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修復のマエストロ Maurizio Bonamici

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わたしがやってきた頃のローマの街角には、アルティジャーニ(アルチザン)と呼ばれる、昔ながらの骨董の修復工房、鍛冶工房、木工工房があちらこちらに存在し、工房の前を通ると金槌の音や電動ノコギリの音が響く路地に、ニスや油の匂いが漂ってきたものです。そしてその、長年の経験と直感、指の感触で、時を経たオペラ(作品)を蘇らせる職人、何でも修繕してくれる木工職人とボッテガ(工房)の存在が、魅力的で頼もしい、街角の自然でもあった。

ローマが紡いできた歴史に比べると、ほんのひと瞬きにも満たない、わたしがここに暮らす間、しかしひとつ、ふたつとそれらの工房はいつのまにか閉まり、その跡にはモダンなブティックやカフェ、スーパーマーケットが出現するという現象が起こりはじめることになります。「時代の変遷とともに、風景が変わっていくのは仕方がないことなのだ。地上に生きている限り、形あるものに永遠はありえない。変化を残念がるのは、単なるノスタルジーでしかない」 確かにローマではない他の都市でなら、そう言い放つことができたかもしれません。

しかしながら、ここはローマです。何処を歩いても、2000年もの遥か彼方の古代の景色の残骸が目に飛び込み、中世、ルネサンスの建造物に囲まれた広場に突き当たる、古い景色に修復に修復が重ねられた、つまり何度も時代を蘇らせ、いわば「時間」をリノベートすることにより構成された都市。そんな都市の日常の風景が、たった数年の間にドラスティックに変わることは、いかにも不自然に感じます。

ローマという、時間が無造作に積み重なり層をなした、世界でも特異な都市における『修復』を含める職人の人々の手仕事は、そもそも街角のアイデンティティでもあった。モダンなライフスタイルで暮らしながらも、それが高い価値を持つものであれ、質素なものであれ、家も、家具も、絵画も、彫刻も、あらゆるものをリノベートしながら繰り返し使う、という習慣が、つい最近まで人々の日常に染み込んでいました。ですから、古くなって置き去りにされていた骨董の家具や、絵画、彫刻に新たな生命を与える修復のマエストロが、ローマの中心街のあらゆるところに大勢存在するという事実は、街角の普通の風景でもあったわけです。

もちろんわたしは昔を懐かしがるために、この頃を書きはじめたのではありません。また、世界の動きや時代の変化、新しいトレンドをも否定しない。ただ、『修復』職人という街のアイデンティティを体現するともいえる仕事に、人々が急速に興味を失い、大切に思わなくなってきたことに大きな驚きを感じています。

どんなにちいさい作品も、骨董家具も、おそらく遠い過去、作り手が工夫し、心血を注いで生み出したに違いありません。それらの絵画、家具、彫刻の数々が、時を経てもなお敬意を払われ、繰り返し修復され、時代を循環しながら日常に使われることは、何もかもが瞬く間に消費され忘れ去られる、プラスティックな現代世界において、貴重なスピリットだと、わたしは思います。しかもイタリアは周知のごとく、時代を超え、アーティストとアルチザンの精神が何より大切にされてきた国。メイド・イン・イタリーのブランドパワーは、芸術的感性と職人たちのたゆみない日常の仕事に支えられてもきました。それが今、大きな危機を迎えているとローマの職人たちが嘆いていると、あちらこちらから聞こえてくる。

しかし実際のところ、ベテランの職人の方は今の状況をどう考えていらっしゃるのだろうか。

そこでこの項では、長きに渡りVia San Martine ai Monti(サン・マルティーネ・アイ・モンティ通り)にボッテガ(工房)を開く、ローマの修復のマエストロ、マウリツィオ・ボナミーチを訪ね、インタビューをさせていただくことにしました。

 

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長い時間、職人の手仕事に使われたアンティークの道具。

 

さて、ローマで好きな通りはどこか、と問われたなら、いずれもモンティ地区、Via Baccina(バッチーナ通り)、そしてサン・マルティーネ・アイ・モンティ通り、とわたしは答えます。いずれの通りも短く狭い路地で、人通りは少なく、おそらく100年昔前も同じ佇まいで存在したに違いないと感じさせる趣がある。狭い空間に濃密な時が封じ込まれ、ひっそりとした何でもない路地にも関わらず、どこか厳かな空気が漂っています。特に夕暮れ、街灯がうっすら照らす薄闇に吹く風に混じり、その通りで限りなく交わされた言葉が、ささやきとなって聞こえる。そんな錯覚すら覚える。

マウリツィオ・ボナミーチ工房は、サン・マルティーネ・アイ・モンティ通りを歩くたび、ガラス越しに覗いては、修復中の絵や、スタンドの明かりでマエストロが作業をする様子を見ていた、わたしにとっては昔から馴染み深いボッテガですが、実はマエストロとお話したのは、今回が初めてのこと。ローマの職人の方の率直なお話が聞きたい、と脳裏に浮かんだ際、直感的にサン・マルティーネ・アイ・モンティ通りへ行こう、と思い立ち、まったくアポイントメントなく、突然訪ねることにしました。

昼食の時間が終わった3時ごろ、マエストロは修復の作業ちゅうでした。入り口から工房を覗き込み、少しお話を聞かせて欲しいと声をかけたところ、マウリツィオ氏は見ず知らずのわたしを、「いいよ」と、快く工房の中へ招き入れてくださった。ボッテガに入った途端、これこそがローマの修復工房の匂い、とイメージするニスと膠が混じり合ったような、ツンと頭の芯に突き刺す匂いが、どこか懐かしくもあり、時を駆け巡るような気持ちになります。

繊細で人間味に満ち、日々、仕事へ情熱を傾けてきたマエストロの真摯な人柄は、話しはじめてすぐに伝わってきた。ヴォッテガのガラスの扉には、マエストロの友達が書いたという『LE RIFLESSIONI DELL’ARTIGIANO(アルチザンの熟考)』と題されたロマネスコ(ローマの方言)の詩が貼られていました。

 

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インタビューをさせていただいた後、マエストロが送ってくださったサン・マルティーネ・アイ・モンティ通りの考古学地図。考古学者の調査によると、この通りの辺り、6メートル地下には、まだ掘り起こされていない古代ローマの遺跡が眠っているのだそうです。赤く彩られた部分がその遺跡の構成図。ひっそりとしたささやかな工房や店が並ぶ通りでありながら、どこか厳かな空気が漂っているのは、こんな事実があるからかもしれません。

 

この通りには長く工房を出しているのですか?

1900年初頭、父親の時代には、フランス大使館の正面にあるファルネーゼ広場、ローマの中心街に「ボナミーチと息子たち」というボッテガを構えていたんだが、やがて80年代後半、思い切ってこの通りに店を買うことにしてね。わたしは三人兄弟の長男、次男のマルチェッロは工房で共に働き、三男のマッシモはヴァチカンで働いている。ヴァチカンから仕事をしないか、とリクエストが来た際、マッシモにその仕事を譲ったんだ。この場所を選んだのは、このリオーネ・モンティという地区が、ローマで最も古い第一のリオーネ(地区)だというのが大きな理由だね。サン・マルティーネ・アイ・モンティ通りはそのなかでも最も古い通りのひとつで、長いアートの歴史があるんだよ。

すぐそばにサンタ・プラッセーデ教会があるだろう? 古代ローマ、いまだキリスト教徒が迫害を受けていた時代、キリスト教に改宗した当時の元老院議員の家族が由縁の教会だ。元老院の家族はキリスト教徒たちを保護し、迫害され殉教した人々をサラリア通りのプリシッラのカタコンベに埋葬、娘プラッセーデは、屋敷に多くのキリスト教徒を匿ってもいた。しかし結局彼女が匿ったキリスト教徒たちは時の権力に見つかって、惨殺されてしまってね。サンタ・プラッセーデ教会は、元老院議員の娘、プラッセーデがその殉教者たちの死骸から流れた血を集め、井戸へ投げ入れた、という逸話から、プラッセーデの屋敷跡に建造された、ローマでも最も古い教会のひとつなんだよ。何度も建て替えられ、増築され、修復された教会だが、ビザンティンのモザイクが素晴らしい。そうそう、教会に置かれている金箔のマドンナはわたしが修復したものだ。

さらにこの通りには、ボローニャ出身のネオクラチシズムの画家、ドミニコ・ザンピエリ(ドメニキーノ)が死ぬまで、30年もの間住んだ通りでもある。ほら、このボッテガの斜向かいの建物に住んでいたんだ。石碑があるだろう? このように、この通りにはさまざまなアートの歴史があるから、この場所こそ自分の仕事にはふさわしいと思って、この工房を手に入れた。父親が修復のマエストロをしていたから、13歳の頃から父を手伝い、自然に仕事を覚えていったんだが、やがて私自身も修復の世界にのめり込んでいき、情熱を持って取り組むようになった。奥の深い世界だからね。極めようと思えばキリがない。

 

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ドミニコ・ザンピエリ 「娘と一角獣」

 

ヴォッテガには絵画がずいぶんありますが、絵画を中心に修復のお仕事をなさっているのですか?

絵画だけではなく、わたしは何でも修復する。骨董の家具も彫刻も何もかも。学びはじめた頃は、金メッキの修復、やがて骨董家具、そして絵画の修復を学び、今までの人生、修復の仕事だけを貫いてきた。とても美しい仕事だと誇りを持っているよ。しかし、今わたしたちが生きている社会は、今までになくデカダンな空気に満ちているからね。昔に比べると仕事は減少したし、持ち込まれる作品の質も下がった。もはや質の高い、胸が高鳴るような作品が持ち込まれることが少なくなったよ。もちろん、今の仕事を続けながら生き延びることはできる。しかしかつてのように文化価値が高く、興味深い作品に出会うことはなかなかないんだ。もちろん、今でも持ち込まれるあらゆる作品すべてに深く敬意を払って、最高の修復をしているけれどね。

いつ頃から、そんな現象が起こりはじめたのでしょうか。

10年前までは途切れなく仕事は循環していたね。その頃のわたしの手帳は1年先の仕事までいっぱいだった。今は1日、1日と仕事が流れていくだけだよ。その理由ははっきりしないんだがね。人々が持っている作品を修復しようと思えるほどの経済的な余裕がないからなのか、美しいオペラー作品を観ることに興味をなくしてしまったのか・・・。残念ながら、われわれが生きている時代の社会では、『美』は片隅に追いやられようとしているのかもしれない。

日々われわれは、気分が悪くなるようなニュースばかりをマスメディアを通じて知らされ、国際的な紛争も次々と報道される。これじゃ繊細な感性を持つ人々は安定した気持ちにはなれないじゃないか。それに税金、経費、日常のあれこれで、人々は余計な出費ができなくなっているのが現状だ。が、愚痴ばかり言っても仕方がない。しばらく様子をみようと思っているんだ。とはいえ、様子を見るうちに、私はどんどん年を取っていくわけだけど・・・。

 

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マウリツィオ・ボナミーチ工房の内部。いかにも修復のボッテガらしく、古い家具やオブジェが雑然としている。

 

修復のお仕事をはじめた頃、マエストロが若い時代はいかがでしたか?

もちろん、今とは全然違うね。わたしが若い頃、毎日非常に楽しい時間を過ごしたよ。父親と一緒に仕事をしていた頃は、ローマのアリストクラツィア(貴族)、あるいはヴァチカンの人々が形成する、いわば『花園』の中で過ごしていた、と言ってもいいかもしれない。父の顧客には一世を風靡したネオリアリズムの映画人たちもたくさんいたんだ。ロッセリーニ、フェリーニ、デ・シーカ、ピエトロ・ジェルミ・・・。イタリア映画のグランデ・マエストロたちがボッテガに足を運ぶ父の友人でもあった。フランス大使館の人々も、工房によく足を運んでいたよ。

父もまた、わたしと同じように持ち込まれるあらゆるものを修復していたんだ。わたしは彼から全ての技術を学び、技術だけではなく感性も学んでいった。そのあとアートの学校にも通ったがね。情熱さえ持っていれば、次々に多くのことを学んでいきたい、と思うものだよ。そして『学べば学ぶほど、分からなくなっていく』というのが面白いね。これは学ぶほどに直感が磨かれていくからだと思うよ。夜遅くまで工房に篭って、あらゆる技術を試し、そして学んでいった。これが私の人生だ。

こんなことを話していると、職人の人生は、ただ『美』と『歓び』に満ちた人生のようだが、と同時に常に心配と恐怖に満ちてもいる、ということも付け加えておかなければならないだろう。というのも、われわれの生活に完全な補償というものがあったことがないのだからね。もし神がいるとするならば、わたしは健康を与えられ、眼には全く問題がないし、手の感触も完璧だ。しかし国からの補償というものは全くない。もちろん最低限の年金は支給されているが、税金がいよいよ高くなり、われわれ職人はいよいよ孤独になっていく。行政がわれわれ職人を顧みることはなく、見捨てられ、無視されているというのが現状だよ。

しかし、イタリアの歴史において、修復のマエストロは非常に大切だったのではないか。修復職人をはじめとする職人の方々がいなければ、ローマは存在しない都市のように思います。

まったく君の言う通りだよ。イタリアの歴史において、修復はなくてはならない存在なんだ。われわれが存在しなければ、現在の街並みは存在しない、と言ってもいいぐらいなのだから。だからわれわれは非常に悲しく思っているんだ。文化には敬意、尊敬、誇り、美への愛情、思索、そして自由があるべきじゃないかい? 次々に仲間たちの修復工房が閉じられていく今、わたしはそれをとても悲しく思っている。

うまく説明できないが、社会、いや、世界そのものが大きな変換を迎えているような気もしている。動きがきわめて早い、狂乱した社会では、あまり文化価値のないものに盛んに投資され、野蛮な、つまり利益を得るためだけの投資が繰り返されているように思えるよ。世界そのものが、野蛮というべきか、原始的というべきか、好ましくない方向へ突き進んでいこうとしているかのようだ。クオリティが下がっているだけではない。人々は『美』を追い求めることがなくなってきたんだ。堅実に生きようとすることを嘲笑する傾向も見受けられる。わたしはこうして毎日修復の仕事に真面目に取り組むことが人生だと信じてきたし、今でも信じているよ。オプティミストだから、四人の子供にも恵まれたしね(笑)。

わたしはこれ以上キャリアを積むことはない成熟した年代を生きているわけだが、今の時代のデカダンな状況を見ることは悲しく、痛みを感じることなんだ。非常に強い痛みだ。多分過去から押し寄せるノスタルジーが押し寄せてくるからかもしれない。実際、われわれ職人にとっては受難の時代だよ。状況は非常に厳しいと言わざるを得ないだろう。後継者もいないからね。かつて弟子を持ったこともあるが、彼らを継続して養っていくことは不可能だった。まず現代の社会機構そのものが、われわれの状況を助けようと手を差し伸べてくれないから、助成金は全く出なかったし、弟子を抱えることで税金はさらに高くなった。あまりに制約が多すぎるので、弟子を持つことは最終的には諦めることになったんだ。こうして、知っているボッテガは次々に閉められ、われわれは、その状況の中を生き延びた数少ない職人だ。

 

*ラスト・ジェネレーションと題されたドキュメンタリーの第一回目、修復のマエストロとしてマウリツィオ・ボナミーチが取り上げられています。内容は、今回インタビューさせていただいたことと重なるので、文中に参考として二箇所(ご兄弟のこと、サン・ミケーレ少年刑務所のプロジェクトに関する記述)加筆させていただきました。

 

マエストロは、文化についてどう考えていらっしゃるのですか?

われわれ職人が担ってきた文化は、ローマのアリストクラツィア(貴族)が支えてきた領域だからね。そもそも、その『貴族』という階級そのものが消滅しようとしているんだ。もちろん、わたしが言っているのは、伯爵、公爵、プリンス、プリンセスという、昔ながらの貴族の家系のことを言っているんだよ。また中流のハイクラスに属する人々も、非常に少なくなった。誰もが生活が困窮しているように思えるよ。

いや、金満家たちもたくさんいるが、現代の金満家たちは、わたしたちが長い歴史をかけて大切にしてきたものには全く興味を示さない。金満家たちにとっては「文化」なんてどうでもいい分野なんだろうね。今権力をその手に握っている者たちは、いかにさらなる利益を得るか、何に投資をするか、ばかりを考えている。しかしこのロジックを携えて、われわれはどこに向かっていくのだろうか。たくさんのものを失っているのではないか、そしていつかそれを取り戻すことができるのだろうか、と日々思うんだ。

いいかい? アートは死ぬことがないんだよ。アートは不滅の存在でもある。アートが死ぬときは、われわれも死ぬときなんだ。デカダンが極まったこの時代でも、アートはまだなんとか生きながらえているが、われわれ人間が我を見失っている。そう考えるとメランコリーな気持ちになるよ。

『鉛の時代』という難しい時代も含め、多くの時代を生きてこられて、そうおっしゃるのですね。

もちろん、わたしは『鉛の時代』を生き抜いてきたわけだし、確かにあの時代は緊張に満ちていた。ひとりの職人としていろんなことを考えたよ。波のある時代で、激動ではあった。しかし90年のタンジェントーポリ(国じゅうが巻き込まれた大汚職事件)が過ぎ去ると、ローマには以前と変わらない日常、ノーマルな生活が戻ってきたんだ。

あの時代に比べると、現在はもっと複雑な状況だよ。経済的な問題だけではなく、さまざまな要素が絡み合っている深刻な状況だと思う。経済の状況だけでは計れない、真のデカダンな時代の到来かもしれない。また、その状況の中で、われわれ職人の仕事に若い人々が興味を抱かない、娘たちも孫たちも仕事を継がない、ということは工房の危機でもある。誰がわれわれが培ってきた技術を受け継いでいくんだ。われわれ職人は大きな危機に直面している。

 

工房には800年代に描かれた絵画が多くあり、写真は今は失われたカプリ島の風景を描いたもの。

工房には800年代に描かれた絵画が多くあり、写真は今は失われたカプリ島の風景を描いたもの。

 

昔ながらの顧客がいらっしゃるのではないのですか?

彼らはみな、ずいぶん年をとってしまったからね。もちろん、今も昔と同じようにクリスマスになれば、プレゼントを持って訪ねてくれるし、心通い合う付き合いが続いているよ。みなわたしたち職人の状況を心配してくれもする。わたしは今まで、顧客である人々と修復の仕事を通じて心の絆を結んできたからね。わたしが何より嫌いなのは、傲慢、あるいは高慢な人々で、一種のアレルギーと言ってもいいかもしれない。傲慢は無神経、無知と互いに抱き合って、常に一緒に存在するものだ。ともかく、昔なじみのクライアントたちのほとんどは亡くなって、今残っているのは80歳、90歳の高齢の人々だし、彼らはもはや修復すべき作品を所有していないか、修復に興味をなくしてしまったかのように思えるね。

ローマのアリストクラツィアと呼ばれる人々ですよね。

そう。そもそもは貴族だった人たちだね。さっきも言ったように、いまや貴族は、時代と共に消滅してしまったから。父親の代から継続して付き合ってきた人々だけれど、その息子の代になると、相続にかかる費用や、屋敷の維持費を捻出できず家財を売って、他のもの、例えば海外への投資などに専心しているようだ。はっきりとした具体例はあげられないが、われわれの仕事が危機に陥る背景には、そんな事情があると思うよ。

何年もの間、わたしは顧客とコラボレーションしながら働いてきた。代々受け継がれた作品を守るために働いたんだ。骨董家具、絵画、彫刻を修復するということは、作品に新たな生命を与えることだからね。多分100年単位の新たな生命を与えること、つまり作品を不滅にする作業なんだよ。しかし新しい世代は貴重な作品の維持には興味を示さなくなった。彼らはもはやわたしの工房へは訪れず、手持ちの作品をほとんど売り飛ばしてしまっている。時代が変わった、といえばそれまでだが、これはとても辛いことだよ。さらに辛いのは、政治も、社会機構もまったくその現状を顧みないし、手助けしないということなんだ。

行政に保護を求めたこともあるんですか?

市長、市の相談役と何度も話し合いをしたよ。ポルタ・ポルテーゼにある少年刑務所、サン・ミケーレにもプロジェクトを持ち込んだ。しかし政治はわれわれ職人の仕事に何の興味も抱いていないと思うんだ。再生の可能性は数多くあったが、何度も繰り返された話し合いから、何らかの果実を得たことはない。プロジェクトはアーカイブに眠ったまま。彼らは文化や伝統を守ることより、別のことに興味を抱いているようだからね。もちろん、政治の世界が複雑な構造を持っていることは重々承知しているよ。彼らはまるで『オデュッセイア』のペネローぺのようなものだとも思っている。つまり、織物が織りあがった時に、求婚者を選ぶと約束し、昼間機織りをして、夜にはこっそり解いていた、あのペネローペだ。作っては壊し、作っては壊し、完成することは永遠にない。政治というものはそういうもの。だからわたしのような人間は政治には向いていないね。修復という仕事は『完成』が目的で、それも予定通りに終わらせなければならない。そしてそれがわたしの生き方でもある。

映画がお好きだとおっしゃっていましたが。

ああ、映画は大好きだよ。特にネオリアリズムのマエストロたちの作品を愛している。なにしろそのマエストロたちは父の友人たちでもあって、わたしは彼らに囲まれて育ったわけだから、特に愛着がある。例えばヴェネチアの伯爵夫人の娘、映画のプロデューサーでもある女優マリーナ・チコリアとは子供の頃に遊んでいたぐらいだ。モニチェッリ、フランチェスコ・デ・ロージ、ダミアーノ・ダミアーニ・・・当時父親の工房に通っていた映画人たちを数えはじめたらキリがない。オペラ人たちも多く通ってきていたしね。イタリアの、当時の文化人に囲まれて育ったわたしは、ローマという街の文化が最も生き生きしていた時代を物語る、いうならば、ローマの職人の歴史の、ちいさい破片でもあるかもしれないね。

わたしの父親は、ロマーニ(ローマっ子)のなかのロマーノで、修復における真のマエストロであったよ。またアートのマエストロであり、人生のマエストロでもあった。わたしは自分が際立って優秀であったとは決して考えないんだ。父というマエストロを持ったことの幸運がわたしを支えてきたと思っている。今から思えば、わたしが成長した環境は、尋常でなく、文化的に豊かな世界だった。いまとなってはそんな世界は存在しないよ。消滅してしまった豪華な世界だ。

「いいかい? わたしからある程度のことを学んだら、そのあとは自分でその道を極めていくといい。技術を磨けば磨くほど、生きていくのが簡単になる」 Amore(愛情)とFavore(恩寵)。父が言った通りにわたしは生きてきたんだよ。「もし自分がこの世からいなくなったとしても、お前の技術が素晴らしければ素晴らしいほど、みながお前のところへやってくる。そのうちお前はたくさん弟子を抱えるボッテガに、山ほどの仕事をこなさなくてはならなくなるだろう」

父はロマネスコでいつもわたしにそう言っていた。しかし父が言ったことは、今の状況では、少し見当が外れているかもしれないけれどね。しかしわたしはまだ何年かはしっかり働けるわけだから、まだまだ頑張って、修復を続けていくよ。

 

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ボッテガのガラスの扉に貼られた、マエストロの職人仲間がロマネスコで書いた詩。「歴史は我々が作ったんだ。それらを設計した人々に敬意を払って、汗を流して作ったんだ」「靴職人、帽子職人、彫金師、今や宝探しでもしなければ見つけられない。鍛冶職人、木工職人、蹄鉄工、旋盤工は今やほとんど存在しない。何て悲しいことだろう」「おう!なんだ、この打撃は。何が起こったんだ。何でもないよ。職人が死んで、またひとつ工房が閉まっただけだ」

 

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