ローマ・チッタ・アペルタ:『無防備都市』終わらないレジスタンス

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イタリアの政治は、朝から晩までたゆみなく紛糾しているので、いつの間にかそのインパクトに慣れてしまい、EUの再三の勧告にも頑として譲らない『国家予算案』で、国債スプレッドがみるみる上昇しようが、『5つ星運動』のメンバーがメディアを総攻撃して、ジャーナリストたちの間で諍いが起ころうが、「驚愕する」ことがなくなりました。異常事態も長期間続くと自己防衛本能が働いて、ちょっとやそっとのことでは動じなくなります。それにひょっとしたら、たとえば巷で執拗に語られ続ける経済崩壊やユーロ離脱など、今後大きな変化を遂げる可能性のある個人の日常生活も、今のところ表面的には以前と同じ日々が続いている。ただ、『同盟』が推進するとめどない反人権法案に、いわば現代のパルチザンたちによる頼もしいレジスタンスの流れが急速に動きはじめたことを感じています。

なるほど、こんな風に簡単に、自分を巡る社会の空気というものが大きく変化することがあるのだ、と実感する出来事が、イタリアでは次々に起こっている。と同時にカトリックの大本山だというのに(それとも、原理主義者もたくさん存在する大本山だからこそ?)、たくさんの市民たちがいつの間にか、「もう『同盟』でいいじゃないか」と窮状にある他人のこと、つまり難民の人々や外国人の今後の境遇には意外に無関心だ、ということをも痛切に感じています。ちなみに同盟の支持率は、現在33%強(テレビ局La7調査。コリエレ・デッラ・セーラ紙では36.2% )となり、政権樹立時の約2倍となっている。

彼らの無関心には「今までの未払い税金が免除になるなら、それもしかたないよね」とか「フラットタックスになると助かるね」、「欧州連合にはさんざん痛い目に合わされたんだから」とか、少々の罪悪感を感じてはいても見ず知らずの異国の人々、そして彼らを助けようと奮闘する人々のことには目を瞑ってしまおう、という意識的な態度が見え隠れする。そしてその罪悪感から「難民たちはイタリア人女性を暴行する」「イタリア人の仕事を奪う」などと統計から見ても非現実的なプロパガンダに乗って、自らの『同盟』応援を正当化しているようにも思います。

かつてイタリア人が、アメリカ大陸に大挙して『移民』として渡り、社会の異物として徹底的に苛め抜かれ、危険な仕事にタダ同然で酷使され、差別された辛酸を、みんなすっかり忘れてしまっているようです。「難民はみんな犯罪者」という個々の事情を全く無視した乱暴な論調は、『華麗なるギャツビー』時代における米国の「イタリア人はみんなギャングでアナーキスト、しかも嫌な匂いがして、女性に乱暴する」と、そっくりそのまま同じ論調でもあり、時間というものは、人間の「都合のいい」健忘症と近視眼をすっかり見抜いていて、頃合いを見計らって『歴史』を再び繰り返そうとします。

 

1930 当時イタリア人の移民の人々は、米国の人々からの『悪魔的』とも言える差別に苦しんだのだそうです。 エリス島に移民したイタリア人家族。Una famiglia di immigrati italiani a Ellis Island レスプレッソ紙から引用。

終わらない『鉛の時代』、果てしなく続く極右VS極左の闘争

※イタリアでは『保守』、『リベラル』という言葉は使われず、ほとんどの政治の流れは『右』『左』に収斂されるので、今後もその表現に準じて進めることにします。

さて、コンスタントな衝撃と暴力的な発言、有無を言わせぬ強引な行動だけでなく、たまには陽気に歌ってみたり、あくまでも感じのいいおじさんとして小学生たちに『国粋主義』を教えてみたり、と八面六臂の活躍で猛進する『同盟』マテオ・サルヴィーニ内務大臣。その彼が率いる『同盟』の、『カトレギスタ(『同盟』所属のカトリック原理主義者たち)』と呼ばれるメンバーたちが次々と発議する反人道主義法案の数々を、改めてよくよく考えてみると『鉛の時代』を起源とするアウトノミー文化や、女性の権利をはじめとする人権関連の法律を、意識的に根底から打ち砕こうとしているようにも思えます。

60年代後半から70年代、『鉛の時代』を漂流した若い極左の革命家たちは、『革命』こそ実現することはできませんでしたが、ある程度の女性の権利の獲得、極左文化であるアウトノミー運動に端を発する『占拠』など、旧態依然としたイタリアの父権社会、権威主義社会に、不完全ながらもいくらかの『自由』と『柔軟さ』、そして『平等』という価値観を持ち込むことには成功している。今までイタリアが謳歌してきた自由は、パルチザンからはじまり、68年ムーブメント熱い秋77年ムーブメントを経て、70年代を主人公として生きた1世代、たとえば『急進党』のマルコ・パンネッラが、その生涯を賭けて法律化するなど、市民の手で勝ち獲ってきたものです。

『鉛の時代』を振り返りながら、社会に起こるさまざまな動きを、極左と極右の狭間で観察していると、ひょっとしたら『同盟』が、正確に言えば『カトレギスタ 』たちが、『合法化』という言葉を連発して根こそぎ一掃しようとしているのは、たとえばアントニオ・グラムシの流れからパルチザンたち、さらにはピエールパオロ・パソリーニなどの知識人の支持を得て、イタリアの一時代を形成した伝統的な共産主義から生まれた極左文化なのではないか、という疑問でした。

もちろん『同盟』は極右政党ですから、極左を敵視するのは当然ですが、そのアプローチがあまりに古色蒼然とわざとらしく、まったく現代的でスマートなところがない。イタリアの戦後に根深く残った、いわば「ファシスト VS コミュニスト/パルチザン」の闘争スタイルがそのまま現代に持ち込まれたような印象です。『同盟』は、現代社会に足跡というか、ひとつの『価値観』を残すことに成功した極左勢力への復讐を、毎回大げさにショー・アップしながら進めている。そしてこの『同盟』の背景を、『フォルツァ・ヌオヴァ』、『カーサ・パウンド』、さらに、もちろんカトリック原理主義グループなど、コテコテの極右勢力が支えていることは明らかでもある。

ということは、とっくの昔に終わった、と思っていたイタリアにおける『鉛の時代』は、実はまだ終わっていないのではないか。ベルルスコーニの中央右派、『オリーブの木』、PD:民主党の中央左派、といずれも、少なくとも表面上は、思想的にはモデラートな姿勢でグローバリズムに追随しながらユーロを導入。そういえば「真のファシズムは『消費主義』だ。『消費主義』はファシズムでも壊せなかった街の景色、人々の魂を一変させた」という言葉を、ヴィジョナリーでもあるパソリーニが遺しているように、ネオファシストたちの活動が風前の灯火になっていた時期も、たとえばグローバリズムを背景とした経済ファシズムや、マスメディアや『広告』が、盛んに流布した価値観のファッショ(束)化は確かに存在していた。しかし現在のような「いまどき、どういうこと?」という、『中絶廃止法』だの、LGBTの人々の結婚を認めないだの、骨董の香り漂う『価値感』が、政府から押しつけられそうになることはありませんでした。

現在イタリアでブームとなっている『同盟』のマテオ・サルヴィーニという人物は、青年期には共産主義(つまり平等主義)を標榜していたという話ですから、その彼が今になって、極左の砦であるチェントロ・ソチャーレを「攻撃する」と宣言するなど、一貫性がまったくありません。確かにサルヴィーニは、デマゴーグとして政治力があり、人心を惑わすカリスマ性をも兼ね備えてはいる。話術が非常に巧みでSNSテクニックを熟知、最近までイタリア北部の『独立』という『イタリア国家からの分離主義』を謳っていた『北部同盟』から、脈絡のないまま『国粋主義』を主張する『同盟』への変遷をわけなく実行し、あらゆる矛盾を、うやむやにすることにも成功しました。ここで少し補足しておきたいのは、イタリアで極右と言われるグループは、ムッソリーニがそうであったように、大衆受けする社会主義の要素を、その思想に都合よく混在させていることです。

 

スポーツは、かつてファシズムの政治プロパガンダの一環(そしておそらく今も)となった。CINQUE COLONNE MAGAZINEより引用

 

個人的にはファシズムもナチズムもスターリニズムもマオイズムも、いわゆるDiktatによる『全体主義』はまったく受け入れられませんが、好き嫌いはともかく、ムッソリーニ下のファシズムにおける建築であるとか、美術であるとかが、ある種のモニュメンタルな『美学』に貫かれていることは認めざるを得ません。

一方、蘇ったファシズム!と欧州諸国からも批判されるマテオ・サルヴィーニ の周囲には、思想、文化、美意識らしきものはまったくと言っていいほど見当たらない。繰り返される、衝撃的で単純な言葉と暴力的なインパクト、プロパガンダだけで人々を魅了するとは、文化と美意識とヒューマニティで構成されるイタリアという国においては、特筆すべき現象です。いずれにしても、『北部同盟』から『同盟』に名を変えたところで、最も裕福な人々を抱える北部イタリアを中心とする経済界、銀行界におけるロビー活動が盛んな政党であることには違いなく、マテオ・サルヴィーニのプロパガンダ・ショーには、あまり騙されない方がいいのでは?とも考えています。

なお、『中絶法』の廃止、『離婚』における女性の権利剥奪(ピロン法案)、LGBTの人々の結婚の廃止( Le unioni civili)など、反人権法案をプロモートする『同盟』の背景に存在する、国際的な極右政党のネットワークや、カトリック原理主義、福音派、正教(オーソドックス)の経済支援のため、「ロシアルーブルが雨のように降り注いでいる」という独占記事が、11月18日発行のレスプレッソ誌に掲載されています。この記事は、ドイツ銀行やダンスク銀行など、欧州のいくつかの主要銀行が、オフショアにブロックされていたロシアの資金をマネーロンダリングしていた、と報じられた最近のスキャンダルに関連して、2012年から2017年までのロンバルディアの政治基金口座の動きを、レスプレッソ紙が独自に分析したものです。いくつかの政治・経済ロビーと迷路のようなオフショアの会社組織との間に動いた、350億ユーロもの資金の詳細、極右団体、宗教団体、そして人物名、送金された金額までをつぶさに追跡している。

レスプレッソ紙によると、その資金は、ロシアとアゼルバイジャン( 先ごろ、『5つ星運動』が反対していたにも関わらず、一転建設することが決まった、ガスラインTAPの建設を長年要求してきた2カ国です)から供給され、西側諸国の3000あまりの謎の口座に、月10万ユーロ以上の金額が振り込まれ、その中にはイタリアの政治家も含まれていたそうです。具体的には、さまざまな金融機関を経て、イタリア、スペイン、英国、米国、ポーランド、ハンガリーという国々の宗教関係団体、極右グループ、『反人権運動』グループに、複雑な経路で資金が送金されています。そういえば先頃、街でもSNSでも、かなりお金をかけた仕上がりの『中絶廃止キャンペーン』のポスターをあちらこちらで見かけたところでした。

また、2014年には、英国のカトリック原理主義グループ( Dignitatis Humanae)が、ヴァチカン内のスペースで、現在西側諸国を席巻している『反人権運動』の流れを運命づける事になる、件のスティーブ・バノンを招いての会議を開催しています。ということは今、われわれが体験している時代の流れは、もちろんグローバリズムの反動としての自然発生的な要素もあるでしょうが、潤沢な資金を背景に、人工的に作られている可能性があるようです。『中絶法』の廃止を市議会決議したヴェローナでは、イタリアの複数のカトリック原理主義団体が主催して、来年の3月、米国を由来とする『世界家族会議』が開かれる予定です。

世界各国に広がる、この極右化の動きの最終目標は、しかし一体どこにあるのか。また、現教皇に反旗を翻すグループの存在がたびたび指摘される、ヴァチカン内の政治の混乱も、世界の動きを反映しているのかもしれません。

アンチレイシズム・アンチサルヴィーニ法案に集まった10万人の人々

 

「レイシズムは良くない病気だ。治療しなさい」「移民は犯罪じゃない」それぞれにプラカードを掲げてデモに集まった人々。

 

さて、そんななか、ローマのアンチファたちのレジスタンスは、だんだんに活発になってきました。5年間に渡り、法律、医療、社会問題に関わる市民団体や一般の市民たちが、自発的にオーガナイズ、行き場のない難民の人々を受け入れてきたNGO、Baobab Experienceのボランティアの人々を中心に、数多くのアンチレイシズムのグループが共同で主催したメガデモが、11月10日、大々的に開催された。

正式なドキュメントを持って言葉が理解できるようになっても、ふとした時に感じる精神性の違い、常識の違いから生まれる齟齬で、外国で暮らすということは、わたしにとっては常にちょっとした緊張の中で暮らしているような状況です。ましてや紛争、旱魃、貧困、と国から脱出しなければ生き残れない、と判断しなければならず、拷問を含む厳しい道のりを経て命懸けで到着したにも関わらず、言葉も分からない、住むところも見つからない、ドキュメントも宙吊りのまま四面楚歌の難民の人々の不安はどれほどのものか。サルヴィーニ内務省がイタリアのすべての港を閉じた6月から今まで、なぜもっと大声を上げないのか、他の政党は何をしているのか、と非常に不満に思っていたところでした。

おそらく多くの人々が、同じ不満を抱えていたのだと思います。その『アンチ・サルヴィーニ法案、アンチ・レイシズム』デモは、不条理感の発露のように、大変な人出となりました。抗議集会に集まった人々は、テルミニ駅前のレプッブリカ広場を出発点に、サン・ジョヴァンニ教会広場まで、6時間あまりをかけて行進。時間が経つにつれ、どんどん人数が膨れ上がり、最終的には10万人とも言われる人々が集まった。その日の朝にはフェミストグループが、『ピロン法案』に猛然と反対するパフォーマンスを繰り広げたので、ローマでは一日中、どこかで抗議集会が開かれている、という1日となりました。

さらに11月10日は、ローマだけではなくトリノでも、女性たちによる市民団体が企画した『TAV:高速鉄道』に『Si TAV: 高速鉄道建設に賛成』を表明する4万人が集まった抗議集会が開かれています。TAVは人気作家エンリ・ディ・ルーカをはじめ、極左の活動家たちや『5つ星運動』が、「今の時代に不必要の上、自然環境が破壊される」と長年に渡って建設を反対してきたインフラで、その日ローマで行われた人権事案である『アンチ・サルヴィーニ法案抗議』デモよりも、経済事案である『Si TAV』の方が大きくメディアで扱われたことは、ローマ集会の参加者であるわたしたちに、多少の不満を残したことは否めません。

またラ・レプッブリカ紙、コリエレ・デッラ・セーラ紙など主要紙各紙ともに、ローマのデモ参加者は2万人と記していましたが、それは明らかに出発地点での人数で、満杯になれば10万人と言われる最終到着地サン・ジョヴァンニ教会広場には、人が溢れかえり、デモ行進の後方にいた人々は、なかなか広場に行き着かなかったことも付け加えておきたいと思います。

いずれにしても、イタリア中から30台ものバスをチャーターして人々が集まり、『サルヴィーニ法案』反対運動のシンボルでもあるリアーチェの市長ミンモ・ルカーノも参加。多くの難民の若者たちや小さい子供たち、往年のイタリア共産党の旗を掲げた人々や、普段は「デモなんてかったるい」と絶対に思っているはずの、おしゃれな知り合いやアーティストたちも参加して、ひたすら平和的な抗議集会でした。ただ、各地からバスをチャーターしてやってきた人々は、ローマの入り口あたりで警察に止められ全員バスから降ろされたうえ、ドキュメントからデモ用の横断幕まで調べあげられ、内務省自作自演のピリピリ感で、かなり到着が遅れることになりました。レプッブリカ広場に集まったわれわれは、といえばバールでコーヒーを飲んだり、友達と話したり、アフリカ人の青年たちのパーカッション演奏を見物したり、写真を撮ったりと、呑気に出発を待った次第です。

 

巨大デモだったので、一団と一団の間で、子供たちがラグビーをしながら参加する、という光景も見られました。

 

では、わたしたちが反対する『サルヴィーニ法案』とは、いったいどのようなものか、というと ●難民の人々の亡命の権利、また外国人の滞在許可、市民権取得に関わる見直し。●公共安全のため、犯罪の可能性のある集団形成の未然予防策。● マフィアから没収した財産、美術品などの管理 (つまり、民間に売却)。大きく分けるとこれら3つの内容からなる『移民難民関連および国家安全保障政策』です(※11月28日に下院を通過し、大統領の署名を待つだけとなりました)。

そして、1項目めに挙げた法案内容に、難民の人々のイタリアにおける扱いを、今後大きく変えることを提示している。それも、「いまさら?」と不思議に思う、ちょっと解せない内容です。以前にも指摘しましたが、2015年を境にアフリカ大陸から地中海を渡ってイタリアにやってくる人々は、減少の一途をたどり、現在ではイタリアの2倍の人々を、スペインが受け入れている状態。したがってイタリアにおける難民問題は、決してエマージェンシーではありません。国内にすでに滞在する人々の滞在許可証や受け入れスペースの問題は、国や地方自治体で、時間をかけて解決策を練ればいいことであり、わざわざ難民の人々の差別を法律化するということは、プロパガンダ以外のなにものでもない。

2017年の統計から言えば、国際的保護措置をイタリアの移民局に申請した難民の人々の数は13万人。そのうち52%の人が不認可、25%は『人道的』理由による保護が認められ、8%が難民、8%が準難民、7%が他の項目でイタリアでの滞在が認められている。しかし『サルヴィーニ法案』が施行されれば(『5つ星運動』の少数派が法案の見直しを求めていましたが、土壇場で取り下げ)、戦争や自然災害などで自国が特殊な混乱に陥っている、あるいは「市民にふさわしい特別な文化的価値を持つ人物(?)」などの理由以外では、難民ヴィザ、あるいは亡命ヴィザの申請が、警察、また裁判所ではまったく受諾されなくなります。そして現在、50万人とも60万人とも言われるイタリアに滞在中の人々も含め、ヴィザの申請が受諾されなかった人々は、一時滞在難民センターへ送られ、90日から180日間の滞在ののち、強制的に何らかの方法で自国に帰還させられることになる(インターナショナル紙)。

なによりサルヴィーニ法案により、『人道的』な理由による難民保護がまったく認められなくなることは、その『ヒューマン』さがステレオタイプにもなっていた、今までのイタリアではあり得なかったことです。ベルリン映画祭で金熊賞を受賞した、ジャンフランコ・ロージ監督の『Fuocoammare 海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』が公開されてから、まだ2年ほどしか経っていないのに、イタリアという国は、あの詩情ある善意に満ちたランペドゥーサ島の物語を、もうすっかり忘れてしまったかのようでもある。

そういえば、映画が公開された頃のイタリアは、国家をあげて地中海を渡って訪れる難民の人々の厳しい現実に涙し、両手を広げて迎え入れようとしていました(もちろん、今もそう思っている人々はたくさんいます)し、『Fuocoammare』の上映館では轟くような拍手が湧き起こったことを覚えています。それなのに、本来は宗教的とも言える、人間の生命に関わる『価値観』を、これほど簡単に変化させようとする国家権力を目の当たりにして、外国人としてローマに暮らすわたしは、理不尽というか、怒りというか、大きな不信感を覚えました。今にはじまったことではありませんが、ある日突然ガラリと態度を変える国家ほど当てにならないものはない、というのが正直な気持ちです。

2項目は、サルヴィーニが『犯罪者』と呼ぶ、イタリア人、外国人に関わらず住居を失った人々のために、77年のアウトノミー運動の流れを引き継ぐ有志によってオーガナイズされた『占拠』、そして文化的『占拠』であるチェントロ・ソチャーレの強制退去にも関わる事項です。しかもその内容は、国家権力を行使して、暴力的に『占拠者』を強制退去にするだけではなく、『占拠』のオーガナイザーやプロモーターを4年から6年の実刑(!)にするという脅迫的な内容でもある。

また、イタリアの都市を警備する警察、カラビニエリの防衛装備の一環として、国連が『拷問器具』として認定し、アムネスティの調査によると、米国で1000人以上の死亡者を出しているとされるTASER(米国製)という電気銃を試験的に使用するそうです。イタリアも日本同様、政府が樹立した途端にF35ステルス戦闘機8機を米国に発注しており、日本に比べるとずいぶん少ない数ではありますが、イタリアも今後、米国からの武器輸入を推進する予定なのかもしれません。

さて、この『サルヴィーニ法案』を意識してか、ローマの現代美術界もじわりと動きました。ザハ・ハディッドが建築を手がけたMAXXI国立美術館の別館では、コミックだけではなく、今までアンチファデモ抗議集会、チェントロ・ソチャーレのイベントのビラ・ポスター・横断幕も多く手がけてきた、筋金入りのパンク漫画家ゼロカルカーレの展覧会が、11月10日から3月10日まで4ヶ月に渡って開かれています。早速ちらっと覗いてきましたが、メッセージは明確。2001年、ジェノバのG8サミットでのデモ参加学生たちを血まみれにした当局による弾圧と、若い警官に誤射されて亡くなったカルロ・ジュリアーニを巡る事件、クルドの人々のレポルタージュなど、国家機構のDiktatに真っ向から、直球で立ち向かうゼロカルカーレの作品を、長期に渡って展示することに決めた、美術界の覚悟が見てとれました。『闘争とレジスタンス』というブースは、そのまま『占拠』を題材にした作品が並び、迫力のアンチファ、ローマのパンク魂が鑑賞できます。

 

漫画原稿も展示され、1日では足りないくらい多くの作品が展示されていました。ゼロカルカーレは日本のアニメからも多くの影響を受けたそうで、TVもビデオゲームも大好きだと宣言するジェネレーション。TV番組では「ローマ人はだんだん意地悪になってきたが、ローマはそもそもそんな意地悪な街じゃなかった」とも語っていました。

 

11月13日の早朝、ブルドーザーで撤去された、Baobabの難民キャンプ

そうこうするうち、誰もががっくりと肩を落としたBaobab experience強制撤去のニュースが入ってきたのは、10日のメガデモから3日しか経っていない火曜の朝のことでした。 バオバブの難民キャンプは、かつてわたしが訪れた時はティブルティーナの駅裏に当たるスパドリーニ広場にありましたが、そのあと何度も強制退去になり、現在は、地中海を渡りながら家族の元へとたどり着けず、絶望のあまり自死したソマリア人の女の子の名をメモリアルとして冠した、マスラックス広場に移動していた。

バオバブは、亡命ヴィザの申請から弾かれた人を含み、どの難民センターにも行く資格がもらえず、あるいはセンターに充分な場所がなくてどこにも行くことができない移動中の難民の人々を受け入れ、食事やその日の寝場所としてのテントだけではなく、医療や法律相談を提供する、市民たちが自発的に構成した難民支援団体です。

以前に訪ねた時には、その場でキビキビと働く医師や弁護士、通訳、若いボランティアたちがあまりにプロフェッショナルで、しかもその気配りが半端ではなく、「ローマには、なんて素晴らしい人々がいるんだろう」と心底感嘆させられた。アフリカ各国や中東、中央アジアから訪れた難民の人々は、吹きざらしの広場で寝起きしなければならない過酷な状況下ではあっても、ボランティアの人々を心から信頼している風で、若い女性ボランティアを「ママ、ママ」と呼んで、あれこれと質問したり、身の上話を含む雑談をしていました。現在までにバオバブは、約8万人の難民の人々を受け入れてきたのだそうで、かつて難民キャンプで数日を過ごし、のち正式なドキュメントを得ることに成功した人々も、通訳などのボランティアとしてたびたび訪れ、彼らを手伝っています。

「バオバブ・エクスペリエンスは、このスパドリーニ広場で、難民の人々に法的な滞在許可ドキュメントをリクエストするための法律的なプロセスをはじめ、さまざまなサポートをしているのだけれど、もちろんバオバブだけではなく、他の多くの市民アソシエーションと協力しながら進めているんだ。例えばCIR(イタリア亡命センター)、Action diritti in Movimento(権利のためのアクショングループ)、Medu(人権のための医療団)、A buon diritto(人権侵害の報告を、市民の意見として政府議会に反映させるアソシエーション)、Radicali(70年代、『鉛の時代』から、多くの人権問題を提起、法律化した実績を持つ『急進党』)など。Meduは火曜日と木曜日にこの広場で、人々の健康状態を診て、必要な薬を供給しているんだよ」

去年の早春に伺ったとき、ボランティアの方にそう説明していただき、本来は国なり、地方自治体がやらなければならないことを、市民が結束してボランティアとして難民の人々の手助けをしているというのに ー当時はPD民主党政権下であったにも関わらずー『強制退去』の対象になることが、さっぱり理解できませんでした。そしてバオバブのボランティアたちを、なにより素晴らしいと感じたのは、難民の人々と同じ目線で状況を考え、話を聞き、心のケアをし、さらには深刻に議論するだけではなく、サッカーの試合やローマ市内の散歩を企画して、難民の人々を温かく、友達として受け入れる姿勢でした。学生や若い人々が大勢関わっていることにも、強い印象を受けた。

サッカーの試合に誘われて、サン・ロレンツォのサッカーフィールドまで彼らの試合を見に行ったこともありますが、フィールドをカモシカのように駆け回っている彼らは、駅裏にいた時の、少し心細そうな表情とはまるで別人で、溌剌と明るく、しかもかなりキレのあるシュートを決めるサッカー青年ばかりでした。試合も白熱して、わたしも思わず真剣に応援したほどです。

 

サン・ロレンツォのフィールドで開かれていたサッカーの試合。

 

そもそもはサン・ロレンツォで占拠スペースを運営し、欧州の別の国へ行こうとしている人々や、ダブリン合意(難民の人々のヴィザなど、必要な手配は一番最初の到着国で行わなければならないという欧州各国の合意)で、イタリアに戻されてしまった難民の人々の、通過地点としてのローマにおけるケアと友情を提供してきたバオバブです。スペースを強制退去になったのちは、青空の下にテントを張って、常時100人から200人の人々のローマの生活を保証してきた。ローマにおいては、先日解体されたリアーチェに次ぐ難民支援団体のシンボルでもあり、ひっきりなしに多くのジャーナリストたちが訪れてレポートしていました。いずれにしても国家機構にとっては、レアーチェにしてもバオバブにしても、国家権力が及ばない、市民だけのアウトノミーな運営が評判になることが目障りで仕方なかったのでしょう。また、有名な支援グループを攻撃することは権力のアピールともなります。

現在までに、民主党政権下を含め、22回(!)も強制退去になったバオバブですが、『サルヴィーニ法案』が提示されたのちの今回の強制退去は、いつもとは異なる、ひょっとしたら決定的な退去になるのではないか?と、その存続を危ぶむ人々が多くいることも事実です。その日の朝、内務省は、そこに『犯罪』もテロリストも存在しないのをわかっていながら、Digos(アンチテロリスト特殊部隊)とともに、何十台ものパトカー、ブルドーザー、地ならし機を持ち込み、広場に並ぶささやかなテント、生活用品から何から何まで根こそぎ破壊して、自作自演の大げさ感を醸したのち、ゴミ収集車で持ち去りました。その様子はSNSだけではなく、新聞各紙のWeb版、テレビでも中継される、という物々しさでした。

 

 

その朝、マスラックス広場にいた201人の難民の人々の57人は、ただちにローマ市が用意した難民センターに移動することができましたが、139人は警察署に身元確認のためにバスで連行され、その他の人々(その中には、イタリア人夫婦もいました)は、どこにも行き場なく、その場に取り残されることになった。サルヴィーニは早速ツイッターで「国家も、法律も存在しない放任スペースにはもう我慢ができない。約束したことを実行したまでだ。それにこれで終わったわけじゃない。言葉から実行へ移す」と勝利宣言。そののち、今までバオバブを存続させたローマ市政のあり方を再び非難しています。

このように、サルヴィーニの攻撃プロパガンダは、イタリアの社会では力を持つことができない難民の人々であるとか、トランスジェンダーの人々であるとか、常にマイノリティであり、それはつまり「弱い者いじめ」でしかなく、はじめから勝てる、と踏んだ相手のみを選んでいます。もちろん、サルヴィーニ内務大臣のこのオペレーションには、一斉に「ならば即刻、極右グループ『カーサ・パウンド』の占拠を強制退去にしろ」とPDー民主党(いまさら)をはじめとする左派陣営、さらには左派のジャーナリストたち、市民たちも大きな声をあげていますが、サルヴィーニは「バオバブのあとは、ローマで27件の強制退去を強行する予定」と断言しています。

そして、さらに心配というか、呆気にとられた出来事は、上院の人権委員長に『同盟』のステファニア・プッチァレッリが選出されたことでしょうか。プッチャレッリは「ロムの人々のキャンプを、有無を言わせず、ブルドーザーと地ならし機で強制的に一掃する」という市民運動を推進してきた、『人権』というコンセプトから最も遠い場所に存在する人物です。プッチャレッリが人権委員長に選出された日、早速フォッジャでは、大がかりなロムの人々のキャンプの強制退去が実行されてもいる。バオバブのボランティアが「社会問題を、警察とブルトーザーで解決しようとするなんて」とツイートしていましたが、事実、強制退去にしたところで、住む場所を失った人々が街に溢れるだけで、なんの解決にもならず、社会に緊張と混乱を生むだけです。それとも、その混乱を生むことが一連の『強制退去』プランの狙いなのか。行き場をなくした難民の人々や住居を失った人々は、マフィア・ビジネスに狙われ、巻き込まれる可能性もあります。

ヴィルジニア・ラッジ市長は、サルヴィーニの、ローマのすべての『占拠』スペースの「強制退去宣言」を受けて、「受け入れ先を準備しないまま、有志のオーガナイズの下、スペースを『占拠』している難民の人々や住居を失った人々を強制退去にしても無意味であり、まず、ひとつひとつ解決策を考えなければならないし、地方自治体にその権限がある」と返答しています。ここはひとつ、ローマ市政の強固な態度とケアを期待したいところです。なお、最近ラッジ市長は、シンティのマフィアグループとして悪名を轟かせていた『カーサ・モニカ』ファミリーの不法建築住宅群を、600人の警官とともに捜査に入り、家財を押収したのちブルドーザーと地ならし機で一掃撤去する、というアクションに出ました。この強制撤去は、ローマに蔓延る犯罪組織にメスを入れる快挙です。乱暴な方法ではありますが、少なくとも相手は名うての犯罪グループでした。

さて、どこにも行き場なくバオバブに残った人々は、といえば、その晩は許可を得て、ティブルティーナ駅のコンコースで一夜を明かしたそうです。強制退去になったあと、ボランティアの人々は、警察に連行された難民の人々を警察の門前で夜遅くまで待ち、彼らのために温かい食事を用意、寝場所の確保に追われた。翌日には他にどこにも行く場所がない人々が、駅裏の広場へとひとり、ふたりと戻りはじめ、バオバブのボランティアの人々は医師が待機するマイクロバスを用意して、「できることはすべてやっていく」と宣言しています。さらには市民の有志が続々とやってきて、温かいミルクを用意したり、必要なものを届けてくれたりもするそうです。

多くの人々が彼らを応援しています。『同盟』がどれほど大げさなプロパガンダで攻撃してこようが、そう簡単に『善意』は一掃できないという確信をも持ちます。ローマのレジスタンスは伝統的にしぶとく、強固。むしろ、攻撃されればされるほど、その信念は確固としたものになり、アンダーグラウンドに人の輪が広がる。今は劣勢でも必ず機運が訪れるはずです。また、『5つ星運動』の下院議長であるロベルト・フィーコがナポリで、「文化占拠スペース、チェントロ・ソチャーレは社会問題に大きく貢献している」と発言したこともあり、その言葉に希望を託したいと考えます。

イタリア全国で、高校生による『アンチ・サルヴィーニ』『アンチ・ガーバメント』の抗議集会の動きも日増しに大きくなってきています。わたしが住む地域にあるローマ大学サピエンツァの分校にも、『サルヴィーニ法案』反対の横断幕が早速掲げられました。これから11月の下旬にかけて、参加したい抗議集会の予定が目白押し。そういえば、高校卒業資格試験から、今後『歴史』と『美術』(イタリアで?)の選択科目が無くなるそうですが、試験科目でなければ、学生たちは真面目に勉強しなくなるに違いない。これも新政府が樹立しての特筆すべき変化かもしれません。

なお11月24日に行われた『女性への暴力』『DV殺人 Femminicidio』に猛然と抗議し続けるフェミニスト・グループNon una di menoもうたった一人も(犠牲者を出したくない) は、今年『サルヴィーニ法案』、『ピロン法案』に断固とした反対を表明。雨の中、20万人の人々を集めたメガデモとなりました↓

 

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