのコンセプト、背景を解読しようとするよね。僕は、そんな理性的な解釈を許さない、観る人々の感情をダイレクトに喚起させるようなインスタレーションにしたかったんだ。強烈な音、そして映像が迫りくる、いわば観る者を挑発する。そんな空気を作りたかった。そしてそれが僕の基本的なやり方なんだ。知的でなければないほどいい、と思っている。

現代美術というものは、往々にして、極端に知性的でコンセプチュアル。作品にハートというか、感情というか、人間的な感覚を作品に反映することができるアーティストは、それほど多く存在しないからね。鑑賞者が、作品を観て、あれこれ解釈し、また背後を詮索しなければならないのは、あまり好ましくない。

僕は市民の、言ってみれば「ポピュラー」なアートというものを、このスペースで実現したいわけだからね。ということはつまり、誰が見ても『感じる』表現でなければならないんだ。音と映像がインスタレーションされた『現実』に感情が昂り、あるいは何らかの問題意識が喚起される、そんなスペースにしたかった。このスペースで使った、バイオレンスな要素も含む音は、ローマに蔓延している空気をも反映したものだよ。僕らは知性で理解、解釈を要すような編集を避けて、凝縮されたローマそのものをインスタレーションした。だから人々は、このスペースに入った途端に、直ちにある種の強い感情を覚えるんだと思うよ。ローマの、凝縮された現実に改めて直面してね。

 

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何より印象深かったのは、多くの子供たちが退屈もせずに、プロジェクターを凝視していることだった。

 

ローマの住人には、このバイオレンスな空気に共感できるが、ローマの現実を知らない外国人には、すぐに共感できないのではないのでしょうか。

だからこそ、僕はこのプロジェクトを外国に持っていきたいと考えているんだ。ローマの現実をそのまま外国に持って行ったなら、人々は驚くと思うよ。僕自身、外国に旅することが多く、さまざまな国の人と話す機会があるが、誰もローマがこんな現実を持つ都市だということを想像できないんだ。

このスペースのエントランスに、一人の青年が、自分が歯を磨くシーンを、ロー・アングルから撮影したビデオをインスタレーションしているだろう? まったく行儀が悪すぎるビデオだ。このスペースの入り口に何を設置すべきか、僕らは長い間考えていたんだけれど、オープニングの数日前に、こんな下品な、とてもオリジナルな発想のビデオがアッピロードされた。そしてこのビデオを見た瞬間に、これこそまさにローマだ!と思ったんだよ。3分間、僕らは彼が歯を磨いているシーン、口をゆすいで水を吐き出す様子を見続けなければならないなんて、まったくひどいよね。しかしこの3分間の無作法こそが、ローマの要約。このビデオをエントランスにインスタレーションすることを、ただちに決定したよ。

 

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エントランスの歯磨きシーンからインスタレーションに誘われる。「 Reaction Romaは、市民がスマートフォン、タブレット、ビデオカメラを使って撮った、今まで見たことがなかったローマを表現するビデオインスタレーションです。Reaction Romaは、世界で一番美しい街のひとつであり、また常に反発を抱えた都市を撮った、未発表でオリジナルなムービーの視点から、イノベーションする手段でもあります。Reaction Roma は、この街に暮らす人々に、クリエイティブなスペースを提供しながら、ソーシャル・ムービーという表現を使い、アーティスティックなリサーチとともに、ソーシャルな状況を調査します。ローマは、ほかのどの都市でもプロジェクトできる(ソーシャル・ムービー)フォーマットの、まず最初の試みです」(意訳)

 

今後、このプロジェクトをどのように発展させていきたいと思っていらっしゃいますか?

まずは来年のReaction Romaの開催に向けて準備を始めるつもり。クリスマスが終わる頃から準備しようと思っているんだ。そして同時に、僕が行き来するマドリッド、またアムステルダムで同様のアクションを進行しているところだ。

僕らのそもそものアイデアは、ローマの生きたリアリティであるこのインスタレーションを外国の美術館に持って行くことでもある。表面的な街の様子を見せるだけでなく、凝縮されたローマを外国で体験してもらいたい。面白いと思うよ。誰も知らないローマなんだから。例えばまったく文化、メンタリティの異なる日本でこのプロジェクトを観せたとしたら、一体どんな反応があるのか、非常に興味深く思っているよ。

 

 


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