ソーシャルアートゲリラ Carlo Gori

Cultura popolare Deep Roma Intervista Società

80年代ニューヨークのカウンターカルチャーとしてはじまり、今や世界じゅうに広がった『ストリートアート』、あるいは『グラフィティ』と呼ばれるアートムーブメントは、ここローマ、特に郊外では、まったく普通の街角の風景となっています。どこに行けばどんなグラフィティが観れるか、市がマップを作って新たな観光名所としてプロモーションする、という状況でもあり、ローマには『欧州のストリートアートのセンター』になる、という壮大な野望もあるようです。

バスキア、キース・ヘリングあたりに遡り、Banksy、Roa、Jef Aérosolと、世界的に有名なライターたちが現れた頃から、そもそもは、ちょっとしたヴァンダリスムでもあった『グラフィティ』が、あれよあれよと言う間に市民権を得て、彼らの作品が街角の壁だけでなくアートギャラリーや、美術館でも展示されるようになりました。と同時に有名ライターたちは現代アートサロンのスターとなり、初期、彼らが表現したアンチシステム、アンチキャピタリズムのスピリットは、いつの間にか『投機』に踊るハイパーキャピタリズムそのものでもある、現代アートマーケットの巨額なお金の循環に飼い慣らされていったようにも感じます。

ストリートアートそのものも徐々に『主張よりファッション』に変化して、毒がなく安全な、ある意味『大人』の表現へと変遷していった。そしてその様相は、現代の世界を支配する『市場』というものが、憤りであるとか、反発であるとか、そんな抽象的な空気のようなものではどうにも太刀打ちできない、自らを否定する者をもこともなく飲み込む、『神』のごとき寛容を秘めたリアリティであることを再認識させる現象かもしれません。そもそもアンチシステムを主張する表現が、いつの間にか巨大ビジネスとなる矛盾は、『自由市場主義』システムにおいては、きっとCoolなことなのです。

例えば、強烈な社会批判作品をあちらこちらでゲリラ的に発表し、あれこれと物議を醸す『アートテロリスト』の異名を持つ、正体不明のバンクシーの作品に、オークションで『億』という価格がつくという現状は、もはや彼の作品は、本人の意図から離れ(多分)、カウンターから『自由市場主義』にのっとったメインカルチャーストリームとなったと捉えるのが妥当でしょう。といっても、バンクシーの有り様や他の有名ライターを批判しているわけではまったくなく、カウンターであれ、メインストリームであれ、作品が面白ければそれでいいではないか、とわたしは思います。ライターたちだって、食べていかねばなりません。いずれにしても現代アートにおけるグラフィティという表現は、もはや『クラシック』。それでも時には街角で、ハッとするようなアノニマスなグラフィティに出会うこともあり、そんなときは新鮮な気持ちで素直に面白い、と立ち止まり、誰もがそうするように携帯で写真を撮る、という具合です。何よりストリートをそぞろ歩きながら、誰もが平等に、しかもカジュアルに作品に驚ける、ということは、やっぱり素敵には違いない。

 

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ナポリで上書きされた、今は無きバンクシー作品。ナポリにはもう一点『ピストルを頭上の光輪に掲げたマドンナ』という作品があり、老朽化した建物の修復で消されそうになった際、「バンクシー作品を守ろう」という署名運動が巻き起こった。

 

ところでバンクシーといえば、ナポリの壁に描かれていた作品が、かつて別のライターに上書きされたという一件が起こり、「なんというヴァンダリズムだ!100000ユーロの損害」という批判が巻き起こりました。しかしそもそもバンクシーの作品も、その『ヴァンダリズム』が、ある意味『売り』なわけですし、上書き御免のストリートのライターなのですから、普通に考えればそう目くじらをたてる必要もないわけで、その作品が大好きであったのならともかく、『高額な値段!』という実感のない価値感で、世間が露骨にうおさおするのもいかがなものか、とも考えます。ストリートアートは本来、何が起こるか分からない未知の領域であるパブリックなストリート、いつ消されるか分からない諸行無常が面白いのです。

 

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Tor Marancia に建ち並ぶ公営住宅の一棟に描かれたムラレ。この地域はかつて『シャンハイ』と呼ばれていた地域で、出身者にはローマのローカルマフィアの重要人物など、犯罪に関わった人物も多くいると言う。写真はJerico『人間と自然の距離』

さて、それはさておき本題のローマのストリートアート。イタリアではグラフィティのことをMurales(ムラレス)とも呼ぶので(イタリア語ではなくスペイン語だそうで、単数だとMurale)、この項では以後、基本、ムラレスと統一することにします。いまやマップだけではなく、どの街角にどんなMuralesがあるか検索アプリができるほど(著名ライターによる主なムラレスだけの紹介アプリですが)、街の方々に多くのストリートアートが満ち溢れています。

例えば老朽化した公営住宅が建ち並ぶTor Marancia(トル・マランチャーかつてドラッグ売買をはじめとするマフィアが絡んだ犯罪が、かつて社会問題でもあったローマの郊外)のように、近年のストリートアートブームを評価したローマ市が、街興しの一貫として公営住宅の一棟一棟の壁にムラレスを描いた「オープンミュージアム」をサポートするプロジェクト(Progetto Big City Life)もあり、ローマ市が運営する観光サイトにも、まるでフレスコ画のように多くのムラレスが紹介されるようになりました。また、ガイド付きの地域のムラレスツアーも開催されるようになった。さらにローマ市が主催するコンペで予算を得たライターたちが中心となったMURoというムラレスプロジェクトも存在し、Torbellamonaca(トル・ベッラモナカ- 移民が多く住む、ローマの社会問題が集約している地域)にはMURoのライター、Diavùによるローマでは初めてのアンチマフィアのムラレス『Mamma Mafia』が描かれています。

わたしが住みはじめたその昔から、電車や駅、郊外の壁のあちこちが『落書き』だらけだったローマですが、2000年ごろから完成度の高い、そして2006年あたりから、規模が大きいムラレスが盛んに描かれはじめるようになったように思います。そして多分に漏れず、ここ数年の間に現代アートの若い世代のメインカルチャーストリームとなり、有名ライターの作品はアートマーケットで高額な値段が提示され、多くのスターも生まれています。しかしながらここでは、ギャラリーであるとか、オークションであるとか、通常の現代アートサロン的な動きには触れますまい。ソーシャル、という見地からムラレスというローマのアートムーブメントを捉えたいと思います。

というのも、ローマにおけるムラレスにおいて何より顕著なのは、アートをシンボルに、街に確実に存在する多くの社会問題、格差、移民問題、ドラッグをはじめとする犯罪の多発、マフィアの跋扈を積極的に解決しようという姿勢だと思うからです。また、実際、MAAMーMetropoliz(メトロポリツ)の例から見ても顕著なように、表現するスペースが違法であろうがなかろうが、カウンターであろうがなかろうが、多くのアーティストたちのアート表現が、ソーシャルな問題の解決を、現実的にサポートしている。

 

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MAAMーMetropolizの正面玄関の壁に描かれた『マララ』さん。Eduardo Kobraの作品。

 

特にパソリーニが愛したPignetoあたりからはじまり、ひたすらプレネスティーナ通りを突き進んだMAAM-Metropoliz を抱く地区、移民の人々が多く住むローマEst(東)、Tor Sapienza(トル・サピエンツァ)は、ローマのアーティスト・ゾーンと言われ、ローカルのライターだけではなく、世界各国のライターたちが訪れ、多くのムラレスを描いています。特筆すべきは、やはり巨大なMAAMをぐるりと囲む壁ですが、さらにこの地区にはもうひとつ興味深い動きがある。それがMAAMのオーガナイザーのひとりであるCarlo Goriらが運営するトル・サピエンツァ地区・文化センター(Centro Culturale Municipale Giorgio Morandi ジョルジョ・モランディ文化センター) がプロモートするMorandi a coloriー『モランディを色とりどりに』というプロジェクトです。しかもGoriを含めるアーティストたちは、この文化センターがローマ市第5番目の地域の役所の管轄にも関わらず、公的な許可も、予算もまったく下りないまま、「これ以上、待っていられない」とゲリラ的にプロジェクトを突き進めている。

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アーティストでもあるカルロ・ゴーリ。Tor Sapienzaの文化センター入り口にて。タイトルに使わせていただいた写真もゴーリの作品。

 

魂を見据えるがごとき独自の作風を貫き、イタリアの現代美術史に大きな足跡を残したジョルジョ・モランディの名を冠した、トル・サピエンツァのViale Giorgio Morandi。ゴーリが運営する文化センターは、70年代に建造された巨大な公営住宅群が建ち並ぶ、その通りのど真ん中に建てられた、背の低い、細長い建物の一角にあります。戦後、ローマの産業地帯として発展したトル・サピエンツァも、今ではかつて隆盛を誇った大規模工場の多くが閉鎖、あるいは移転して、ローマの中心街とはかけ離れた、殺風景な風景ともなっている。気さくで呑気な住民たちがつつましく暮らす日常の隙間に、ドラッグ、売春、移民ビジネスなど、マフィアが絡む犯罪が暗躍するのも事実です。長年、郊外の移民関係のソーシャル・ワークに従事する人物と話すうち、マフィアグループとおぼしき人物から「いますぐ手を引け」と脅迫電話がかかってきたことがある、と聞いたこともあります。マフィアにとって『移民ビジネス』は、横流しされた『公共予算』という巨額なお金が動く重要な財源、移民の人々が団結して強い発言力、つまり政治力を持つことは極めて都合が悪いことだからです。

さて、ジョルジョ・モランディ通りは、そんなトル・サピエンツァのなかでも、特に問題を抱えた地区として有名な通りでもあります。Il Tempo紙(やや右寄り気味の新聞です)が2013年、10月に次のような記事を書いている。(抄訳)

ジョルジョ・モランディ通りはローマ東の郊外にある通りだ。509件のアパートを抱く7階建ての公営住宅が睥睨するその通りの背の低い、細長い建物には、違法占拠が横行している。Ater(ローマ市の公営住宅を管理するセクション)も近づくのを嫌がっているのか、ほとんど立ち入らないため、ほぼ無法地帯となり、見捨てられたような通りとなっている。ロム(ジプシー)の家族、スラブ系移民の家族、そして何人かのイタリア人が占拠する違法の王国であり、また極端な貧困が存在するゾーンだ。しかもそこにあるのは単純な貧困だけではない。訪れる人を怯えさせる陰気な雰囲気が漂っている。公営住宅の公共施設として作られた平家の建物の図書館も教会も、人々の日用品を売る店も違法に占拠され、驚くべきことに、店であった建物の屋根の屋上に木製のバラックを建てて住んでいる者もいる。階段の下の駐車ボックスはゴミの山となっていて、悪臭が漂い、窓のない闇で暮らしている家族もいる。公営住宅の住民は、あとで仕返しをされるのを恐れて、匿名なら、という条件で「毎日、恐怖のなかで生活している。違法占拠している者たちが大声で騒ぎ立てるし、暴力的な喧嘩もしょっちゅうだ。Aterがここに立ち入るのを見たこともない」と語った。問題は占拠と貧困だけではない。誰もこの通りに関心を向けないことなのだ。

その年の夏、この公営住宅で殺人が起こったこともあって住民も敏感になり、区域の役所も足を踏み入れることのないこの通りについて、記事ではその様子がスキャンダラスに描かれている。しかしこのような危うい風景、世間を巡る経済循環から見捨てられ、周囲の住民からも恐れられる空間から、いつの間にかヴァイタリティに満ちた、明るい動きが現れるのがローマです。夜にはドラッグの売買など犯罪の温床ともなる、管理されることのない『陰』が極まった無法地帯には、限りない『陽』転の可能性、自由も秘められている。その可能性と自由に誘われて、嗅覚の鋭いアーティストたちが集まり、住民をも巻き込んで、問題を解決するための文化の流れを形成しようとする野心が生まれます。

 

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公営住宅の人々も恐れるボックスが並ぶViale Giorgio Marandi通りにある建物。わたしが訪問したのは、ごく最近のことなので、荒れ果ててはいましたが、それほどスキャンダラスな風景でもありませんでした。

 

カルロ・ゴーリもそんな野心を持つアーティストのひとり。彼が中心となって運営するトル・サピエンツァ地区の文化センターは、Il Tempo紙の記事にもあった、かつて公営住宅のための図書館や、公共施設として建造され、いまやロムの家族やスラブ系の移民の人々に違法に占拠される、細長く背の低い建物の一番端。建築としては個性的な造りでも、老朽化し、退廃的な外観となっているこの建物ですが、文化センターのある一角だけ、明るい光がさんさんと降り注いでいるように見える。狭いながらも地域の住人が集まるにはちょうどいい大きさの広場、壁、階段、センターの窓枠に至るまで、色とりどり、多様なタッチでそれぞれのテーマのムラレスが、賑やかに描かれているからです。ネオリアリズムなモノクロの世界から、突如、総天然色の世界へ。これがゴーリたち文化センターの運営メンバーと、アーティストグループがゲリラ的にはじめた、Morandi a colori ーモランディを色とりどりにープロジェクト。発案者でもあるカルロ・ゴーリに、少し話を聞いてみました。

 

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文化センターの正面入り口にはパソリーニの第1作目の映画『アッカットーネ』のワンシーンが描かれている。

 

「ジョルジョ・モランディ通りというのは、トル・サピエンツァ地区のなかでも、最も暗い『影』だからね。物理的に太陽が当たらないという意味でも、地域から疎外された貧困と犯罪、という意味でもね。足元に注射器が落ちていることなんてザラだし、夜の闇にプッシャーが徘徊するような通りなんだ。しかし『ジョルジョ・モランディ』というイタリア現代美術を代表するような巨匠の名を持った通りなんだよ。通りそのものが、非常に強いアイデンティティを持っているに違いないはずだ。だから僕らはこの通りがモランディの名に恥じないよう、トル・サピエンツァの文化の中心となって、地域全体を循環させることできるくらいにまで発展させることができれば、と『モランディを色とりどりに』というプロジェクトをはじめたんだよ。僕らが運営するトル・サピエンツァ、ジョルジョ・モランディ文化センターのプロジェクト、Tor Sapienza in Arteの一環としてね。そもそもはこの広場で演劇やパフォーマンス、ちょっとしたフェスタを開くというのがオリジナルのアイデアだったんだけれど、『モランディを色とりどりに』は、そこから発展したプロジェクトなんだ」

ところでこのトル・サピエンツァ、そもそもはどのような地域だったのですか?

「もともと、ここははローマ郊外の田舎で、野原や林が広がっている場所に過ぎなかった。1920年、その田舎に、政治家でもあり、そしてイタリアの国有鉄道の駅長でもあったミケーレ・テスタが、やって来たのがはじまりでね。当時はイタリアをファシズムが席巻しようとしていた時期だったんだが、ミケーレ・テスタは強固な『アンチファシスト』で、当時最も困窮した状況におかれている人々たちのために協同組合を設立、この地区に困窮した人々のための家、学校、病院、そして薬局、教会などの公共施設建設を考案した。彼はこんなにちいさい田舎の地域でも、農耕で街を発展させることができる、と考えたんだね」

 

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アーティストたちが集まって、少しづつムラレスを仕上げていった。MAAM-Metropolizに参加するアーティストたちが、Morandi a coloriにも多く関わっている。

 

「ただ、ファシストたちまでいつの間にかこのミケーレ・テスタのプロジェクトに入り込んできて、この土地で投機をはじめるようになる。つまり当時、絶対権力を掴もうとしていたファシストたちが、この場所を食い物にして利益を得ようとしたため、農耕を中心とする田舎町であったこの地域の雰囲気、方向性がガラリと変わってしまったんだ。戦後、50年代には大規模工場が次々と建設され、さまざまな産業がこの地域で発展しはじめることになっただろう? 例えばウォクソン、当時のイタリアのテレビの大部分を製造していた工場だとか、現在Metropolizとなっているフィオルッチ(現在MAAMーMetropolizのある)、あるいはペローニとか、イタリアの大企業が続々と工場を造った。もちろん大規模工場が出来たということで多くの雇用を生んだから、イタリアじゅうからたくさんの人々がトル・サピエンツァに仕事を求めてやってくることになった」

 

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ジョルジョ・モランディへのオマージュが建物の数カ所に描かれている。Framcesco piskv Persichellaの作品 Antropos協会とMorandi a coloriとのコラボレーション

 

「しかもそのころ違法建築は、まあ普通のことで、ここに集まった人々は、思うがままに自分勝手にちいさい家、つまりバラックを建てて、計画なく、無秩序に街が発展していったんだ。しかしそのころは産業も循環し、仕事もあったから、トル・サピエンツァに住む人々は皆、しあわせだったかもしれないね。それにそのころにはこの地域の文化的、社会的な活動が発展しているんだけれど、それはある意味、政治的な動きから発展したかもしれない。工場で働く人々の労働組合はうまく機能していたし、当時、この地区にはイタリア共産党の働きも多くあったからね。人々は仕事を終えると音楽を聴きに出かけたり、教会へ行ったり、図書館へ行ったり、安定した毎日を過ごしていた」

「しかし、次第に産業が低迷しはじめると、地域の状況は大きく変わっていく。70年代の後半から90年代までの間に、経済循環が次第に立ち行かなくなると同時に、この地域にデプレッションが訪れることになる。工場閉鎖、あるいは移転、倒産となると、人々も仕事のある地域へと移っていくようになる。あるいは仕事を失ってしまい、動くにも動けない、という人々も現れるようになるだろう?」

 

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将来的には、文化センターを囲む公営住宅の壁、すべてを色とりどりにしたいとゴーリたちは計画している。モランディに行けば、面白い絵がある、とたくさんの人々が訪れるようなオープン・ミュージアムにするのが目標だ。

 

現在文化センターのあるこの公営住宅はいつ頃建築されたものなのですか?

「70年代の終わりから少しづつ形成されているんだよ。この公営住宅にやってきたのは、産業も活発なころ、この地域がさらに発展することを期待してやってきた人々や、当時バラックに住んでいた人々や、違法に占拠をしていた人々がここへ越してきた。公共設備が整った新しく建てられた公営住宅に住むということは、当時、非常に恵まれたことでね。トル・サピエンツァ地区の他の地域よりずっと豊かに暮らすことができたんだ。しかしこの地域がさびれていくにしたがって、それが逆転していくようになった。この公営住宅に住み人々は、生活に困窮した、教育も充分でなく、あらゆる社会問題を引き起こす人々と捉えられるようになったんだ。現在、僕たちが文化センターを運営している場所は、この公団のための施設、たとえば図書館をはじめ、薬局やバール、人々の日用品を売る店が並んでいたんだが、ビジネスが成り立たず、閉鎖、あるいは移転せざるをえなくなった」

「僕たち文化センターを運営しているメンバーは、このジョルジョ・モランディ通りに流れるデカダンな空気を、ヒューマニティ、つまり人の温かみで、一新したいと思っている。僕ら以外に文化活動をしている、Antroposアソシエーションという、この地域の周辺の少年たち、子供たちの社会問題を解決しようと動いているグループがあってね。僕らも彼らと共同で活動を行っている。かつてトル・サピエンツァはミケーレ・テスタという知識人に創られた、十分な文化施設もある、居心地のいい場所だったんだよ。その空気を再現させることは不可能ではないんじゃないかな。それに若い世代や子供たちとコラボレーションすることは、未来を作っているということだからね」

 

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フェスタが開催された日、文化センターの踊り場の一角に誰でも自由に絵が描ける壁があり、アーティストも子供たちと一緒に、絵を描いてはさらに上書きして楽しんでいた。

 

ゴーリさんは、もともとこの地域の出身?

「実は、ノヴァラの出身、それからミラノなんだ。そもそもは演劇をやっていたんだよ。もちろん、絵はずっと描いていたんだけれどね。ミラノで暮らしている時は、俳優でもあり、パフォーマンスの監督もしていた。もちろん劇場で演じることも素晴らしいことだけれど、僕自身はストリート・シアターを主にやっていてね。街角や公園で、他の何十人もの仲間たちと1日がかりの芝居を開催したりもした。街角を占拠してゲリラ的に芝居をすることは、すぐそばに人間の息遣い、感情の動き、脈拍、温度を感じられて、生のコミュケーションが実現できる。表現として限りなくヒューマニスティックだと思ったんだ。このトル・サピエンツァに来たのは、まあ、たまたまかな。2002年にミケーレ・テスタ・アソシエーションにオーガナイザーとして招かれたことがきっかけだったんだけれどね。トル・サピエンツァに来てみて、ここで文化活動をしているアソシエーションはミケーレ・テスタというグループだけで、これじゃ活気がなさすぎる、大きな流れは生まれないと思った。じゃあ、僕も彼らの流れに加わって、一緒にこの地域を変えていこうと考えてね。そして彼らとともに企画したのが、Tor Sapienza in Arteというプロジェクトなんだけれど、当初10日間の予定のフェスティヴァルが結局現在まで続いているということさ」

はじめからモランディ通りのこの建物で文化センターを運営していたんですか?

「いや、ここに来たのは2003、2004年のころかな。こんなに面白い構造の建造物になのに、当時はダンスホールぐらいにしか使われていなくてね。この地区には昔から住んで、地域の時代を変遷を体験してきた人々も多くいて、それぞれの人生、それぞれの生活というものがある。Morandi a coloriーモランディ通りを色とりどりにーというムーブメントはまだはじまったばかりだけれど、ムラレスを通じて、アートという人間の表現が、ここに住む人々の生活の一部になればいいと思っている。将来的にはこの通りに建ち並ぶ、すべての公営住宅の壁すべてにムラレスを描きたいとも思っていて、それが面白ければ、たくさんの人が観に訪れるようになるだろう? そうすればこの地域に活気が戻るじゃないか。影に光が差す。このモランディ通りがオープン・ミュージアムになるのは素晴らしいことだと思うんだ」

 

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『モランディを色とりどりに』のオープニングフェスタには子供たちが自由に絵を描ける場所も用意された。

 

「ムラレスが描ける壁は際限なくあるし、建物の構造も非常に個性的。しかもどこにでも絵が描けるような空間が広がっていて、駐車場も問題ない。たとえばライターたちが一週間に一回ここにやってきて、少しづつ絵が描けるという、最高の環境だよ。『壁』というものは、本来人間と人間を隔てるために存在するものだろう? たとえば格差であるとか、社会空間を分けて行き来できないようにするとか。『排斥』を象徴するものだ。そんな大人たちが作った壁を、唯一有効に使って遊ぶことができるのは、子供たちじゃないか。好きなだけクリエーティブに落書きして壁で遊んで、『壁』を開かれたものにする能力がある。彼らはリミットを打ち壊してしまうんだ。だから僕らは、自分たちのなかに眠る、その子供たちのスピリットで、いつの間にか暗く閉ざされてしまったこの空間を開いていこうと考えている。この場所からはじめて、そのスピリットをやがて大きく広げていく。それが目標だね」

 

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ムラレスを描くアーティストたち。

 

「もちろん、予算も含め、絶え間ない困難があるよ。毎日が作業だしね。そして自分たちがやっていることに、自分たちだけが満足してもいけないとも思っている。この公営住宅の住民がもっとたくさん参加してくれるようにならないと意味がないからね。ジョルジョ・モランディ通りは問題が山積みだ。ドラッグの問題も暴力も確かに存在するし、住人たちが恐れる気持ちも理解できる。しかし、たとえば文化センターの前にある広場で『モランディを色とりどりに』のオープニングパーティなどをすると、『何か面白そうなことをやっている』と人々が窓から顔を出して、通りまで降りてきて、空気がガラッと明るくなる。こうして少しづつ、少しづつ、空気が変わっていけばいいと思っているんだ」

 

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「トル・サピエンツァ文化プロジェクト以外にも、僕らの文化センターでは、さまざまなイベントを行っている。映画の上映会をしたり、コンテンポラリーダンスのパフォーマンスをしたり、写真、絵画の展覧会を開いたり、それに日本語教室を週に一回行っているんだよ(なんと、ゴーリ氏の奥さまは日本人女性!)。カーニバルのアートフェスティバルが開かれた時は、Metropolizの住民も加わって、トル・サピエンツァ地区の隅々にインスタレーションをクリエートしたりもしたんだ。英国人を含む63人ものアーティストがこの地区の子供たちとともに、老人ホームや学校、広場や通りで作品を創ったりしてね。この地区でソーシャルな文化活動をするのは、まったくやり甲斐のあることだよ。さらに、僕らメンバーだけでなく、いろいろな人々にこの文化センターを使ってもらいたいと思っている。どんどん企画を持ち込んでほしいし、僕らもそれに応えていくつもりだ。たとえば日本人のアーティストが参加したいと言ってくれるならいつでも大歓迎だよ」

 

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わたしはゴーリ氏の奥様が日本人だと知ったときは、おおいに驚きました。そう言えば、ゴーリ氏と雑談している最中、「日本で展覧会をしたことがある」ということをおっしゃっていたうえ、日本の政治状況も詳しく把握していらっしゃったので、イタリア人にしては珍しいことだとも思っていた。何より奥さまに、ローマでも、簡単には事が運ばない特にコアな地区で、ゴーリ氏がMAAMーMetropolizのオーガナイザー、またトル・サピエンツァの文化センターの運営と、ソーシャルなアート活動をすることを、どう考えていらっしゃるのか、ぜひ聞いてみたいと興味を抱きました。実際にお目にかかった奥さまはまったくの自然体、「彼には自分のやりたいように、自由に好きなことをやってほしいと思っているし、わたしも楽しんでいます。住民の方々はとても気さくないい人ばかり。すぐそばの教会には、教皇がいらしたこともあるんですよ」と、ニコニコ笑いながらおっしゃっていました。他のお仕事をしながら、時間があるときは文化センターの運営、またムラレスの制作も手伝っていらっしゃるのだそうです。

ローマの郊外は、確かに危うい問題を多く抱えていますが、奥さまがおっしゃるように、住む人々はみな、気取りがなく気さく。昔ながらのRomanesco(ローマ弁)が聞ける場所でもあり、本来のローマの庶民らしさがいまだ色濃く残る場所でもあります。そもそもローマという街は気が遠くなるほどの時間、少なからず、常にどこか危ない要因を抱えながらひたすら続く『永遠の廃墟』ですから、このような郊外の廃墟で起こるムーブメントこそが、実はローマの庶民のスピリットを物語っているのかもしれません。

*Tor Sapienza in Arte プロジェクトの一環、Morandi a colori に参加する、カルロ・ゴーリがこころから感謝するアーティストたち。

Aladin Hussain Al Baraduni, Carlos Atoche, Andrea Biavati, Luca Camello, Luis Cutrone, Roberto Farinacci, Carlo Gori, Marcello Mans, Riccardo Beetroot Rapone,Ana Rodrigues, Stefano Salvi, David Simões, Mauro Sgarbi, Pino Volpino

 

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ゴーリ氏の奥さま、ともえさんも加わってのムラレス制作。

 

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