ナチ・ファシストからイタリアを解放、戦後の民主主義を担ったパルチザンたち:A.N.P.I.と現在

Cultura Cultura popolare Deep Roma Intervista

1943年夏、イタリアのパルチザンたちは本格的に決起。ナチ・ファシストを相手に、都市だけでなく、山間部や森林で、熾烈な武装レジスタンスを繰り広げました。そして1945年、市民を恐怖で打ちのめしたナチ・ファシストの独裁支配からのイタリア解放に貢献。共和国の建国、そして戦後の『民主主義』の確立に大きな功績を残した。創設から現在に至るまで、そのレジスタンスの魂を営々と受け継ぐ、全国パルチザン協会 A.N.P.I.のローマ県本部に伺い、お話を聞きました。A.N.P.I.は終戦から現在まで留まることなく、アンチファシスト運動の核として重要な活動を続ける大御所。若い世代の加入者も多く、ローマでは、続々と新世代のパルチザンたちが誕生しはじめています。

難民の人々や貧困に窮する人々、すでに市民としてイタリアで暮らす外国人から「市民として生きる権利」を剥奪する内容を含める反人権法案、憲法違反!と糾弾される『難民・及び国家安全保障政策案 (サルヴィーニ法案)』が下院を通過、学生を含める大勢の人々がセルジォ・マッタレッラ大統領に「サルヴィーニ法を取り消して!」と訴えはじめました。巷では「これじゃまるで独裁国家だ」と、市民たちの抗議活動がいよいよ活発化。毎日、毎週ローマだけでなく、イタリア全国のどこかの広場でデモが繰り広げられ、各大学では勉強会が開かれるという状況です。そしてその動きは市民だけでなく、各地方自治体の政治にも波及。ヴィルジニア・ラッジ市長が率いるローマ市議会の採決では、大多数の議員が法案にNOを突きつけ、マテオ・サルヴィーニ内務大臣に平手打ちを食らわす形になりました。

このように、アンチ・サルヴィーニ法案ムーブメントがみるみる膨らむなか、ひときわ目覚ましい活躍を見せるのが、イタリアのアンチファシストの象徴、全国パルチザン協会A.N.P.I. (L’Associazione Nazionale Partigiani d’Italia) です。ここ数ヶ月、サルヴィーニ内務大臣や極右グループの暴力的な行動、そして発言に、exパルチザンをはじめとするA.N.P.I.のメンバーたちは、力強い声で、断固とした反意を表明し続けています。個人的には、歳を経てもなお、変わることなき信念を胸に、かくしゃくと闘い続けるイタリアのexパルチザンの方々を、「かっこいい」と常々感じていたので、憧憬の念を新たにした次第です。そういうわけで、多少ドキドキしながらも意を決して、A.N.P.I.のローマ県本部を訪ねることにしました。

 

ANPIのローマ県本部がある『記憶と歴史の家』の入り口には、イタリア建国のために開催された『国民投票』で共和国派の勝利を伝える新聞記事と、建国の際の署名の写真が玄関に飾られている。

 

イタリアのレジスタンスとA.N.P.I.

A.N.P.I.のローマ県本部は、その突き当たりに広々とした森を抱く閑静な路地、Casa della momoria e della storia (記憶と歴史の家)の一画にあります。このこじんまりとした資料館及び美術館は、ローマにおける1900年代の歴史と記憶、そして文化を人々にとどめおくために創設された市営機関。余談になりますが、かつてローマのユダヤの人々のことを調べていた頃に、「ユダヤの人々による難民支援」のミーティングを聞きに訪れたことがありました。今回A.N.P.I.に伺った際、2Fの展覧スペースでは、ファシスト党による『人種法』を発表する、1938年のラ・スタンパ紙の記事を強調する現代アートのインスタレーションが展示され、まさに現在のイタリアを暗示、人々の記憶の底に眠る悲劇を、今に蘇らせる光景でした。

さて、A.N.P.I.のローマ県本部の責任者である、ファブリツィオ・デ・サンクティス(Fabrizio de Sanctis)氏のお話を伺う前に、A.N.P.I.のホームページをも参考にさせていただきながら、イタリアのレジスタンス運動を、ざっと要約してみたい、と思います。

年齢、男女、人種、職種を問わず、今まで日常を暮らしていた一般の市民たちが、ナチ・ファシズムの血塗れの圧政に、敢然と自発的に反旗を翻し、それぞれに武器を手に、山中や森林でのゲリラ戦を含める徹底的なレジスタンスを繰り広げた歴史は、学者たちに研究し尽くされ、映画や小説、そして数々のドキュメンタリーとして多く残されているので、ここではエッセンスのみにとどめたいと思います。

第二次世界大戦中、ナチ・ファシストと壮絶なレジスタンスを繰り広げたパルチザンたちは、1860年にイタリア統一を果たしたジュウゼッペ・ガリバルディ率いる千人隊の活躍を彷彿とさせる、ある種の『革命』を果たした英雄たちとして、そののちのイタリアの若者たちの精神性に大きな影響を及ぼすことになりました。イタリアをナチ・ファシズムから歓喜のうちに解放し、1946年の国民投票を経て国民主権を確認、民主主義を政体としたイタリア共和国の建国は、パルチザンたち、そして彼らを支えた市民の手で勝ち獲られたものです。イタリアの終戦記念日に当たるのは4月25日ですが、その日は終戦ではなく『解放記念日』として、ヴィットリオ・エマニエーレ2世記念堂、国父の祭壇を前に、毎年セレモニーが行われます。

したがってイタリアは大戦の敗戦国でありながら、少年兵たちを含む夥しい犠牲を強いた壮絶なレジスタンスを背景に、ムッソリーニを捕らえ、人民裁判で死刑に処したパルチザンと市民の手で、『民主主義』という政体を掴んだのだ、という意識が、非常に強いように思います。連合国軍はそれを補助する役割を果たしたに過ぎない、ぐらいの認識です。そしてパルチザンの存在は、眼前に広がる荒廃した国土を前に、市民たちに再興の歓びと希望を与えるのみならず、国際政治の場においても、イタリアが誇りを失わず交渉に挑むための心理的なシンボルとして、重要な役割を果たしています。なにより国政に関わる政治家たちの多くは、レジスタンスで闘ったパルチザンたちでした。一方、連合国軍であった国家、米国、英国は、といえば、イタリアの国民が主権を握った戦後間もない時期から、じわり、とのちにグラディオとして発展するオぺレーションの布石を張り巡らしはじめたわけです。

さて、第二次世界大戦中、ナチスドイツの侵攻を受けた欧州各国では多くのレジスタンス運動が繰り広げられましたが、その中で最も広範囲に渡り、全国規模の騒乱となったイタリアのレジスタンスは、ムッソリーニがクーデターにより主席宰相を解任され独裁権を返上、連合国軍との停戦が確認された1943年の夏に本格化することになります。同年9月9日に、当時のアンチファシストの政治勢力、イタリア共産党、イタリア社会党、キリスト教民主党、自由党、行動党などが連帯して全国解放委員会(CLN)を組織、9月8日に一気にイタリア全国になだれ込み、イタリア各地を占領したナチスドイツ軍との間に繰り広げられた、20ヶ月に渡る武装解放闘争の中核となることになりました。この時、80万余のイタリア兵はといえば、政府をはじめヴィットリオ・エマヌエーレ3世の指示を失って、統制を失い武装を解除させられた上、ナチスに捕囚されている。その一部はレジスタンスを試みましたが、結果、強制収容所(Lager)に連行されています。

前述したように、レジスタンス運動を担うパルチザンたちは異種混交編成で、個々の思想もまちまちでしたが、「ナチファシズムと闘い、外国、あるいは自国の敵から祖国を解放する」という共通の目標で一致団結して連帯。年齢、貧富の差、男女、宗教の違い、出生した地域、政治思想に関係なく「打倒・ナチファシズム」を合言葉に、それぞれが銃を手にナチスドイツ軍占領に抵抗した。また、そのレジスタンスの脇を、ナチスにより幽閉から解放されたムッソリーニが、北イタリアのSalòに樹立したイタリア社会共和国に与することを拒絶した、戦闘経験豊富なイタリア兵有志が固めたのだそうです。

 

ミラノ解放闘争時、行動党に加わったパルチザンたち。Italian partisans associated with the Partito d’Azione during the liberation of Milan. (Photo by Keystone/Getty Images) レジスタンスでは、女性たちも大きな功績を残しています。

 

1943年10月16日早朝、ローマを占領していたナチスは、ローマのゲットーで暮らしていたユダヤの人々から全財産を没収した上、1000人以上の人々をアウシュビッツへと連行。レジスタンスに関わるパルチザンたちを思想犯としてしらみ潰しに捕らえ、収容所へと連れ去り拷問、暴虐の限りを尽くしました。その時代のローマのレジスタンスのメモリアルとして、『バルベリーニ宮』正面玄関から、やや右寄りの路地、ラッセーラ通りを『トレビの泉』方面に下る途中に、銃弾を浴びた穴だらけの建物があるのですが、それは第二次世界大戦終焉間近の1944年3月23日、パルチザングループ『GAP』が首都奪還を目指し、ナチスドイツ軍の司令部を襲撃、33人のドイツ兵を殺害した現場として遺された建物です。

しかしこの『GAP』によるナチスドイツ軍襲撃はそこで終わることなく、残酷な速攻報復を受けることになった。襲撃成功翌日の3月24日、ドイツ軍はパルチザンへの『見せしめ』として、当時収容所に捕囚されていた、思想犯とされる民間人を含むイタリア人335人を無差別に銃殺しています。

このようなナチスドイツ軍のテロによる占領下、全国解放委員会CLNを中核とするレジスタンスはイタリア全国に拡大。やがて山間部で闘う最初の武装パルチザングループが誕生し、多くの市民たちの賛意と支持を得ることになりました。数多くのパルチザンがナチスに連れ去られ、拷問を受け、強制収容所に連行され、銃殺されるという悲劇を背景に、市民たちの間ではレジスタンスが確固とした「決意」へと成長していきます。やがてイタリアの各県、各地域の谷や山間部でパルチザンたちが育成されるようになり、初期の武装パルチザングループから発展、精密にオーガナイズされた旅団が形成されていくことになった。

なお、山間部のゲリラ戦を繰り広げたパルチザングループには有名な『ガリバルディ旅団(Garibardi)』をはじめ、『正義と解放(Giustizia e Libertà)』『マッテオッティ(Matteotti)』『マッチィーニ(Mazzini)』『アウトノメ(Autonome)』などがあり、一方都市部では、『SAP 』や『GAP』がパルチザンのリクルート、及びプロパガンダ、サボタージュなど、都市部での闘争を担っていました。また、GDD (女性防衛グループ)、FdG (青年前線)という政治機構が、レジスタンスの脇を占め重要な役割を果たしています。

激しい攻防が繰り広げられた1943年の9月8日から1945年の4月までに、30万人(うち3万5千人が女性)のパルチザンのうち、1072人が戦場で亡くなり、4653人が捕らえられ拷問にかけられ、2750人が強制収容所に連行され、2812人が銃殺、あるいは絞首刑になっている。またナチ・ファシストに連れ去られた市民4万人のうち、家に戻ることができたのはたったの4千人だったそうです。

その、夥しい犠牲を強いた激しいレジスタンスを経た1944年6月6日、北イタリアに先駆けて闘争が終結したローマで、自由と尊厳をかけて闘ったパルチザンたちによるアソシエーション、全国パルチザン協会A.N.P.I.は設立されました。1945年には、ナチ・ファシストとの攻防がローマより9ヶ月も長引いた北イタリア、さらに全国のパルチザンたちが参入。それから70余年を経た現在のA.N.P.I.は、現実にレジスタンスに参加したexパルチザンだけでなく、レジスタンスに共鳴する、多くの新しい世代のメンバーで構成されています。また、2010年には「レジスタンスは過去の記憶などではなく、現在、実践しなければならないこと」(ダッチャ・マライーニ)と、多くの演劇人、アーティスト、作家たちが加入することになりました。

そして2018年の今、反人権法案と刻印される『サルヴィーニ法案』が下院で可決した際、まず最初に「憲法違反の法律!」と声をあげたのがA.N.P.I.でした。実際 、法案は「外国人の亡命を受け入れる」イタリア共和国憲法10条、さらには「推定無罪」を定める24条に明らかに違反するものであり、このA.N.P.I.の声をきっかけに、「われわれが、学校で憲法を学ぶことのできる授業がもっと必要だ」と主張した高校生たちもいました。また、難民の人々を受け入れることで過疎に悩む街を生き返らせ、世界中から賞賛を受けたリアーチェ市長、ミンモ・ルカーノの不条理な逮捕劇の際には、『5つ星運動』に「サルヴィーニを止めて欲しい」とA.N.P.I.の代表が直訴。ローマの伝統的な左派拠点、サン・ロレンツォ地区で少女が外国人に殺害された事件を極右グループが利用、暴力的な「外国人排斥デモ」を敢行した際も、exパルチザンであるティーナ・コスタ氏を中心に広場を占拠して、極右グループの地区侵入を阻止しています。

さらに12月1日には、A.N.P.I.とCGIL(イタリアの伝統的な労働組合)、Arci(アンチファシスト文化を広める全国規模のアソシエーション)、フェミニスト、住居の権利を訴える『占拠』有志グループ、外国人が一致団結、連帯して、ローマでUNO DI NOI(われわれのうちのひとり)と名付けた大規模抗議集会を開催しました。デモの最終到着点であった、国父の祭壇であり、無名兵士の墓でもあるヴィットリオ・エマニュエーレ2世記念堂脇の広場における、ティーナ・コスタ氏の説得力ある、力強い演説には満場の拍手が湧き上がった。参加者には若い世代も多く、パルチザンのスピリットはこうして現代まで営々と受け継がれ、皆が誇りに思っていることを、強く感じました。以下は演説の最後の30秒を切り取ったものです。

 

※字幕ボタンで日本語が表示されます。なお演説の途中、コスタ氏が使った「風が鳴る」という表現は、かつてソ連から共産主義の影響が押し寄せた際、「風が鳴っている」と独特の言い回しをしたことに由来するのだそうです。

 

さて、ここから伝統あるA.N.P.I.のローマ県本部の責任者であるファブリツィオ・デ・サンクティス氏にA.N.P.I.のスピリット、そして現代のレジスタンスについて、お話を伺うことにします。デ・サンクティス氏が始終にこやかに、穏やかに語る、びくとも揺るがぬ信念に触れ、イタリアのアンチファシストの底力を見たような気持ちになりました。

Interview: Fabrizio De Sanctis

●A.N.P.Iは現在のイタリアの状況をどう見ているのか

現状は非常に深刻だね。もちろん困難な状況は今にはじまったことではないが・・。つい最近、まさに憲法違反としか言えない『難民・及び国家安全保障法』、『サルヴィーニ法』と呼ばれるものが国会で成立しただろう? それはイタリアの市民を、いわばセリアA、セリアBと格付けするものでもある。イタリアで生まれてはいないが、今まで市民として暮らしていた外国人たちが、その市民権を失う可能性もある法律だ。これは差別以外のなにものでもなく、明らかにイタリア共和国憲法に反する内容だ。この憲法侵害である法律の成立も含め、現状は極めて深刻だというより他はないよ。

現政府の執行部に、ムッソリーニのファシズム的なボキャブラリーを引用するスポークスマンが存在し、市民のレベルに「差別主義」と、「ファシスト的価値観」を広く拡散しようとしている。少し前のイタリアでは、人前でファシスト的な価値観を主張することは、みっともない恥ずべき行為、と糾弾される風潮だったのに、現在ではどうやらその風潮は破壊されてしまったようで、たとえばバスの中や学校や仕事先など、われわれの日常に、その傾向が見かけられるようになってしまった。そして政治家の中に、ファシストグループに媚びるように目配せする者たちまで現れたんだ。それらのグループは、いわば本物の、ナチ・ファシスト特有の暴力性を持つ政治グループなんだが、まず、彼らがいまだに解体されずにいたことがなによりも問題だし、短期的に見るならば、おそらく今後も解体されることはないのではないか、と懸念しているよ。

そしてもっとも深刻なことは、ファシズム的な価値観をマス、つまり大多数の市民に流布しようと、彼らがあらゆる手段を駆使していることだ。万が一、マスのレベルがその価値観に明らかな合意を示せば、状況はさらに悪化する可能性があるんだ。したがってわれわれA.N.P.I.は、現状を極めて重く捉え、マスのファッショ化を阻止するため、激しい抗議運動を開始したところだよ。ここ数日の間に、アンチファシストのメガデモがイタリア全国北から南、ミラノ、ローマ、カターニャで巻き起こっているが、これもまた、10年前、20年前ならまったく考えられなかった頼もしく、新しい動きだ。今こそ力強く、迅速に動かなければならない時であり、われわれの闘争を市民たちのオピニオンにしなければならない。人々がファッショ化しないように全力で動かなければならないんだ。残念ながら、これが今のイタリアの状況だ。

●なぜ、今イタリアはファッショ化しようとしているのか

リアリティをいうなら、『ファシズム』は今まで、イタリアから消え去ったことはなかった。ファシズムの流れは、常にイタリアに存在し、たとえば70年代、ファシストたちがクーデターを狙い、労働者たちの集会や列車や広場に爆弾を仕掛けただろう? しかもその実行犯たちのほとんどが、いまだに実刑を受けていない。つまり司法上、犯人が確定されていないという事実がイタリアにはある。

それでもその頃には、アンチファシストを是とし、市民からも大きな支持を受ける、たとえばイタリア共産党であるとか、キリスト教民主党という政党が存在していた。もちろんそれぞれの政党に大きな方針の違いはあったが、政党を構成する議員のほとんどがアンチファシストだった。ところが現在、明確にアンチファシスト、と主張する政党は存在しないじゃないか。今の状況が非常に危険なのは、マスのレベルで政治的に対抗できるアンチファシスト政党が存在しないことでもあるんだ。

戦後のイタリアを担ったキリスト教民主党は、多くのパルチザンによって構成された政党だったし、野党であるイタリア共産党、イタリア社会党、自由党、国民党もパルチザンによるアンチファシスト政党だった。そしてそれらの政党の存在そのものが、過去の記憶を人々に思い起こさせる鏡であり、アンチファシストという価値観を、教育のレベルとして次の世代にしっかりと伝えることができていた。ところが、その政治が、ある時を境にラディカルに変化した。さらにさまざまな社会問題、経済危機、そしてテクノロジーのイノベーションを経て、いまや社会は大きく変わってしまったんだ。

変化してからのイタリアは、ごく一部の権力グループの独占支配となり、人々を搾取の対象にしていった。その独占支配の代表的な人物のひとりは、件のベルルスコーニ元首相だが、事実、彼が戦後はじめて、ファシズムへの肯定的な言及をしはじめた人物でもあるんだよ。ベルルスコーニの権力グループからは、マフィアとの関わりが指摘され、司法に裁かれた人物(デル・ウトゥリ)も存在するぐらいでね。そのベルルスコーニが所有するマスメディアグループのテレビ番組が、各家庭の中に入り込んでプロパガンダをはじめるようになり、今までのイタリアにはまったく見られなかった新しい風俗、つまりヌードの踊り子や、差別的なジョークを連発するといった番組が放映されるようになった。

そして、テレビによってこの時に根づいた風俗と価値観は、いまや30年もの間、イタリアの家族を侵食し続けているわけだが、この風俗のあり方が、それまで存在していたアンチファシストの大政党を壊滅させてしまうことになってしまったんだ。現在のイタリアは、と言えば、経済危機による困難な生活に疲れ果てた人々の怒りが社会に蔓延、その怒りが間違った方向、つまり外国人やジャーナリズム、さらには司法官に向けられようとしているが、これは非常に危険な状況だよ。

 

集会で演説するファブリツィオ・デ・サンクティス局長と、exパルチザン、ティーナ・コスタ氏

●A.N.P.Iとイタリア共和国憲法の強い絆

A.N.P.I.は憲法と緊密につながっているアソシエーションなんだ。そして『憲法』こそが、今までA.N.P.I.が解散しなかった動機であるとも言える。もちろん、イタリア国民が『自由』を手にするために、パルチザンの武装レジスタンスでどれほど熾烈な闘いが繰り広げられたか、その過去の記憶をしっかりと現代に伝えることは大切な仕事だよ。さらにファシズムはどのような条件、政治、経済、社会状況から生まれ、発展していったか、より正確に歴史を精査することも、A.N.P.I.の重要な課題でもある。しかし、A.N.P.I.にはもうひとつ重要な目標があるんだ。それは、イタリア共和国憲法の基本理念に反映される、パルチザンたちが共通に抱いていた価値観を、現実社会に実現すること

イタリアの憲法は、社会的な見地から見てもとても斬新でね。たとえば第3条には、性別、宗教、政治思想、人種において、市民は区別されることなく平等である という条文があるんだが、残念ながらその理念が現実社会に実現したことはない、と言っておこう。事実、今現在、『人種差別』が法律になるという現象が起こるほどなんだから・・。さらに第4条では、仕事の権利について明記されているのだが、現在の南イタリアの60%の若者に仕事がないうえ、仕事があっても自分自身、そして家族の生活を賄うための充分な給料が得られない、というのが現実でもある。

 

Art.3. Tutti i cittadini hanno pari dignità sociale e sono eguali davanti alla legge, senza distinzione di sesso, di razza, di lingua, di religione, di opinioni politiche, di condizioni personali e sociali, E’compito della Repubblica rimuovere gli ostacoli, impediscono il pieno sviluppo della persona umana e l’effettiva partecipazione di tutti i lavoratori all’organizzazione politica, economica e sociale della paese.(すべての市民は、性別、人種、言語、宗教、政治意見、個人的、あるいは社会的条件により差別されることなく、同等の社会的尊厳を有し、法の前において平等である。共和国の課題は、人間としての最大限の発展を妨げる諸々の障害を取り除き、すべての労働者の、国の政治、経済、社会機構への参加を実現させることである)

Art.4. La repubblica riconosce a tutti i cittadini il diritto di lavoro e promuove le condizioni che rendono effettivo questo diritto. Ogni cittadino ha il dovere di svolgere, secondo le proprie possibilità e la propria scelta, un’attività o una funzione che concorra al progresso materiale o spirituale della società.(共和国は、すべての市民の労働の権利を認め、この権利を実現するために必要な諸々の条件を促進(擁護)する。それぞれの市民は、個人が有する固有の可能性と選択により、社会の物質的、あるいは精神的発展を担う活動、あるいは職務を展開することが義務付けられている)

※法律用語がわからないので、一般的な言い回しで訳しています。間違いがありましたら、ご指摘いただければと思います。

 

2006年、そこでパルチザンたちは、最後まで生き延びたパルチザンとともにA.N.P.I.が滅んではならない、と考え、憲法がイタリアの社会に、現実として実現されるようになるまで、新しい世代にその想いを託して闘い続けることをオフィシャルに決定したんだ。憲法に明記された価値観は、レジスタンスから生まれ、市民が権利として勝ち獲り、『憲法』として批准されたものでもある。したがってA.N.P.I.の闘いは、イタリア共和国が見失ってしまった憲法の基本理念を、現実社会に実現するまで継続される。

現在、実際にレジスタンスで闘ったパルチザンは全国に4000人ほど存在しているが、やはり昔に比べると、だんだんに減ってきていてね。20年ほど前には600人ほどいたローマのパルチザンも、現在では60人になってしまった。だからパルチザンたちは、若い世代とともに闘うと決めたわけだよ。「あらゆる世代の、あらゆる人々とともに」異種混交で闘ったレジスタンス同様、現代をも闘い続けることに決めたんだ。パルチザンたちが憧れたジュウゼッペ・ガリバルディに彼らは実際に会うことはできなかったが、レジスタンスで闘い、生き延び、自由を勝ち獲った彼らとともに闘うことができるなんて、僕らにとっては幸運なことだよ。

いずれにしても、A.N.P.I.のメンバーになるには、ただ『アンチファシスト』であるだけで充分なんだ。だからA.N.P.I.には、民主主義者、社会主義者、自由主義者、共産主義者などが存在するが、アンチファシストとして、Unità : 一致団結し、連帯して闘う。そしてこの『一致団結した連帯』こそがレジスタンスに勝利を収めるための「隠された武器」でもある。パルチザンたちの一致団結があったからこそ、レジスタンスを市民レベルの運動に発展させることができ、蜂起を成功させ、多くの犠牲者たちに報いることができたんだからね。

そういうわけで、A.N.P.I.はアンチファストとしてわれわれと連帯する人々を、誰でも迎え入れるんだ。そして常にアンチファ・フィールドが分裂しないように注意を払っている。一致団結した連帯というのは、なかなか難しく、時に散漫になることもあるが、ある瞬間、再びこの強い連帯が磁石のように、たとえばある街やある地区で自然発生的に形成されることがある。ファシストたちが暴力を再現するようなことがあれば、イタリア人たちは、即刻一致団結、連帯すると思うよ。

●現在のイタリアで広がるアンチファシズムの動き

確かに、今年はA.N.P.I.への加入者が激増しているし、A.N.P.I.の支部が続々と増えている。特に郊外に広がっているのだけれど、郊外に支部を持つことは、なにより大切なことでもあるんだ。というのも、ほとんどの左派の政党、PDー民主党ですら郊外に支部を持たず、そんな場所に限って、ファシストたちが狙いを定めてくるからね。その郊外にA.N.P.I.は再び戻ろうとしているんだ。なぜ「再び」か、というと、以前多くのパルチザンたちが存命していた時代は、郊外を含め、街じゅうにくまなくA.N.P.I.の支部があったんだが、彼らが年をとるにしたがって、皆がこの「記憶と歴史の家」に集まるようになってしまってね。

そこでわれわれは、A.N.P.I.を以前のように拡張することが重要だと考えた。現在は50以上の支部がローマ市内(comune)にあり、県内(provincia)には約60の支部、それが日に日に増加し続けて、今年10以上の支部を増設、今月だけで2つ開設したんだよ。もちろん来月も増設する計画で、この動きには、実に勇気付けられているんだ。まさに一致団結したアンチファシストの連帯だ。事実、非常に深刻な現状が、人々のレジスタンス魂に火を点けた、と言っていいと思うよ。市民たちはA.N.P.I.を、再来したファシズムの兆しから身を守る防波堤、フロンティアとも考えている。この先、さらに確固とした、強力なムーブメントを起こすために、彼らとともに一丸となって前進して行くしかないね。現在広まりつつある、暴力を伴うあらゆるファシズム、セクシズム、レイシズムと闘うためには、連帯しての政治力が必要だからね。

 

デモの先頭に立つA.N.P,I,の人々

●A.N.P.Iのスピリットとファシズムのコンセプト、そして既存の政党との関わり

1944年の創立以来、われわれのスピリットはまったく変わらない。アンチファシストたちの一致団結した連帯。そしてレジスタンスの義務闘争の誓い。それがA.N.P.I.の揺るがない信念だ。

コンセプトとして定義するなら、ファシズムというものは、どこにでも存在するもの。国粋主義に毒された議会と、大資本による経済力を味方につけた暴力的な専制主義であり、合意を得た大衆に支えられる政体だ。そして大衆の合意を得ながら、国民に奉仕することなく、反対を唱える者、異種の者は容赦なく消す。ファシズムとは、そういうものだよ。

だから、われわれは現在のイタリアの状況が、経済権力と結びつかないように注意を払わなければ、非常に危険な方向へ向かう、と考えているんだ。そしてファシズムが推進する差別主義、女性蔑視、若者たちへのおざなりな政策に常に注意を払っている。また、労働者たちが権利を主張するためなら、いつでも抗議行動が可能であり、労働闘争を起こせる、つまり合法的に政治的な葛藤が許される社会であるかどうかを見極めることも大切だ。もし闘争ができない社会であるならば、それは民主主義ではないよ。もし、われわれすべてが均一に、同じ意見であれば、それはなにより心配すべき現象だ。

A.N.P.I.はそもそも、すべての政党、あらゆる労働組合からは、完全に独立した存在なんだ。しかしわれわれは、同時にすべてのアンチファシストの政党、労働組合の側に寄り添ってもいる。A.N.P.I.はあくまでも「アウトノミー」で、たとえばアンチファシストを標榜しているはずの政党が間違った行動をした場合は、断固として批判する。最近では、PDー民主党政権が憲法改変を試み、国民投票を行った際に、われわれはそれを「誤り」だと判断したんだ。というのも、たったひとりのコマンドに権限を与えるようなシステムの提案であり、大変な危険を孕んでいる、と判断したからだが、その憲法改変には「反対キャンペーン」を繰り広げ、結果、勝利を収めることができた。PDとは共にイベントを開くこともあるけれど、A.N.P.I.は、どの政党にも、労働組合にも属すこともなければ、命令されることもない。「誤り」だと判断すれば、いつでも批判する準備はできているんだ。

●常に平和主義を貫くA.N.P.I.

先程言ったように、今年メンバーは大幅に増えているんだが、まだ集計を終えていない。2016年の時点ではを全国で約13万人。ローマは2000から2500人ほどのメンバーが存在するが、今年の集計を終えれば、その数字は大幅に変わると思うよ。A.N.P.I.は北イタリアにメンバーが断然多く、1万人もいるんだが、それはレジスタンスがローマよりも長かったせいでもある。ローマのレジスタンスは9ヶ月だったが、ミラノは21ヶ月も続いたんだからね。北イタリアのレジスタンスに対する記憶と意識は、ローマよりも強いことは確かだよ。また南イタリアには、以前ほとんどメンバーはいなかったんだが、最近、パレルモ、ナポリなどの各地で、数百人のメンバーが加入しているんだ。

ところで、アンチファシストが多い北イタリアは、ファシストも多いんだが、今のところA.N.P.I.を攻撃してくることはないようだ。もちろん批判や侮辱はあるけれど、われわれがあまり気にしていない。政治的な闘争はあっても、彼らと実際に闘うことは、今のところ、まずありえないと思うよ。確かにファシストたちは、自分たちの暴力を正当化するために、アンチファシストたちが動くのを待っているが、われわれはもはや暴力的な闘争は間違いだと思っているんだ。闘いは、文化、政治、そして美意識を核にすべきなんだ。国を守るためには文化や美意識が何より重要で、むしろ文化こそがアンチファシストだとA.N.P.I.は考えている。

確かに戦争中は、パルチザンたちが武装して闘ったわけだが、それはナチスという残虐極まりない侵略者、そしてファシストたちを前に、どうしてもそうすることが必要だったからだ。そうでなければ、われわれは常に平和主義を貫くよ。第一パルチザンたちも、平和と自由を勝ち獲るために武装闘争をしたんだから。

しかしまた、われわれが現代の世界平和について、とても心配していることは事実だよ。というのも、国際社会の権力の間に、重大な緊張が漂っているように思うからね。もし万が一、戦争が起こるとすれば、まず最初の犠牲は『真実』と『民主主義』、そして『自由な議論』となるはずだ。戦争プロパガンダがはじまれば、真実は死に、自由もまた消失する。

戦争の空気をまったく感じない、とは、残念ながら断言できないね。フランチェスコ教皇が「われわれはすでに第三次世界大戦に突入し、攻撃ははじまっている」と発言するぐらいだ。すべての大陸に葛藤が見られ、ここ欧州でも葛藤がはじまりつつある。バルカン半島で戦争が起こり、ウクライナでは緊張が高まり、状況は予断を許さない。その動きに対抗できる唯一のレジスタンスが、政治力と文化を武器にした市民の一致団結した連帯なんだ。市民の答えとしての『連帯』が、ファシズムに対する闘争であり、個々の市民の多様性を保ちながら「アンチファシスト」として、それぞれが一丸となって共に闘うことが重要なんだよ。

さらに『教育』は、極めて重要な基本でもあるね。A.N.P.I.は、国の大学リサーチ機構省と古い合意があって、小学校、中学校、高校と各学校に赴き、「ファシズムとアンチファシズムに関する歴史」授業を継続。イタリア全国の何百人、何千人の子供たちに真実を伝え、話しあうことを続けてきた。これはパブリックには見えることのない地道な活動だが、A.N.P.I.における重要な活動のひとつだよ。

そして、今やらなければならないことは、ファシストたちの暴力的なプロパガンダを、政治的に解体する動きを作らなければならないことだ。まず、外国人たちこそ、イタリアを豊かにするのだということを、人々に説明しなければならない。人間の流れを止めることはできないじゃないか。イタリア人の若者たちだって、次々に外国へと移住して、イタリアには戻りたくない、と言っているぐらいだし。そして平和、労働の権利、平等主義、社会正義、これらイタリア共和国の憲法に明記された価値を現実の社会に完全に実現しなければならない。もし、これらが実現できなければ、ファシズムの再来を許すことになる。社会に渦巻く怒りというのは、常に極右勢力に利用されてきたという、歴然とした事実があるんだから。

 

12月1日のアンチファシストデモも、大変な人出となりました。

 

ローマの巷には、どことなく緊張が漂い、外国人やロムの人々に対する暴力が絶えません。イタリアの社会投資研究機関(Cencis:Centro Studi Investimenti Sociali)は、「国の衰退により、未来の保証が見えない事実が心理的国粋主義の傾向を生み、南北イタリアの格差は広がり、人口が減少している。仕事を見つけるのが難しく、安定、成長が見られない。63%のイタリア人が難民の存在をネガティブに捉え、58%が仕事を盗まれると考えている。また75%が難民の存在により犯罪が増えるとも考えている。人々は政治から遠ざかり、3分の2のみが選挙で投票。欧州主義を主張しているのは若者のみ」という内容を含むレポートを発表。イタリア人がだんだんにCattivismo (意地悪で乱暴な傾向)に侵されつつあることを示唆しました。

しかし、冒頭に触れたように、ローマ市が『サルヴィーニ法案』に反対の意を表したことには、大きな希望を抱いた。ラッジ市長が表明したのは、法案は「ローマ市民に、極めてネガティブな衝撃となる」「潜在的に不法な動きに巻き込まれる人々が増加する」「不法に滞在する外国人を、不法侵入や犯罪など極端な周辺に追いやることになる」「急に答えを出すことなく、時間をかけて管理できるシステムをつくることを目指す」という、ほぼ、期待通りの宣言でした。

さらにこのインタビューをさせていただいた後、ローマのA.N.P.I.全国本部に、極右グループ「フォルツア・ヌオヴァ」の一団がやってきて、「イタリアの敵は去れ」と書いた横断幕を掲げ、ご丁寧に緑、白、赤のイタリアン・トリコロールの発煙筒を焚いたパフォーマンスを撮った写真を、Facebookに投稿するという挑発行為を行っています。ネオファシストたちのパルチザンたちへのこの侮辱には、ローマ市長、ローマ県長が「われわれはアンチファシストを支援する」と即座に声明を出したところです。また、人権の日である12月10日には、石畳に埋め込まれた、ナチスによってアウシュビッツに連行されたユダヤの人々の名を刻んだメモリアルプレートが掘り起こされ、持ち去られる、というとんでもない侮辱があり、A.N.P.I.はその夜キャンドルを灯して静かに抗議しました。

古風なファシストたちがわらわらと動きはじめた今、新世代のパルチザンによる力強いレジスタンスは、はじまったばかりです。

 

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