G.KawamuraとPignetoにて

Cultura Deep Roma Musica Quartiere

Pignetoーピニェート、といえば、ここ数年の間に一気に勢いづくローマのインディな音楽シーンのセンターとして、途端に人気が高まった地域です。

このピニェート、そもそもはパソリーニの一作目の映画、「アッカットーネ」の撮影に使われたバールがあったことでも有名で、1960年代のこのあたりは、パソリーニが愛した札付きの不良たちがたむろする、うらびれた『郊外』の一角でもありました。15、6年前までは、その時代の雰囲気もずいぶん残っていて、一角のあちらこちらにあるバールにも、目つきの鋭い男たちや『訳ありな』空気を漂わす年配者たちが、カードに興じるのを見かけたものです。また、アフリカ人の移民が多く住み着いていて、夏になると、鮮やかな色とりどりの民族衣装、暗く閉ざされた路地をのんびり歩く姿が、なかなか素敵でもありました。いずれにしてもピニェートは、かなり攻撃的なロマネスコ(ローマの方言)が飛び交う、いかにもローマの『郊外』らしい、ちょっとあぶない街角だった。

 

「アッカトーネ」の一場面、Via Forte Fanfulla のバール。このバールは最近になって再開しました。

「アッカトーネ」の一場面、Via Forte Fanfulla のバール。このバールは最近になって再開。

 

やがて時が過ぎ、その、うらびれた街角だったピニェートに1人、2人とミュージシャンが住み始め(その頃の家賃はローマのセンターに比べるとかなり格安で、こじんまりと庶民的でも、中庭が広かったり、ちいさくともテラスがあったりと、趣のある家が多く)、あっという間にインディのミュージシャンたちが集うクラブがあれこれでき始めます。それにともない、オーガニック食品店や洒落たカフェ、レストランも参入し、ここ数年はちょっとしたナイトクラビングスポットともなりました。さらに今年に入ってからは街の中心となるIsola pedonale (舗道)が修復され、一応見かけ上は明るい街並みとなっています。修復される以前のIsola pedonaleには、エキゾチックなプッシャーなども入り乱れ、かつてこのあたりに漂っていたあやうい空気を、ある種踏襲もして、そのあやうさも含めて、熱いエネルギーが渦巻いていたわけです。

そういうわけで今や舗道も小綺麗になり、若い子たちの人気スポットとなったピニェートですが、その街角に、もはやこの人物なしではピニェートを語れない、とも言われる日本人ミュージシャンが夜毎出没しています。その人物は、街の夜更け、ぼんやりと薄い街灯の明かりが照らす闇の路地、どこからともなく、ふらり、と現れ、スウーと、入り口がよく分からないクラブのなかへと吸い込まれる。

Gun Kawamura。
腰まで伸びた艶やかな長い髪、バギーパンツに鮮やかなショートジャケット、夏は日本の伝統的な扇子を片手に歩き、冬には黒のロングの毛皮に顔をうずめて路地を早足で歩く。一度会ったら、決して忘れることのできないインパクト、しかし正体不明のこのミュージシャンを、ピニェート界隈では知らぬ人はおらず、いや、ローマのナイトシーンのどの場所に出没しようと、彼は必ず誰かに声をかけられます。しかもローマだけではなく、ニューヨークでも、ロンドンでも、モスクワでも、北京でも、ロサンジェルスでも、京都でも、「あなた、Gunでしょ? わたし、あなたを知っているわ。ローマのクラブで見たことがある」と。

ロンドン暮らしも長いので、英語も、もちろんイタリア語も堪能。ふたつの言語を駆使して、イタリア人もえ!と驚く、かなりきついジョークを飛ばしても(これはロンドンで得たジョークのセンスだと、本人は主張しています)、『根』が意外と真面目な日本男児なので、ローマの人々、そしてなぜか若いお嬢さん方には人気があります。たまにクラブに音楽を聴きにいくと、「あなた、Gunの友達なんでしょう?」とわたし本人のことはさておき、根ほり葉ほり、Gun Kawamuraについて質問されることもあり、彼の人気を再確認させられもします。

そもそもはロンドンのカンバウェル・カレッジで『絵画』を専攻、一種独特な画風の作品にはファンも多く、過去には絵画の展覧会をローマのギャラリーで多く開いていますが、現在はミュージシャンとしての活動に比重を置いているようです。そのGun Kawamurinoに、ローマのインディ、アンダーグラウンドミュージックシーン、そしてピニェートについて、語ってもらうことにしました。音楽ならばやっぱり英国、という本場暮らしが長いだけあって、ローマの音楽シーンへの辛辣な批判もありますが、その辛辣も彼特有の愛情表現。「ローマはもっと面白い音楽を生み出さなければならないし、音楽シーンに新しい風が吹かなきゃいけないんですよ。だから僕は常に厳しい視線で見つめているんです」と、律儀な敬語で答えてくれました。

 

(Gun Kawamura、クリップより)

 

もうどれぐらいになるのかな。気がつくと、ずいぶん長い間、ローマにいますよね。普段はね、絵の個展をしたり、クラブで演奏しています。チェントロソチャーレ(反議会主義の文化『占拠』スペース)ではあまり演奏しないですね。どちらかというと、ARCI*でやるほうが多いかな。ARCIは政治的には左系のクラブです。でも、僕自身は、ローマのアンダーグラウンドの、「どうしても『左』でなければならない、たとえ音楽的に『右』に属するグループがいい音を作っていたとしても、思想的に受け入れられないから認めない」という姿勢は好きじゃないんですよ。そこで止まっちゃうでしょう。音楽には思想なんて邪魔なんです。ほら、イタリアって何もかも政治的じゃないですか。右か左かって。いいやつ、悪いやつ、男、女、とかいう以前に、右か、左かってね。それでは音楽は熱くなりませんよ。英国ではそんなことはなかったですからね。

*ARCI ( Associazione Ricreativa e Culturale Italiana )は、1957年、イタリア文化をプロモーションするために設立されたアソシエーションで、ネオファシスト文化に対抗、デモクラティックで自由な文化を広めるという目的で設立された。ローマアンダーグラウンドミュージック系のクラブは、このARCIが多い。

演奏する場所はピニェートが多いんですが、呼ばれれば何処にでも行きます。ローマの音楽シーンは、やはり世界の、たとえば英国、アメリカの流行を追うというか、GarageBand系とか、ノイズが主流なんですけど、僕はその流れとは違うところで音楽をやっていきたいんですよね。きっちりジャンルで分けられる音楽ではなく、ジャンルとジャンルの間に位置する、そういう音楽。

長年、Blind Birdsというバンドをやってきて、今は一時、ソロ活動ちゅうです。ほら、イタリアの場合、アコースティックだと、ロマンチックな愛を奏でる感じであるとか、ジャカジャカ鳴らして政治的な主張をするっていう音楽が多いじゃないですか。メッセージ性がはっきりしていてね。僕はそういう音楽はまったく嫌でね。それからカヴァーっていうのも嫌なんです。ローマにはカヴァーバンドがすごくたくさんいるんですが、僕は自分で曲を作って、それも人に歌ってもらえる曲で、やっていきたいと思っているんです。僕の周囲にはノイズ系の連中が多いので、そのなかでは異端です。天邪鬼なんですよ。アコースティックで演るにしても、カウンターカルチャーをぶつけるって感じでやりたい。それで僕のことを、みんなよく分からないんじゃないかな、とも思っています。

かつてロンドンに行ったのも音楽が好きだったからなんですけれど、そこでイタリア人の友達なんかも大勢できたんです。じゃあ、人を知るために、イタリアの音楽も聴いてみようかな、と。聴きだしたら、もちろんいいものもたくさんある。でもたとえば80年代のイタリアの音楽というのは、政治的な主張ーつまり左翼的な主張ですーそれが多くてね。彼らは『詞』は大切にするけど、音楽性が練れていないように思えた。頭でっかちというか、『詞』はすごいが、音楽が垢抜けない。ロンドンからこっちに来たから、余計そう感じるのかもしれないんですけれど。

 

ソロ活動ちゅうのGun Kawamura

ソロ活動ちゅうのGun Kawamura

 

80年代といえば、イタリアには日本のアニメがたくさん入ってきているんですね。で、驚いたんだけれど、そのアニメの主題歌がすべてイタリアでは別の曲に変えられているんです。ほかの国では、わりとオリジナル主題歌で放映されているのに、全然違うものになっている。日本のアニメのオリジナル曲というのは、その時代の音楽を反映していることが多いんですよ。たとえばね、『マジンガーZ』ってあったでしょう? あの主題歌にパラパラパラっていう音が入るホーン・セクションという奏法が入るんですが、トロンボーン、サックス、トランペットって三本くらいは普通に入っているやつです。それって多分、当時流行っていたブラスロックー「シカゴ」とか、「ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ」、それから「チェイス」っていう凄いやつがいて、その影響だと思います。

イタリアでは、日本のアニメが大量に入ってきて、その主題歌をすべて書きかえているんですよね。で、大量に一気に作っている曲だから、どれも貧弱でね。大量生産はやっぱりだめなんですよ。だから日本のアニメ世代とイタリアのアニメ世代の音楽に関する感性は、かなり違うと思いますよ。もちろん、イタリアにはオペラとかカンツォーネとか、秀逸な伝統音楽があって、それがポピュラーミュージックにも影響を与えてはいますが、やはり僕たちが目指している音楽とは全然違う世界の音楽ですから。

イタリアのミュージックシーンってね、60年代にビートルズ、それからビートミュージックになって、サイケ、そのあとプログレになるんです。プログレッシブは、ジャズとロックをフュージョンしたり、ジャズとクラシックを混ぜたり、最初はそんな感じから始まっているんですが、後半になってくると、なんていうのかな、壮大に長い曲、A面で一曲、B面で一曲、AB面で一曲って感じになってしまう。ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド」からコンセプトが生まれているんだけれど、それからThe Whoの『トミー』、ロック・オペラへと続く。イタリアのアンダーグラウンドは、その感じがずっと続くんです。パンクが出てきて、聴く人はたくさんいたけれど、純粋な意味でのパンク・シーンというのは生まれなかったんじゃないですか?

それから「ニルバーナ」が出てきて、ロンドンもそうだったんですが、みながわざと「しょぼい」ファッションを始める。巻きタバコもそのころからでしょ、流行り始めたのは。僕はロンドンにいた時から、イタリア人を見ているけれど、80年代のイタリア人って、けっこうみんな、それなりのファッションで、身だしなみもキチンとしていた。途中から、みんなアートスクールの学生みたいなファッションになっちゃったんです。で、音楽は、みんなテクニックはすごく上手なんだけれど、アカデミックに走る感じでね。

どうしてそうなったかというと、ローマのクラブでは、カヴァーしかやらせてくれなかったからなんです。カヴァーをやらないと人が来ないから、という理由で。でもカヴァーやっても「オリジナル」を超えることなんかできないわけでしょう? 僕はカヴァーは絶対やらない。80年代は東京でも、誰もカヴァーバンドなんて観に行かなかったしね。でも、2005年ぐらいでしたっけ? My Spaceっていうミュージックソーシャルがあったじゃないですか。あのスペースはかなり革命的だと僕は思うんですが、あの場所に自分の作った曲を乗せて、世界に発信することができるようになって、ローマにもオリジナルを演るバンドが増えたと思います。

 

 

僕らの音楽は、なんと言ったらいいのかなあ。僕もいろいろ考えているんですが、あんまりジャンルに捉われたくはないんです。よくシド・バレットに影響を受けている、と言われるんですけれど、全然影響受けてないんですよ。あえて共通点を見つけるとすれば、同じ大学の先輩っていうだけでしょうか。もちろん認めていますよ。でも影響は受けていないんです。ピンクフロイドも彼のソロも全部聴いていますけれどね。強いて言えばマーク・ボランかなあ。

そうそう、T-REXって当時のイタリアではあまり知られてなかったんです。日本、ドイツ、フランスでは評価がすごく高かったのに、イタリアではそれほど評価されていなかった。『ベルベッド・ゴールドマイン』、トッド・ヘインズっていう監督が撮った、かなり勘違いな映画があって、それにT-REXの曲が使われて、知名度があがってきたぐらいでね。そのときにグラム、「グラマラス」っていうことね、グラムロックって言葉が、イタリアでも使われるようになったのかな。

オリジナルとオリジナリティ。自分の曲を自分の個性で演るバンドがもっと増えれば、ローマの音楽シーンはもっとよくなると思います。ピニェートのムーブメントのせいだと思うけれど、最近のアンダーグラウンドにはかなり面白いグループが出てきましたよ。ピニェートがこんな風にアンダーグラウンドのセンターになる前のローマのシーンというのは、ごちゃごちゃしていて、みんなが似たような音楽ばかりを演っていたんです。僕は、似たようなグループでコンペティションをするよりも、違うことをやっているグループがたくさんいる、という『多様性』が、新しいシーンを生み出すと思っているからね。ピニェートに起こった音楽シーンのムーブメントは活気的でした。

2007年ぐらいだったかな。 Fanfulla 5/a(ファンフッラ)っていうクラブができて、それからDal Verme( ダル ヴェルメ)30Formiche(トレンタ・フォルミーケ)と立て続けにできた。ダル・ヴェルメは、ファンフッラもとがっているけれど、もう少しコアなジャンル、トレンタ・フォルミーケは、ちょっと後追い感があるかな。

クラブが現れた当初は、こぎたないピニェートという地域に、一種の音楽文化を作ろうとする動きがあって、とてもエキサイティングな時期がありました。ファンフッラの主催メンバーにマヌーっていうフランス人がいるんですが、そいつがアンダーグラウンドをピニェートに持ち込んだんです。彼がいなければ、今のピニェートはなかったと思う。1人そういうやつがいると、周囲が牽引されて、エネルギーの場が構成されるんです。

僕のバンドのドラマーが言うには、「ピニェートは昔は危なくて、ローマの連中でも怖くて入れなかった」場所だったんですって。それからアフリカ人、中国人、アラブ人が安いから住み始めて、それからですよね、ミュージシャンが住み始めたのは。そうそう、パソリーニを好きなやつらもね、たくさんいますね。多少この街がファッションになって変わったとはいえ、実際のところは、今だってジプシーはいっぱいいるし、プッシャーもかなり入り乱れている。落書きもひどくなったし、街じゅうゴミだらけ。しょっちゅう暴力沙汰も起こってますね。ここ数年で、2、3人路上で殺されているんじゃないですか? Isola pedonale(舗道)が修復されても、そう変わらないと思う。

ただし、その「面白い音楽をやろう!」という新風でエキサイティングだった時期も2、3年が過ぎると、ファッション、若い子たちの流行の街になっちゃってね。ヒップスターな連中がなだれ込んでくるんですよ。音楽にも興味がなくて、ファンフッラにも来ないような連中が、ファッショナブルな格好でカフェに座って、ずっとスマートフォンいじっているっていう感じで街を占領するようになる。そのヒップスターな雰囲気がなだれ込んでくるのは残念ですね。

しかしピニェートは、これからもまだまだ音楽シーンが発展すると思いますよ。面白いバンドが続々出ています。これから広がっていくとすれば東の方向でしょうね。チェントチェッレの方向にね。でもチェントチェッレにはクラブらしいクラブもないし、まだまだこれからですけれど。音楽に関して言えば、いまのところローマには、ピニェート以外に面白い場所はないんじゃないですか?

⚫️ Gun Kawamuraは、フランス人が運営する世界各国都市のインディ情報を満載したIndie Guidesで、ローマのインディ・ミュージシャンとして紹介されています。

 

(最近インディ・メジャーとして活躍するWOWにKawamura氏が提供したSospiro-ため息)

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