人が暮らす現代美術館 : Matropoliz-MAAM それから

Cultura Deep Roma Intervista Occupazione

このサイトで、以前紹介したローマ郊外の『人が暮らす現代美術館 Metropoliz-MAAM』が5周年を迎えました。開館と同時に国内外のアーティスト、美術批評家やアート通、アート通でない市民、活動家の間で『世界で最もクールな美術館!』と絶賛され、その名声は瞬く間に広まり、遂にはローマ市政のハートをもギュッと掴んだ。『占拠』スペースをアートで埋め尽くすという意表をつくアイデアで、大きなうねりを生み出した「時の人」、文化人類学者、キュレーター、そしてアーティストのGiorgio De Finis(ジョルジョ・デ・フィニス)に話を聞きました。デ・フィニスはMAAMの成功から、ローマの宝石、市営現代美術館MACROの次期ディレクターと目される人物です。

バスで行くなら中心街から小1時間はかかる、ローマの郊外トル・サピエンツァのプレネスティーナ通り913番地あたりは、ここ1年の間に風景がいくらか変わり、ファーストフードショップや巨大ショッピングモール、高級車の販売店など、いわばどこの郊外でも見かける、無個性なグローバル展開の商業スペースが目立つようになりました。それでも通りを歩くうち、空色に人と矢印、そして月が描かれたHogre (ホグレ)の作品を配した塔、その頂上にGian Maria tossatti (ジャン・マリア・トッサッティ)作の望遠鏡が見えてくると、温もりのある、柔らかい引力に引っ張られ、足取りも軽くなる。

車がガンガン飛ばして走る殺風景な大通り、両脇に枝分かれする路地を深く入り込むと、闇に蠢く組織犯罪の舞台となることも少なくないローマ・エスト(東)の郊外地区。その、どこか寄る辺ない風景に、まったく異質、強烈な個性としてその場に忽然と現れ、「ようこそ、リアルワールドへ」と異次元への扉を開いてくれるのが、『人が暮らす現代美術館 Metropoliz- MAAM(Museo dell’altro e dall’altrove di Metropoliz)』です。

 

広大な敷地に建つ、MAAMの建造物。L’Espresso誌より引用。

 

広大な敷地をぐるりと囲む塀には、Kobra(コブラ)、Sten&Lex(ステン&レックス)など名だたるアーティストたちのグラフィティが隙間なく描かれている。郵便受けがずらりと並んだ鉄の門から、広々とした工場跡の廃墟の中に入った途端に、やはり内部にも隙間なく描かれた絵、あるいは設置されたオブジェのエネルギーがどっと押し寄せてくる。さらに行くたびに、絵画、グラフィティ、彫刻、インスタレーションと、次々に作品が増えるため、壁のあちらこちらが剥げ落ち、風吹き抜けるうらびれた廃墟だというのに、明るく、力強く、安定していくように感じ、何度行っても「ここは、すごい」と改めて感嘆します。

しかも相変わらず、美術館MAAMでもある工場跡の廃墟では、多国籍の人々で構成された『占拠』グループ、Metropolizの人々が、料理を作り、洗濯物を干し、子供達が走り回り、年頃の娘たちが階段に座っておしゃべりする、とまったく普通に日常を暮らしている。その日常の生活風景の中、アーティストたちが、これまた普通に作品を創ったり、スタッフがミーティングを開いたり、われわれ観客が作品ツアーに参加したり、という具合です。

それぞれの作品は、思わずハッと足を止めて見入るほど刺激的でありながら、その場に漂うのは、柔らかく、どこか懐かしい包容力のある空気。こんな特殊な魔力を持つ美術館は、本当に世界で唯一かもしれません。そんなMAAMの評判は、あっという間に人伝に伝わり、国内外の各種メディアが次々に報道 (イタリアでは、ラ・レプッブリカ紙、コリエレ・デッラ・セーラ紙などの主要紙、RaiやLa7テレビなど)。2016年には、遂にローマ市の副市長であり、文化評議委員のLuca Bergamo(ルカ・ベルガモ)が、この美術館に賛同の意を表して、プレネスティーナ通り913番地を公式に訪れることにもなりました。

 

 

そのMAAMが今年5周年を迎え、大勢の支援者、アーティストたちで大入り満員、身動きが取れないほどの人が集まった4月22日のミーティング室兼食堂。その日開催されたラフなスタイルのコングレスで、副市長ルカ・ベルガモは、都市計画評議員のLuca Montuori(ルカ・モントゥオリ)とともにMAAMへの賛意を改めて表明、グローバリズムに追随する国政がどうであれ、ローマ市政にとっては人権が何より重要であり、誰もが平等にアート、文化に親しむ権利があること、知識人たちはもっと大きな声を上げるべきだ、と頼もしく強調しました。

また、副市長はかねてから、MAAMのコンセプトが、市営現代美術館MACROの今後の方向性に生かす『例』となる、と新しいタイプの美術館プロジェクトを提案。つまり郊外の『占拠』のバリケードとして構築された、特殊な現代美術館MAAMモデルを、フランス人の建築家Odile Decq(オディール・デック)のデザインでモダンに改装されたMACROを箱に、何らかの方法で再現する、という野心的な試みを発表している。そのプロジェクトが現在、MAAMの発案者であジョルジョ・デ・フィニスのディレクションで進んでいる、というわけです。

確かに多くの問題を抱え、異邦人としては住みにくいこと極まりない、早く何とか解決して欲しいことが山積みのローマではありますが、住人として何より面白いと思うのは、時として、このような斬新で熱意に満ちたカルチャー・ムーブメントが巻き起こることでしょう。市民グループが意を決して敢行した、体制へのアンタゴニズムがみるみるうちに発展し、市政を動かす、まさに市民のパワーが『形』となって発露するケースがある。

MAAMの経緯を考えながら、ふと思い出したのは、79年からローマ市長を務めたPCi (イタリア共産党)のルイジ・ペトロセッリの時代、アヴァンギャルド・アーティストたちとともに、騒乱の『鉛の時代』のローマを舞台に、ローマの市民を明るく巻き込むエスターテ・ロマーナ(ローマの夏)というカルチャー・ムーブメントを起こした文化評議委員、建築家レナート・ニコリーニのことでした。70年台のローマのストリートを舞台にしたこの動きは、世界中のアーティストたちを巻き込んで、パリなど他の都市にも飛び火しています。ローマという都市は、時の残骸、廃墟でできてはいても、あるいは廃墟でできているからこそ、冒険的なアイデアをやすやすと許容する懐の深さがあるようにも思う。

 

5周年を迎えたMAAMに集まった大勢の人々、アーティストたち。

 MetropolizとMAAM

さて、MetropolizとMAAMについては、以前、詳細を投稿しましたが(詳しくはこちら)、改めて概要を簡単にまとめてみたいと思います。

そもそも現在MAAMとなっている、フィオルッチ(イタリアのサラミメーカー)の工場だった巨大な廃墟を『占拠』したのは、イタリア人をはじめとする、アフリカ、南米、中東など、多国籍の人々で構成された占拠グループ、メトロポリターニ(ジプシー、ロムの子供たちの学校教育をも推進するグループ)。2009年、彼らが工場跡の『占拠』を敢行した当初は、年々悪化する経済状況で、いよいよ生活が立ち行かなくなり、家賃が払えず住居を追われた人々の『住居の権利』を主張するデモンストレーションでしたが、そのデモンストレーションに対して、当局からは何の解決策も提示されることはありませんでした。

何の解決策も得られず、他のどこにも行き場のない住居を失った人々は、結局そのままその工場の廃墟に住みつかざるをえなくなった。やがて近くの公園を強制退去になったロムの家族たちも工場跡に訪れ、現在はイタリア人を含め10カ国の国籍を持つ約200人の人々が、それぞれの文化、宗教を超え共存、Metropoliz(Città Meticciaーまぜこぜの街)という世界の理想のような平和なコミュニティを構成しながら暮らしています。もちろん、『占拠』は非合法の上、占拠された場所はローマ市や国に属する市民の公共財産ではなく、民間企業(ローマ屈指の建設業者、サリーニ)が所有するスペースだったので、強制退去の脅威は絶え間なく、しかし退去となれば、当然住人たちには行き場がない。

ローマに住みはじめた当初は、このような『占拠』がごく普通に存在し、かなり乱暴な『強制退去』までは意外とのんびり機能することに驚きましたが、イタリアでは、住居の権利、あるいはアンダーグラウンドの文化スペース確保のために、場所や状況をリサーチした上での『占拠』が、わりあい頻繁に行われています。国や地方自治体が動かないのであれば、泣き寝入りすることなく仲間たちと共に団結して動き、「占拠してでも断固闘い抜く。自らの権利は自らの手で勝ちとるのだ」という気概を持つ市民が多く存在(右、左に関係なく)、他の市民もそれを特別なこととも感じていない様子です。また、ある『占拠』が文化的な実績をあげ、ひとつのカルチャー・ムーブメントに発展すると、地方自治体が賛同し、やがて合法化されることもある。

さて、一方その占拠を基盤に生まれた現代美術館MAAMは、2012年にフィオルッチの工場跡を訪れたジョルジョ・デ・フィニスらが、『占拠』グループMetropolizの闘いに共鳴したことからはじまります。デ・フィニスらは、窮地に追い込まれた彼らの『住居の権利』を守る防壁をアート作品群で創るという挑発的なアイデアをもとに、ドキュメンタリーフィルム『Space Metropoliz』をプロジェクト。そのドキュメンタリーは、イタリア国内外の現代美術の大御所を含める大勢のアーティストたちを巻き込んで、「地球上に住む場所がないのなら、皆で月へ行こう」と巨大な工場跡の残る敷地を月面に見立て、作品で覆い尽くすという、壮大なプロジェクトでした。

そしてそのアイデアに共感したアーティストたちが、続々とMatropolizにやってきては、作品を制作し、そのスペースにプレゼントとして残していった。現在まで、なんと300人から400人という驚嘆すべき人数のアーティストがこのプロジェクトに賛同して作品を制作しています。ドキュメンタリーが完成した後も、評判を聞きつけた国内外のアーティストたちがMetropolizを訪れ、遂には500を超える作品がMetropolizに贈られることになった。

欧州各国、ネイティブ・アメリカンを含む米国、オーストラリア、アジア、中東、とインターナショナルなアーティストたちの作品が所狭しと並ぶMAAM、人が暮らすユニークな現代美術館はこうして誕生したわけです。

 

※Street Art contro Wall Street Art(ウォールストリート・アートに対抗するストリート・アート)というフレーズが、MAAMのスタイルを、まさにシンボライズ。アーティスト、パブロ・エチャウレンの語りで、MAAMを駆け足で一周できるショート・フィルム。

未来派のアーティストたちは美術館を破壊しようと試みたにも関わらず、結局はそのシステムの中に組み込まれることになってしまった。しかし、いま、人が暮らす美術館というスタイルが、アーティストと観客、という二つの分割のリアリティを超越し、刷新されたシンプルなスペースに、かなり複雑で創造的なメカニズムを機能させたのだ。(huffingtonposto Pablo Echaurren (パブロ・エチャウレン/アーティスト)

MAAM5周年を記念して、全カラー1000ページという、アーティストたちがMAAMに残した作品のほとんどを収録した素晴らしいカタログも出版されました。イタリア現代美術の大御所、Michelangero Pistoletto(ミケランジェロ・ピストレット)、Luigi Ontani(ルイジ・オンターニ)からGian Maria Tossatti(ジャン・マリオ・トッサッティ)、Veronica Montanino (ヴェロニカ・モンタニーノ)、Mauro Cuppone (マウロ・クッポーネ)、著名ストリート・アーティストのHogre (ホグレ)、Lucameleonte (ルカメレオンテ)、Diamond(ダイアモンド)、前回MAAMを案内してくださったアーティスト、Carlo Gori (カルロ・ゴーリ)の作品など、MAAMのスピリットを凝縮した、ちょっと高くても、買って嬉しい豪華でクールなカタログです。

 

レイアウトも写真も綺麗でかっこいい。5周年記念の日には、飛ぶように売れていた。1000ページは、かなりの重量感で、持ち帰るのはなかなか大変だったが、家で開いた時の感激もひとしお。

 

superluogo ( 場を超越する場 )、MAAMとジョルジョ・デ・フィニス

こんな大成功を収めたMAAMの発案者、プレネスティーナ通り913番地で時々見かけるジョルジョ・デ・フィニスは、アクティブでありながら肩の力が抜けた自然体、という雰囲気を漂わせる人。前々から、インタビューできると楽しいだろうな、と思っていましたが、実際話してみてもまったく印象通り、誰もが好感を持つであろう、軽やかな誠実さと、すがすがしい熱意と自信を感じさせる人物でした。

これだけ大規模にアーティスト、作品を引き寄せ、ドキュメンタリーを完成させ、朽ちかけた工場廃墟に美術館を実現すること(しかもそこには人々が普通に生活しているわけですから)は、並大抵なことではなかったはず。今回のカタログを含め、MAAMに関する書籍も次々に出版されているうえ、途切れることなくインタビューに応え、そのうえMAAM以外のアートプロジェクト(たとえばFormello市の美術プロジェクトなど)にも関わっていらっしゃるので、大変な忙しさだと想像しますが、それでもいつも軽いフットワークで、次へ、次へ、と未来への勢いを放ち続ける人物です。

 

MAAMを発案した ジョルジョ・デ・フィニス

 

フランス人文化人類学者Marc Auge(マーク・アウジェ)が、2016年12月に実際にMAAMを訪れ、「今までにこんな場所は訪れたことはない。大変に特別な経験だった」と語っていますね。

マーク・アウジェは、luogo-nonluogo(non-lieu) ー『場』・『場でない場』という概念を、長年理論化した文化人類学者なんだけれど、それを簡単に説明するなら、luogo-場というのは、ルーツのある、つまり歴史、由来が明瞭な、その場独自の特徴を持つ場所を差し、一方 nonluogo(場ではない場)というのは、ルーツなく、歴史も由来もなく、近代の必要性から生まれた、ただ人と物が循環するような場所。たとえば高速道路、空港、ショッピングモール、港、映画館。その場そのものに魂がないというか、物語がない場所を差しているんだ。そのnoluogoというコンセプトを展開したアウジェは、MAAMを訪れて、superluogo (場を超越する場)と表現したんだよ。

最近、アウジェは、una doppia citta (二重の都市)、mondo città (世界・都市)、città mondo(都市・世界)、すべてのluogo(場)は二元的に、常に同じ『世界』を抱合している、という理論を展開してね。つまりグローバリズムに席巻された現代、どの都市に行ってもたいてい同じようなホテル・チェーンがあり、有名ブランドのブティックがあり、カフェテリアがある。また、世界中どの都市に行っても、マス・トゥーリズムに溢れているよね。都市の中に『世界』が蔓延している。コロッセオのような考古学的に重要なモニュメントにも、皆でツアーバスに乗って行き、チケットを買って、イヤフォーンガイドを聞きながら見物するわけで、どの都市に行っても世界共通の観光スタイルで旅が構成されている。

言ってみれば、コロッセオもエッフェル塔も、トゥーリストにとっては、この街を訪問するなら義務として、必ず見なければならない絵葉書のようなモニュメント。同様に各都市にある美術館も、いまや観光地のひとつでしかないじゃないか。これは大きなパラドックスなんだけれど、コロッセオのような古代をそのまま遺す、本来、とてつもなくエクセレントな個性を持った場所が、グローバリゼーションで、そもそもの『自然』を失い、「無個性化される」という傾向のせいで、我々は少しづつルーツを失っているように思うよ。

一方、グローバリゼーションから見向きもされない、MAAMのある、こんなローマ郊外の場の方が、ヴァイタリティに満ち溢れていたりする。より『真性』の場というか・・・・というのも、この場所は、ここでしか起こらないことだけで構成されているわけだし。地球上のあらゆる場所がグローバル・ブランドで均一化してゆく時代、MAAMは何よりオリジナルだし、この場所にしか生まれないリアリティがある。そして僕は、こういう『生きた』場所の方が断然面白いと思うんだよね。

もちろんマージナル、という意味では、ここに住んでいる人々は住まいを失うほどの困窮と闘うためにここに住みはじめたわけで、いわば多国籍企業、ビッグブランドだけが利益を得る、グローバル経済から暮らしを押し潰されてしまった人々だ。しかしこの「オリジナル」な場所で暮らすことで、個々の個性が発揮され、占拠者たちの間にも互いの信頼が生まれる。住宅を得て日常を暮らせるという可能性、そしてここには自由がある。

 

 

MAAM構築する際の目標は◉占拠を守るバリケードをアートで構築する(作品は全て建物の壁か、工場跡内の設備に接続される)。この場所にある500作品を破壊することは、タリバンが行なったアフガニスタンの仏像破壊と同等になるほどの損害。作品群の市場価格をバリケードにすることで、反対に市場の力を搾取するというメカニズム。◉ MAAMは外界から隔離された閉じられた場所ではなく、ローマそのものがこの郊外までやってきて、アートを媒介に人々が出会う場所にする。◉今までにないモデルを持つ実験的な美術館、『人が暮らす美術館』を提案する。生命の躍動のない、非現実的な既存の美術館に対抗する『リアル』な、生きた美術館としての挑戦。◉ 工場跡そのものが作品であり、MAAMは多くのアーティストの作品をコレクションすると同時に、それら作品ひとつひとつがモザイクとなって構成された、一つの巨大な作品となる。(カタログから要約、抜粋)ということでしたが、ドキュメンタリーの制作を通じて、MAAMを構築する際、初めにお持ちになっていたイメージ通りの美術館となりましたか。

はじめから、さまざまな作品のモザイクとなるようなスペースを創るつもりだったし、僕らがイメージしたスペースに、近いものができたと思うよ。というより、当初持っていたイメージを、正直なところ、いまや明確に思い出すことはできないんだよ。すでにこの場所に出来上がった現実が、過去のイメージをリセットしてしまっているから。少しづつ身体に刺青を彫り込んで行くように、ユニークなこの広大なスペースに作品が集合し、巨大な一つの作品となっていった。アイデアは野心的、ちょっと錯乱して、かなり熱狂的だったけれど、それがうまく機能したのは、数多くのアーティストたちが、そのアイデアに共感してくれたからだよね。

つまり、僕らのアイデアとアーティストが幸福な結婚をしたってことなんだと思うよ。僕らが能動的にオーガナイズして実現した、というわけではなく、僕らのアイデアを受け取ってくれたアーティストたちが、それぞれにそれぞれの遺伝子を残した子供が生まれたってことだよね。僕らと彼らが一緒にひとつの巨大な作品を創ったということ。そして当然なことだけれど、彼らの創った作品ひとつひとつは自己完結しているし、また、そうでなければならない。

 

 

MAAMを訪問した人々は、この美術館のあり様に一様に驚き、感嘆の声を漏らしますが、MAAMの何がわれわれを歓喜させると思いになりますか。

その感嘆は、さまざまな要素から生まれてくると思うね。まずここは非合法な『占拠』スペースで、困窮にさらされて、やむなくここに住まざるを得なくなった人々が暮らす場所だということ。原初的な住まいのあり方というか、彼らは原始の人々が暮らした『ラスコーの洞窟』に住んでいるようなものだ、とも言えるかもしれない。さらには通常『占拠』スペースでは見ることのない、別の場所にあるはずのアートの作品群が、彼らの住居を巡り、隙間なく覆っている。

この両極端の要素が、一種の電磁場を形成していると思うんだ。洗濯物が並べて干してあるスペースに、誰でも知っている著名な作家の作品が展示されるという、予想もしていなかった両極の要素が一度に目に飛び込んできて、誰もがまずショックを受ける。もちろん、MAAMにある著名アーティストたちの作品を美術館で観る場合もあると思うけれど、作品の観え方は全く違うだろう? MAAMにある作品群は、やってきたアーティストに、この場所で創られ、描かれ、そしてこの場で『生きる』という運命にあるわけだから。

ところでなぜ、僕が『ラスコーの洞窟』を例に出したか、というと、原始の人々は、洞窟の中で食べ、眠り、そして壁を見上げると、壁画があったわけだよね。そこでは何もかもが自然発生的で、原始、アートは人間の生活の一部でもあった。現代ではアーティストは職業の一つになってしまっているけれど、本来「アート表現」は、われわれホモ・サピエンスという種が持つ本質的なキャラクターのひとつでもあり、生活から隔離された次元にアートが存在しているわけではないんだ。

イタリアに関して言えば、中世の人々が通う教会は全てフレスコ画で覆い尽くされていたわけだし、貴族の邸宅の壁という壁、天井に至るまでフレスコが描かれていたのだから。かつて人々の生活はアートと共にあった。だからMAAMを訪れることは、過去のアートのあり方、あるいはアートの起源というものを体験できることでもあると思うよ。それにそもそも、あらゆる全ての市民はアート、美とともに生きる権利を持っているんだ。

 

 

MAAMで暮らしているMetropolizの占拠者の人々は、自分たちの生活を巡るアートに満足しているのでしょうか。

それは一概に、一般論として「こうだ」とは言えないね。というのは、それぞれにそれぞれの美意識があって、好きな作品もあれば、嫌いな作品もあるだろうから。また、MAAMに抱くイメージもそれぞれに違うはずだ、とも思う。もちろん、ここで進行するプロジェクトは、住民たちとのミーティングを重ね、許可を得て進めているし、MAAMはあくまでもMetropolizの客人で、ここにある全てのアート作品は、住民の好意でプレスティーナ通りの913番地に展示させてもらっているということだからね。僕らは彼らに受け入れてもらえることを非常に嬉しく思っているよ。

また、僕らの存在が、彼らの『占拠』による闘いを助けることになれば、さらに嬉しく思う。アートの作品群がバリケードになって、彼らの住居を防御していると同時に、訪問する人々がMAAMに感嘆するのは、占拠をしている住民たちがここで普通に日常生活を送っているからだよ。僕はアートというものは、「流れる水が地面を掘り、やがてその地面に大きな流れを作る」のと同じように機能する、と考えてもいて、そもそもアートに全く興味のない人々を、アートのエネルギー、力で動かしていくことも可能だと思っている。そういう意味では、MAAMの存在を、ひとつの大きな実験であるとも捉えているんだ。

僕は『教育』という言葉は、もともと好きじゃないのだが、MAAMではこのスペースで暮らしている子供たちのためにワークショップを開くこともあるんだ。アートはもちろん「教える」ものではなく、そもそもそんな機能は持っていないが、アートの持つ魔力を、ここに住む人々、そして子供たちに体験してもらいたいと思う。アートは解釈も、説明も必要としないからね。実際、このスペースには常にアーティストたちがやってきて作品を創作しているが、住人の誰も、アーティストに「これは何なのか」とは尋ねない。尋ねなくても作品そのものが、アーティストが表現したいことを正確に語るから。作品には言葉を超える力がある。

 

 

MAAMは、dono(贈与、贈りもの)で構成された、無宗教のカテドラル(聖堂)とおっしゃっていたが、具体的にはどういう意味なのか。

そう、MAAMは『贈与』、すべて贈りものだけで成立していて、それを人々と分かち合い、それぞれがその贈りものを寛容に受け入れあう場所でもある。しかしこの『贈与』という概念は、決して宗教的なミッションではなく、カトリックとは何ら関係がない。それでも僕はこの場所をカテドラル(聖堂)だと考えているんだが、というのも中世、建築家、アーティスト、そして職人たちがそれぞれの役割を担い、協力しあってひとつのカテドラルを建造していたわけだよね。そしてそのカテドラルは、全ての市民の家でもあった。しかし今日、教会はもはやみんなの家とは呼べない状況だからね。MAAMのような美術館こそ、われわれみんなの家、と呼べるのではないかと考えているんだ。

イタリアの法律では、市民全てに解放されるべき『公共の場』『公共財産』(広場、遺跡、道路、劇場、美術館など公共の建造物)が定められていて、最近、ローマでは『公共の場所』についての議論がよく巻き起こる。MAAMにはアーティストが次々にやってきて作品を寄贈して、その作品群が集まることで – つまり中世のカテドラルがそうして出来上がったように – ひとつの大きな作品へと変貌していき、いわば『公共の場』、市民のカテドラル、ともなったと思うんだ。

MAAMには著名なアーティストたちもたくさん訪れているが、ここでは誰ひとりスーパースターとしては振る舞わなかったんだよ。有名無名に関わらず、アーティスト同士がそれぞれリスペクトしあって、まるで中世の職人たちのように調和の中で仕事を進めたんだ。もちろん、ここから一歩外に出れば、著名アーティストたちはスーパースターとして振る舞い、アートの世界に渦巻く激しい競争の中に身を置くことになるんだけれどね。そういうわけで、アーティストたちにとっても、ここはちょっとしたラグーンでもあり、カテドラルだったというわけさ。

個人的には、僕は全く宗教を信じていないよ。つまり、『無宗教』という宗教を信仰しているというわけだけどね。無宗教というのも、一種の宗教のようなもので、神の存在を証明できないのと同様、神の非存在も証明できないわけだから。したがって僕は、神を信仰しないということを信仰している(笑)。なぜ、僕がこんなことを言うかといえば、イタリアで生活に困窮している人々をサポートするのは、多くの場合、カトリックのボランティアばかりだからなんだ。

僕がこの場所が好きなのは、『占拠』をしている人々が、自分たちの生きる上での権利をきっぱりと主張し、闘っているからだ。彼らは恵みを乞うのではなく、最低限の生活の保障のための権利の主張として『占拠』を通じて闘っている。アーティストたちがここにきて占拠する人々のために作品を贈るのは、ある意味政治的な署名運動にサインするようなものだよ。アーティストたちはここにきて、人間には全て、生きる権利があり、住居の権利があり、子供達は教育を受ける権利がある、という主張に、作品を贈ることによって賛同の意を表明しているんだ。

 

 

そういう理由で、MAAMを『政治的美術館』と定義されているのですね。

というか、僕らが現在、『美術館』と呼んでいるこの場所は、すでにそう呼んだ時点で政治的な意味合いを含んでいるとも言える、と考えているよ。僕らは、国家の制度としては、認められていない場所を選び『美術館』と呼び、僕らそのものを『制度』として、誰からの命令も受けず『自己完結』、つまりあらゆる制度から独立した場所としてこの美術館を構成した。まず、このスペースは、権利は全ての人に平等にある、と言うことをはっきりと語る場所。住まいを失って緊急の状態にある人々は、即刻屋根のある家を必要とするし、身分証明書も必要だ。地球上を自由に歩き回る権利は誰にでもあり、移民や難民にはそれができないなんて、おかしいじゃないか。MAAMは、決定的に、この場所に住む人々のために存在している。それが僕らが言う『政治的美術館』という定義だよね。

イタリアには、L’Articolo5という法律があって、パスポートなどの全ての身分証明書は、住所、つまりレジデンスから派生することになっているんだ。つまり役所が認める住所がなければ、子供を学校に行かせることも、医療サービスも受けることができないという社会になっているんだよ。したがって、レジデンスを持つことができない人々は社会的な存在が認められず、排斥されるという構図が生まれる。経済の悪化により困窮し、家を借りるための家賃を払うことができない住所のない人々は、イタリア人であっても市民としては認められない。だからイタリアの社会では、貧富の差を巡り、激しい闘争が繰り広げられることになるんだ。

レジデンスがないために市民として扱われず、学校にも通えず、医療サービスも受ける権利がない、などという、人間の存在そのものを否定する、倫理的に間違った法律そのものがおかしいと思うが、法律が存在する以上、僕らはその管理下に置かれざるを得ない。その法律のせいで、何万人もの人々が、いよいよ困難な状況に直面してというのに、だ。だからこそ僕らは闘っているんだ。その状況と『違法』で闘う

さらに、この闘いには、さまざまな前線があるとも思っている。最も困窮した地域に文化、アートを行き渡らせ、全ての人が住居を持つ権利を、全ての子供達が学校に通う権利を、医療サービスを受ける権利を、この闘いによって今一度確認しなくちゃいけない。貧困に喘いでいるからといって、足元を見られて契約しない仕事で搾取され続ける必要なんてないんだ。誰ひとり、今、困窮しているからといって、さらに状況が悪くなるような人生を送る必要はない。国、制度は、困難な立場に置かれている人々のことなど、気にかける様子はないが、全ての人に、自分の人生や取り巻く状況が良くなる、と希望を持てる瞬間が訪れるべきだ、と僕は思っている。だいたい『国』っていうのは権力者たちの私腹を肥やすためにしか機能していないだろう? 最も弱い人々を助けようとする政策を示さない。しかし僕らはその状況に抵抗することを試みなければならないよ。できる限りね。

 

 

ローマ市政が賛同を評したMAAMのあり方と、ローマ市営美術館MACROはどのようにクロスしていくのでしょうか。

現在もMetropoliz、つまり『占拠』をしている人々と、この工場跡の所有者との裁判は続いているし、常に強制退去の脅威もある。ただ、ローマ市がMAAMのあり方に興味をもってくれているから、多少の防衛をしてくれてはいる。しかしこの工場跡は、ローマ市が所有する公共財産ではなく民間の私有財産だから、ローマ市が裁判そのものを中止するわけにはいかないからね。だからローマ市は、ただ興味を持つだけでなく、実際に所有者と会って交渉し、たとえばこの土地を『公共財産』にするなど、さまざまな方法で、もっと積極的に働きかけてくれる必要がある。いずれにしても近い将来、このスペースがどのような形になるか、はっきりすると思うよ。

さらにローマ市は、僕らのMAAMのこの経験、キャラクターを、もちろん物理的な意味ではなく、なんらかの形で公共の美術館であるMACROに持っていきたいと考えている。そして僕らは現在、MACROに、MAAMの経験を持ち込むにはどのようにすべきか熟慮しているところなんだよ。公共の美術館に適応させるために、MAAMでの経験の内容を変化させなければならないし、もちろん最終的には違う形になるわけだが、皆がスペースを共有するというスピリットとアートを組み合わせることで、ローマという都市を成長させるための美術館になるはずだ。『市民』と『市政という制度』という関係ではなく、両者が真に出会うようなスペース。そしてそこではアートが両者を成長させるための舞台となる。そのスペースは、まずcivile(文化的)でなければならないし、そのスペースに入った人々が出てきた時には、なんらかの良い変化をもたらすような、そんなスペースを創り上げることが理想だよね。

しかし、『人々に変化をもたらす』といっても、特殊な形、たとえば人々の感情を喚起する大仰なスペース、という意味ではないんだよ。また、美術館に通う市民が少ないから、観客を増やすするために工夫する、ということでもない。まず、美術館に行く、という経験が、人々の魂の成長を促すものでなければならないし、何といっても、ローマという都市そのものを成長させるスペースでなければない。また、僕が言っている文化的な成長というのは、現代アートを知的に理解する、ということではなく、アートを通して世界を理解する、ということだ。美術館の観客を増やすのではなく、人々の文化クオリティというものを高めたいと考えている。

 

 

アーティスト、キュレーター、そして文化人類学者と、たくさんの肩書きをお持ちですが。

自分は自分が何者か、と定義されることはあまり好きじゃないんだ。職業は常に変えたい、と思っている。MAAMでは門の鍵を持つ門番(笑)以外に3つの機能に関わる仕事をしている。ひとつは自分自身がアーティストとしてMAAMという作品を実現したわけだけど、このスペースを歩くことで、僕はここで『フィオルッチ(サラミ工場)の廃墟』という作品を見る。そのとき僕はこの光景そのものを作品として見ているわけだが、その場合、僕はキュレーターではなくアーティストとして、フィオルッチの廃墟という作品の中で、他のアーティストとともに一緒に作品を作っていくことを考えるんだ。

キュレーターとしては、MAAMを機能させるために、どの場所に作品を創ればいいか、配置を考え、それにまつわる問題を解決する。また、人類文化学者としては多様な文化、多様な人々を識っている、という経験から、人々の状況を把握、数々の問題をどのように解決すればよいのか、その方法を多少簡単に見つけることができると思っているよ。自分の習慣とは全く違う文化、違う言語を話す人々がどのように考えるか、ということが理解できれば、その違いのなかに自分を置くことに慣れるものだし、たとえば他のアーティストたちと良い関係を結ぶためにも、彼らが何をしたいのか、何を考えているのかを理解するようになる。プロジェクトを進行するためには、常にポジティブな要素を見つけることができなければならないからね。

わかるかな。それは他の人がよく見えるようになる特別なメガネをかける、ということなんだけれど。美醜の価値観というのは、人それぞれだから、自分が良いと思うものが、他の人も良いと思うというわけではない。それでも、自分も、また他人も、互いに互いのクオリティを認知しあわなければならないじゃないか。そしてその中で調和を探ることは、とても文化人類学的な仕事だと思うよ。皆それぞれが違う見方を持っているのが普通だし、その違いはリスペクトしあわなければならない。違いは問題ではなく、豊かさなんだから。

MAAMは続く限りやっていきたいと思っている。ここの住人たちが許す限り、アーティストが訪れる限り。そしてMAAMのプロジェクトは、まず何より、ここで暮らす住人たちに住居を保証しなければならない。現在はここに住まいがあっても、まだ強制退去の危険性もあるわけだから、確実な住居の保証が必要だ。さらに時が進むうちに、新しいアイデアが生まれ、自ずと違う方向へと動いていく可能性もあるかもしれない。

 

 

最後にデ・フィニスに「アートとは何なのか」と問うと、「アートは人間のひとつの特徴的な本質で、流動的なもの。視覚から入る、言葉を必要としない言葉、僕らの思い込みや経験から得た常識を超えたところに存在して、内面の動きを見せてくれるもの」という答えが返ってきました。

アーティストは、世界をいつも違う視点から見ていて、無限の豊かさで分断を修正し、文化を創っていく。アーティストひとりひとりが自ら流動するキャパシティを持っている。アートはいつも新しい答え、つまり未来を創る可能性を秘めていると思うよ」

アーティストたちがMAAMに贈った作品の市場価格は、賠償が怖ろしくて当局が踏み込めないほどの高額となっています。逆説的ではありますが、市場至上主義から基本的人権を奪回するための『占拠』を、マーケットがバリケードとして保護するという、まるで『ウロボロスの蛇』のようなユニークなアイデアで、MAAMを一躍『世界唯一の生きた美術館』にしたデ・フィニス。彼がディレクションするローマ市営美術館MACROが、どんな美術館になるのか、今から楽しみにしているところです。

また、MAAMはいまやトリップアドバイザーでも紹介される、ローマ通の隠れた名所。ローマにいらっしゃる際は、ぜひ、プレネスティーナ通り913番地にある、毎週土曜日だけ開館するMAAMにお立ち寄りになってみてください。「廃墟ばかりのローマに、こんな面白い廃墟まであったとは!」と驚くこと間違いなしです。

 

 

 


RSSの登録はこちらから